チンギス・ハーン祭祀の『金書』に関する
一考察
― 「イケ・ウチュク」の内容形成と作者問題をめぐって ―
東京大学大学院 / 人文社会系研究科 / 博士課程
烏力吉瑪
(WULIJIMA)
富士ゼロックス株式会社 小林節太郎記念基金 2009 年度研究助成論文
謝
辞
本論文はチンギス・ハーン祭祀をテーマとする私の博士論文の内容の一部になる。まず、博士論文
の資料調査にあたって、研究助成金を提供してくださった富士ゼロックス(株)小林節太郎記念基金
に心より感謝の気持ちを申し上げる。
チンギス・ハーン祭祀について人類学的な研究を行うことを賛成し、修士課程の時から熱心に厳し
く指導してくださった静岡大学の楊海英先生、本論文作成にあたってご指導を頂いた東京大学の吉澤
誠一郎先生に衷心より感謝の意を申し上げたい。
現地調査をした時、貴重な資料を提供してくださった内モンゴル社会科学院のチョイジ(Čoyiji)
研究員、オルドス市エジン・ホロー在住のサインジャラガル(Sayinjirγal)氏、チンギス・ハーン
祭祀の祭祀者ダルハトであるシャラルダイ(Šaraldai)氏、グルジャブ(Gürjab)氏らに感謝の気持
ちを表する。
研究の成果は決して私一人のものではない。研究活動や留学生活を応援してくださっている諸先生
方をはじめとする多くの方々のご支持によるものである。暖かく見守ってきた皆様にありがとうの気
持ちを伝えたい。
2010年10月
烏力吉瑪
(WULIJIMA)
目
次
ページ
1 研究背景.............................................................................. 1
2 『金書』について ...................................................................... 2
2.1 エドンヒシグ本『金書』 ............................................................. 2
2.2 「イケ・ウチュク」(大祭史) ....................................................... 5
3 ギルーン・バートルと「イケ・ウチュク」 ................................................ 6
3.1 「イケ・ウチュク」が伝えるギルーン・バートル ....................................... 6
3.2 年代記など歴史記録におけるギルーン・バートル ....................................... 7
3.3 「チンギス・ハーン挽歌」と「イケ・ウチュク」 ........................................ 9
4 まとめ............................................................................... 17
註 ..................................................................................... 19
資料編 ................................................................................. 20
参考文献 ............................................................................... 38
1
研究背景
モンゴルにとってチンギス・ハーンは、モンゴル帝国を建てた政治統合者であり、英雄である。チ
ンギス・ハーンは逝去した後、モンゴル人の政治儀礼、祖先崇拝の中心となった。歴史の流れで少しず
つ体系化され、「チンギス・ハーン祭祀」となり、今日まで続けられてきた。チンギス・ハーン祭祀は、
中国内モンゴル自治区オルドス地域のエジン・ホローにおいて特別な祭祀者集団であるダルハト
(Darqad)集団の主催によって行なわれる。
歴史的には、チンギス・ハーン祭祀はモンゴル帝国のオゴダイ・ハーン(1229-1241)の時代に始まり、
フビライ・ハーン(1260-1294)の命令によって体系化された。チンギス・ハーン祭祀の諸祭祀用文書お
よび祭祀制度、祭祀者ダルハト集団の規則などを網羅した文献が『金書』
(Altan Bičig)である。『金書』
の内容形成は、13世紀から始まり、各時代のハーンの命令によって書写されている。『金書』は、モン
ゴル帝国の重要な出来事を記録したため、極密に保存されてきた、と言われ、20世紀の初頭に、研究
者によって初めて公表された1)。当時公表された写本版本以外にも、まだ公表されていなかった写本が
いくつか見つかった。本研究で利用するのは、私が2002年にオルドス地域で現地調査を行なった時入
手した康煕六十一(1722)年に書写された『金書』の写本を主として、2009年の調査で入手した同年
の写本も参考にする。
チンギス・ハーン祭祀をモンゴル人は「ナイマン・チャガン・オルド」(Nayiman Čaγan Ordun)、す
なわち「八つの白い祭殿」と呼ぶ。漢文資料には「八白宮」あるいは「八白室」と記されている。ナ
イマン・チャガン・オルドには、「チンギス・ハーンとボルテルジン皇后の白宮」(チンギス・ハーンの
「遺骨」を納めたという銀箱がある)、「クラン妃の白宮」、「イェスゥイ妃とイェスゥガン妃姉妹の白
宮」、「卵白色馬の白宮」(神馬)、「ボロ・ウンドゥルの白宮」(祭祀の時に馬乳酒を入れる道具)、「ジ
ローの白宮」(二頭の黄白色馬)、「弓矢の白宮」(チンギス・ハーンが使っていたと伝われる弓矢)、
「文書館の白宮」(『金書』など祭祀用文書)などがある。
チンギス・ハーン祭祀には、年に四回の大祭祀がある。また、お正月の祭祀、月の祭祀などがある。こ
の祭祀活動を700年間以上維持してきたのは、祭祀者集団のダルハトである。ダルハトとは、
「ダルハン」
の複数形である。ダルハンという言葉は、五世紀以降勃興した突厥が残した所謂「オルホン碑文」にも
記されており、ハーンの側近官僚のことであろうと指摘されている。ダルハンという称号を有するもの
は、特別の功績により、まず租税の免除を受け、その他にも各種の特権が与えられていたのである。ダ
ルハト集団は、右翼の「大部」と左翼の「小部」に分かれている。これが、モンゴル帝国の政治統合組
織に基づいていると指摘されている(楊 2004)
。
「大部」には文官爵が多いが、
「小部」には武官爵が多
い。また、チンギス・ハーン祭祀において八つの役に分けられ、それぞれの役割を果たしている。
ダルハトは、自らを「チンギス・ハーン一人に永遠に服喪する者」と位置づけている。チンギス・ハー
ン以外のハーンや皇帝が死んだ場合、たとえそれがモンゴルのハーンであろうと、清朝皇帝であろう
と、いっさい服喪しない。ダルハトはいっさいの官職につかない。
本論文では、チンギス・ハーン祭祀の『金書』を取り上げる。その中で歴史を語った「イケ・ウチュ
ク」(祭史)に関して論じ、その形成の過程と作者問題に触れてみたい。実際に分析する時に、モンゴ
ルの年代記に記録されているチンギス・ハーンが死去した際に、遺体を運ぶ途中で詠みあげられたと
言われる「チンギス・ハーン挽歌」と比較する。
― 1 ―
2
『金書』について
以上でも述べたように『金書』は、チンギス・ハーン祭祀における主要な文献である。
『金書』の「金」
は、金粉で書かれたため、
『金書』と呼ぶようになったと言われる。また、チンギス・ハーンの祭殿を
尊敬して、「黄金オルド(宮殿)」と言うので、尊敬の意味で『金書』と呼ばれる、と主張する研究者
も数多くいる。『金書』の中での祭祀用文書は、儀礼においてダルハトによって唱えられる。順番や時
間帯が決められており、それぞれ違うリズムで唱える。
ここでは、主に資料として利用する『金書』を紹介する。また、この『金書』を使用する理由を述
べておきたい。エドンヒシグという人が書きうつした写本であるため、以下はエドンヒシグ本『金書』
と呼ぶことにする。
2.1 エドンヒシグ本『金書』
エドンヒシグ本『金書』の大きさは19cm×26.5cmである。緑色の21行がある白紙の表面に青いイン
クの万年筆で書きうつされている。ページ番号も万年筆書きであり、全部で53ページからなっている。
テクストの内容は47ページである。2~9ページおよび24~30ページにおよそ20~21行がある。それ以
外は、おおよそ26~27行が書かれている。行ごとに、5~9字がある。写本の筆跡からみると、文書は
ウイグル式モンゴル語の草書体と楷書体で書かれた。字の特徴としては「na」と「ga」の点がほとん
どつけられていなかった。これは、古代モンゴル語表記の一つの特徴である。表紙には特に飾りなど
がなく、テクストの表紙に「チンギスの『金書』の書きうつし」と書いてある。その次のページに「康
煕六十一(1722)年秋の最初月(すなわち陰暦7月)に新たに書写した」
(Engke Amuγulang-un jiran
nigedüger on namur-un terigün sar-a sinedken tungγaba)と日付が書かれた。
書きうつした日付については、「1962年4月10日の大安吉日に書きうつした、1975年11月26日再び校
定した」(1962 on-ü döröbdüger sar-a – yin arbana sayin edür üjebei . 1975.11.26 na dabatan
üjebei)と明示した。
エドンヒシグ本『金書』の表面に([一]1~[一]5)に「エジン・ホローにあったチンギスの『金書』
の書きうつした一冊、全部で48ページ」と書いてある。これが第1ページにあたる。また、最後([四
十八]21~[四十八]24)に「大清国康煕六十一年秋の最初月(すなわち陰暦7月)に、チンギス・ボク
ドの『金書』を新たに書写した」
(Dayičing ulus-un Engke Amuγulang-un jiran nigedüger on namur-un
terigün sar-a Činggis boγda-yin Altan Bičig -i sinedken tungγaba ∷ )と再び記された。テク
ストの裏表紙の裏面にも「古い金紛で書かれた本から1722年に新たに書写したものであり、もともと
はジュンガル旗にあるべリ・ガトンのスゥルデ・ホローに保存されていた資料である」
(Qaγučin altan
üsügtü bičing-eče 1722 on-a dakin sinedken bičigsen jüyil,ug-taγan junγar qušun-u beri qatun-i
sülde qoruγan-a qadaγalaγdaγsan matariyal bile)という説明がある。
エドンヒシグ本『金書』は、書写の年代が「康煕六十一(1722)年」であるという点でオーノス本
『金書』(楊 1998)、エルデンタイが書きうつした『金書』
、ダルハトのシャラルダイが書きうつした
『金書』と共通していることが明らかになった。彼らの書きうつした原本とおなじであるかどうかは
まだ不明である。
続いてこの資料を選んだ理由について述べておこう。まず、過去において提供された『金書』の原
― 2 ―
稿の書かれた状態に関する情報の説明に努めたい。
モンゴル国の有名な学者ダムディンスレンは『モンゴル文学珠玉百篇』の中で、チンギス・ハーン
の八白宮に保存されていた『金書』について、次のように述べている。つまり、
「影印版であり、ある
ページは不明晰なところもある。特に、行間に補足として書かれた小文字は、不明晰で読み取りにく
い」(Damdinsürüng 1959:87)。
ロシアの学者ディリコフは、自らの書きうつした『金書』について次のように語った。1番目の文書
けんぷ
は『金書』(Altan Debter―Дылыков)と言う。黄色い絹布の表紙で、10枚の中国製の黒っぽい
紙に金粉で書かれている(Дылыков 1958:229)
。
サインジャラガルは1957年にチンギス・ハーンの八白宮で自らみた『金書』について次のように述
べた。黒っぽい紙に金粉で書き、読みとりにくい金文字のそばに、赤漆で書いたチベット文字がつい
ている、と言う(Sayinjarγal 2003:5)。
ここで検討しているエドンヒシグ本『金書』にも、「金粉で書かれた古本」と説明している。
以上の『金書』の原稿に関する情報によれば、彼らのみた『金書』は全部「黒っぽい紙に金粉で書
かれた、ある文字が読みとりにくい」特徴をもっている古い写本といえよう。
次に、『金書』の保存されていた場所および人物について述べる。『金書』の保存されていた場所お
よび人物について、以下のような情報がある。
ダムディンスレンは、八白宮のグルベルジン・ゴワ妃の祭殿の祭祀者であるホンジン職のダルハト
が保存していた『金書』と言う。また、それに関して保存状態がもっともよく、内容的にも完全であっ
たと紹介している(Damdinsürüng 1959:87)。
サインジャラガルは、ジュンガル・エジンの祭殿の祭祀者であるホンジン職のダルハト、ムンケバ
ヤルの息子オトガンバヤル2)が保存していたと述べた。ジュンガル・エジンとは、イェスゥイ妃とイェ
スゥガン妃姉妹のことである(Sayinjarγal 2003:5)。
エドンヒシグ本『金書』には、「もともとはジュンガル旗のべリ・ガトンのスゥルデ・ホローに保存
されていた資料である」と書かれている。
グルベルジン・ゴワ妃について、年代記および研究者たちの意見はまちまちである。近年の研究に
よれば、グルベルジン・ゴワ妃の八白宮は実はイェスゥイ妃とイェスゥガン妃姉妹の八白宮であると
言う(Sayinjarγal 2001;楊 2004)。
そのため、『金書』の原稿は八白宮のジュンガル・エジンの祭殿の祭祀者、ホンジン職のダルハトに
よって保存されていたことが明らかである。
最後に、『金書』が新たに書写された年代について考察しよう。『金書』の書写された年代について、
以下のような記録と証言がある。
ダムディンスレンは、文書の表面に康煕の六十一年に新たに書写したことを提示した。つまり、1722
年であると伝えた(Damdinsürüng 1959:87)。サインジャラガルは、『金書』が康煕の六十一(1722)
年に新たに書写されたものであると述べている。エドンヒシグ本『金書』には、「大清国康煕六十一
(1722)年秋の最初月(すなわち陰暦7月)に、チンギス・ボクドの『金書』を新たに書写した」と記
録している。
彼らのみずからみた『金書』は、康煕六十一年、つまり1722年に新たに書写した。
以上の分析によれば、まず、今まで伝承されてきた『金書』写本の原本は、第一に、黒っぽい紙に
― 3 ―
金粉で書かれた。第二に、ジュンガル・エジンの祭殿の祭祀者、ホンジン職のダルハトによって保存
されていた。第三に、康煕六十一年、つまり1722年に新たに書写された『金書』である。次に、ダム
ディンスレンの「チンギス・ハーンのイケ・ウチュク」を公表する際、主に利用した保存状態がよい
影印版の『金書』とエドンヒシグ本『金書』はおなじ原本の書きうつしたものであることは明らかで
ある。そのため、エドンヒシグ本『金書』は資料として使用可能な信頼できる版本の一つである。
内容的には、次のような14項目からなる。
1) Atan Bičig – i olugsan γajar orun ba ner-e-yin tuqai ([一]1~[一]5)
『金書』が見つかった場所と名称について
2) Boγda ejin-ni har-a sülde-yin öčig([二]1~[五]1)
聖なる主のハラ・スリデ(軍の守護神)のウチュク
3) Altan ordu-yin γulomta-ni yeke öčig ([五]2~[七]3)
黄金オルドの火のイケ・ウチュク
4) Ordu-yin γulomta-ni baγa öčig ([五]4~[八]4)
黄金オルドの火のバガ・ウチュク
5) Dotura-yin yamu ([八]5~[八]12)
内のヤム
6) Ötege-yin yeke öčig ([八]13~[二十三]8)
供用のイケ・ウチュク
7) Araslan boγda ejin-ü araban qoyar daγun ([二十四]1~[三十一]21?)
聖主の十二の歌
8) Temüjin boγda Činggis haγan-ü yeke altan tügel ([三十一]22~[四十二]16)
イルゲル
チンギス・ハーンの祝詞
9) Altan ordu-yin miliyaγud ([四十二]17~[四十五]24)
ミリヤゴト
黄金オルドの塗油詩
10)Yeke alba ([四十五]25~[四十六]14)
大義務
11)Dörben čaγ-un qorim-un alba([四十六]15~[四十七]7)
四季祭祀の義務
12)Ejin-ü kereg-ün qauli ([四十七]8~[四十七]25)
祭祀法
13)Sabai-in yerügel ([四十八]1~[四十八]20)
サバイの祝詞
14)Altan Bičig – i sinedken tungγabn bičigsen-ü tuqai ([四十八]21~[四十八]24)
『金書』を新たに書きうつしたことについて
本論文では、六番のモンゴルの歴史を語った「イケ・ウチュク」を取りあげる。
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2.2 「イケ・ウチュク」3)
「ウチュク」という言葉はモンゴル語で「語る」という意味であり、一般的には敬語として使われ
ている。現代モンゴル語の「ウチュク」を直訳すれば、「供述」の意味である。楊海英はウチュクの内
容が歴史的なものであるとし、「祭史」と訳している(楊 1998)
。小沢重男4)の『元朝秘史全訳』では
「神々に捧げる洒酒と奏祝を捧げたことを意味するものである」と言う(小沢 1985:237)。
「イケ」
とは「大」の意味である。
「イケ・ウチュク」をここでは「大祭史」として理解しよう。
「イケ・ウチュク」の内容はチンギス・ハーンとモンゴル帝国に関わる歴史を述べながらチンギス・
ハーンを称賛している。つまり、
「イケ・ウチュク」は、対象者がチンギス・ハーンであり、チンギス・
ハーンに祈祷する形で歴史を述べている。「イケ・ウチュク」ではモンゴル帝国のために、力を尽くし
て貢献した功臣、国々、部族などを詩のかたちで語っている。13世紀から16世紀以降の人物まで登場
することは、「イケ・ウチュク」の書かれた実情を反映している。つまり、「イケ・ウチュク」の内容
形成は一気に完成されたものではない。歴史内容からみると、『モンゴル秘史』
、
『黄金史』などの年代
記と互いに影響あったことが明らかである。
モンゴル研究では、「イケ・ウチュク」は歴史文献として利用されている。『金書』を書きうつした
人物の一人である有名な歴史学者エルデンタイ(Eldengtai)は『モンゴル秘史』5)の研究において「イ
ケ・ウチュク」を重要な資料として使っている。具体的に言えば、次のとおりである。一つには、「イ
ケ・ウチュク」を歴史内容考察にあたって利用していること。もう一つには、古代モンゴル語解釈お
よびオルドス地方方言解釈にも「イケ・ウチュク」を多数にわたって引用していることである。また、
古代モンゴルの風習に関する考察でも傍証として取りあげている。
歴史学者たちの「イケ・ウチュク」利用は単に『モンゴル秘史』の研究にとどまらず、他の研究に
も活用されている。例えば、吉田順一等の『「アルタン=ハーン伝」の訳注』(1998)では、解釈の傍
証として『金書』内の「イケ・ウチュク」を多くの箇条で引用している。
― 5 ―
3
ギルーン・バートルと「イケ・ウチュク」
ここでは、スニト部のギルーン・バートル(Gilügen baγatur)に関わる資料に基づき、「イケ・ウ
チュク」との関連を探っていく。「スニト」とはモンゴルの一つの部族名であり、『モンゴル秘史』の
記録から見える。「ギルーン」とは名前であり、「バートル」とはモンゴル語で「勇士・英雄」の意味
である。「バートル」は古代モンゴルでは、爵号であった。「イケ・ウチュク」では、ギルーン・バー
トルは「チンギス・ハーンの四人のバートルの一人」として登場する人物である。
3.1 「イケ・ウチュク」が伝えるギルーン・バートル
バートル
「イケ・ウチュク」では、ギルーン・バートルは四人の勇士の一人として登場する。以下は、「イ
ケ・ウチュク」でのチンギス・ハーンの四人の勇士についての記述である。
$49
491 | Qara čilaγun metü yasutu ..
492 | Qara usun metü / čisutu ..
493 | Qaril ügei sanaγatu ..
494 | Qlturil / ügei joriγ-tu ..
495 | Qaritan tayičiγud luγ-d .. /
496 | Qataγujin yabuju küčünben ögügsen ..
497 | Söbegedei baγatur ..
498 | Sünidei / kilügedei baγatur ..
499 | Čülgedei / baγatur ..
4910 | Mangqudai .. Quyiladai baγatur ..
4911 | Qara eriyen bars <bors> metü
4912 | Qaril <qačin> ügei dörben baγatur / činu tere ajiyamu ∷
黒い石のごとき骨をもち
黒い水のごとき血をもち
不退転の目標をもち
不動の意志をもち
異族のタイチウドを
殲滅して尽力した
スゥべケダイ・バートル
スニダイ・ギルケダイ・バートル
チュルケダイ・バートル
マンコダイ・バートル
黒紋虎のような
君の不動の雄志をもつ四人のバートル、かしこにあり。
― 6 ―
バートル
称賛された勇士たちの中では、三番目のチュルケダイ・バートル(Čülgedei baγatur)に関して詳
しい記録はみられない。スゥべケダイ・バートル(Söbegedei baγatur)は『モンゴル秘史』などで
はチンギス・ハーンの「九人の将軍(Yisün örlüg)」の一人として登場し、特に金を滅ぼすときと西征
の戦争において活躍した人物である(Bayar 1981:1300-1334)。ギルケダイ・バートル(kilügedei ba
γatur)の「kilügedei」という名前について、年代記の記録は一致していない。『黄金史』など16世
紀以降の年代記ではギルケダイ・バートルはチンギス・ハーンの身近な文武両道を具えた人物として表
われる。そして、チンギス・ハーンの遺体を扱う際、有名な挽歌を詠みあげたことで後世によく知られ
ている。本研究では、ギルケダイ・バートルをギルーン・バートル(kilügen baγatur)と表記する
ことにした。ホイラダイ・バートル(Quyiladai baγatur)は、『モンゴル秘史』など年代記に跡が見
られる。『モンゴル秘史』では、マングートのホラダルはマングートを率いて、ジャムカから離れてチ
ンギス・ハーンと融合した、と言う(Bayar 1981:405)。また、ホイラダル・バートルがチンギス・ハー
ンのため、ワン・ハンと決戦し、負傷して重体になったことからチンギス・ハーンはホイラダル・バー
アンダ
トルに「盟友」称号を与えたと『元史』が伝えている。
興味深いことに、「イケ・ウチュク」は『モンゴル秘史』および『黄金史』など年代記に書かれてい
アンダ
セチェデー
ない歴史情報を伝えている。例えば、「四人のホダ、四人の盟友、四人の 賢 人 、四人のダルハン、四
オラン
ガジャラチ
バートル
人の工匠、四人の案内人、四人の勇士」について記録している。このように、わざと「四人」と書い
たことは、次の二つの可能性が考えられる。一つは、モンゴル文化において数字は一つの象徴であり、
代表または概数である。伝統的なモンゴル文学では、
「世の三つ」と「世の四つ」のかたちで文を作る
スタイルがある。それは、特徴と性質などが類似する、または逆であるものを喩ながら表現する文学
手法の一つである。もう一つは、詩的なかたちで歴史内容を表現するには、適当な手法が必要とされ
ることによって、所謂「定型的表現」を取り、四人としたと考えられる。
3.2 年代記など歴史記録におけるギルーン・バートル
上記のようにチンギス・ハーンの四人のバートルの一人として登場するギルーン・バートルはスニ
ト部の人物である。17世紀のモンゴル語の歴史文献はそろってギルーン・バートルが死去したチンギ
ス・ハーンに対して有名な挽歌を吟詠したと紹介している。本研究では、挽歌を「チンギス・ハーンの
挽歌」とする。ところが、
『モンゴル秘史』にギルーン・バートルという人物が実際には登場している
かどうかに関する研究では、記録されているというものの、有力な根拠はまだない。そのため、ここ
ではまずギルーン・バートルは歴史上実在の人物であるかどうかの問題が生じる。この問題について
歴史文献、祭祀用文書、公文書、民族誌など資料に基づいてみてみよう。
『蒙古源流』というモンゴル史の年代記では、スニト部のギルーン・バートルとマングート部のホ
イルダル・グシュ-チ(mangγud-un Quyiladar qosiγuč)がサルタールを征服するときに登場し、
活躍する。また、アムバガイ・ハンとの戦いにチンギス・ハーンの「四駿」の二人であるボウルジ・
ノヤン、ムカリ・ノヤンおよびホイルダル・グシューチと共に参戦して勝利したと記述されている(Sa
γang Sečin 1987:103-108)。ここでのギルーンはバートル(勇士)とされている。こうした『蒙古
源流』など年代記の記録によれば、ギルーン・バートルはチンギス・ハーンの「四人の駿馬」と並ぶく
らいの勇士であったことがわかる。
チンギス・ハーン祭祀には、羊を使って占いを行なう儀礼がある。その儀礼に用いる「祈祷用羊の占
― 7 ―
い書」という祭祀用文書がある。
「祈祷用羊の占い書」にギルーン・バートルが編纂者に関わって登場
する。関わりがある記録をみると次のようになる。
グムリ・メルゲン・ジノンの指示により、いにしえのハーンたちが書写したスニト部の
ギルーン・バートルの占い書が古くなったため、甲辰年夏の最初之月(陰暦4月)の3日に、
(ダルハトの)スゥンチ職をつとめるハルジャガイが新たに書写した。
Gümeli Mergen Jinung-un jakiy-a-bar erten-ü qaγad-un tungγaγsan Sonid-un
Gilügen Baγatur-un tölügen sudur qaγučiraγsan-i köke luu jil-un jun-u ekin
sar-a-yin sin-e-yin γurban-du sungči Qarč aγai sinedken bičibei.
と書かれている(Sayinjarγal 2001:215)。チンギス・ハーン祭祀に用いられるもう一つの祭祀用文書
のりと
である「聖主の祝詞および尊き食べ物の作法の書」(Boγda-yin irügel-ün jang üile-yin debter)
にも「祈祷用羊の占い書」が収録されている。
「祈祷用羊の占い書」が完了したところに、「大臣ギルー
ンが書いた書物から創作した冊子なり(Gilügen sayid-un nomlaγsan-ač a jokiyaγsan sudur bui)」
と書かれている(Qurč abaγatur & Čoγtu 2001:53-58)。ここではギルーン・バートルをスニト部と
は指摘していないが、スニト部のギルーン・バートルであることは確かである(Sayinjarγal
1998:80-81)。また、
「ギルーン・サイド(大臣)」という言い方から、ギルーン・バートルは「チンギ
ス・ハーンの重要な大臣の一人」(Kesigtoγtaqu 1998:512)であり、大臣としての重要な役割を果た
していたことは明らかである。そのため、ギルーンを「バートル(勇士)あるいはサイド(大臣)」と
言えるのである(Sayinjarγal 1998:80-81)。
チンギス・ハーン祭祀の祭祀用文書はギルーン・バートルがチンギス・ハーン祭祀における祭祀文書
の作成と深く関係していることを物語っている。また、ギルーン・バートルが大臣とも言えること自
体はチンギス・ハーンの身近な存在であったことを示唆している。
公文書からみると、『チンギス・ハーンの八白宮』(Činggis Qaγan-u Naiman Čaγan Ordu,1998)
に清朝の道光年間に起きたギルーン・バートルの後裔に関わる租税の納付をめぐる一連の文書が収録
されている。この公文書を楊海英は詳しく分析を行い、彼らが確かにギルーン・バートルの後裔であ
ることを論述している(楊 2003:61-130)。
サインジャラガルは次のように解釈する。清朝時代にダルハト集団を再び組織させる際には、スニ
ト盟からギルーン・バートルの後裔を名乗る人々から20戸余りをオルドスに移住させ、チンギス・ハー
ンの軍神を祭るダルハトと指定した、と言う(Sayinjarγal 2001:256)。また、「チンギス・ハーンの
黒いスゥルデの血祭におけるウチュク(Činggis Qaγan-u Qar-a Sülde-yin yeke toγsiγulγan-u
öč ig)」という祭祀文では、ギルーン・バートルの後裔に関して次のような語句が載っている
(Erdenibulud 他2000:134)。
スニト王旗から来た勇気をもつサバガチン・オボクのロンホチン・ヤスト6)の後裔であ
り、ずっと伝承されてきた勇士である
― 8 ―
Sünid Wang-un Qosiγun-ača iregsen Sabaγčin obuγ-tai longqučin yasutai
joriγtai-yin üres dasural ügei ulamjilaju iregsen Qosiγuči Baγatur
以上の記述からみると、次の三点にまとめられる。
一、ギルーン・バートルという人物は、チンギス・ハーンの身近な人だった可能性は非常に高い。
二、チンギス・ハーン祭祀における祭祀用文書などの作成に関わり、彼の後裔がダルハトになれたこ
とを踏まえると、チンギス・ハーン祭祀活動の充実に貢献したことが明瞭である。
三、年代記の伝える情報によれば、チンギス・ハーンが死去した際、有名な「チンギス・ハーン挽歌」
を詠みあげた詩人である。
上記の三点を踏まえると、ギルーン・バートルは歴史上実在した人物であったことも明らかになっ
てくる。以下において、有名な「チンギス・ハーン挽歌」と「イケ・ウチュク」の関係について検討し
たい。
3.3 「チンギス・ハーン挽歌」と「イケ・ウチュク」
まず、年代記に記録されている「チンギス・ハーン挽歌」の作成された経緯について述べておこう。
次に、
「チンギス・ハーン挽歌」と「イケ・ウチュク」を簡単に比較しながら分析する。
『モンゴル秘史』の記録によれば、チンギス・ハーンは1226年秋に西夏を征服した。その途中アルブ
ハという山でクランの巻狩を行い、落馬により健康を損なったと言う(Eldengtei & Ardajab 1986:890)。
そのため、ギルーン・バートルはチンギス・ハーンに対して、遺言を乞うことになった(Lubsangdanjin
1990:126)。そして、チンギス・ハーンは臨終のときに遺言を残して、死去した。モンゴル大軍はチン
ギス・ハーンの遺体を馬車に載せて、モンゴル高原を目指した。途中、馬車は泥沼に陥り、動かなくなっ
た。そのとき、スニト部のギルーン・バートルが「チンギス・ハーン挽歌」を唱えたら、馬車が動いた
と伝承される(Lubsangdanjin 1990:127)。
「チンギス・ハーン挽歌」は16世紀以降のモンゴル年代記に
共通に記録され、内容もたいてい同じである。
『モンゴル秘史』に収録されていないことから注目して
きた研究者は少ない。たとえ『モンゴル秘史』に記録されなかったとしても、挽歌にはギルーン・バー
トルという人物が関わっていることが明白である。チンギス・ハーンの記念祭殿(Durasqal-un ongγ
un)7)に関わる貴重な情報などを伝えているので「由来がわかりにくいただの伝説と否定してはいけな
い」(Kesigtoγtaqu 1998:470-473)。総括すると、後代のモンゴルの歴史文献の作者であるロブサン
ダンジン(Lubsangdanjin)
、サガン・セチン(Saγang Sečin)、ジムバ(jimba)など多くの歴史家が、
チンギス・ハーンの死去の際に、スニト部のギルーン(Gilügedei)が詠みあげたと述べたことについ
て、何か根拠があるのだろうと考えられる(Čeringsudunam 1991)
。
「チンギス・ハーン挽歌」について、今まで詳しく研究作業が行なわれていない状態であるが、触れ
た研究者たちは「チンギス・ハーン挽歌」は遺言、挽歌、伝説という三つの部分からなると指摘されて
いる(Kesigtoγtaqu 1985:265)。その視点に沿って、ここでは主に挽歌の部分を「イケ・ウチュク」
と比較しながら論じる。「チンギス・ハーン挽歌」の比較の対象となる部分は、
「イケ・ウチュク」の前
18節である。理由として一つは「チンギス・ハーン挽歌」の内容は「イケ・ウチュク」の前18節だけの
内容にしか応じていない。もう一つは、
「イケ・ウチュク」の前18段落を「黄金オルドのバガ・ウチュ
ク」8)と呼ぶ場合がある。「バガ」とは、「小」の意味である。この呼び方は、チンギス・ハーン祭祀に
― 9 ―
用いる『祭祀の順序』という文書の記録によって定められた。興味深いのは、『祭祀の順序』に書かれ
たこの決まりは、「チンギス・ハーン挽歌」と何か関係をもっているのではないかと思われることであ
る。「イケ・ウチュク」の前18節以外の内容は、15世紀以降の内容を表現しているものが量的に多い。
「イケ・ウチュク」は、「チンギス・ハーン挽歌」とどのような関連があるのか、またその相違はいっ
たい何だろうか。以下でこうした点に注目して考察したい。
まず、共通点といえば、以下のとおりである。
①、対象:両方が対象とするのはチンギス・ハーンである。
②、目的:両方とも吟唱することによって、チンギス・ハーンを称賛している。
③、どちらもチンギス・ハーンが死去した後に作成されたものであり、詩のかたちで表現している。
次に、異なる点を考察すると、次のようになる。
①、性質:前述のように「イケ・ウチュク」は『金書』の中に収録され、チンギス・ハーンに関する
モンゴル帝国の歴史を語っている。「チンギス・ハーンの挽歌」はチンギス・ハーンが逝去した直
後に詠みあげた歌である。
②、感情:
「イケ・ウチュク」はチンギス・ハーンという偉大なる人物がいたことに誇りの感情をもっ
て彼の歴史を唱える。「チンギス・ハーン挽歌」は、チンギス・ハーンが亡くなられた悲しみの感
情で詠みあげる。
③、場所:
「イケ・ウチュク」はチンギス・ハーンが祭られているチンギス・ハーン祭祀祭殿でしか唱
えず、歴史を回顧するものである。「チンギス・ハーン挽歌」は、チンギス・ハーンが亡くなられ
て、遺体を運ぶ途中で読みあげられた。
こうした相違点が認められるこの二つの作品は、実は隠された関係をもっていると考えられる。以
下では内容的に比較してみよう。
「チンギス・ハーン・挽歌」では、チンギス・ハーンの生まれた故郷、即位した場所、ボルテルジン
皇妃とクラン妃について、次のように述べる(Durungγ-a 1998:65-66;楊 2004:24-28)。
A
①Urγumal ulus irgen činü
②Ukiyaγsan usun časun činu
③Olan Mongγul ulus činu
④Onun Deligün Butaγ deger-e törügsen γajar usun činu
Tende bülüge ..
君が成長する国よ
君が沐浴したまいし水、雪よ
君が多くのモンゴルの民よ
オノンのデリグン・ボルダクに生まれたる君の地水、かしこにあり。
― 10 ―
B
①Keger ajirγan-u kökül-iyer kigsen tuγ činu
②Kenggerge uriy-a büriy-e kög daγun činu
③Kelekü bügüde ulus činu
④Kerülün Ködege aγsan γajar činu
Tende bülüge ..
とう
茶褐色の種馬の鬣に編みて創りたる君の纛とスゥルデ
君の号令を出す太鼓、喇叭、笛よ
語る君のあまねき黎民よ
ケルレンのクデー・アラル、ハーン位に即いた地、かしこにあり。
C
①Bütükü-yin urida učaraγsan Bürtegeljin Sčin qatun čin
②Bürin-e sayiqan jasaγsan törü yosun činüu
③Buγurji Muquli quyar amaraγ nöküd činü ..
④Burqntu Qan γajar usun činu ..
Tende bülüge ..
成就の前に会いたまえる君の妃、ボルテルジン・セチェンよ
あまねき君の大政礼よ
ボウルジュとムハライ、二人の親しき友よ
幸ある「大いなる大地」、君の故郷、かしこにあり。
D
①Qubilγad-iyer učaraγsan Qulan qatun činu ..
②Quγur čuγur kög-tü daγun činu ..
③Qotala Bügüde ulus činu ..
④Qutuγtu Qan γajar usun činu ..
Tende bülüge ∷
神力によりて会いたまえる君の妃、クランよ
君の胡琴、胡笳、楽器よ
君のあまねき大国よ
幸ある「大いなる大地」、かしこにあり。
「イケ・ウチュク」では、以上の内容は次のように表現されている。
― 11 ―
$04
041 | Odutan tngri-eč e jayaγabar egüdügsen ../
042 | (NO.9) Onun müren-ü Deligün bodaγ-tu törügsen ..
043 | Ong / qaγan-u törü-yi abuγsan ..
044 | Olan keryid-i ejelen / medegsen ..
045 | Ordus tümen-i töblen saγuγsan ..
046 | Olan / ulus-un ejen boluγsan ∷
星が飾る天の運命たる生まれた
オノン川のデリグン・ボルダクに生まれた
オン・ハーンの国家を降ろした
多数のケルイトを占めた
オルドスの中心に住んだ
国々の主となった
$05
051 | Bütükü-yin urida učaraγsan
052 | Bürtegeljin / yeke sečin qatun-tu ..
053 | Boγda ejen čolutu ..
054 | Borjigin altan / uruγ-tu +uruγ+ ..
055 | Buγurji Muquli nökür-tü ..
056 | Bügüde delekei ulus-un / ejen boluγsan ejen qatun ∷
成就の前に会えた
偉大なるボルテルジン・セチェン妃をもつ
聖主たる称号をもつ
ボルジキンという黄金家族をもつ
ボウルジュ、ムハライという盟友をもつ
あまねき国の主となった主君と后妃よ。
$06
061 | Qubilγad-iyer učaraγsan
062 | Qulan / sečin qatun-tu ..
063 | Quγur čuγur kög daγun-tu .. /
064 | Quračan daγaγsan yisün örlüg-üd nöküd-tü ..
065 | Qotala / Bügüde-yin ejen boluγsan ∷
― 12 ―
運命によりて会いたまえた
クラン・セチェン妃をもつ
胡琴、胡笳、楽器をもつ
生涯にわたって追随した九人の将軍をもつ
$07
071 | Kerülün müren-ü Ködege Arulan / qaγan saγuqu-san ..
072 | Kem sem +jim+ yeke ner-e-yi bey-e / -degen orusiγuluγsan ..
073 | Kelekü bügüdeyi quriyaγ-san .. /
074 | Gegen bilig-tü törügsen ejen qatun ∷
ケルレン河のクデー・アラルにてハーン位に即いた
大いなる称号を勝ち取った
ことばを話す人々をおさめた
英明に生まれたチンギス・ハーン。
以上の二つのテクストにおける記述をまとめると次のようになる。
Aは$04と対応する。Aでは、チンギス・ハーンの所有するものを中心に語り、①②③など空虚な描写
が多い。$04は、より具体的でチンギス・ハーンに関する歴史的事象2、3、4、5を取りあげている。両
方ともチンギス・ハーンの生まれた故郷である「オノン川のデリグン・ボルダク」④、2に一致してい
る。反復語を除けば、Aは4行に対して、$04は6行節である。
Bは$07と対応している。Bはチンギス・ハーンの所有するもの①②③を具体的に呈示している。$07は
チンギス・ハーンの名号2、5と成功3を称賛している。Bと$07においてチンギス・ハーンの即位した場所
である「ケルレン川のクデー・アラル」④、1がより似た表現で語られている。Bと$07は反復語を除い
て4行ずつである。
Cと$05が対応できる。Cでは、やはりチンギス・ハーンの所有するもの①②③④を強調している。$05
は称賛のかたちの歴史語りであるため、出自3、名号2を含めた偉大さ5に焦点を当てている。Cと$05で
は、チンギス・ハーンの第一夫人であるボルテルジン皇妃①、1、および彼の第一の功臣ボウルジュと
第二の功臣ムハライ③、4が登場している。表現法としては形容詞の使い方の微妙な相違点を除けば、
全く同じである。Cは4行からなり、$05は5行からなっている。
残りのDと$06が内容として対応する。D①②③と$06の1、2、4は単語の使い方としてより似ていると
いえよう。内容的に$06におけるチンギス・ハーンの九人の将軍の記述4はDにない。それ以外の語句も
ほぼ同様である。Dと$06は共に4行からなっている。
以上の比較分析を踏まえて、もう一つの事例を取りあげてみよう。「チンギス・ハーン挽歌」では、
チンギス・ハーンが死去したことを以下のように述べている(Durongγ-a 1998:42-43;原山
77)。
― 13 ―
1995:
Qaliqu sibuγun-u jigür bolun odbai či ejen minü
Qangγiniqu tergen-u tegesi bolbu či ejen minü
Tuγuliqu qarčaγai-yin jigür bolun odbai či ejen minü
Toriqu tergen-u tegesi bolbu či ejen minü
Jirkikü sibaγun-u jigür bolun odabai či ejen minü
Jirkiraqu tergen-u tegesi bolun odabai či ejen minü
飛び立つ鳥の翼となりて去りたまうや君、我が主よ。
響きを立てる車の荷となりたまうや君、我が主よ
襲いかかる鷹の翼となりて去りたまうや君、我が主よ。
めぐる車の荷となりたまうや君、我が主よ。
さえずる鳥の翼となりて去りたまうや君、我が主よ。
鳴り響く車の荷となりたまうや君、我が主よ。
ここでは、チンギス・ハーンのことを「鳥の翼、馬車の積み荷」と比喩しながら、悲しみを表現して
いる。
「イケ・ウチュク」では、オルドス万戸について、次のように描かれている。
$57
571 | Duγuliqu način-u jigür boluγsan .. /
572 | Toγuriqu terge qasaγ-un čou qadaγalaγsan .. /
573 | Jikireqü način-i jigür boluγsan ..
574 | Jikireqü qasaγ / -yin mou qadaγalaγsan ..
575 | Duγuliqu bürgüd-ün kimüsün / boluγ-san ..
576 | Dobtulqu baras-un sidün boluγsan .. /
襲いかかる隼の翼となり
めぐる車の車軸を保存し
さえずる隼の翼となり
鳴り響く車の車輪を保存し
飛び立つ鷲の爪となり
飛び出す虎の歯となり
オルドス万戸のことを「隼の翼、鷲の爪、虎の歯」とたとえて、勇気をもって戦った歴史に結びつ
けている。チンギス・ハーンの遺体を運んだことに基づいて、「車の車軸、車の車輪」を保存している
と表現している。「車の車軸、車の車輪」とは、チンギス・ハーンの白八宮に祭られている「黄色い車」
(Sir-a qasaγ)を想起させる。この車をチンギス・ハーンの遺体を運んだ際使ったものとして祭る。
また、祭祀を行なう際、天幕を運ぶときに使っている(Sayinjirγal & Šaraldai 1983:127-130)。
― 14 ―
以上の二節の詩の比較から二つの詩は、字句の使用まで似ていることがわかる。モンゴル語文献で
は、これら字句が詩のかたちで表れたのは「チンギス・ハーン挽歌」と「イケ・ウチュク」しかない。
そのため、「イケ・ウチュク」は「チンギス・ハーン挽歌」における字句からも影響を受けたと言えよ
う。そして、テクストにおける意味構造としては「チンギス・ハーン挽歌」ではチンギス・ハーンを「鳥
の翼」に喩えた。それに対して「イケ・ウチュク」ではオルドス万戸を「鳥の翼」と描写している。
同様に、「チンギス・ハーン挽歌」ではチンギス・ハーンを「馬車の積み荷」と比喩したが、「イケ・ウ
チュク」ではオルドス万戸を「馬車の車軸、馬車の車輪を保存した」と表現した。
研究者たちの見解によれば、チンギス・ハーンの「記念祭殿」は黄河南岸のオルドス地域におかれ
たと指摘している。年代記は、チンギス・ハーンが生きていたうちにオルドス地方を気に入ったことと
遺体を運んだ馬車が泥沼に入って動かないため、遺品を埋めたことに由来すると伝えている
(Lubsangdanjin 1990:126)。「チンギス・ハーン挽歌」は、チンギス・ハーンの死後作られた。そして
「記念祭殿」でチンギス・ハーンを祭る儀式ができあがり、
「イケ・ウチュク」が作られたわけである。
話をオルドス万戸に戻してみよう。万戸というモンゴル社会における組織は16世紀のダヤン・ハン
時代に実現された。
「イケ・ウチュク」でのモンゴルにおける六万戸に関する一連の称賛ではオルドス
万戸を首位においた。これは、チンギス・ハーン祭祀がオルドス地域で行なわれているため、対象を主
として考慮する祭祀者たちの配慮であると言えるだろう。
二つのテクストではシャーマニズム的な思想と宇宙観も反映されている。それぞれ例文を取りあげ
てみると、以下のようになる。
「チンギス・ハーン挽歌」では、チンギス・ハーンの生死に関して次のように表現している。
Köke Müngke Tegri-yin jayaγa-bar törügsen
Kölüg buγda ejen minü
Kör yeke ulus-iyan orkiju
Kürbei či degedü törül-tegen
蒼き長生の上天より
運命にて生まれたる駿馬のごとき我が主よ
あまねき大国を投げうちて
あの世に至れり君は。
「蒼き長生の上天より運命たる生まれた(köke müngke tegri-yin jayaγa-bar törügsen)」という
表現は、チンギス・ハーンは「天から生まれた」というシャーマニズム的思想を利用して聖性を付与し
ている。チンギス・ハーンは偉大なる聖性をもつ所謂「tngri-yin köbeün天の子」である。天の子だけ
が天下を支配する権力がある。チンギス・ハーンの死に関して「あの世―天に至れり、君は。(kürbei č i
degedü törül)」とシャーマニズム的宇宙観に基づいて表現している。周知のとおり、シャーマニズム
的宇宙観には、この世とあの世があり、死後はあの世に行く。また、上、中、下的構造があり、普通
は死んだら下に行くはずだ。ところが、チンギス・ハーンは「天の子」であるため、上天する。チンギ
ス・ハーンの聖性によって、モンゴルではチンギス・ハーンの死に関して「死ぬ」という動詞を避ける。
― 15 ―
「天に昇った」あるいは「天に去った」と言う。
「イケ・ウチュク」では、以下のように書かれてある。
$01
011 | (NO.8)Deger-e tngri-yin jayaγabar törügsen ..
012 | Tngrilig / yeke ner-e-yi bey-e-dür-iyen orusiγuluγsan ../
013 | Delekei ulus-un törü-yi abuγsan
014 | Tngkeling törügsen / Činggis qaγan ∷
上天の命もて生まれた
天のごとき大いなる名号をその身に在らしめた
世界のまつりごとを獲得した
天のごとく生まれたチンギス・ハーン
モンゴルの古代信仰はシャーマニズムであった。チンギス・ハーン自身もシャーマニズム的な思想の
中に生きていた。「tngri」はモンゴルシャーマニズム的思想における最高の神様である。チンギス・
ハーンの権利における聖性も「tngri」によって建てられたと言えるだろう。一々事例を取りあげる必
要はないが、シャーマニズム的思想と宇宙観はこの二つのテクストの各所で示されている。
ここまで論じてきたことをまとめると、少なくとも二つの問題が明瞭になった。
一、「チンギス・ハーン挽歌」が「イケ・ウチュク」の内容的形成に影響を与えた可能性を否定でき
ない。
二、叙述された物事は歴史と一致していることから、その歴史性をもつことが証明される。
それ以外にも、「イケ・ウチュク」での「チンギス・ハーン(Činggis qaγan)、主君と后妃(ejen qatun)
、
かしこにあり(tere ajiyamu)」など繰りかえす手法はモンゴル文学に共通の手法であるが、ある程度
「チンギス・ハーンの挽歌」からの影響が反映していると言えるだろう。
これらは対象、目的が同じであることによって後者は前者の内容を借りたというわけではなく、継
承性があることを物語っている。また、継承性だけにとどまらず、「チンギス・ハーン挽歌」が唱えた
人物およびチンギス・ハーン祭祀の起源と深くつながっている。偶然ではなく実際の継承関係をもつ二
つの文書と言えよう。
― 16 ―
4
まとめ
以上ギルーン・バートルの詠みあげた「チンギス・ハーン挽歌」と「イケ・ウチュク」における内容
の簡単な比較を取りあげてみた。その結果、「チンギス・ハーン挽歌」が「イケ・ウチュク」にとって
重大な存在であったことを呈示した。ギルーン・バートルは13世紀に活躍し、チンギス・ハーン死去の
際に有名な「チンギス・ハーン挽歌」を詠みあげたことなどから、チンギス・ハーンの身近の信頼でき
る人物であったと推定できる。その身近な人物であったこと自体が、ギルーン・バートルがチンギス・
ハーンの日常の生活、活動およびチンギス・ハーンの性格まで詳しく把握していたことを示している。
チンギス・ハーンが信頼していた人物が文武に精通していたことは不思議ではない。逆に、能力がある
人物であったからこそ、チンギス・ハーンの身近に存在し、死去の際に「チンギス・ハーン挽歌」を詠
みあげたに違いない。楊海英の指摘するように、ギルーン・バートルはチンギス・ハーンの生前は彼の
のりと し
信頼できる身近な人物であり、死後にあたって挽歌を詠みあげた祝詞師の役を演じた吟唱力、朗読力、
葬送儀礼を運営できる能力がある人であった。彼はさらにギルーン・バートルは当時のモンゴル文化
にも精通した人物であった、としている(楊
2003:39‐130)。また、研究者たちも指摘しているよ
うに、チンギス・ハーンの「記念祭殿」が何らかのかたちで八白宮と連動していたと考えれば、ギルー
ン・バートルは八白宮の起源9)とも無関係とは言えない(楊 2003:60)。なぜなら、チンギス・ハーン
の遺体を西夏からモンゴル高原へ運んだ馬車が泥に入り、動かなくなる際に、ギルーン・バートルが「チ
ンギス・ハーン挽歌」を詠みあげ、チンギス・ハーンが使っていたものを遺体の替わりに埋めたことか
らである。前も触れたように、チンギス・ハーンの遺品を遺体の替わりに埋めたことにチンギス・ハー
ンの「記念祭殿」が由来すると言われる(Lubsangdanjin 1990:126)。
八白宮祭祀はチンギス・ハーンの死とともに出現し、少しずつ整備され、充実してきた(楊 2000:
27―77)
。それと同様に、
『金書』を含むチンギス・ハーン祭祀に用いられている祭祀用文書も徐々に作
成され、整ったと言えるだろう。
「チンギス・ハーン挽歌」はチンギス・ハーンの遺体を馬車に載せてい
く途中唱えられ、チンギス・ハーンの「記念祭殿」と同時に発生したと言える。こうした視座からみれ
ば、チンギス・ハーン祭祀が始まるとき、ギルーン・バートルが「チンギス・ハーン挽歌」を思い出し
ながら「イケ・ウチュク」を詠みあげるのはあり得ることである。それどころか、『モンゴル秘史』を
はじめ、歴史文献に出てくるジャムハ・セチンの雅やかな詩からチンギス・ハーンが発言したという有
名な韻文、ことわざなどまでの詩における字句の中にギルーン・バートルのような文武両道を具えた
人々の智恵が含まれていると推定しても過言ではないだろう。
3.2でも述べたようにギルーン・バートルはチンギス・ハーン祭祀用文書に関わっている。もしここ
で論じている「イケ・ウチュク」と関わりがあると推定できたら、三つ目の祭祀用文書に関連してく
ることになる。研究者たちの見方と3.2での論考に基づくと、「祈祷用羊の占い書」(Sinsilgen qonin
tölgün sodur)という祭祀用文書はギルーン・バートルによって作成された。また「チンギス・ハーン
挽歌」を詠みあげたことなどを踏まえるなら、ギルーン・バートルは初期段階におけるチンギス・ハー
ン祭祀の運営およびチンギス・ハーン祭祀における祭祀用文書とかなり密接な関わりをもっていると
想像できる。その時代に文武両道に長けた人物として活躍していたギルーン・バートルにとっては、
「イケ・ウチュク」の前18節を唱えることは可能であった。チンギス・ハーンを亡くした悲しみ、チン
ギス・ハーンを祭る尊敬の気持ちなどにギルーン・バートル自身の心の環境も整っていたはずである。
― 17 ―
モンゴルの学者リンチンとダムディンスレンたちが20世紀50年代に『金書』から書きうつした「イケ・
ウチュク」も「イケ・ウチュク」の前18節であった。
以上の論考の前提と「イケ・ウチュク」の内容形成および「イケ・ウチュク」が提供している歴史
情報からみれば、ギルーン・バートルが「イケ・ウチュク」の初期段階の内容作成に貢献した、作者
の一人である可能性が高い人物であると考えられる。
― 18 ―
註
1) ロシアのブリヤートモンゴル人ジャムツラノ(Zamcarano)、デリコフ(Дылкв)、モンゴル国
のリンチン(Rintchen)、ダムディンスレン(Damdinsürüng)等である。
2) 文化大革命時代に自殺したと言われる。
3) 原文資料を本論文で使う時に、内容に基づき段落にして番号をつけた。全部で76段落からなってい
るが、資料編で付録する。
4) 那珂通世と村上正二等は「ウチュク」ということばには注目しなかった。エルデンタイ、アルダジャ
ブ以外のモンゴル人研究者たちも注目していなかった。
5) エルデンタイ、アルダジャブ『モンゴル秘史還原注釈』(1986)、エルデンタイ、ウユンダライ校勘
『蒙古秘史』
(1980)である。
6) ヤスは、役割としてオボクobuγとあまりかわらないがオボクより小さい規模の親族集団の名称。
7) 遺体を載せた馬車が泥に落ち込む時、チンギス・ハーンの靴下など遺品をその場所に残したことを
『黄金史』が「記念祭殿」と伝えている。
8) 本論文では康煕六十一(1722)年に書写された『金書』に基づき、
「黄金オルドのバガ・ウチュク」
を内容としては「イケ・ウチュク」の一部分である、18節として扱っている。
9) 本論文での「チンギス・ハーン祭祀」のことである。
― 19 ―
資料編
エドンヒシグ本『金書』における「イケ・ウチュク」のローマ字転写
エドンヒシグ本『金書』は、1962年にエドンヒシグ氏によって書写された康煕六十一(1722)年の
『金書』である。本論文では、「イケ・ウチュク」(大祭史)という部分を分析したが、ここでそれを
付録とする。エドンヒシグ本『金書』は、未だに公表されていないが、調査で入手した時に、内モン
ゴル自治区の民族学者サインジャラガル(Sayinjirγal)氏の同意を得たので、今回初めて公表する
ことにした。
1. エドンヒシクによって書写された『金書』の写本を底本とする。
2. 転写は節単位で行う。節見出しは$記号に続く2位のアラビア数字で示す。例えば、$33は(第33
節)である。
3. 節見出しの下にテクストアルファベットの転写を配した。|の左に示された3位の数字は、前2
位節数を、後1位が節内の行数を示す。例えば、123は$12(第12節)の第3行目を示す。
4. 写本は現代正書法のような書写規則が厳密に定まっていなかった時代の作品である。そのため、
本写本には、現代正書法に照らすと明らかに誤りであるものが多く含まれている。本写本のオリ
ジナル特徴を残すため、校訂に際しては現代正書法にこだわらない。現代正書法では誤りとされ
るものも、本写本に複数回現れているもの、本写本に一度しか現れていなくともこれを誤りとみ
なさなかった。この転写法は、モンゴル古文献をよりよく転写するための一つの試みである。
5. 付記記号について
・ 「-」は、分離して書かれている飾(daγaburi)が先行する飾りとともに一単語をなす場合の
み用いる(tal-a)。
・ 「/」は、写本での改行位置を示す。
・ 「・」は、一単語が二行にわたって書かれた場合、これが一単語であることを示す場合に用い
る(チンギス・ハーンなど)
。
・ 「++」間の語句は写本に見える挿入語句を示す。
・ 「<
>」間の語句は写本に見える消除語句を示す。判読可能なものついては消除された語句の
ローマ字転写を記す。判読不可能な場合は<?>と示す。
・ 「∷ 」は写本中の四点(dörben čeg)を、二連のピリオド「..」は二点(qoyar čeg)を、ピリオ
ド「.」は一点(dang čeg)を示す。
7. 内容節にわけるとき、主として内容を考慮するが、同時にモンゴル詩の技法を参考する。
8. ローマ字に転写する際、モンゴル語の「S」「s」を「s」で表示し、
「J」「j」を「j」で表記する。
― 20 ―
$01
011 | (NO.8)Deger-e tngri-yin jayaγabar törügsen ..
012 | Tngrilig / yeke ner-e-yi bey-e-dür-iyen orusiγuluγsan ../
013 | Delekei ulus-un törü-yi abuγsan
014 | Tngkeling törügsen / Činggis qaγan ∷
$02
021 | Sutu tngri-yin ijaγur-tu .. /
022 | Suu jail yeke-ü .. /
023 | Surγan +surγal+ ügei bilig-tü
024 | Solbil / ügei jasaγ-tü ..
025 | Sutu törügsen ejen qatun ∷
$03
031 | Temüjin / baγatur ner-e-tü ..
032 | Dörben erdeni qatun-tu ..
033 | Dörben / küder degü-tü ..
034 | Dörben külüg köbegün-tü ..
035 | Delekei ulus- / un ejen boluγsan ∷
$04
041 | Odutan tngri-eče jayaγabar egüdügsen ../
042 | (NO.9) Onun müren-ü Deligün bodaγ-tu törügsen ..
043 | Ong / qaγan-u törü-yi abuγsan ..
044 | Olan keryid-i ejelen / medegsen ..
045 | Ordus tümen-i töblen saγuγsan ..
046 | Olan / ulus-un ejen boluγsan ∷
$05
051 | Bütükü-yin urida učaraγsan
052 | Bürtegeljin / yeke sečin qatun-tu ..
053 | Boγda ejen čolutu ..
054 | Borjigin altan / uruγ-tu +uruγ+ ..
055 | Buγurji Muquli nökür-tü ..
056 | Bügüde delekei ulus-un / ejen boluγsan ejen qatun ∷
$06
061 | Qubilγad-iyer učaraγsan
062 | Qulan / sečin qatun-tu ..
063 | Quγur čuγur kög daγun-tu .. /
064 | Quračan daγaγsan yisün örlüg-üd nöküd-tü ..
065 | Qotala / bügüde-yin ejen boluγsan ∷
― 21 ―
$07
071 | Kerülün müren-ü Ködege Arulan / qaγan saγuqu-san ..
072 | Kem sem +jim+ yeke ner-e-yi bey-e / -degen orusiγuluγsan ..
073 | Kelekü bügüdeyi quriyaγ-san .. /
074 | Gegen bilig-tü törügsen ejen qatun ∷
$08
081 | Naran saran-u / kileber törügsen..
082 | Nayiman-u Dayan qaγan-u törü-yi / abuγsan ..
083 | Narmai ulus-un ejen boluγsan..
084 | Nasun büri / öljeyitü törügsen ejen qatun ∷
$09
091 | Tüg tümen čerig / -iyen terigülen yabuju ..
092 | Tuγula müren-ü Гurban Ulqui / -yin
093 | Debsikü saγlaγar modun-u odu ijaγur-a ..
094 | Tuγ / büriy-e-ben bosqan saγuγsan ..
095 | Tuγ-či bolγan / Jalayirdai Muquli barilduγuluγsan
096 | Sudu törügsen ejen / (NO.10) qatun ∷
$10
101 | Гuw-a dobu-i daban yabuju ..
102 | Гurban merged tayijiγud-i /γulir bolγaju ..
103 | Quduγ-tu qan <qan> jayisang-ud <jayisang>-un <-yin> ner-e-yi / bey-e-dür-iyen
orusiγuluγsan..
104 | Quyitu altan uruγ-dur / -iyen ..
105 | Quγurusi ügei ner-e čolu-yi / gün-e orusiγuluγsan ∷
$11
111 | Qangγai qan arulan / yabuju ..
112 | Qasbuu tamaγ-a-yi qančulan yabuju .. /
113 | Qadan čerig-iyen bisilγan yabuju ..
114 | Qamuγ ulus-iyan / terigülen yabuju ..
115 | Qan +qal-dal ügei+ jayisang <jayisang> ner-e čolu-yi bey-e / -dür-iyen orus
γuluγsan ejen qatun ∷
$12
121 | Altai qan-i / arulan yabuju ..
122 | Albatan ulus-iyan terigülen yabuju .. /
123 | Ataγatan dayisun-i alan talan yabuju ..
124 | Aldarsiqu / yeke ner-e čolu-yi bey-e-dür-iyen orusiγu-luγsan ejen qatun ∷
$13
131 | Jelemen qan-i arulan yabuju ..
― 22 ―
132 | Jaγar / tekei <tesi> -yi siraγulun yabuju ..
133 | Jang maγu-tu dayisun-i / erke-dür-iyen oruγulun yabuju ..
134 | Jasaγ jarliγ-iyan / delgen yabuju ..
135 | Jayaγatu törügsen ejen qatun ∷
$14
141 | Tobqan / qan-i arulan yabuju ..
142 | Dobučuγ tarγun-iyan unun yabuju .. /
143 | + Domuγtu način-iyan talbin yabuju ..
144 | Toγmoγ dayisun-i toyin-dur oruγulun yabuju +
145 | Tuγ büriye-tü čerig-tü törügsen ejen qatun ∷
$15
151 | Saγar / Tarbaγatai julan yabuju ..
152 | Sartaγul-un čilačin +チベット語+ Sutan <sülten> qaγan / törü-yi abun yabuju ..
153 | Salbar noqai-yi kötü-lün yabuju .. /
154 | Sanaγsan görügesün-i bariγulun yabuju ..
155 | Salγaju köbegün / -dür-iyen ejelegülün ilegegsen ejen qatun ∷
$16
161 | Singqulan / qan-i arulan yabuju ..
162 | Sirbegelten dayisun-i toyin <tuyil> -dur / -iyan oruγulun yabuju ..
163 | Sil sayitu aγtai-yi unun / yabuju ..
164 | Sartaγul ulus-un törü-yi abun yabuju .. /
165 | Simeskelčin +チベット語+ terigülen alban-i abuγsan ejen qatun ∷
/
$17
171 | (NO.11) Ölge γajar-a ayalan yabuju ..
172 | Öčügüd Ongud-i / erke-dür-iyen oruγulun yabuju ..
173 | Ögelen Üjin <Üčin> eke-yuγan / ejelegülün ilegegsen ..
174 | Öljei-tü törügsen ejen qatun ∷ /
$18
181 | Munan qan-i arulan yabuju ..
182 | Mongγol ulus-i terigülen / yabuju ..
183 | Tangγud ulus-i toyin <tuyil>-dur-iyan oruγulun yabuju .. /
184 | Sidurγu qaγan-i silege γarγaju ..
185 | Gürbeljin γow-a-yi / bey-e-dür-iyen abču ..
186 | Kündü qan jayisang <jayisang> ner-e-yi / bey-e-dür-iyen orusiγuluγsan ejen qatun ∷
$19
191 | Urγuqui-yin / naran-ača singgeküi naran kürtele ..
192 | Ulus-i qamun qamun / yabuju ..
193 | Ulus-un törü-yi abuγsan ..
― 23 ―
194 | Unda darasun-i / undalan yabuju törügsen ..
195 | Uyidaγari ügei ner-e čolu-yi bey-e-dür-iyen orusiγuluγsan / ejen qatun ∷
$20
201 | Dörben küder degü-ner- činu darqan sitügen .. /
202 | Yeke tayisi činu qamuγ-un sitügen ..
203 | Yisün örlüg-üd činu / törü-yin sitügen ..
204 | Törü-dü törügsen dörben külüg / köbegün činu
205 | Yerünghei-dür ejen boluγsan ∷
$21
211 | Qarin qara / jančar dayisun-i
212 | Qataγultuqu todum mün daruγči .. /
213 | Qabutu Qasar türgen degütü ..
214 | Γayiqamsiγ-tu / törügsen Činggis qaγan ∷
$22
221 | Balar erten qortan dayisun-i /
222 | Beyengkedün yabuju daruγsan ..
223 | Belgürdei boke degü-tü .. /
224 | Belge-tü törügsen Činggis qaγan ∷
$23
231 | Qatukin Seljimed + senjimed+ / irgen-i
232 | Qaračus boγul bolγaγsan ..
233 | Qajiqu-in nilq-a / baγatur degü-tü ..
234 | Qamuγ-un qan ejen boluγsan <eče> ejen qatun ∷
$24
241 | Öber-e öber-e omuγtun irgen-i
242 | Öber-un erke / -dür-iyen oruγuluγsan ejen qatun ∷
243 | Ojiqun sečin nilq-a degü-tü ..
244 | Öljei-tü törügsen Činggis qaγan ∷ /
$25
251 | Töb yeke qaγan-u bey-e-dü činü
252 | Tösiy-e bolun törügsen / (NO.12) ejen qatun ∷ .. ∷
253 | Dörben küder degü činu ede büküi-ber ajiyamu ∷
$26
261 | Joriju iregsen dayisun-i
262 | Jolγuqu / toduman daruγči ..
263 | Joči ejen yeke köbegün-tü ..
264 | Jokis-tü / törügsen Činggis qaγan ∷
― 24 ―
$27
271 | Čaγan qar-a-yi ilγan / yabuju ..
272 | Čaγ-iyar öglige soyurqal-tu ..
273 | Čaγadai / sečin köbegün-tü ..
274 | Čab aldar yeke törügsen Činggis qaγan ∷
$28
281 | Öber-e öber-e keleten irgen-i
282 | Öber-un erke / -dür-iyen oruγuluγsan ∷
283 | Ögedei qaγan köbegün-tü ..
284 | Öljei / -tü törügsen Činggis qaγan ∷
$29
291 | Tuγulan Čaγan qadai / -yi dösin yabuju ..
292 | Öber-degen orusiγulju nutuγlaγuluγsan .. /
293 | Tolui ejen odqun köbegün-tü ..
294 | Tuγ büriye-tü čerig / -tü törügsen Činggis qaγan ∷
$30
301 | Törü-in ejen qaγan / bolun
302 | Törüdü törügsen dörben külüg köbegün činu
303 | Yerünghei / -dür ejen boluγsan ..
$31
311 | Sutu boγda naγuču-tu ..
312 | Sutai qatun / eke-tü ..
313 | Yabaγan mergen ečige-tü..
314 | Yaγaral ügei / sanaγan-tu ..
315 | Yandasi ügei künesütü ..
316 | Narmai-yin / darulγ-a boluγsan ..
317 | Dörben erke-čud-i medegči ..
318 | Törülči / tüsiy-e činu tere ajiyamu ∷
$32
321 | Deger-e naran-u kilta / -tu ..
322 | Naiman sirγ-a aγta-yi činu ..
323 | Qulaγai degerem-e / abuγsan učir-tu ..
324 | Buyantu ejen bey-e-ber-iyen / darungγadun nekejü ..
325 | Darki <tngri> qungγur morin-iyan unuju ..
326 | Dabtamal bolud-iyan bögterjü
327 | Köke Naγur-un / tergel deger-e
328 | Nöküčen tusa boluγsan
329 | Laqu bayan köbegün er-e / buγurji ..
― 25 ―
3210 | Narmai-in ejen-u tula ..
3211 | Namaq-a saγulγ-a-ben / γajar-tur taγlan bulaju ..
3212 | naiman sirγ-a aγta činu / nekeju ..
3213 | Törügüi küriyen-ü dotur-a-ača ..
3214 | Temür čider / (NO.13) dekikü-lün γarγaju ..
3215 | Türidkel ügei abun ireküdü /
3216 | Bodisong ner-e-tü orduda +orduda+ baγuju ..
3217 | Bor darasun-iyar / undalan saγuju ..
3218 | Laqu-yin köbegün er-e buγurji-yi / tende darqalaju ..
3219 | Nasun büri küčün-iyen ögügsen .. /
3220 | Čing joriγtu törügsen
3221 | Aruldai buγurji noyan činu / tere ajiyamu ∷
$33
331 | Tüimer dayisun-i činu türidkel / ügei daruju ..
332 | Tuγ süldyi-yi činü teberijü .. /
333 | Tegüderel ügei sanaγatu ..
334 | Tögüril ügei yabudal-tu ..
335 | Qara edür qusun tenggelig-yi činü bariju .. /
336 | Mörei edür mösün bolud-yi činu bariju ..
337 | Mongγol-i / činu moquju ..
338 | Dayičiγud-i činu daruju ..
339 | Budang / edür činu ese Tögürigülügsen ..
3310 | Boq-a edür činu ese / botaγuluγsan ..
3311 | Jalayirdai Muquli noyan činu tere ajiyamu ∷ /
$34
341 | Bosqul ügei joriγ-tu ..
342 | Bodulal ügei sayin mergen sanaγa / -tu ..
343 | Buruγulal ügei ünen-iyer jidkün yabuju .. /
344 | Boljuγsan jarliγ-iyar činu baγuju
345 | Bolq-a sumun-du / unaju
346 | Bosuγad bariju qataγulduγsan
347 | Beki surqadai-yin / köbegün
348 | Üqüsidei Boruqul noyan činu tere ajiyamu ∷ /
$35
351 | Dalai metü yeke qongqan-i činu qadaγalaju .. /
352 | Daγasi ügei yeke ödgeyi-yi činü jasaju ..
353 | Siber / jarliγ-i činu sonusču ..
354 | Sirbi qutaγ-a-yi činu / qadaγalaju ..
― 26 ―
355 | Simden yabuju küčün ögügsen
356 | Tamaγ-a / qutuγ-i endel ügei sayiqan kelegči ..
357 | Tatardai Siki +siji+ / -Qutuγ noyan činu tere ajiyamu ∷
$36
361 | Qaritan dayisun / luγ-a qadquldun yabuqu-du činu ∷
362 | Eremeg čaγaγčin-i / unaju endengsen-dü ..
363 | Erdeni-tü +altan+ bey-e-yi činü / jobaγaγsan-du ..
364 | Endegürel ügei irejü küčün ögügsen .. /
365 | (NO.14) Al giri-i arundaγan talbiju ..
366 | Altan quuri +qur+ / činu ebürdegen teberijü ..
367 | Alγasan +Alγasal+ ügei küčün-iyen / ögügsen ..
368 | Basudai Jebe ildüči noyan činu tere ajiyamu ∷ /
$37
371 | Ulus-un urida tursiγul bolju ..
372 | Oduqu görügesün-i / otulγ-a bolju ..
373 | Ulus irgen-i činü sarniγsan učir / -tu ..
374 | Unuqu ügei-dü morin unuγuluγsan ..
375 | Uγuqu / ügei-dü unda taraγ-yiar undalaγsan ..
376 | Ulus-un eke / börtegeijin qatun-i ačaraγsan ..
377 | Untal ügei noyirtu .. /
378 | Udal ügei sayin mergen sanaγa-tu ..
379 | Ünen sedkil-tü / jarčiddai darqan-i köbegün
3710 | Uriyangqadai Jem-e noyan / činu tere ajiyamu ∷
$38
381 | Uruγ törül-i činü küčün / boluγsan-du ..
382 | Ulus-un ejen boγdayi uyiqun yabuqudu / činu ..
383 | Učaraju tos <tos> bolju ..
384 | Ungγasutu tergen-dü / niγuju ..
385 | Ulus-un ejen bolγaju ..
386 | Qalqasutu tergen / -dür / niγuju ..
387 | Qamuγ-un qan bolγaju ..
388 | Qritan / tayičiγud-i bederin yabuqui-dur
389 | Qarki usun-dur / qalqalaju ..
3810 | Qara örlüge boljaju ..
3811 | Qan erdeni bey-e-yi / činü γarγaju ..
3812 | Qan orun-du činu kürgejü ..
3813 | Qamuγ / yeke ulus-tu činu üjügüljü ..
3814 | Sur dörüge ülü / ögün ..
― 27 ―
3815 | Suduraqu emegeltü ama čaγan qulaγčin-i / ögügsen ..
3816 | Suldudai Torγ-a Sir-a noyan činu tere / ajiyamu ∷
$39
391 | Onggi-yin γol-yin qai qabčiγayi /
392 | Qayin +qayin+ yabuqudu činu ..
393 | Mongγol-yin ejen morin degere / γarču ..
394 | Jüglen yabuqudu činu ..
395 | Jegülen dutaγaju .. /
396 | Jöbsiyer-čü qarin erkijü irejü ..
397 | Гurban γorbi daban / yabutala ..
398 | Гurban qara tuγ-tai dayisun jolγaju
399 | Tayičiγud / biyu gejü tani yadaju ..
3910 | Mogγol biyu gejü bulaq-a yadaju .. /
3911 | (NO.15) Oyirad biyu gejü olun yadaju ..
3912 | Tangkilan taniju .. /
3913 | Bolγan mordaju üjebesü ..
3914 | Qosiγuči-inu čisun jerde / qaljan moritu ..
3915 | Öbči ulaγan quyaγ-tu ..
3916 | Bitegü / qara saql-tu ..
3917 | Kömün-i saγldurγan-i doru /
3918 | Quruγu čičem čilüge jiγan ögčü ..
3919 | Jiγaγsan / <jar> jarliγ-iyar činü jayilaγulun tataju ..
3920 | Surγaγsan / jarliγ-iyar suqulin tataju ..
3921 | Somun-a unatal qarbuγsan /
3922 | Jarčadai Čuu Mergen noyan činu tere ajiyamu ∷
$40
401 | Qan / ejen-iyen daγan yabuju ..
402 | Гaiqamsiγ jarliγ-i činu / sonusun yabuju ..
403 | Olan ulus-un onisu medeju ..
404 | Aγuljari / ügei činu duradqan yabuju ..
405 | Qamuγ ulus-un qaγalγ-a / medejü ..
406 | Гadaγadu üreleki činü kičiyen yabuju ..
407 | Dayan / mongγol-un dotur-a-ača daldiral ügei ..
408 | Olan ulus-un osuldal ügei küčün-iyen ögügsen ..
409 | Oyi todum-yin sayin / bili-tü ..
4010 | Oyirad-yin qara kiru noyan činu tere / ajiyamu ∷
$41
411 | Yertinču-yin tulγ-a boluγsan ..
― 28 ―
412 | Erdeni / -tu bey-e-dür-činü ..
413 | Endel ügei küčün-iyen ögügsen .. /
414 | Erdem-ten yisün örlüg-ud činü ..
415 | Ede büküi-ber ajiyamu /
$42
421 | ∷ Deger-e yere yisün tngri-deče jayaγabar egüdčü
422 | +Yisügei+ baγatur / ečige-eče
423 | Yirtinčü-yin sünesün-i abun törügsen .. /
424 | Yerüngkyi-yin sitügen boluγsan
425 | sudu boγda ejen qatun ∷ /
$43
431 | Endegürel ügei buyan-iyar učaraγsan ..
432 | Erdeni-tu / altan bey-e-yi asaran qadaγalaγsan ..
433 | Ene büküi / -yin ejen boluγsan ..
434 | Törügsen sayiqan üreben / abulčaγsan ..
435 | Tegüderel ügei quda boluγsan .. /
436 | Olčunuγud-un Qalu <?> Bayan ..
437 | Ongγurid-yin Tai / Sečin ..
438 | Kereyid Ong qaγan ..
439 | Oyirad-un / (NO.16) Qtuq-a Čingda ..
4310 | Barilduγsan Činggis qaγan-u / dörben quda tere ajiyamu ∷
$44
441 | Arγumaγ dobučaγ-iyen / unun yabuju ..
442 | Altatu mönggüdügen emuüsün yabuju .. /
443 | Asaral yeke soyurqal-du činu kürtegsen ..
444 | Asuru / masi küčün-iyen ögügsen ..
445 | Bayud-un Ölüi . / Jamuqu Jaqamu .. Iskembü +チベット語+
446 | Aamaraγ-iyar učaraγsan / Činggis qaγan-u dörben anda tere ajiyamu ∷
$45
451 | Irege-edüi üyileji +üileki+ ejiγča medegči ..
452 | Itegel-tü / sayin sedkil-iyen uqaγdan yabuγči..
453 | Sečed-un / ayalaqu-yi duradqan yabuγči ..
454 | Serel mačilq-a / qadaγalaγsan
455 | Sečed-un eki inü ..
456 | Očar sečin .. /
457 | Oyiqurdai Sirmen sečin ..
458 | Tangγud-yin γow-a / sečin ..
459 | Tatardai-yin Mönke sečin ..
― 29 ―
4510 | Endel ügei / bilig erdeni-tü dörben sečid činü tere ajiyamu ∷
$46
461 | Burqan tngri-yin jayaγaber ..
462 | Boγda ejen-i soyurqal / -iyer ..
463 | Boγda-yin dörben darqad ..
464 | Suldus-yin / Čami darqan ..
465 | Ikersun Bolučaγ darqan .. /
466 | Jorčadai-yin Čuu darqan ..
467 | Jüridai-yin Bulaγan / darqan ..
468 | Endel ügei erdem-ten dörben darqan činu ter-e ajiyamu ∷
$47
471 | Degere ejen boγda-du /
472 | Degeli quyaγ kijü ..
473 | Temečegsen dayisun-i doruyitaγuluγsan ..
474 | Öbči quyaγ kijü ..
475 | Ösiy-e / -ten dayisun-i doruyitaγuluγsan ..
476 | Bolud temür / jrüketü ..
477 | Boru čilaγun bey-e-tü ..
478 | Bolba-sun / ünen-iyer küčün ögügsen ..
479 | Mongγol-un Siri / uran ..
4710 | Kitad-un Wang uran ..
4711 | Sartaγul-un Kang / uran ..
4712 | Tangγud-un Balbu uran ..
4713 | Uran arγ-a-tu ..
4714 | (NO.17) Usun Juyil-tu
4715 | Ülemji dörben uran činu tere / ajiyamu ∷
$48
481 | Qan ejen-i qari dayisun-du jorin / otaγudu ..
482 | Qayir yeke obuγ-a-yi qayin yabuqu .. /
483 | Qaraquyin yeke jam-i geten yabuju ..
484 | Öndür / aγulayin öletü kötel ..
485 | Örgen dalayi-yin olam / jiγaju +i+..
486 | Ösiye-tü dayisun-du ..
487 | Ölüsügsen / baras ..
488 | Ölüngtügsen činu-a .
489 | Örüngtügsen / börgüd metü tobtulγaju ..
4810 | Okid köbegüd-i olja bulγaju ..
4811 | Aγulayin orγil usun ..
― 30 ―
4812 | Dalayin taγ-tu usun ..
4813 | Edür endege ügei ..
4814 | Süni tegüdege ügei γajarčilaγsan ..
4815 | Uriyanqan-i Tamaq-a γajarči ..
4816 | Sartaγul-un War γajarči
4817 | Solugγus-un Belge γajarči ..
4818 | Oyirad-un Tuqu γajarči ..
4819 | Endel ügei törben γajarči tere ajiyamu ∷
$49
491 | Qara čilaγun metü yasutu ..
492 | Qara usun metü / čisutu ..
493 | Qaril ügei sanaγatu ..
494 | Qlturil / ügei joriγ-tu ..
495 | Qaritan tayičiγud luγ-d .. /
496 | Qataγujin yabuju küčünben ögügsen ..
497 | Söbegedei baγatur ..
498 | Sünidei / kilügedei baγatur ..
499 | Čülgedei / baγatur ..
4910 | Mangqudai .. Quyiladai baγatur ..
4911 | Qara eriyen bars <bors> metü
4912 | Qaril <qačin> ügei dörben baγatur / činu tere ajiyamu ∷
$50
501 | Qortan dayisun-du / činu tusalan baγuγsan ..
502 | Arban γurban tümen / otuγ
503 | Jaq-a-yin yeke küriyen činü / qotalan baγuγsan ..
504 | Quyar jiran qoriyan / činu ..
505 | Sitarlan baγuγsan ..
506 | Silγadaγ / tegürge qoriyan činu ..
507 | Altan ordu qarsi / (NO.18) činu . čimeng bulγan baγuγsan ..
508 | Albaγar baγuγsan albatu toγatu
509 | Dörben dabqur / baγuγsan
5010 | Tegürge qoriyan köbed činü / ene büküi-ber ajiyamu ∷
$51
511 | Maγu sedkil-tü / dayisun-i moquγun ögügsen ..
512 | Moqulčuγ yeke törü-yi qadaγalan yabuγsan ..
513 | Moqusi / ügei joriγ-tu ..
514 | Mongdasi ügei künesü-tü ..
515 | Molur erdeni metü
― 31 ―
516 | Mongγol köke ulus činu / ene büküi-ber ajiyamu ∷
$52
521 | Qota balγasun-i činu / bosγan saγuju ..
522 | Qotala bügüdei quriyan / saγuju ..
523 | Qotung kerem-i činü jasan saγuju .. /
524 | Гuw-a aldatu mangluγ-i arundu činu talbiju .. /
525 | Altan mönggün erdeni-iyer ayaγ-a kijü ..
526 | Amtatu / idegen-i altan aman-du činu bariju ..
527 | Arbai . bugudai činu tariju ..
528 | Asuri masi küčün-iyen / ögügsen ..
529 | Kitad uran ulaγan ulus činu tere büküi-ber ajiyamu ∷
$53
531 | Simiskel qota-yi činu / bosγan ..
532 | Sereser aldatu torγ-a čini nekejü / ünegen müren
533 | Sayin amtatu idegen-i <-yi> činü / tariju .. /
534 | Salbar araslan songqur-i činu qadaγalaju ..
535 | Sakal üsüben kirγaγsan .
536 | Baraγun eteged-un γučin tabun sartaγul +?+
537 | Bayan sira / ulus tere büküi-ber ajiyamu ∷
$54
541 | Urγuqu naran-u / ijaγur-tur ..
542 | Ünegen +ünün+ müren otuγ-tu ..
543 | Unaγasan / časun idesitü ..
544 | Bulaγan keremün degel-dü ..
545 | Čaγan Solunggus ulus činu tere büküi-ber ajiyamu ∷ /
$55
551 | Burqan nom-i delgegsen ..
552 | Buyan öglige tarqaγaγsan .. /
553 | (NO.19) Qada γajar nutuγ-tu ..
554 | Qara modun qaγalγatu .. /
555 | Qandarγ-a-tu qara ger-tü ..
556 | Adaγ-yin činu / üyi tümen nomči
557 | Qara töbed ulus činu tere / ajiyamu ∷
$56
561 | Ene büqüi ulus-i ejelen törügsen ejen qatun ..
562 | Joban jükejü ..
563 | Jokiyan quriyaγsan ..
564 | Tabun angkida ayimaγ ulus činu ede büküi-ber / ajiyamu ∷
― 32 ―
$57
571 | Duγuliqu način-u jigür boluγsan .. /
572 | Toγuriqu terge qasaγ-un čou qadaγalaγsan .. /
573 | Jikireqü način-i jigür boluγsan ..
574 | Jikireqü qasaγ / -yin mou qadaγalaγsan ..
575 | Duγuliqu bürgüd-ün kimüsün / boluγ-san ..
576 | Dobtulqu baras-un sidün boluγsan .. /
577 | Erekei-degen ömčitü ..
578 | Ebčigüdegen süsütü ..
579 | Aγulan / metü sutu čaγan ger-i činü
5710 | Osuldal ügei / qadaγalaγsan ..
5711 | Omurdal ügei küčün-iyen ögügsen .. /
5712 | Naratu edür törügsen ..
5713 | Naiman Čaγan Ger-i / qadaγalaγsan ..
5714 | Törü-yin töb.tümen-u aqa-a / boluγsan ..
5715 | Bolud temür jrüketü baγatur /
5716 | Ordus tümen činü ene büküi-ber / ajiyamu ∷
$58
581 | Öndür / yeke sirui-yi činu örüdegen tuluγsan ..
582 | Öegen qusqui-yi qabirγadaγan tuluγsan ..
583 | Köitün / γajar-a ayalan yabuqudu ..
584 | Kömüskel-tü mösü / kemelen yabuqudu ..
585 | Qulan görügesün-iyer qusara / beledčü ..
586 | Quluγar tarbaγan –iyar julm-a / beledčü ..
587 | Quduγ ousun-i maltan γarγaju .. /
588 | Qlaγayi-či degerem-e-yin terigün bolju ..
589 | Aru / degelbüri činü qadaγalaju ..
5810 | Altan kömürkeyi / činü sakin saγuγsan ..
5811 | Silbetü Oriyangqan / (NO.20) tümen činü tere büküi-ber / ajiyamu ∷
$59
591 | Čabčiqu / ildün-ü ir boluγsan ..
592 | Čargi duγulγ-a / tala boluγsan ..
593 | Begter quyaγ <quyar ?> -un ičeg boluγsan .. /
594 | Berke čerig-ün iregül boluγsan ..
595 | Erke beri-degen / ejelegülün yabuγsan ..
596 | Öndgüen čaγan <čaγ> činu beledün tataγsan .. /
597 | Öljeyitü naiman otuγ Qaračin Čaqar tümen činü / tere büküi-ber ajiyamu ∷
― 33 ―
$60
0601 | Erte iyaγur-ača küčün ögügsen .. /
0602 | Ene büküi Mongγol-un / körüngge boluγsan .. /
0603 | Uridu udum-a ača küčün ögügsen ..
0604 | Ulus Mongγol-un / körüngge boluγsan ..
0605 | Boruγun edür ese jisuγsan .. /
0606| Bodang edür ese tögürigsen ..
0607 | Boljuγsan edür-eče / ese qujiduγsan ..
0608 | Esegüner taraγ-un körünge boluγsan .. /
0609 | Töb yeke Yüngsiyebü tümen činü tere büküi-ber / ajiyamu ∷
$61
611 | Qangγai qan-i aru nutuγlan yabuju ..
612 | Qaritan Tayičiγud qadar dayisun-du činu qalq-a / boluγsan ..
613 | Qalaγun amin-du dösiy-e boluγsan .. /
614 | Ireküi-yin üjügür qaraquyin qaraγul boluγsan .. /
615 | Qalq-a tümen činü tere büküi-ber ajiyamu ∷ /
$62
621 | Altai-yin aru-yin
622 | Arban quyar söbes qadaγalaγsan .. /
623 | гarudi sibaγun-i jigür boluγsan ..
624 | Keriyetü qadasun / boluγsan ..
625 | Čibuqu čerig-ün segül boluγsan .. /
626 | Čuγlaqu dayisun-i bülüg boluγsan ..
627 | Oruqu-yin olja ..
628 | Гarquyin γanjuγ-a qadaγalaγsan .. /
629 | Aγula-yin obuγ-a
6210 | Dala-yin kösiy-e boluγsan .. /
6211 | Adaγ-yin maγu Arban Quyar Tömed
6212 | Albatu ulus / činu tere büküi-ber ajiyamu ∷
$63
631 | Boγda törügsen / ejen qatun ..
632 | Boγul bolγan alba abqu albatu / (NO.21) toγutu ..
633 | Jirγuγan yeke ebderesi ügei tümen / ulus činu tede büqüi-ber ajiyamu ∷
$64
641 | Ongγud . Barγud . Burayid +Burqad+ .
642 | Öskin . Küdekis . Toγud . / Uriyangqan..
643 | Telenggüs . Jorčad . Kirkis
644 | Bülüg / čülügi ulus činu tere büqüi-ber ajiyamu ∷ /
― 34 ―
$65
651 | Гuw-a sayiqan törügsen quyar okin-iyan qolban ..
652 | Quyitu otuγ nutuγlaγulju ..
653 | Quda anda bolun alba / abuγsan ..
654 | Döeben tümen Oyirad ulus činu / tere büküi-ber ajiyamu ∷
$66
0661 | Qaučin jobaju küčün / -iyen ögügsen ..
0662 | Qojid urid ese yabuγsan .. /
0663 | Quurčin Qasar . Böke Belgedeyi baγatur .. /
0664 | Qačiγun γurban degüner činü ..
0665 | Alban-iyan / ögegsen +ögügsen+
0666 | Quurčin terigün гurban Ongniγud ..
0667 | Quy-a / albatu činu tere büküi-ber ajiyamu ∷
$67
671 | Qajiyar / ügei γuu-a qulan-luγ-a ..
672 | Qoriγ-a ügei köke / činu-a-luγ-a ..
673 | Qayilaju čül γajar-a / nutuγlaγulju ..
674 | Jüyil büri körügesün-i angnan / gejü ..
675 | Kilγasun saγali sakiγulju ..
676 | Deresün genji / derelegüljü ..
677 | Tas-yin qar-a ..
678 | Čiwu-a-yin / köke .
679 | Abču ir-e gejü talbiγsan ..
6710 | Angčin Merkid ulus činu tere büküi-ber ajiyamu ∷ /
$68
681 | Narmai ulus-un čerig-iyen abun odaju ..
682 | Andayi / yeke mören-ü kijaγa-a kürčü ..
683 | Angčin neretü / qota-yi ejelen saγuju ..
684 | Nangkiyad Kitad ulus-un / alba-yi abun suγuju ..
685 | Naran <neretu> saran-u / gerel metü čulu-yi bey-e-dür-iyen
orusiγuluγsan ∷ /
686 | Altan tulγatu ..
687 | Alaγ aduγu-tu ..
688 | Mönggün bilegürtü /
689 | (NO.22) Bulaγan deglebür-tü ..
6810 | Qaliγun tuγurγ-a-tu ..
6811 | Aγar čaγar otuγ-tu ..
6812 | Bülüg čülügi / ulus-i ejelen törügsen ejen qatun ∷
― 35 ―
$69
691 | Eldeb / erdenis-iyer
692 | Eer-e čerig-ud-iyen čimegsen .. /
693 | Erdenitü törügsen ejen qatun ∷
$70
701 | Edür-yin činü / öčüg tutanamu gejü ..
702 | Sarayin činu takil tutanamu / gejü ..
703 | Toyiγ-yin činegen <činggis> toluγai geji .. /
704 | Toqui-yin bey-e bile geji ..
705 | Čaγasun činegen / arasun bile geji ..
706 | Čaγan kilaγan-a-yin činegen amin / bile geji ..
707 | Qutuli-yin činegen toluγai bile geji .. /
708 | Quursun-i činegen amin bile geji ..
$71
711 | Yeitinčü-yin / degetü ejen qatun ..
712 | Yerü bügüdegei mörgün saγunam ∷ /
713 | Yerügkeyi-yin sitügen boluγsan čimadu
714 | Yeke / soyurqal-i čini erin saγunam ..
$72
721 | Čambutib-un / degedü ejen qatun ∷
722 | Čargi quγur kög daγun-i / čini ködelgen saγunam ..
723 | Čab aldar yeke ner-e / -yi daγurisqan saγunam ..
724 | Čaγ-iyar alban dakil / -i čini dakin saγunam ∷
725 | Čaγlasi ügei yeke / soyurqal-i čini erin saγunam ..
$73
731 | Qoduγtu törügsen / ejen qatun .. emüne čini ..
732 | Qural čiγulγan-i čini / čuγlan saγunam ..
733 | Qotula yeke soyurqal-i čini erin / saγunam ..
$74
741 | Narmayin degedü ejen qatun ..
742 | Nasun büri / altan bey-e-yi činü següder bolun ..
743 | Albatu aγul / ačinar činu mörgün saγunam ..
744 | Narmayi ulus-i elbeg / soyurq-a ..
745 | Nasun jil-dü kürgen soyurq-a ..
746 | Naγasi / qanduju ibegen soyurq-a ..
$75
751 | Qamuγ-un degedü / ejen qatun ..
752 | Qan aγul ačinar činu mörgün / saγunam ..
― 36 ―
753 | Qari dayisun-i qamaγalun ög ..
754 | (No.23)Qara sanaγatu-yi boγunidqan ög ..
755 | Qamuγ / ulus-i nemen ög ..
756 | Qan ner-e čulu-du / kürgen ög ..
$76
761 | Erdeni-tü törügsen ejen qatun ∷ /
762 | Ene öčig-i örüsiyen soyurq-a ..
763 | Silitü / küjügün-iyen sunun saγunam ..
764 | Suqui-yi qaraqula .. /
765 | Sutu törügsen ejen qatun ..
766 | Soyurqan gegen jarliγ-i činu medetügei ∷
Ödke-yin yeke öčig tegüsbe ∷ ..
― 37 ―
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チンギス・ハーン祭祀の『金書』に関する一考察
2011年11月
第1版第1刷発行
非売品
編集・発行 : 富士ゼロックス小林節太郎記念基金
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号
電話 03-6271-4368
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