中国古代の紙
―徐福は日本に紙を伝えたか―
2014.2.19
植地 勢作
目次
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「徐福紙」の名称に出会う
徐福は日本に紙を伝えたか
世界最古の紙「放馬灘紙」
中国古代(蔡倫以前)の紙の製法
蔡倫の製法
蔡倫の評価
熊野の紙の徐福の痕跡は?
まとめ
「徐福紙」の名称に出会う
渡部道太郎著、 『笈埃随筆』
昭8.6.28(百井(ももい)塘雨
編集。嘉永七(1854)年の写
し残る)
那智の円心寺
『近き辰の年、紀州熊野郡那智浦天満の円心寺と
いふより、僧の土産に国産の紙を、岡崎五升庵主へ
送らる。その紙、奉書、杉原の類にもあらず、また
国栖美濃、岩国などにも似ず、様変りて見馴れざる
紙なれば、いぶかりて問はれけるに、されば此紙、
売買にさへすべき程になくてわづかに隣郷に用ふる
ばかりなり、上古、秦の徐福、日本へわたり来りて、熊
野に在住し、紙をも教へ抄せて用ゐけるなり。今にいた
り、此辺一、二箇村の民ならひ伝へて抄かせし、則
ち名を徐福紙と申す、おもふに唐紙の類製にや、破
るにかならず横に裂け候なりと語りぬ。この徐福の
事蹟までもさもありけん。新宮の浜辺にその墳にて
田の中に残り、また紙にも祝ひたるにや、小社も飛
鳥の道のかたは、即ち、徐福とあって、祭日月もあ
らず』
【註】
1.円心寺:那智勝浦町天満に現存する名刹
2.杉原:椙原とも書かれ、杉原紙は兵庫県加多
郡の杉原谷で作られていた中厚の楮紙
3.国栖(くず)紙:奈良県吉野地方の国栖郷で漉
かれる厚手の楮紙に特徴がある
4.美濃:岐阜県南部に位置し、中世から大小、
厚薄さまざまの紙が漉かれ、現在に続く全国
有数の紙どころである
5.岩国:岩国藩で作られた岩国半紙をさすと考
えられる。此の紙は萩藩の錦川中流の山代庄
で漉かれていた山代半紙の影響が濃い。
寿岳文章、『和紙風土記』
那智鳥子は、百井塘雨の『笈埃随筆』に紹介され
ているのと同質のものであろうか。もしそうなら
ば、もと紀州那智村の天満で漉いた上で、秦の徐
福の伝説と結びつけられて徐福紙とも呼ばれ、
(一部略)雁皮を材料とした鳥子風の紙であった
ことが察せられる。蓋し紀州那智あたりの山野に
は、天産の雁皮極めて多く、現今は美濃製紙地域
への主要な雁皮供給地となっているから、往時雁
皮によって鳥子を漉いたろうことも、熊野三山と
京洛貴信紳との関係を考えても十分にうなずける。
しかし、この紙は百井塘雨の時代(文武以前)に
はすでに漉きやんでいたと言う。那智附近には、
花井紙衣で有名な九重村宮井や、熊野紙の産地敷
屋村などがある。
徐福は日本に紙を伝えたか
徐福はわが国に2回渡海
徐福渡海の図(出展:『若一王子縁起絵巻』(紙の博物館所蔵))
徐福は日本に紙を伝えたか
1回目
紀元前219年、秦の始皇帝の命を受け、 不
老不死の仙薬を求めて出発。童男童女500 人
を含め総勢3,000人という大船団。
*『史記』の「秦始皇帝本記」
「蓬莱へ行けば必ず神薬を得ることができます。
しかし我々はいつも大鮫に苦しめられついに
島へ行くことができませんでしたと偽って上奏
した」と記述されている
1回目は神薬を手に入れられぬまま帰還。
2回目の渡海
紀元前210年、徐福は再度渡海
『史記』の「淮南衡山列伝」
「・・・始皇帝大いに喜び、良家の男女 3,000人
を遣わし、五穀の種と百工を携えて渡海させた。
徐福は平原と沼のある島に たどり着き、そこに
とどまって王となり、 帰ってこなかった。人々は
嘆き悲しんだ。」
徐福が伝えたもの:「五穀の種と百工」
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医薬、天文、占い、機織り(衣服、製紙)、
農耕、捕鯨、木工、製鉄、造船などの技術
者を帯同
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因みに、不老不死の薬としてはクスノキ科
の常緑樹である天台烏薬(紀州でも自生)
や、フロフキ(寒葵の佐賀県の方言)など
がある。
世界最古の紙「放馬灘紙」
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現在発見されている世界最古の紙
中国の高名な考古学者潘吉星氏、「徐福が日本
に紙の製法を伝えた可能性は十分ある」と回答
(2001年1月、中国北京にて)
現存する最古の紙は「放馬灘紙」
前漢の景帝から武帝以前の前漢初期(BC200~
150頃)の紙
徐福が初めて渡海したのは紀元前219年
徐福が製紙法を伝えた可能性は十分にある
放馬灘紙ーその1ー
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この紙は世界で一番古い紙
紙面が平滑で、構造が緊密で、表面には細い繊維
の渣(くず)があり、製紙の技術が比較的原始的
原料は麻で、前漢初期の麻
紙の上に墨で描いた山、川、崖、道がある。世界
最古の地図である
(中国国家文物局歴史博物館、「中国古代科技文
物展」の図録、1997)
放馬灘紙-その2-
甘粛省天水市放馬灘墓(天水市北道区党
川郷)/甘粛省文物考古研究所 何双全
約5.2×2.6cm ミイラの胸部に紙片がこ
びりついており、紙片に地図らしきも
のが書かれている/甘粛省文物考
古研究所
前漢武帝、景帝(BC180~142)の頃
と推定
王子製紙社史(2001.8.1発行)に掲載した放馬灘紙
中国前漢時代の発掘紙一覧(1)
発掘年代
年代
発掘紙名
1957年 灞橋紙
~87)
1972~76年 金関紙
発掘場所
紙の状況
推定
西安市東郊外 漢代墓地
麻紙10数片 最大紙片約10×10㎝
前漢武帝(BC140
甘粛省居延 漢代肩水金関遺跡
麻紙数片 最大片約21×19㎝
前漢宣帝 甘露年間
(BC53~50)
約11.5×9cm 前漢哀帝 建平年間(BC6
~3)
1978年 中顔紙
陝西省扶風県中顔村 前漢窟蔵 (大きな陶器の壷)
麻紙3枚最大約6.8cm×7.2cm
前漢宣帝(BC74~49)
中国前漢時代の発掘紙一覧(2)
発掘年代
発掘紙名
発掘場所
紙の状況
推定年代
1979年 馬圏湾紙
敦煌馬圏湾 漢代烽火台遺跡
麻紙8片最大約32cm×20cm
最古のもの:
前漢宣帝元康年間(BC65~62)
年代の新しいもの:前漢宣帝 甘露年間(BC53~50)
1986年 象崗紙
広州市象崗山 南越第2代目王越趙胡の墓
小片数点 残片の一部 約3×4cm
前漢武帝 元狩年間(BC121~111
1933年 ロプ・ノール紙 楼蘭ロプ・ノールの漢代烽火台跡
約4×10cm
前漢宣帝黄龍元年(BC49
1986年 放馬灘紙
甘粛省天水市放馬灘墓(天水市北道区党川郷)
約5.2×2.6cm
* ミイラの胸部に紙片がこびりついており、紙片に地図らしきものが描
かれている
前漢武帝、景帝(BC180~142)
1990~91年 懸泉紙
甘粛省敦煌甜水井 懸泉置遺跡
約30片の各時代の紙が出土
*前漢王莽魏晋時代の文字の書かれた紙も出土
古いもの:前漢宣帝(BC74~79)
前漢時代の紙の発見場所(出典:潘吉星著、『中国造紙史』
「放馬灘紙に描かれているのは地図である」の論
拠
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馬王堆の墓(紀元前2世紀、利蒼(-BC186年)とその妻子を祀る))
から出土した地形図(96㎝角の絹帛)と記号の用法が類似
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(写真:『湖南省博物館』図録)
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拡大図
地形図全図
中国古代の紙(蔡倫以前)の製法
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灞橋紙の主成分は大麻で、苧(ちょ) を混有(大麻、
苧麻は漢代では紡績の主要原料)
紙質
①紙質が荒く厚い
②表面に多くの繊維束がある
③地合ムラ
④簾紋(抄き目)がはっきりしない
⑤外観は浅い黄色
⑥叩解度が低い
(潘吉星著『中国古代造紙技術史』)
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布紋(織紋)型
馬尾の硬毛、絹糸、麻等の材料の細い線の編織で
網と成し、紙模を作り、四方を框(かまち)の枠で
堅くこれを締める。
抄紙:パルプ液を紙模上に注ぎ、あるいは紙模をパ
ルプ液中に投入し、パルプ液を紙模上にて濾水し
て紙層を作り、乾燥
西安灞橋出土の西漢紙および内衆額済納(ナージ
ナ)出土の東漢紙もすべてこの類
1模1個単位で1枚の紙しか作れない。
(潘吉星著『中国古代造紙技術史』)
蔡倫の製法
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『後漢書』蔡倫伝
「蔡倫、字は敬中、桂陽の人なり・・・・古より、書契
は多く編するに竹簡をもってす。その縑帛を用いしもの、
これを紙という。縑は貴くして簡は重く、並びに人に便
ならず。倫(蔡倫)すなわち造意、樹膚・麻頭・敝布、
魚網をもって紙と為す。元興元年(AD105)これを奏上
す。帝はその能を善しとし、これより従用せざるものな
し。故に天下みな「蔡侯紙」と称す」
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蔡倫の紙発明1882年大会
軽工業省製紙局と中国製紙学会が「灞橋紙は紙
ではない」と断定し蔡倫発明説を追認
蔡倫の評価
・抄紙法及び原料の改良をはかり、紙の 大量生産、
品質改良を図った功労者
・蔡倫以降、布紋(織紋)型⇒簾紋型(漉簾)
蔡倫が使ったとされる石臼
蔡倫時代の抄紙用具(復元品)
熊野の紙に徐福の痕跡は?
寿岳文章:「那智鳥の子(雁皮紙)」と推定
ガンピが自生している
小津荷に残っていたガンピ紙
音無紙
 奥野利雄氏は「音無紙」ではないか
と推定
音無紙
紙の表面
茅の穂(漉簾)
馬の尻尾
花井の紙衣
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『和漢三才図会』に花井、白石、安倍川が日本の三大
産地
襖紙
まとめ
『正倉院文書』に
・天平二年(七五八)紀伊国大税収納帳
・紀伊国司解申天平二年収納大税 神税事
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わが国に紙すきが伝わったとされる年代
推古18年(610)、高麗の僧曇徴が伝えた
王仁吉師(仁徳天皇の家庭教師)説
枚方市の王仁の墓
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円心寺の僧は代々美濃からきている。
関ヶ原の戦いの後、美濃高須城の城主の娘(貞流尼)が熊
野で紙すきを教えた
茅の穂の漉簾、溜め漉き、馬の尻尾などを見ると徐福が伝
えた技術が潜在的に残っていたのかもしれない
【資料】
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『百万塔』137号、「『徐福紙』を推理する」、植地
『百万塔』139号、「花井の紙衣」、植地
『百万塔』141号、「熊野地方の紙の歴史と『音無紙』」,植地
『ロマンの人・徐福』、奥野利雄、学研奥野図書
『中国古代科技文物展』、中国歴史博物館、1997
『和紙類考』、渡辺道太郎、物外荘、昭和8
『和紙風土記』(復刻版),寿岳文章、筑摩書房、1987
『紙漉村旅日記』(復刻版)、寿岳文章・静子、沖積舎、平15
放送大学修士論文「文明の発展と紙の役割についての歴史的考察」、植
地
その他多数
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