◇ 1992年、ブルッセッルのJacquline De Bruyn博士から共同研究
の申し込みがあり渡欧。1995,1999年に研究継続のためにヨーロッ
パへ。Ahsanの弘前大学での学位研究がヨーロッパの学術誌に掲
載されたのがきっかけである。
◇ その一年ほど前に、アメリカのフィラデルフィアにあるWister研究所
のHillary Koprowski博士が、エイズ・ワクチンの開発研究(抗イデ
オタイプ抗体)をするので研究者を探しているので交渉してくれと教
授から言われた。当時、私は抗イデオタイプ抗体の研究をしていた。
しかしこの話は結果的にはまとまらなかった。そして翌年、パスツー
ル研究所から共同研究の申し込みがあり渡欧。(2001年、
Koprowskiが作ったポリオワクチンがエイズを世界に広めたとのこ
とで社会問題となる)。
◇ ブルッセルのパスツール研究所は、パリの研究所と姉妹関係にある。
パスツールの高弟ボルデ(ノーベル賞受賞)が師の名で母国ブルッ
セルに1901年に創設した研究所である。
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「Hillary Koprowski(左)はエイズを広めた(右)」とフーバーは告発した。
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(テキスト臨床免疫学からの抜粋)
◇コプロウスキーは、がんマーカーの一つである「CA19-9」を開発した。このマー
カーは膵臓癌、胆道系癌で80%程度と陽性率が高く現在医療現場で広く使用さ
れている。
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ブルッセルの中心「グラン・プラス」
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グラン・プラスから少し脇に入ったところにある「小便小僧」。像は極め
て小さい。
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ベルギーはタペストリー、レースで世界的に知られている。
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「ああ無情」の作者ビクトル・ユーゴがこの店の二階に住んでいた。
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グラン・プラスはこのような建築物に囲まれている広場である。
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市庁舎に向かって左側の建築物。この後ろ手に
13~15世紀にかけて建設)がある。
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滞在中にベルギー国王が崩御され、葬儀はこの教会で執り行われた。
日本の今上天皇、皇后両陛下が葬儀に参列なされた。
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日曜日には教会の広場で「市」が開かれ毎週通った。
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教会広場の古本市で見つけタダ同然の値段でおじさんから買った。
学生への講義で「アルサス現象」を説明する時に見せている。
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最初の滞在時に住んでいたアパート(矢印)で部屋は最上階であ
った。アパートの50メートル裏手を「トラム55」が走っている。
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この地域はUCCLE(ウックル)と呼ばれ、なだらかな丘を持つ
静かな住宅街になっている。
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アパートを出て緩やかに下っていくと区役所で、そこを左に折れると
チョコレート屋さんがある。その窓に飾られたゴデバ・チョコレート。
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日曜の昼食はフリッツ(フライドポテト)。トッピングが多く
ピリピリという辛い物をよく食べた。兄弟でやっていた。
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ビールは400種もある。いまは日本でもいくつかは買える。
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「トラム55」はUCCLEを通りGare Du Midi (南駅)に行く。週末には
毎週大きなマルシェが開かれる。そこへ買い物に行く。
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本の盗難防止のため、中に入るときには持ち物はフロントに預ける。
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・・・・そしてついに、石だたみの上にたおれているネ
ロを見つけました。そこは、ルーベンスのかいた、あ
の二まいの絵の真下でした。
パトラッシはそばへより、そっと、ネロの顔にふれました。
・・・・ネロはちいさなさけび声をあげ、おきあがってパ
トラッシをだきしめました。
「来てくれたんだね、パトラッシ。ふたりで、ここで死の
う。ぼくたちはもう、ふたりっきりなんだ」。
パトラッシは、返事をするかわりに、頭をネロのむね
にのせました。茶色の悲しそうなその目に、大つぶの
なみだがうかびました。
(抜粋)
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三連祭壇画
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大聖堂を見に来る日本人観光客のためにつくられた・・・との
ことであった。後ろの店にはリヤカー、牛乳缶などが展示。
ジャクリーヌの夫君エドと。エドも研究者であるが私の帰国後に
亡くなった。
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研究所は、今のEC本部の隣に位置していた。当時(1992年時)
EC本部は建設中であった。研究所はもう取り壊されたと思う。
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二階がジャックリーヌ研(矢印)。その真下は研究所の図書室で、
まだ研究所の工事が終了していない時期であった。
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(2000年)
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旅行、ホームパーテイなどで二人には大変世話になった。二人とも
来日している。ジャックリーヌは弘前大で講義・講演してくれた。
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ベルギーの病理学者。補体結合反応、百日せき菌の発見者。1919年ノーベル賞
生理医学賞受賞。アインシュタイン(1921年ノーベル賞受賞)とは親友で、ノー
ベル賞受賞時にアインシュタインが送った手紙も研究所内に展示されている。
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二人は仲がいいようだが喧嘩ばかりしている天敵でもある。
ベルギーでは女性研究者がことさらに多くかつ強い。
ジャックリーヌの友人で化学が専門。周辺機器は日立製の分析機。
地下倉庫から高級ワインを取り出し我々のために乾杯してくれた。
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もっとうまく描けそうだが。ボスは常に標的になるが
本人は全く気にしていない。
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ドミニク(左)、アハモン(中)
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一月にはスノードロップが庭で咲いているのが見られる。雪は降らない。
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王宮は年一回、国民に解放され宮殿内を見学できる。
16世紀に活躍したフランドルの画家一族。庶民の生活情景の表現が特徴。
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入館料は不要である。
「アールヌーボー」を観に行った帰りと思うが。右は家内。
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裏にはファーニッシュトのアネックスがあり二回目以降の訪問には
そこを利用した。
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ジャックリーヌの庭で
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一年生の教室。学芸会を見る機会がありついでに教室見学。
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2001年4月
ヒゲ先生は法医学の黒田教授と右側は三戸先生。
ジヤックリーヌの左隣は女医の院生。
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ジャックリーヌから先日メールが届いた。ベルギーに来いと書いてあった。動
ける間に行きたいと思っている。互いに年をとり過ぎた。盛岡で買ったブド
ウの苗は、秋には実をつけると書いてあった。
◇ ヨーロッパは石の文化で、建築が素晴らしい。一方、アメリカは雄大な自然が素晴らしい。
◇ ベルギー国内でもブルージュ、ゲント、アントワーペン、リエージなど多くのきれいな村、都市
がある。サキソフォンはこの国で発明された楽器であるとジャックリーヌから聞いた。
◇ この国はバイリンガルの国で、ブルッセルを中心に北がフレミッシュ語圏(オランダ語系)、南
がワロン系(フランス語系)に分かれている。一つの大学の同一の学部も2言語系で別れて
いて、建物が2つある。公的な機関で働く場合にも、2言語を話せなければ職員になれない。
ジャックリーヌもパスツール研究所に入るとき、フレミッシュ語の語学試験に2度も失敗したと
話していた。
◇ ブルッセルを中心にして、パリ、ドイツの西部、オランダ、ルクセンブルグは日帰りができる。
私たちはUK旅行ではドーバー海峡をボートで渡ったが、いまは列車でいける。そのころ
TGVは工事中であった。
◇ 定年後にはベルギーの郊外の田園地帯に住みたいと思ったのだが・・・・。
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私は抗イデオタイプ抗体の研究をしていた。