2014 年 3 月 29 日 於神戸大学文学部学生ホール
2013 年度若手研究者支援シンポジウム「災厄とトラウマ」報告レジュメ
●「記憶する・想起させるメディア」としてのマンガ/コミックス
雑賀忠宏(神戸大学 学術推進研究員)
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▼本報告の目的
・マンガ/コミックスというビジュアル・ナラティブのメディアにおける「記憶」表象
その諸相の検討
①「記憶するメディア」としてのマンガ/コミックス:
マンガ/コミックスのビジュアル・ナラティブにおける「記憶」
(トラウマ等)のとり
こみ
②「想起させるメディア」としてのマンガ/コミックス:
マンガ/コミックスにおけるビジュアル・ナラティブのなかの「記憶」表象と社会-
文化的トラウマ(J.C.Alexander)あるいは集合的記憶との関わりあい
▼マンガ/コミックスというビジュアル・ナラティブの領域
・カトゥーン/カリカチュアといった領域との分節化
「連続的芸術 sequential art」
(ウィル・アイズナー)としてのコミックス
→その連続性を支えるものとしての「コマ panel」の配置
「絵=描線」
・
「言葉」
・
「コマ」という 3 つの視覚的要素に支えられた物語表現として
のマンガ/コミックス(夏目房之介ほか『別冊宝島 EX マンガの読み方』
)
▼欧米圏コミックスにおける個人史としての「記憶」表象とそのテーマ化の流れ
・欧米圏コミックスにおける個人史テーマの勃興
アメリカン・コミックスにおける「アンダーグラウンド/オルタナティブ・コミックス」
から「グラフィック・ノベル」への流れ(60 年代~)
→①作品素材としての「日常」の発見(=メインストリームとの差異化の手段)
②その描写を下支えするものとしての「個人史」的テーマのとりこみ
→ヨーロッパへの波及(90 年代)
とりわけ「自伝」形式で描かれるコミックスの、ジャンルとしての確立
代表的な作品:
Justin Green, Binky Brown Meets The Holy Virgin Mary (1972)
Harvey Pekar, American Splendor (1976~)
Will Eisner, A Contract With God (1978)
Art Spiegelman, MAUS (1980~1991)
David B, L'Ascension du Haut Mal (1996~2002)
Marjane Satrapi, Persepolis (2000~2003)
Allison Bechdel, Fun Home (2006)
……など
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▼コミックス表現の「記憶」表象における視覚的テクストと言語的テクストとの緊張関係
・Justin Green『Binky Brown Meets The Holy Virgin Mary』と Harvey Pekar『American
Splendor』におけるビジュアル・ナラティブとしての表現の差異
『Binky Brown~~』
:ダイナミックに変形する人体や事物 描線の可塑性の強調
視覚性の優位と共感性“easy to understand comic-book format”
『American Splendor』
:司会者のように読者へと語りかけ続けるピーカー自身
抑制された絵=描線の可塑性、言葉の氾濫とその優位
→マンガ/コミックスという表現によってなされる「記憶」表象における、
「絵」と「言
語」の緊張関係の存在
→「自伝」コミックスをめぐる議論における、真正な「自己」を相対化し転覆するポテ
ンシャルを含みこんだものとしてのコミックス的表現への注目
「auto-graphic」
(Gillian Whitlock)
:アイデンティティをめぐる折衝の場としての視
覚的テクストと言語的テクストとの関係性への注目
例としてのアリソン・ベクダル
『Fun Home』のテクストにおける言葉と絵との拮抗関係
「cartoon self」
(Charles Hatfield)
:語る主体としての自己と描かれる客体としての
自己との乖離の局面 同一性を保ち理想化された語る主体=作者に対する、
〈他者〉と
しての「描かれた自己 cartoon self」 その前提となる描線の可塑性・不安定性
←→日本マンガの(洗練された)「わかりやすさ」
▼日本マンガの「大衆文化」化における心理描写技法の拡大とその基盤としての「コマ」
・日本マンガにおけるテーマの拡大と「記憶」の表象
「劇画」から青年マンガへ(60 年代)→児童文化から大衆文化への拡大・転換
→テーマの拡大 社会的事件や世相のとりこみ
さいとう・たかをによる「劇画」の特徴付け:
「絵=描線」の“リアリティ”の強調
辰巳ヨシヒロによる「劇画」の特徴付け:
「コマ割り」を活用した心理描写
(→70 年代少女マンガにおけるコマの重層化と「内語」による〈世界観〉の表現可能性)
一方で、こうした「劇画」をメルクマールとするマンガの「大衆文化」化は、同時にこ
の「コマ割り」を基盤とする語りの構造を洗練させていくことによって、透明化させて
いくことにもなる →マンガの「わかりやすさ」という誤解
その延長線上にあるものとしての中沢啓治『はだしのゲン』に対
する「反戦・反核マンガ」という評価
▼マンガ/コミックスにおける個人史と社会-文化的トラウマとの交錯、その困難
・Art Spiegelman『MAUS』におけるホロコーストの記憶と家族の記憶との融合
作者の父が語るホロコースト経験(過去)
+父との関係をめぐる作者自身の家族史(現在)
重層化された表現の使い分け(登場人物の「キャラクター化」の度合いの差異、絵=描
線のコントロール)
同じ作者による 911 を取り扱った『In The Shadow of No Towers』
(2002)との差異
個人史という切り口を欠いて社会-文化的トラウマをコミックスとして表象することの
2
困難
→911 に対するアメリカのコミックス作家たちの戸惑い:チャリティコミックス『911:
Emergency Releif』収録作品 911 というトラウマをコミックス表現を介して個人史の
水準へと回収していこうとする作品群 「表現への幻滅」と「癒やしとしてのコミック
ス」
(小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか』、NTT 出版、2007)
・中沢啓治『はだしのゲン』
(1973~)
中沢自身の被爆体験を下敷きとしたマンガ、という一般的理解 作者との連続性
一方で『週刊少年ジャンプ』連載という側面 娯楽読み物としての少年マンガ的表現技
法の駆使
「黒い目をした被爆者」
(吉村和真)と少年マンガ的身体をもった「ゲン」との同居
ビジュアル・ナラティブとしてのマンガ/コミックスのもつ虚構性へのある種の自覚
→3・11 の経験を「キャラクター化された自己」を通じて語るエッセイマンガ的作品群
→自己のアイデンティティを描き出す日常的な表現として「マンガ・スタイル」を採用
するニューヨークの高校生たち(マイケル・ビッツ『ニューヨークの高校生、マンガ
を描く』
、岩波書店、2012)
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