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霧=
院 を 設 立 し て留 学 生 教 育 の充 実 を
黒帯 の往来 で未来を拓く
中 国と の柔道交流事始め
=嘉締治 五郎 の足跡 に学 ぶ
9年 ︵
明治 2
1 8 9 6︶ に、当 時
の西 園 寺 公 望外 相 兼 文相 か ら の依
頼 を受 け て中 国 ︵
清 国 ︶ から の留
学 生 を受 け 入 れ た嘉 納 治 五郎師 範
図 り 、同学 院 が閉 鎖 と な った明治
5年 には弘 文 ︵
は 、明治 3
宏 文︶ 学
嘉 納治 五郎 師範 が ﹁
中 国留学 生 の師父 ﹂ と呼 ば れ 、今 な お中 国
て の嘉 納 治 五郎 ﹂ と いう先 入観 か
もす れば ﹁
講道 館柔 道創始 者 と し
私 た ち 日本 の柔 道 関 係 者 は 、と
て いる。
の有為 な人物 を 輩 出 した と いわ れ
で学 ん だ 一人 であ り 、学院 は多 く
を 与 えた 。 か の有 名 な魯 迅 も学 院
約 8 0 0 0人 の青 年 に勉 学 の機 会
2年 ︵
3年 間 に
19 0 9︶ ま で の 1
4
の柔道 関係 者 に尊 敬 さ れ て いる こと を 、果 た し て何 人 の日本 人 が
知 って いるだ ろう か。私 も ま た 、大変 不勉強 の 一人 であ って、
一
1月 に中 国 青 島 で行 わ れ た柔道 行 事 でそ の こと を知 り、
昨年 の 1
。
感 銘 を受 けた。
現在 、柔道 の教 育 的観 点 から 、よ り 一層 の普 及と発 展 を図 るた
め にN PO法 人 で の活動 を展 開 し て いるが 、そ の主 な事業 の 一つ
が中 国 と の柔道交 流 であ る。未来 志向 で、とく に両 国 の青 少年交
流 を推 進 した いと 考 え る私 にと って、嘉 納師範 の偉 大 な足跡 は大
き な指 針 であ り、勇気 の源泉 にな って いる。
月刊 「
武道」
20077
糀 柔道 o反情 。平無
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書
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鷲
議華
わ れ る c も ち ろ ん柔 道 を 除 外 す る
ら 見 て しま う傾 向 が あ る よ う に思
ら 、 あ ら ゆ る こ と を 柔 道 の観 点 か
留 学 生 を 受 け 入 れ 、 日 露 戦 争 へと
られ た 。 私 た ち は 、 日清 戦 争 後 に
の こ と を 、 私 も 青 島 で再 認 識 さ せ
観 点 で捉 え る のが 本 筋 だ ろ う 。 そ
の闘 志 が 必 要 と 思 う し
は 政 治 的 に冷 え 、 お 互 い の国 民 感
情 も よ いと は い え な い状 況 だ っ
た 。 そ の こ と は 私 も 気 に掛 か って
は 取 り 組 め な い。
半 可 な気 持 ち で
人 々も いて 、生
利敵行 為 と見 る
こ ち ら の善 意 を
あ る。中 には 、
た り す る こと が
た り批 判 を 受 け
ぬ偏 見 を 持 た れ
め に力 を 貸 し て ほ し い﹂ と 相 談 を
を 取 った こ と の な い男 子 柔 道 の た
と いう 間 に 来 る 。 これ ま で メダ ル
ら ﹁
北 京 五 輪 ま で の 4年 間 は あ っ
で中 国 柔 道 協 会 の宋 兆 民 副 会 長 か
協 会 主 催 の夕 食 会 が 開 かれ 、 そ こ
だ った 。 会 議 が 終 わ って中 国 柔 道
F︶ 理 事 会 に出 席 し た と き の こ と
で開 催 さ れ た 国 際 柔 道 連 盟 ︵
IJ
あ れ は 、 2 0 0 4年 6 月 に上 海
れ 、私 も 思 案 に暮 れ た 。
った 。 感 情 的 に ま ず い空 気 に包 ま
日 本 大 使 の車 を 叩 く 出 来 事 が 起 こ
試 合 で中 国 人 サ ポ ー タ ー が 騒 ぎ 、
行 わ れ た 日 本 と 中 国 と の サ ッカ ー
を し た 。 こ の会 議 の後 に 、中 国 で
の成 功 を 祈 って いま す よ ﹂ と 返 事
援 し た い。 多 く の人 々 が 北 京 五 輪
国 の友 好 に 役 立 つ の であ れ ば 、 応
ら れ て いま す が 、 柔 道 の交 流 が 両
いた 。 そ こ で 、 ﹁で き る こ と は 限
高 く純 粋 な 理想
そ ん な 時 、幸 いに も 経 団 連 の奥
受 け た 。 周 知 のと お り 、 日 中 関 係
一
〓湘国の男子柔道強化を支援することに
青島市柔道協会の柔道説明文
の思想 を伝 えている
嘉納治五良Б
と いう か 、 不 屈
ことだ が 、あ ら
な かれ 経 験 す る
誰 しも多 かれ 少
わ った 者 な ら ば
国 際 交 流 に携
な ら な いc
に学 ば な け れ ば
育観︶ と行動力
師 範 の信 念 ︵
教
を展開 した嘉納
代 に留 学 生 教 育
続 いた 激 動 の時
こ と は で き な いが 、 ﹁教 育 家 ﹂ の
東京 。牛込西五 軒町 にあった弘文学院 (『
柔道百年の歴史』講談社 よ り)
月刊 「
武道」 20077
書 店 ︶ の件 で お 会 いす る 機 会 が あ
亀 武 士 道 と と も に 生 き る ﹄、 角 川
田 碩 会 長 ︵当 時 ︶ に 共 著 出 版
か﹂ と 心 配 す る意 見 であ る 。
け る よ う に な った ら ど う す る の
を 行 って 大 文 夫 か 。 も し 日 本 が 負
対 し て も う 一つは 、 ﹁そ ん な 支 援
年 秋︶ す る こと で具 体 化 され る こ
青 島 柔 道道 館 ﹂ を 開 設 ︵
20 0 7
中 日友 好
柔 道 が 盛 ん な青 島 市 に ﹁
草 の根 支 援 ﹂ によ って女 子
支援 ﹁
し ても ら いた い。いず れ に し て も 、
両 国 選 手 と も に勝 ち 進 み 、試 合 を
が 対 戦 し て ほ し いと 願 って い る 。
が 、 私 自 身 は 、 日 本 と 中 国 の選 手
京 五輪 で実 を 結 ぶ 可 能 性 は低 い
柔 道 の全 体 的 レ ベ ル か ら 見 て 、 北
り 意 見 だ と 思 う 。 現 在 の中 国 男 子
体 育 館 の 三階 ︵
現 在 は 卓 球 の練 習
柔 道 場 は 、市 内 に あ る青 島 市 第 二
し 、開 設 の調 印 式 が 執 り 行 わ れ た 。
宋 兆 民 副 会 長 ら 関 係 者 多 数 が出 席
の減 愛 民 副 市 長 、中 国 柔 道 協 会 の
公 使 、中 国 側 か ら青 島 市 人 民 政 府
島 市 に お いて外 務 省 か ら 丼 出 敬 二
昨年 ︵
2 0 0 6︶ H月 H日 に青
と にな った。
将 来 、切 磋 琢 磨 す る関 係 に な る こ
場 ︶ を 改 装 し て作 ら れ る こ と に な
私 も 調印 式 に出 席 し、青 島 日本
ワ
ハ
υ.
も た ち が 交 流 す る 環 境 が 整 って い
学 校 な ど の教 育 施 設 も あ り 、 子 ど
った 。 体 育 館 周 辺 に は 小 学 校 や中
とを 切 望 す る 。
私 は 、 ど ち ら も 正直 な感 想 であ
った . いろ いろ な 話 の中 で 、奥 田
会 長 も 日 中 関 係 を 心 配 さ れ て いる
こ と が 分 か り 、 私 も 上 海 で の 一件
を お 話 し し た 。 す る と 、 ﹁スポ ー
ツ交 流 は 大 切 だ か ら ﹂ と 奥 田会 長
は 賛 意 を 示 さ れ 、 協 力 の手 を 差 し
仲 べて く だ さ った 。 ま こ と に 強 力
な 後 ろ 盾 で 、 私 は 意 を 強 く し て中
国 男 子 柔 道 強 化 の支 援 態 勢 作 り に
取 り か か った 。
一=機しヽ 日本が負けたらどうするの?
こう し て 私 が さ さ や か な が ら 中
中日友好柔道道館﹂建設に協力
¨
=置烏の ﹁
チ や選 手 は 選 抜 さ れ た 人 た ち で 、
国 と の柔 道 交 流 を 始 め た 頃 に 、 外
北 京 五 輪 で悲 願 の メダ ル獲 得 を
目 指 す 中 国 男 子 柔 道 の コー チと 選
大 変 礼 儀 正 しく 、練 習 態 度 も よ い。
人会 会 員 と青 島 海 洋 大 学 日本 語 学
科 学 生 の皆 さ ん ︵
約0
0
中
1人︶ に ﹁
国 と の柔 道 を通 した交流 ﹂ と題 し
手 は 、 主 に東 海 大 学 柔 道 部 で練 習
事 業 が 何 か で き な いだ ろ う か と の
て講 演 した 。 そ こ で は 、 ﹁
両国 の
務 省 の方 と 話 し合 う 機 会 が あ り 、
提 案 が あ った 。 あ れ これ と 意 見 交
子 ど も が 一緒 に柔 道 を行 う と とも
逆 に大 学 の柔 道 部 員 が 彼 ら の意 欲
換 し 、 そ れ で は 中 国 に柔 道 場 を 建
に 、日本 文 化 を 紹介 す る施 設 と な
す る こ と に な った 。 N P O法 人 柔
設 し て お 互 いに 往 来 し 交 流 す る よ
るよ う に支 援 し て いき た い.交 流
そ の中 で さ ら に中 ・長 期 的 な 交 流
う に し た ら ど う か と いう 結 論 に 至
が柔道 から いろ いろ な分 野 に広 が
に刺 激 を 受 け て いる こ
と こ ろ で 、 こ の中 国 男 子 柔 道 ヘ
った 。 こ の提 案 は 、外 務 省 の無 償
道 教 育 ソ リ ダ リ テ ィが 受 け 入 れ 母
体 と な り 、東 海 大 学 武 道 館 近 く に
の支 援 に つ いて は 、 感 想 、 評 価 が
一つは 、 ﹁そ れ は 素 晴 ら し い支
一棟 の アパ ー トを 年 間 契 約 で借 り
年 、 1 年 間 のう ち 約 5 カ 月 間 を 目
援 で よ い こ と だ . ぜ ひ推 進 し た ら
三分 す る 。
本 で の練 習 に費 や し 、今 年 も 同 じ
い い﹂ と いう 意 見 で あ り 、 これ に
て宿 舎 と し た 。 中 国 チ ー ム は 、昨
よ う な 内 容 で実 施 し て い る 。 コー
月刊 「
武 道J
20077
5月 に来 日 した一 行
合宿所の前 で 2007年
る こ と を 願 って いま す ﹂ と 、 こ こ
ろ の内 を 吐 露 した 。
人 と 人 と の交 流 を 重 視 す る 柔 道
精 神 を 、私 も ま た広 め 、実 践 した
い.青 島 柔 道 道 館 の こと は 、別 の
機会 に詳 しく触 れ る。
中 日友好青島柔道道館開設の調印式 (2006年 11月 11日 )
ダウンロード

糀艤 柔 道 o 反 情 。 平 無