図 書 館だより
第 37 号
2009.12.1発行
編集兼発行
三重短期大学附属図書館
〒514-0112 三重県津市一身田中野 157 ℡059-232-2341
目
次
生命科学案内
宇 城 啓 至(1)
「
(わたくし的)図書館だより」
山 川 和 義(7)
新規受入図書案内(2009 年 4 月~2009 年 9 月受入分)
(11)
生命科学案内
生活科学科教授 宇 城 啓
至
わたくしの担当科目である生化学は、難しいとよくいわれます。たしかに、教科書を見
ると、いきなり糖や脂質の構造式が出てきて、化学を履修してこなかった人は、どこをど
う見たら良いのかわからず、混乱することと思います。しかし、構造式については、おお
よそのかたちと、反応の前後で変化するところがわかれば良く、すべてを覚える必要はあ
りません。代謝経路図にしても、鉄道の路線図だと思って、まずは解糖経路からクエン酸
回路という糖代謝の幹線を理解し、そこに脂質の代謝経路がどのように交叉するのか、ア
ミノ酸の代謝産物がどこに合流してくるのか、順を追っていけば、わかってきます。
遺伝子科学についても、教科書の説明は抽象的で実感がわきません。しかし、たとえば
癌遺伝子がどのようにして発見されたのか、その経緯を知ることができたら、理解も深ま
ると思います。そこで、本稿では、研究の現場に取材して研究者達を描いたドキュメンタ
リーや、研究者の自伝を中心に、読んであるいは見て面白く、生命科学の理解に役立つ本
と映画を紹介いたします。
1.遺伝子研究の現場
① N. エインジャー著, 野田 洋子ほか訳 「がん遺伝子に挑む」 上下卷 東京化学
同人 1991年 三重短期大学図書館所蔵
② J. E. ビショップほか著, 牧野賢治ほか訳 「遺伝子の狩人」 化学同人
199
2年 三重短期大学図書館所蔵
1970年代後半から1990年代にかけて、癌遺伝子や遺伝病の原因遺伝子の解明が
飛躍的に進みました。がんウイルスの癌遺伝子と同じような遺伝子(原癌遺伝子)が正常
1
ヒト細胞にも存在し、変異・活性化されて癌遺伝子になるということ、癌遺伝子から作ら
れるタンパクと同じようなはたらきをするタンパクが正常細胞にもあって、細胞増殖を制
御しているということ、癌抑制遺伝子というものが具体的に特定され、それがどのように
破壊されて発癌するのかということが次々と明らかにされました。さらに、逆行遺伝学
(reverse genetics)という、病気の人と健常人の染色体DNAの違いから病気の原因遺伝子
を突き止める新手法によって、ハンチントン病や筋ジストロフィーなど遺伝性疾患の原因
遺伝子が解明されました。
この時期に、癌遺伝子研究に中心的役割を果たした研究者を描いたのが「がん遺伝子に
挑む」であり、遺伝性疾患の原因遺伝子究明に大きな役割を果たした研究者および患者と
その家族を描いたのが「遺伝子の狩人」です。いずれも著者はジャーナリストで、一般読
者に理解できるよう、丁寧にしかも正確に説明しています。癌遺伝子や遺伝性疾患の遺伝
子科学について知りたい人にお勧めします。
2.細胞成長因子の発見
③ リタ・レーヴィ=モンタルチーニ著, 藤田恒夫ほか訳 「美しき未完成」 平凡社
1990年 三重県立図書館所蔵
本書は、神経成長因子(NGF)の発見によりノーベル医学生理学賞を受賞したユダヤ系イ
タリア人、リタ・レーヴィ=モンタルチーニ博士の自伝であり、著者が、ファシスト体制
とその後のナチスドイツ支配下の困難な時代を神経学研究への情熱と同胞の友情によって
生き抜き、戦後、米国の自由な環境で、友人科学者たちと心を通わせながら、研究に邁進
する姿が描かれています。実験神経生物学についても述べられており、NGF発見の経緯につ
いては第17〜19章に詳しく、とくに第19章には、スタンことスタンレイ・コーエン
博士との共同研究によって、
思いがけないところからNGFの謎が次々に解き明かされるとい
う、研究の面白さが生き生きと描かれています。訳も正確で、
「1950年代初頭における
神経成長因子(NGF)の発見は、すぐれた観察者が、いかにして混沌の中から概念を生み出
しうるかを示す、みごとな例証である」と評価されたことが納得できると思います。
コーエン博士は、NGFの研究中に、マウス顎下腺の抽出液が新生仔マウスのまぶたを1週
間ほど早く開かせるという現象(早期の眼瞼開裂)を見いだしました。たいていの人が見
逃すか、スマートな人ほど見通しがつかないとして、それ以上追究しないような観察です
が、彼は、この早期眼瞼開裂を引き起こす物質を探求して、表皮成長因子(EGF:上皮成長
因子と訳されておりますが、表皮成長因子のほうが原語にそっていると思います)を発見
し、1986年、レーヴィ=モンタルチーニ博士と共に、ノーベル医学生理学賞を受賞す
ることとなります。
われわれの身体の細胞は、細菌と違って、栄養物質だけでは増殖・成長できません。細
胞の種類に応じて、さまざまな細胞成長因子を必要とします。そのような細胞成長因子と
いうものが、正体不明のものではなく、タンパクやポリペプチドであるとはじめて明らか
にされたのが、NGFとEGFであります。
3. 20世紀で一番奇妙な薬
④ トレント・ステファンほか著, 本間徳子訳 「神と悪魔の薬 サリドマイド」 日
2
経BP
2001年
三重県立図書館所蔵
サリドマイドは、手足の短いアザラシ肢症という先天異常を世界中に引き起こし、19
60年代はじめ、市場から追放されました。その悲劇の薬が、昨年、日本でも血液がんの
一種、多発性骨髄腫の治療薬として承認されました。本書は、この「20世紀で一番奇妙
な薬「サリドマイド」
」の歴史をたどったものです。
本書の前半は、悪魔の薬としての側面を描いております。サリドマイドは、旧西ドイツ
の製薬会社によって合成され、ずさんな試験を経て「安全」な鎮静剤として販売されたこ
と、副作用の報告が無視されたまま販路が拡大され、世界中にアザラシ肢症患者が急増し
たこと、そして、薬害被害者が製薬企業に補償を求めた裁判の経過がたどられます。
米国や東ドイツは、サリドマイドを承認しなかったため、大きな被害を出さずに済みま
した。本書には、FDA(米国食品医薬品局)の女性審議官ケルシー博士が、安全性評価のず
さんさを見抜いて承認しなかったため、
「FDAのヒロイン、有害薬品の市場参入を阻止」と
して、アメリカの英雄とたたえられた経緯が詳述されています。
本書の後半は、
サリドマイドが神の薬として復活する経緯を述べています。
きっかけは、
重症ハンセン病患者に対して、たまたま病院内に残っていたサリドマイドが処方され、症
状が劇的に改善したことでした。
その後、
クローン病や潰瘍性大腸炎などの自己免疫疾患、
さらに、腫瘍にも効果のあることが示されました。とくに、多発性骨髄腫は有効な治療法
も少なく、最後のよりどころとなっています。
本書は、薬害のためアザラシ肢症となった人の声とともに、サリドマイドによって救わ
れた患者の声も取り上げております。また、サリドマイドの副作用の分子メカニズムにも
ふれており、サリドマイドの全貌を知りたい人にお勧めします。
4.
「科学」もあてにならないことがある
⑤
W. ブロードほか著, 牧野賢治訳
「背信の科学者たち」
化学同人
1988年
(講談社ブルーバックス版(2006年刊)三重県立図書館所蔵)
データねつ造など、科学における欺瞞について、米国の例を中心に述べたものです。こ
のなかの第4章に紹介されている、
コーネル大学大学院生マーク・スペクターについては、
わたくしも研究員として働いていた米国ヴァンダービルト大学で噂を聞きました。はじめ
は、生化学会のビッグネームであるエフレイム・ラッカー教授のもとに天才的な大学院生
がいて、昼夜を分かたぬ研究によって、細胞にとって大切なナトリウム・カリウムATPアー
ゼ(ATPのエネルギーを使って、ナトリウムイオンを細胞外へ排出し、カリウムイオンを細
胞内へ取り込んで、それぞれのイオンの細胞内外の濃度差をつくっている酵素)のはたら
きが調節されている機構をまたたくまに解明し、ついには、癌遺伝子からつくられたタン
パクが、
その調節機構に作用してがん細胞に特徴的な変化を起こさせるということを示し、
これで2人のノーベル賞は決まりだと。しかし、1981年には、どうやら大学院生の実
験には再現性(同じ実験をしたら同じ結果が得られるということ)がなく、一連の研究成
果は疑わしく、ラッカー教授は信用を失ったというものでした。
私がいた研究室でも細胞増殖制御の研究をしておりましたので、ラッカー教授が講演で
使われた資料か、あるいは、私のボスであるコーエン教授(前掲「美しき未完成」のスタ
ン)に送られてきた論文原稿であったか、そのなかの写真データを見たことがあります。
3
その写真は、リン酸化アミノ酸を検出・同定するためのものだったと記憶しているのです
が、放射性同位元素の位置を示す斑点が妙にくっきりして、たとえていうとインクをぽと
んと落とした様にみえ、実物の写真には見えなかった印象があります。しかし、そのよう
な印象は、あとでそういえばあのときの写真はと思い返すのであって、当時としては、高
名なラッカー教授から一流の学術誌に掲載されようという論文であり、内容も、当時の研
究者が似たようなことを予想していたので、積極的に疑う理由がなく、皆が受け入れてい
たわけです。
本書には、ガリレオやニュートン、メンデル等の歴史上の科学者による欺瞞をはじめ、
さまざまな事例があげられています。あの野口英世博士についても、その業績の多くが誤
りであり、価値を失っているとされております。著者らは、科学になぜ欺瞞が生ずるのか、
科学者の社会を分析して問題点を指摘していますが、結局は、露骨な欺瞞はごくまれであ
るにしても、科学にはつねに欺瞞が入り込む余地があるとしております。
本書の刊行後も、データねつ造のたぐいは絶えることなく、マスメディアのニュースに
取り上げられたものもあります。実験科学では実験の再現性が問われるので、いつか欺瞞
は暴かれます。しかし、現代科学は細分化が進み、専門が違うと、科学者であってもよほ
どのことがないと判断できません。また、忙しい現代では、科学界による検証が充分にな
されないまま、
「科学」が大きな影響を社会に及ぼすことがあります。ある説が「科学的に
明らかである」といわれても、一度は疑って、その検証が充分なされているか、その証拠
(evidence)は何か、自分なりに考えることができたらと思います。
5.恐怖のウイルス
⑥ リチャード・プレストン著, 高見浩訳 「ホット・ゾーン」 上下巻 飛鳥新社
1
995年(小学館文庫版は1999年刊)三重県立図書館所蔵
エボラウイルスは、1週間ほどの潜伏期の後に、人間の肉体の、骨格筋と骨を除くすべ
ての臓器と組織に浸透して、融解させる。患者は、体中の孔という孔から血が流れ出て、
3〜4日後に死亡する。もっとも獰猛なザイール株の致死率は90%である。そのエボラ
ウイルスが、1989年米国首都ワシントン近郊の町レストンにある霊長類検疫所(モン
キーハウス:輸入されたサルの検疫所)に突如出現し、フィリピンから輸入されたサルの
間で広がっているのが発見されました。ただちにアメリカ陸軍伝染病医学研究所を中心と
する特別チームが編成され、制圧作戦が遂行されます。本書は、この制圧作戦を中心に、
マールブルグウイルス(エボラウイルスと同じフィロウイルスという科に属する)とエボ
ラウイルス・スーダン株とザイール株のアウトブレイク(突発的流行)を描いたノンフィ
クションです。
エボラウイルスのアウトブレイクは、今でもアフリカ中央部と西アフリカで起きており、
100人以上の死者がでることもあります。その感染源としてコウモリが疑われており、
旅行者でも、コウモリの巣くう洞窟を訪れたあと発病した例があります。一方、レストン
のモンキーハウスで蔓延したエボラウイルスは新型のレストン株であり、そのアウトブレ
イクは、フィリピンから輸出されたサルに繰り返し起きております。さらに、2008年
11月には、フィリピンの首都マニラ近郊でエボラ・レストン株に感染したブタが見つか
っております。そのとき、ブタを扱っていた6名もエボラウイルスに感染しました。幸い、
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レストン株は人に対する病原性はないようで、発病してはおりません。しかし、いつ変異
を起こして人に対する病原性を獲得するかわかりません。レストン株は、感染力が強く空
気感染するといわれております。もし、このウイルスが人に対する病原性を獲得したら、
その危険度はインフルエンザと比べものになりません。
6.映画から学ぶ
⑦ 「ロレンツォのオイル」ニック・ノルティほか
⑧ 「誤診 First Do No Harm 」
ユニバーサルピクチャーズ
メリル・ストリープほか
ポニーキャニオン
「ロレンツォのオイル」は、ニック・ノルティとスーザン・サランドン演じるオドーネ
夫妻の息子ロレンツォが、副腎白質ジストロフィーという、極長鎖脂肪酸が代謝できない
ため、さまざまな神経障害を起こす先天性疾患に罹患し、当時これといった治療法がない
ので、オドーネ夫妻は、図書館で代謝について勉強して研究論文を読み、専門医とも議論
しながら研究者によるシンポジウムを開催し、ついに、オレイン酸とエルカ酸を4:1の
割合で含む「ロレンツォのオイル」による栄養療法を開発するという話です。映画の終わ
りに、
「ロレンツォのオイル」の恩恵を受けている副腎白質ジストロフィー罹患者が紹介さ
れています。学術誌に発表された論文でも、症状が出る前のなるべく早い時期にこのオイ
ルをつかうと、発症を遅らせる効果があると評価されています。
「誤診」の英語原題は、英米の医学生が卒業時に誓うといわれている「ヒポクラテスの
誓い」から由来しており、患者に対して「何よりも害となるようなことをなしてはならな
い」というものです。メリル・ストリープ演じる母が、薬剤では発作を抑えられない難治
性のてんかんを発病した息子に対する治療に疑問を抱き、図書館でてんかんについて調べ、
ケトン食療法(Ketogenic Diet)を知ります。病院の医師は、ケトン食療法が二重盲検法
という科学的評価を受けていないといって反対しますが、息子がその病院の治療では良く
ならず、
かえって薬の副作用のためにやつれていくのをみているので、息子を救うために、
困難を克服してケトン食療法をうけさます。
ケトン食療法は、高脂肪と低糖質食によって血中ケトン体濃度を高くしてエネルギー源
にするもので、1920年代からジョンス・ホプキンス病院で行われており、成果をあげ
ております。日本でも、小規模ながら難治性のてんかんに対してケトン食療法が試され、
薬剤で抑えられないけいれん発作が抑えられることが確かめられております。しかし、高
脂肪・低糖質食を続けることが難しいということと、ケトン食療法がなぜけいれん発作を
抑制するのか、そのメカニズムがわかっていないということなどから、この治療法は限ら
れたところでしか行われておりません。なお、この映画の終わりには、ケトン食療法のお
かげでけいれん発作と無縁の生活をしている元患者の出演者が紹介されています。
以上、生命科学を身近に感じてもらえるような本と映画を紹介しました。いずれも一般
の人を対象としており、予備知識がなくても理解できます。また、なによりも描かれてい
る事実に驚かされると思います。学科専攻を問わず、興味をもって読んでいただけたらと
思います。
5
「(わたくし的)図書館だより」
法経科准教授 山 川 和 義
実家から歩いて 20 分ほどのところに吉田城址がある。昭和 29 年に再建された隅櫓(鉄
櫓)が豊川を臨む。春には対岸から桜海に浮かぶ鉄櫓を望むことができる。吉田城はかつ
て今橋城と呼ばれ、東三河の豪族である牧野古白が築城し、永正二年(1505 年)に完成し
た。ところが、その翌年である永正三年に今橋城は今川氏親と北条早雲に攻め落とされ、
田原の戸田氏が治めることとなった。今橋城の築城を牧野古白に勧めたのが今川氏親だっ
たそうなので、このあたりの事情は複雑である。もっとも、大永二年(1522 年)には牧野
信成が今橋城を奪回し、吉田城とした。その後、吉田城は松平元康(徳川家康の祖父)に
落とされるが、牧野信成はその戦に船をすべて壊して臨んだ。いわゆる背水の陣である。
私は最近までそんなことは露ほども知らず、小学校の写生大会でお城の絵を描いてみたり、
まつりに行ったりして、のん気にぷらぷらしていたものである。
背水の陣
ところで、私は今の仕事に就いてから、結構なわりあいで背水の陣をしいている(原稿
とその〆切のこと)
。背水の陣は、あえて逃げ場をなくして必死でがんばり、結果を出すこ
とという理解をしていれば、日常的にはそれほど誤りではないように思われる。私の場合
は知らないうちに逃げ場がなくなっていることが多いのだが、まあそれも同じことだと考
えている。でも、敵を知り己を知れば百戦危うからずというので、背水の陣をもっとよく
知ることで、
もっとよりよく原稿と戦おうかな
(?)、
と思ったり思わなかったりしている。
背水の陣の逸話は楚漢戦争で生まれた。楚漢戦争は、秦の初代皇帝である秦王政の死後
に、陳勝と呉広が叛乱を起こし、それが中国全土に広がって始まった項羽と劉邦の争いで
ある。項羽は楚の将軍の家柄という尊貴な血筋であったのに、劉邦はただのごろつきであ
ったのが面白い。平民が王侯将相をしたがえて皇帝となったわけである。奇蹟といえる。
晩年劉邦は疑心暗鬼のためか、あるいは、あえてしたのか、楚漢戦争での功臣の多くを粛
清した。まあ、それはそれとして、劉邦は項羽よりも早く関中を攻略したために死地に陥
るものの(鴻門の会)
、多くの人材に囲まれて、後に項羽に対し大反攻に転じた。股くぐり
で有名な韓信もその一人であり、これが背水の陣をしいた人物である。戦場では勝ち続け
た将軍といってよい(楚漢戦争後に呂皇后の計略によって、戦場外であっさり殺されてし
まう)
。
韓信は張耳と数万の兵を率いて趙を攻めようとしていたが、これを知った趙王と陳余は、
20 万の大群を率いて井陘で塞(とりで)をつくり、対峙した。寡兵をもって大兵を破ろう
とする韓信は、泜水を渡り、背水の陣をしいた。孫子(史記では尉繚子)によれば、川を
背にして戦うことは挟撃されるのと同じであり、全滅必至の布陣であった。韓信はあえて
それをして、趙軍を打ち破った。孫子の兵法の体現者である韓信であれば、孫子にある言
葉に逆らうことはないはずであるが、あえてそれを行ったところに、背水の陣の真の意味
がある。
史記(司馬遷)の淮陰候列伝によれば、韓信の作戦はこうである。韓信は背水の陣をし
6
いて、ただ趙軍を待っていたわけではない。少数の兵であえて趙軍に攻めかかり、佯敗す
る(わざと負ける)ことで、趙軍を塞から引きずり出す。しかし、井陘はもともと大軍を
展開できない一本道のような地形であったので、漢軍は蛇の頭とだけ戦えばよく、実際に
戦う兵数に大差はない。その間に漢軍は兵の一部を趙軍の背後に回し、塞を奪う。漢軍の
強固な抵抗にあい、いったん塞に引き返した趙軍は、自軍の塞がすでに落ちていることを
知って大混乱におちいるので、そこを挟撃し、殲滅する。これにより、陳余は斬られ、趙
王は虜にされた。韓信の背水の陣は、死地において必死で戦って、そこで敵に勝利すると
いうものではなかった。確かに背水の陣をしいたことは兵に必死の覚悟をさせることにな
ったが、
それは井陘という戦場全体で勝利するしかけの一つであった。背水の陣のミソは、
逃げ場をなくして必死の覚悟をすることというよりも、常道に反するアブナイ方法ですら、
結果を出すためのしかけとしてうまく利用したという点にあろう。大軍を展開できる場所
で背水の陣をしいたら、いかな韓信といえども負ける。
小難しくなった。まあ、背水の陣とは単純な精神論ではなかったみたいで、きちんとし
た計算の上でないと成り立ちそうもないということだ。明日からは、計画的に原稿を書き
たい。まあ、これを書いているときも、二つの軍を相手に泜水を背負っているのだが…。
刎頸の友
さて、上に出てきた張耳と陳余は魏の大梁の人で、楚漢戦争の初期に陳勝と呉広にした
がい、
趙に独立勢力を作った。
かれらは刎頚の交わりをかわした友として有名であったが、
最後は敵味方にわかれて直接に戦をし、陳余は絶命。張耳は楚漢戦争後、趙国の王に封ぜ
られた。刎頸の交わりとはきわめて親しく堅い交わりのことで、相手のために自分の頸(く
び)を刎ねられてもかまわないというほどの友情をいう。それゆえ、張耳と陳余は刎頸の
友ではなかった。なかなかそこまでの友情を貫くのは難しいが、刎頸の交わりの元となっ
た逸話の役者たちは、無論、そのような友情を貫いた。すごい。私にも、保育園のときか
ら付き合いのある友人がいるが、このご時世だと頸を刎ねられるというところまでの覚悟
はない。イタイこと、この上なかろう。
刎頸の交わりということわざは、戦国時代に趙の恵文王の時代に生まれた。恵文王とは
兄である安陽君と対立し、沙丘で兄を殺し、同時に、父である主父(武霊王)を弑した者
である。武霊王は狄をしたがえて中山国を滅ぼし、趙を強大にしたが、終わり方が悪すぎ
た。安陽君を殺したことで主父に罰せられる(殺される)ことを恐れた恵文王により、沙
丘に閉じ込められ、餓死させられたのである。ちなみに、恵文王の弟の公子勝は食客数千
人を擁した平原君である。どうやって数千人も養ったのやら…。
話が逸れた。刎頸の交わりは、趙の廉頗と藺相如の話である。廉頗は戦国時代の名将の
一人といってよく、恵文王の一六年に斉を攻め、陽晋を占領した。これはおそらく燕の楽
毅が趙・秦(史記によれば楚であるが、そのころ楚は斉を援助していたはずである)
・韓・
魏・燕の連合軍の総指揮官となり斉を攻めたときだろう。これにより廉頗は上卿となり、
国政にあたる。他方、藺相如は宦官の配下であったが、ある事件をきっかけに国政に躍り
出る。
どういう経緯かはわからないが、楚の国宝である和氏の璧が趙にわたった。またこれも
どうやって知ったのか、秦の昭襄王は趙王に秦の一五城と和氏の璧を交換してほしいと申
7
し出た。
一城とるのに数ヶ月かかることを考えれば、
趙としては得な取引のように思える。
しかし、この申し出に趙の朝廷は大変こまった。というのは、この申し出に応じた場合、
和氏の璧を渡しても秦が本当に一五城をよこすとは限らず、よこさなかった場合の対応に
困難が生じる。また、和氏の璧を出し渋ると必ずしも趙に同情が集まるとは限らず、秦に
趙を攻める口実を与えることになるからであった。
いずれにせよ、趙は秦に使者を送らなければならなかったが、この問題をうまく解決す
ることのできる者が、廉頗を含めて、いなかった。その趙に藺相如があった。藺相如は秦
の申し出を受けるべきだが、もし秦が一五城を渡さない場合には、傷一つつけず和氏の璧
を持ち帰るといって、秦に発った。藺相如が昭襄王に和氏の璧を渡したところ、一五城を
渡す様子がまるでなかったため、進み出て、
「璧に瑕がありますので、王に指し示しましょ
う」といい、昭襄王から和氏の璧を受け取った。すると藺相如は小走りして柱によりかか
り、
「王には一五城を趙に与える意志がない。ゆえに、璧を取り戻した次第である。無理や
りに璧を奪い返そうとするなら、それがしの頭とともに、璧をたたきわる」と。藺相如は
そのとき怒髪冠を衝いた。無理やり和氏の璧を奪うことをあきらめた昭襄王は、やむなく
藺相如のいうように 5 日間身を清めてから、和氏の璧と城を交換すると言った。しかしこ
こに実はない。そこで、藺相如はひそかに従者に和氏の璧を趙に持ち帰らせた。5 日後、
藺相如は昭襄王に面会してそのことをはっきりといった。
「私は王(昭襄王)に欺かれ、か
つ、趙(の国命)にそむくことを恐れ、壁を趙に持ち帰らせました。秦が趙に一五城をか
ならず与えるのであれば、趙は璧を秦にお渡しするでしょう。ただ、私は今、王を欺いた
のであり、その罪は死刑にあたります。さあ、私を釜で煮ころしてください。」さすがに昭
襄王は並の王ではない。昭襄王は怒りを収め、藺相如に礼を尽くして趙に帰した。この一
事により、藺相如はその知恵と勇気を認められ、大夫となった。
その後も、藺相如は外交において勇知を示し、ついに上卿となり、廉頗より上の地位に
ついた。廉頗はおもしろくない。
「わしは将軍となって戦場で命がけで大功をたてた。しか
し、藺相如は舌三寸だけで、わしよりもえらくなりおった。わしは藺相如に会ったらかな
らず辱めてやる。
」それを聞いた藺相如は、廉頗を避けにさけた。ある日、外出中、廉頗を
遠くに見た藺相如は、車を引き返して身をかくした。そこで藺相如の侍従たちは、
「殿(藺
相如)は廉頗どのを恐れて逃げ回っておられる。我々はもはやついて行かれません。お暇
をいただきます」
と。
藺相如はいう。
「秦王ですら畏れぬわしが廉将軍などをおそれようか。
わしが恐れるのは国家の危機である。強力な秦が趙を攻めないのは廉将軍とわしがいるか
らにほかならない。この両雄がけんかし争えばどうなるか。個人的な仇敵関係は二の次で
あるから、争いを避けるのだ。
」これを聞いた廉頗は、肉袒負荊(肌ぬぎして荊の笞を負う。
謝罪の古式で、たとえば、商(殷)の微子啓は周の武王にこれをおこなった)し、
「ここに
いる心の卑しい者は、あなたがわたしにこれほど寛大にしてくれていたとは知りませんで
した」と大いに謝った。二人は大いに語り合い、刎頸の交わりを結んだ。二人ともよい男
である。
刎頸の交わりの二人は、
それぞれの志に感服しあったこともあろうが、うがってみれば、
国が滅ぶことは自らが滅ぶに等しいために、友であり続けるしかなかったともいえる。自
分のためでもあり、相手のためでもあり、また、国のための友情であった。そうすると、
私としては管鮑の交わりの方がより理想的に思われる。詳細を書く余裕はないが、確かに
8
そう思う。
ちなみに、友という漢字は、又(ゆう)という字が二つ重なったものである。又は右手
の形を表し、友は各々の手をもって助け合うという意である。又が横に並ぶ(双)のでは
なく重なるのは、盟誓のときの形式を表す(白川静『字統』)
。神聖な儀式である。そうい
われれば、漢字を見るだけでその情景が浮かんでくる。友であるということは、ただごと
ではないのである。こういうことを知る必要はないかもしれないが、知らなければそれが
必要かどうかも分からない。私自身は知らないことが本当に多すぎると、常に思う。また、
本は読んでみるものだ、とも思うが、これは間違いあるまい(絵が付いているものも、よ
い)
。
図書館だより
ということで、上のほとんどは史記によるところであるが、三重短期大学付属図書館所
蔵の貝塚茂樹編『世界の名著 11 史記列伝』などを参照している。史記に興味を持った人
は実際に読んでみてはどうか。何だこれ?と思いつつも最後まで読んだあなたは、もっと
面白い本に出会うために、図書館へ、どうぞ。合言葉は、「そうだ 図書館、行こう。
」
これが図書館だよりとなったかは、読んだ人それぞれがそれぞれに思うことであろう。
どう思われようが、図書館の邪魔にさえならなければよい。実は最初、この夏に見に行っ
たライブのレポートでも書こうかとも思ったが、さすがに、やめた。おわり。
追記:この秋口に、またライブに行ってきました。一曲目は・・・。
9
新規受入図書案内
(2009.4~2009.9)
総
記(000)
歴
史(200)
画像処理アルゴリズムの基礎理論 新井 康平
情報と自己組織化 複雑系への巨視的アプロ
ーチ
列島創世記 旧石器・縄文・弥生・古墳時代
ハーマン・ハーケン
英米絵本のベストセラー40
松木 武彦
心に残る名作
日本文化の原型
灰島 かり
文学と悪
古事記の歴史意識
ジョルジュ・バタイユ
<岩波新書>
ルポ雇用劣化不況
竹信 三恵子
政治の精神
佐々木 毅
和歌とは何か
渡部 泰明
邪馬台国魏使が歩いた道
丸山 雍成
エミシ・エゾからアイヌへ
児島 恭子
観光コースでないベルリン
ヨーロッパ現代
熊谷 徹
サリヴァンの生涯
川崎 健
岩田 規久男
矢嶋 泉
史の十字路
イワシと気候変動 漁業の未来を考える
国際金融入門
青木 美智男
ヘレン.S.ペリー
行け行け!わがまち調査隊 市民のための地域
調査入門
岡田
外国地名よみかた辞典
<岩波ブックレット>
知弘, 品田 茂
日外アソシエーツ
現代に生きる「境内空間」の再発見
教員免許更新制を問う
今津 孝次郎
脱「貧困」への政治
中山 繁信
雨宮 処凛
チョコラ!アフリカの路上に生きる子どもたち
社 会 科 学(300)
小林 茂
希望と絆 いま、日本を問う
姜 尚中
現代中国を知るための 55 章
新型インフルエンザ・クライシス 外岡 立人
高井 潔司
いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える
鎌田 慧
哲
学(100)
現代社会におけるグローカル視点
青森中央学院大学
イギリスのモラリストたち
柘植 尚則
フランスジュネスの反乱 主張し行動する若
フーコー・ガイドブック ミシェル・フーコー
者たち
レヴィナスと愛の現象学
ポリティカル・サイエンス事始め 伊藤 光利
前頭葉の謎を解く
内田 樹
船橋 新太郎
政治の発見
心を発見する心の発達
板倉 昭二
都市対地方の日本政治
認知と感情の心理学
高橋 雅延
自民党政治の終わり
カウンセリング実践史
山本 三春
氏原 寛
高畠 通敏
白鳥 浩
野中 尚人
ガバナンスの探求
今村 都南雄
自己評価メソッド 自分とうまくつきあうた
働く人をとりまく法律入門
めの心理学
国家と社会の基本法
絵画療法
クリストフ・アンドレ
飯森 眞喜雄, 中村 研之
歴史のなかの宗教心理学
堀江 宗正
10
上野
大内 伸哉
幸彦, 古屋 等
憲法と政治制度
藤井 俊夫
世界史の中の憲法
浦部 法穂
国会議員による憲法訴訟の可能性
三宅 裕一郎
行政法読本
パソコン数学博物館
芝池 義一
何森 仁
エクセルを使用した統計学
物権・不当利得・不法行為
柳沢 幸雄, 井上 豊, 五十嵐 正夫
弘道, 松山 恒昭
これならわかる化学実験
田中 晶善
道垣内 弘人
宇宙 100 の謎 珍問難問
福井 康雄
刑事政策講義
大谷 實
イラストでまなぶ解剖学
松村 讓兒
刑法解釈の方法と実践
楠本 孝
アンチエイジング・ヘルスフード
裁判の具体性
井上 薫
認知療法の世界へようこそ
民事再生法入門
松嶋 英機
精神保健福祉法の最新知識
功利主義は生き残るか
松嶋 敦茂
ゼミナール民法入門
青木 晃
井上 和臣
歴史と臨床実務
高柳 功, 山角 駿
中国経済の成長と東アジアの発展 坂田 幹男
食事バランスガイド Q&A 食育と食の指導に
PFI 神話の崩壊
活かす
尾林 芳匡, 入谷 貴夫
アメリカ SEC の会計政策
杉本 徳栄
弁護士のための租税法 村田
早渕 仁美
応用栄養学栄養マネジメント演習・実習
守弘, 加本 亘
地方財政の行政学的分析
竹中 優, 土江 節子
北村 亘
生活習慣病の分子生物学
新心理学的社会心理学 社会心理学の 100 年
佐藤 隆一郎, 今川 正良
中村 陽吉
「公共性」論
ウィリアム・R・スコット
工 学 ・ 技 術(500)
社会保障の再構築 市場化から共同化へ
横山 壽一
未来のモノのデザイン ロボット時代のデザ
ベーシック・インカムの哲学
イン原論
P.ヴァン・パリース
人権保障と労働法
ドナルド・A・ノーマン
地域づくりの新潮流
和田 肇
判例労働法入門
松永 安光, 徳田 光弘
大内 伸哉
こどものあそび環境
仙田 満
正社員が没落する 「貧困スパイラル」を止め
低炭素化時代の日本の選択
ろ!
世界で一番やさしい建築図面
堤
未果, 湯浅 誠
社会福祉のあゆみ 社会福祉思想の軌跡
北欧のノーマライゼーション
一方井 誠治
綾部 孝司
ミースという神話 ユニヴァーサル・スペース
金子 光一
の起源
八束 はじめ
田中 一正
高齢者のための建築環境
日本建築学会
物語の臨界 「物語ること」の教育学
インテリアデザイン 図解テキスト
矢野 智司, 鳶野 克己
小宮 容一
保育園・幼稚園ですすめる食育の理論と実践
1 日 350g の野菜生活
久保 香菜子
小川 雄二
赤ちゃんの視覚と心の発達
産
業(600)
山口 真美, 金沢 創
秋の七草
台所空間学事典
有岡 利幸
地域のチカラ 夢を語り合い、実践する人びと
北浦 かほる, 辻野 増枝
「地域の力」研究会
インド農村金融論
自 然 科 学(400)
農耕の起源を探る イネの来た道
11
須田 敏彦
宮本 一夫
アーネスト・ヘミングウェイの文学
ハチはなぜ大量死したのか
今村 楯夫
ローワン・ジェイコブセン
鉄道から見える日本
芸
マダム・エドワルダ バタイユ作品集
原 武史
ジョルジュ・バタイユ
術(700)
器財の意匠 器物文様
伊東 哲夫
正倉院の地図
飯田 剛彦
十二支 時と方位の意匠
川瀬 由照
動物絵本をめぐる冒険
矢野 智司
建築家の椅子 111 脚
SD 編集部
映画でわかるイギリス文化入門
板倉 厳一郎, スーザン・K・バートン,
小野原 教子
運動とからだ 教養としての運動生理学
朝比奈 一男
語
学(800)
辞書を知る
国立国語研究所
歴史の中の英語
小野 茂
かしこい旅のパリガイド
田中 成和, 渡辺 隆司
文
鉄の時代
学(900)
クッツェー
英米児童文学のベストセラー40 心に残る名
作
成瀬 俊一
江戸の文人サロン 知識人と芸術家たち
揖斐 高
雪冤
大門 剛明
1Q84
村上 春樹
33 個めの石 傷ついた現代のための哲学
森岡 正博
12
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「分からないことが多すぎて」