研究論文
香川安造田東三号墳出土珠
図1:安造田東3号墳出土珠、満濃町教育委員会蔵(出
典:満濃町教育委員会『安造田東3号墳発掘調査
報告書』同委員会、1991年、51頁、第32図)
︽キーワード︾円条文モザイクガラス珠 安造田東三号墳 カラニ丁パ ケルソネソス バラトンベレニー プラエスト
ボーンホルム リーベ 本邦流入
図2:安造田東3号墳出土珠、満濃町教育委員会蔵(出
典:谷一 尚・工藤吾郎『世界のとんぼ玉』里文
出版、1997年、50頁、下段中央図版〉
谷 一 尚
︵共立女子大学教授︶
m67−
モザイクガラス円条文珠の本邦流入
はじめに
一九九〇年香川県満濃町の安造田東三号項で、文様単位の中心が
赤の紺白モザイクガラス円条文珠 ︵図1、図2︶ が出土した。この
モザイクガラス珠は国内では他に類例の無い特殊なものであるが、
同様技法による作例は、ウズベキスタン、ウクライナ、ハンガリー、
デンマークなどユーラシア大陸一円で決して多くはないが何例か出
土している。筆者も同年一一月に安造田出土珠を実見し、その見解
に基づき新聞発表がなされ、翌九一年二月、満濃町からの依頼に
より現地の満濃文化講演会で講演、さらに九二年一一月には、石川
県能登島ガラス美術館で開かれた日本ガラス工芸学会大会でこの珠
について研究発表を行った。その後、昨二〇〇二年八月にコペンハ
ーゲンで国際ガラス珠シンポジウムが開催された際に、これに伴っ
軒
料を見出すことができた。本小論では以下、まず安造田東三号墳出
て実施した現地博物館収蔵の出土資料調査により、いくつかの新資
の紺ガラス珠・二白斑文の緑ガラス珠・金環等の装身具等。
具、淡青透明ガラス勾珠・紺ガラス臼珠・紺ガラス小味・二白斑文
鎖・轡・引手・帯金具等の馬具、鉄刀・銀象軟鍔・大型鉄鉱等の武
横穴式石室の構築状況や出土遺物から、六世紀中葉に構築、六世
土例の概要を紹介し、次いでその製作技法を解明し、他地域におけ
る同様の出土例を整理して、それらとの比較を通して安造田東三号
紀末頃に追葬。また、八−一〇世紀の須恵器が出土していることか
t 安造田東三号境の概要
その後、天井岩が落盤して羨道を塞いだため、落盤をまぬかれた玄
人々が石室内に侵入し、多くの副葬品を玄室から羨道に運び出し、
墳出土モザイクガラス珠の東方流入の問題について考察する。
香川県満濃町大字羽間二九六二−六番地に所在。この地に散在す
室のみに侵入した後世の盗掘者から副葬品が守られたと考えられ
ら、六世紀の埋葬後、八−一〇世紀に祭祀が行われたらしく、この
る群集古墳中の一基。土地所有者から宅地造成の申し出を受け、満
る。
〓︶ モザイクガラス珠の出土状況
二 安造田東三号墳出土モザイクガラス珠とその製作技法
︷6︶
濃町教育委員会が一九九〇年七月九日から九月一五日まで発掘調査
を実施。発掘主任は善通寺市教育委員会の笹川龍一主事。
古墳の規模・形態は、山裾の斜面に造られた直径約二一m、高さ
の玄室部は長さ三 二m、幅二・〇m、高さ二・三m、羨道部は長
モザイクガラス珠は、玄室礫床上面の遺物と小礫とを除去した後
三・五mの円墳。花崗岩を用いた両袖式の横穴式石室を有し、石室
さ五・〇m、幅一・一m、高さ二・四m。
ぼ中央部で発見された。礫床の間に挟まっていたため、前述の玄室
に、その下に敷き詰められていた扇平な河原石の間から、玄室のほ
状況は良好で、閉塞石が残り、その内側から多量の副葬品が出土し
から羨道への副葬品の運び出しに遭遇せず、ほぼ当初の埋納位置で
石室は、羨道部では天井が一部失われてはいたが、開口部の遺存
た。玄室はすでに盗掘されていたが、遺存状態は比較的良好で、副
ある玄室中央部から出土したものと考えられる。
から、まず①赤色ガラス棒を芯にして周囲に白色ガラス棒を巻きつ
その製作技法は、珠細部の文様の流れ具合等の筆者による実見観察
出土したのは最大径二四五cm、ほぼ球形のモザイクガラス珠。
︵二︶ 出土モザイクガラス珠とその製作技法
葬品とともに礫床が検出された。玄門部両側には大きな門柱石が立
っていた。この古墳は、中津山西側山麓部の尾根の先端に立地して
いるが、墳丘部に六箇所のトレンチを入れたところ、きわめて丁寧
に構築された版築が確認された。
モザイクガラス珠以外の出土遺物は、子持ち高杯・杯身・杯蓋・
台付長頸壷・短頸壷・高杯・提瓶・平瓶・鉢・台付鉢等の須恵器、
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郎飴式のモザイク棒を、③径〇・五cm程度の細さになるまで引き伸
に机上に置いた白色ガラス棒の上を転がして周囲に付着させた金太
け、さらにその周囲に紺色ガラス棒を巻き、②これを中心に等間隔
確認することができた。
も九月二四日、有楽町朝日ギャラリーにおいてこの出土例を実見、
岡の三会場で ﹁ウズベキスタン考古学新発見展﹂ が開催され、筆者
している。昨二〇〇二年九月から一二月にかけて、東京・奈良・福
ら移住したメガラ人によって建設されたギリシア系殖民都市遺跡。
端、セバストポール市の西三kmにある。ボントウスのヘラクレアか
ケルソネソスは、ウクライナ共和国黒海北岸のクリミア半島最南
︵二︶ ウクライナ共和国黒海北岸ケルソネソス
ばしてから、④﹂本の長さが各々二cm程度に切断、⑤これを一モザ
イク単位として六本用意し、中心一、周囲瓦の配置で束ね、剥離剤
を表面につけた金属棒の先端に加熱して巻きつけ、⑥孔を貫通させ
てから金属棒を引き抜き、⑦徐冷して完成させたものと考えられる。
三 他地域における類似の出土例
二世紀にローマ軍占領の中心となり、以後中世まで存続した。ガラ
にもかかわらず、政治的状況が好転せず、筆者はいまだこの地域を
スの東西交易史を研究するうえできわめて重要な地域の一つである
のものが唯一の出土例であるが、ユーラシア大陸各地に類例が散見
実際に訪れ、収蔵出土資料の現地調査が敢行できておらず、この資
この形態のモザイクガラス珠は、いまのところわが国では安造田
される。以下、筆者が実見したものを中心に、いくつかの出土例を
料は未見。アレクセーヴアの報告による図にもとづく。二−三世紀
ル期五1六世紀の墓地から、同様技法の縁・黄モザイクガラス珠が、
ン朝およびそれ以降の仏教遺跡であるが、これに付属する、エフタ
ハーゲンでの国際ガラス珠シンポジウム開催に伴う現地博物館収蔵
デンマークにおける三点の出土例は、昨二〇〇二年八月のコペン
︵四︶デンマーク、プラエスト/ボーンホルム ︵図3︶/リーベ
−五世紀の層位からの出土とされる。
これも筆者未見資料。アンドラエの報告による図にもとづく。四
︵三︶ ハンガリⅠ、バラトン湖畔バラトンベレニー
の層位からの出土とされる。
挙げ、その出土層位・埋蔵年代を整理・検討する。
〓︶ ウズベキスタン共和国テルメズ郊外カラ・テバ
カラ・テパ遺跡は、ウズベキスタン共和国南部、スルハンダリア
州の州都テルメズ市郊外、オクサス河 ︵アムダリア︶ がアラル・バ
イギヤンパルというウズベキスタン領の川中島を挟んで二つに合流
一九九八年からの加藤九酢・国立民族学博物館名誉教授とウズベキ
の出土資料調査で、同年八月三一日にコペンハーゲン国立博物館収
するあたりの右岸にある。カラ・テパは三つの丘からなるクシャー
スタン共和国科学アカデミー考古学研究所との合同発掘調査で出土
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あろう。
りの年代幅があるのは、製作中心地から離れた遠隔地であるからで
リーベ出土例は七−八世紀とされる。他地域出土例と比べて、かな
はプラエスト出土例が古く三世紀末−四世紀初頭、ボーンホルムと
も筒状同心円棒を束ねたのみの単純なものとなっている。埋蔵年代
技法は安造田出土例と同様であるが、色は紺自のみ、モザイク単位
蔵庫内において実見確認できたものである。三点いずれも、基本的
している。
および白斑の位置も異なるが、同じ六世紀でもありその傾向は近似
に白斑文︶ 出土した。当然のことながら全体数も、また鼓珠の地色
が八八〇個、紺色ガラス鼓珠が一七個 ︵うち八個の珠の開孔部片端
発掘調査では、棺内覆土より安造田と同様の紺色ガラス臼珠・小珠
った一九九六年の北周田弘墓︵出土した墓誌から五七五年葬と判明︶
国寧夏回族自治区固原県で日中合同の原州聯合考古隊を組織して行
安造田のものは残念ながら成分の化学分析がなされていないが、
田弘墓出土のものは、東京文化財研究所の平尾良光教授らにより主
なものは成分分析され、紺色の着色剤は酸化コバルト、白斑は酸化
に白斑文のある緑色ガラス鼓珠、およびやはり最大径部両端に白斑
安造田東三号境では、モザイクガラス珠に伴って、最大径部両端
した重層ガラス連珠や、他地域で出土の金層・銀層のガラス連
安造田と同じ六世紀の横穴式石室をもつ円墳であるが、ここで出土
の出土例に認められ亀対岸岡山市の上道北方にある塚段二号境は、
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錫による白濁であることが判明した。これは何ら新しい事実はなく
当然の結果であったが、紺色臼珠の多くが五︻一▲%の、紺色鼓珠
が五−九%のアルミナ ︵酸化アルミニウム︶ を含むソーダ石灰ガラ
スであった点が注目される。五−一二%程度のアルミナを含む、
いわゆる高アルミナのソーダ石灰ガラスは、前二世紀から後九世紀
頃のインド・東南アジア系のガラスに特徴的に見受けられる傾向が
あるとされているからである。高アルミナガラスは、わが国では安
造田の対岸、岡山市鹿田遺跡出土の弥生中期とされるガラス質残淳
から、古墳終末期の藤ノ木古墳出土黄色・橙色を始めとする各色珠
文のある青色ガラス鼓珠各一点、紺色ガラス臼珠七点、紺色ガラス
珠・単珠には、黒海北岸−北イランのデーラマンー楼蘭といった北
や、飛鳥池工房址出土たこ焼き式中珠鋳型付着ガラスまでいくつか
小珠一点が出土している。筆者が研究代表者として、科研により中
四 モザイクガラス円条文珠の本邦流入と今後の課題
図3:デンマーク、ボーンホルムV4号暮出土
珠、コペンハーゲン国立博物館蔵
(JamesLanktonの撮影提供による)
図4:芯までモザイク珠とモザイク板貼付珠との技法的相違、上2点は芯までモザイク珠、5−6世紀、出土
地不明(伝イラン)、個人蔵、下2点はモザイク板貼付珠、17−18世紀、出土地不明(伝東ジャワ)、個
人蔵(出典:谷一 尚・工藤吾郎『世界のとんぼ玉』里文出版、1997年、78頁)
方系と、インドー東南アジアの南海系のものとがあり、武寧王陵な
ど韓国で出土するものや、橿原新沢千塚一二六号項などわが国で出
土するものがどちらの系統に属するかは、ガラスの成分を分析して
みなければ確認できず、外見や形態からでは現在のところ判断でき
ない。今回とりあげたモザイクガラス円条文珠も、現在までの知見
では、五1六世紀の ﹁芯までモザイク﹂珠 ︵図4上段︶ は北方系、
それ以後の ﹁モザイク板貼付﹂珠 ︵図4下段︶ はジャワなど南海系
とみなされているが、果たしてどうか。移動可能の小型で非破壊分
析可能の高性能機器が開発された現在、安造田東古墳や海外の出土
一九九〇年一一月九日付四囲新聞 ︵カラー写真付︶、山陽新聞 ︵カラー写真
例などいくつかの重要な資料の成分の化学分析が侯たれる所以であ
る。
註
︵1︶
付︶、日本経済新聞 ︵モノクロ写真付︶ 等
︵2︶ 満濃文化講演会﹁安造田古墳出土モザイクガラス珠の歴史的意味について﹂
講師谷一尚、一九九一年一一月七日、於︰満濃町かりん会館、主催︰満濃
町・満濃町教育委員会・︵財︶ 置県百年記念香川県芸術文化振興財団
︵3︶ 谷一尚﹁香川安造田古墳出土のモザイクガラス珠﹂ 日本ガラス工芸学会大会
研究発表要旨、一九九二年一一月二九日、於︰石川県能登島ガラス美術館
︵4︶満濃町教育委員会﹃安造田東三号墳発掘調査報告書﹄同委員会、J九九一年、
二九−三五頁
︵5︶満濃町教育委員会﹃安造田東三号墳発掘調査報告書﹄同委員会、一九九一年、
三六−五五頁
︵6︶ ﹁安造出乗古墳の発掘﹂ ﹃満濃町文化財保護協会報﹄ 第一二言亨、同協会、一九
九一年、一FLハ頁
Hb−e抗ycE
谷一尚 ︵たにいち・たかし︶
一九五二年 岡山市生まれ
▲九七五年 東京大学文学部卒業
︵専門︶ ガラス工芸史・東西交流史
共立女子大学・国際文化学部・大学院比較文化研究科・教授
CeBepHOrOコpE︰JepHOM
︵7︶満濃町教育委員会﹃安造田乗▲二号墳発掘調査報告書﹄同委員会、一九九一年、
五一百
︵8︶ E.M♭beKCeeBabH↓ヨJ
OpF“rMOC宍Ba.−謡N一TaP怠︰翌・∽∽
︵9︶ R.Andrae︶MOSaikaugenper−en︶AcへP br莞巴諷Qr訂P aAヽCか莞○∼長打白や
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︵10︶ し.JOrgenSen紆A.N.JOrgenSen﹀≧︶﹁言わ§厨Q乱忘阜A9ヨe紆日管Sへ訂
9才も蒜CSぎ﹁訂功SbOrコぎ∼ヨ﹀DetKOnge−igeNOrdiskeO−dskri辞se−skab︶
KObe−巨等nL情這﹂︸P−.当︶C−ONの00竃e
︵11︶ 原州聯合考古隊 ﹃北周田弘墓﹄ 原州聯合考古隊発掘調査報告2、勉誠出版、
二〇〇〇年、一七八頁、図版第三五二−五
︵12︶ 斉藤赦三子・早川泰弘・平尾良光 ﹁中国寧憂国原円弘墓出土ガラスビーズの
化学組成﹂ ﹃原州聯合考古隊発掘調査概報﹄ 原州聯合考古隊、二〇〇二年、
表3
︵13︶ 肥塚隆保﹁化学組成からみた古代ガラス﹂ ﹃古代文化﹄ 第四八巻第八号、一
九九六年、五三−五五頁
︵14︶ 肥塚隆保﹁化学組成からみた古代ガラス﹂ ﹃古代文化﹄ 第四八巻第八号、
九九六年、五巳、五五頁
︵15︶ 谷一 尚﹁金屑ガラス珠の技法と伝播﹂ ﹃GLASS、日本ガラス工芸学会誌﹄
第二一号、一九八六年、九−一七頁
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赤の紺白モザイクガラス用条文珠 (図ー、 図2) が出土した。 この