戦時経済と革新の構想
ー笠信太郎と柴田敬ー
「東亜の統一は欧米の帝国主義の覊絆から支那が解放
されることによって可能になる・・・もとより、日
本が欧米諸国に代わってみづから帝国主義的侵略を
行うというのであっては成らぬ。却って日本自身も
今次の事変を契機として、資本主義経済の営利主義
を超えた新しい制度に進むことが要求されている。
資本主義の問題の解決は、現在の世界のすべての国
にとって最も重要な課題である。それ故に支那事変
の意義は、時間的に言えば資本主義の問題の解決に
あると言わねばならぬ。」
(昭和研究会『新日本の思想原
理』)
「昭和研究会」から「新体制運動」へ
1935年 「昭和研究会」を設立
1937年6月 第一次近衛文麿内閣(-1939.1)
7月 蘆溝橋事件、8月上海事変
→日中全面戦争へ 9月臨時資金調整法など
10月 国民精神総動員運動、企画院設立
1938年1月「爾後国民政府を対手とせず」、2月「長期持久」3
月国家総動員法、11月「東亜新秩序建設」声明
11月総動員法第11条発動をめぐって軍部と財界対立
1939年7月国民徴用令、10月価格等統制令、『日本経済の再
編成』
1940年 新体制運動
1940年7月 第二次近衛内閣、10月大政翼賛会、11月産業
報国会、昭和研究会解散
笠信太郎と「日本経済の再編成」
「利潤統制を通して資本主義経済における自由主義的側面が排
除されることによって、経済活動の本来的な目的が次第に表
面化してくるからである。即ち『生産』が純粋な形で取上げ
られる。それは生産的活動という企業経営の国家的社会的な
『職能』を純粋な形でとり上げてくる。ここに『生産』を本
位とし『職能』を産業的な活動の足場とする制度が、同じく
資本主義経済として成立する。それは監督されたる資本主義
経済ではなく、資本主義経済としての一個の新しい制度であ
る。この制度の内部にあって企業家的活動が十分自主的に伸
べられねばならぬのであって、その意味で強いていえば、統
制の形態は全く『自主統制』であるということになるが、す
でにそこまで行けば『自主』ということも『統制』という言
葉も、むしろふさわしくないことになろう。それ自体が一個
の自己運行的なシステムであるからである。」
笠信太郎『日本経済の再編成』をめぐって
協同主義=経済と倫理の内面的統一=「内からの統制」
「資本と経営の分離」「経理公開・技術独占の開放」
「生産本位の企業体制」への移行
・昭和研究会経済部門「日本経済再編成試案」(有沢
広巳執筆)1939年はじめ
・革新官僚の「経済新体制」立案のための利用(官僚
統制の実施体制)
・実業界、観念右翼による攻撃
(偽装転向か?)
・企業者職能の解放(東畑精一)
柴田敬の「共同的全体主義」
• 1936-38 在外研究(欧米)
• 1939年末 『日本経済革新案大綱』執筆、公刊は翌年9月
• 1940年夏 京都で「新体制研究会」を発足させる
「企業新体制」
1.資本家から企業指導者の任免権をとりあげる(「産報的企業
指導能力」によって選定。)
2.利潤は「労務者(企業指導者を含む)」に配当されるが、国家
的査定に付される
3.「労務の提供者としての資格に於ける人によって構成される
社団法人」(資本および土地の提供者は利子収入を保障され
る)
「中間指導機関新体制」/「中央官庁新体制」/「東亜経済新体制」
共同的全体主義の経済理論
「いまもし何れかの生産要素(例えば物的資本
用役)の供給の屈伸性が零であり、其他の生産
要素(例えば労働)の供給の屈伸性が零以上で
あるとするならば、いやしくも後者の生産要素
の限界生産力が零でない限り、前者の生産要素
の価格をその限界生産力以下に引き下げ、それ
によって生ずる財源をもって後者の生産要素の
価格をその限界生産力以上に引き上げ依って以
て其の後者の生産要素の供給量を増加せしめる
ことによって全体としての純産物の生産量を増
加しうるであろうことは、容易に推論され
る。」
『経済原論』273-74ページ
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戦時経済と反資本主義的改革 ー笠信太郎と柴田敬ー