産業技術総合研究所
物性統計科
熱物性標準研究室
2005 年 5 月 24 日
ピコ秒サーモリフレクタンス法を用いた薄膜熱物性計測技術
Thermophysical Property Measurements of Thin Films
Using a Picosecond Thermoreflectance Technique
竹歳 尚之
(産業技術総合研究所 計測標準研究部門)
1序論
近年の科学技術の進展に伴い、厚さサブマイクロメートル以下の薄膜に対する熱物性値が求め
られるようになってきた。これらの情報はエロクトロニクス分野においては、光・光磁気ディス
ク等の記録メディア、相変化メモリ、半導体素子の集積度の向上、作動速度の高速化を実現する
ための熱設計のために不可欠である。
例えば DVD-RAM は最近パソコンの記録媒体、映像記録に用いられている次世代メディアで
あり、光源の短波長化により高密度化が進んでいる。読み書き可能な DVD-RAM は厚さ数十ナノ
メートルの GeSbTe の記録層を含む多層構造を形成しており、記録は記録層が結晶相のときとア
モルファス相のときで読み出しレーザー光に対する反射率が異なることに基づいて行われる。加
熱レーザー光の強度を制御して記録層を融点まで加熱した後に急冷するとアモルファス相になり、
結晶化温度以上融点未満の加熱に留めると結晶相となる。従って、情報の記録速度や記録密度は
記録層の熱物性値のみならず多層構造を構成する他の薄膜と基板の熱物性値に依存する。これら
を構成する微小な各素材の熱物性値の測定は、一般的にバルク材料の測定に比べて難しい。
本研究では薄膜の熱物性値を計測する技術の研究を進め、厚さサブマイクロメートルオーダー
の薄膜の熱物性値を計測可能な、
「ピコ秒サーモリフレクタンス法薄膜熱拡散率測定装置」を開発
した。開発した測定システムの発展を述べるとともに標準的な金属薄膜試料の膜厚方向の熱拡散
率を測定した結果について述べる。
2ピコ秒サーモリフレクタンス法の原理
膜厚が 100 nm 程度の場合、膜の厚さ方向に熱が伝わる時間は数 100 ps 程度であるので、薄膜
の熱拡散率を測定するためには、高速に加熱する技術と高速に測温する技術が必要となる。ピコ
秒サーモリフレクタンス法では、薄膜表面を高速に加熱するためにピコ秒パルスレーザーを用い、
高速な温度変化を検出するためにサーモリフレクタンス法を用いる。一般的に材料表面の反射率
R は表面温度に依存して変化し、その大きさは dR/R~10-4 K-1 程度であり、温度変化が数十 K の
範囲ならば反射率の変化は温度変化に比例すると見なせる。サーモリフレクタンス法では表面か
ら反射される光の強度を測定することにより表面温度の変化を検出する。測温用の光源としてパ
ルスレーザーを用いれば、パルス幅の時間分解能で測温可能である。ピコ秒サーモリフレクタン
ス法では加熱と測温双方にピコ秒パルスレーザーを用いる。
この方法では加熱用パルスのエネルギーの一部が試料表面近傍で吸収されるところから始まる。
試料が金属の場合、加熱光の波長が近赤外から可視の範囲ならば表面近傍約十数ナノメートルの
-1-
図 1:ピコ秒サーモリフレクタンス法の原理図、左が表面加熱・表面測温型、右が裏面加熱・表面測温型。
範囲に指数関数的な分布で吸収され、光エネルギー分布に比例する初期温度分布を形成する。こ
の熱は薄膜内部に拡散し、それに伴う薄膜表面の温度減衰は数 100 ps の時間領域にわたり、サー
モリフレクタンス法により測定される。
温度変化を観察する際、図 2(a),(b)に示すように大別して 2 つの配置がある。一つは表面加熱・
表面測温型(Front heating Front detection = FF 型)[1]、もう一つは裏面加熱・表面測温型(Rear
Heating Front Detection = RF 型)[2]である。
従来のピコ秒サーモリフレクタンス法による計測においては、加熱光と測温光は、薄膜の同じ
側で同一位置に集光される FF 型が大半である。この FF 型では試料をパルス加熱した後の温度減
衰曲線から薄膜の熱物性値が算出される。パルス加熱直後の温度減衰曲線は加熱パルス光の吸収
係数αと薄膜の熱拡散率κf で特徴付けられ、その特性時間τi は τ i = 1/ κ f α 2 と表される。薄膜表面か
ら測定しているので基板の種類を選ばない。
一方、薄膜が透明基板の上に形成されるならば、透明基板を通して薄膜/基板界面を加熱し薄膜
表面の温度を観測するか、その逆の配置にすることにより、図 2(b)に示すようにマクロな材料に
対するレーザーフラッシュ法と同様の配置でピコ秒サーモリフレクタンス法を適用できる。この
RF 型配置では、薄膜を横切る熱エネルギー移動の直接観察が可能となる。膜を横切る時間τf は膜
厚 d と熱拡散率κf で特徴付けられ τ f = d 2 / κ f と表される。
加熱パルス光の浸透深さを考慮すると FF 型、RF 型それぞれの表面温度応答は膜厚方向の熱拡
散が支配的である場合、以下の式で表される[5]。
TFF (t ) = ∆T

 τ
τf
τ 
t  ∞
t 
exp   ∑ γ n exp  2n f  erfc  n f +





τi
τ
τ
t
i
i
 τ i  n =−∞




(1)
TRF (t ) = ∆T

 2n − 1 τ f
τf
τf 
t  ∞ n
t 
+
exp   ∑ γ exp  ( 2n − 1)
 erfc 



 2

t
τi
τ
τ
i
i
 τ i  n =−∞




(2)
ここで∆T=Q/Cd で Q は単位加熱パルス当たりの吸収されるエネルギー密度、C は単位体積あた
りの薄膜の熱容量、erfc(x)は補誤差関数である。γは鏡像法で解釈すると、仮想熱源の温度振幅係
数に対応し、以下の式で表される。
γ=
1− β
1+ β
(3)
-2-
AOM
PBS2
Monitor
λ/2
Heating beam
Picosecond
Ti/Sapphire laser
PBS1
λ/2
LD pump laser
CCD
Monitor
Folding
Mirror
AOM
Driver
Probe beam
Function
Generator
CCD
Pre-Amp
PC
Digital
Multi Meter
Lock-in Amp
Photo diode
図 2 ピコ秒サーモリフレクタンス法薄膜熱物性計測システムのブロック図
ここでβは薄膜に対する基板の熱浸透率比 bs/bf で、熱浸透率 b は C κ で定義される。
3計測システム
図 2 に RF 型配置におけるピコ秒サーモリフレクタンス薄膜膜熱拡散率計測システムのブロッ
ク図を示す。加熱光および測温光としてモードロックチタン・サファイアレーザーを用いた。パ
ルス幅 2 ps、繰り返し周波数 76 MHz 、平均最大出力 750 mW 、波長は 720 nm から 810 nm ま
で可変である。
発振したピコ秒レーザーパルスは偏光ビームスプリッタ図 2 内 PBS2 で加熱パルス光と測温パ
ルス光に分離される。加熱光は音響光変調器で 1MHz の周波数で強度変調を受けた後、直角プリ
ズムの設置された遅延ラインを通り、100 µm のスポット径で基板側の薄膜表面に集光される。折
り返しミラーは、150 mm の距離にわたって移動できる。一方測温光は、50 µm のスポット径で加
熱された領域の正反対側の薄膜表面上に集光される。
試料表面で反射した測温光は、シリコンフォトダイオードで検出される。そのうちの加熱光の
ックインアンプによって検出される。サーモリ
フレクタンス信号の時間変化は、遅延ラインに
沿って直角プリズムを動かし、加熱光に対する
測温光の試料到達時間の遅れを制御すること
で記録される。加熱光の浸透深さはエリプソメ
ータによって計測される光学定数から算出さ
れる。
Normalized temperature increase
変調周波数に同期した測温光の交流成分が、ロ
1
50 nm
100 nm
500 nm
0
0
4計測例
20
40
60
80
Delay time (ps)
同一の成膜条件で膜厚のみを変えたときの
サーモリフレクタンス信号を調べた[4]。図 3
-3-
図 3 FF 型配置で測定したガラス基板上にスパッ
タ成膜したアルミニウム薄膜のサーモリフレクタ
ンス信号。
はピコ秒サーモリフレクタンス法により厚さ 0.5 mm のパイレックス 7740 ガラス基板上にマグネ
トロン DC スパッタリングで成膜された膜厚の異なる 3 種類のアルミニウム薄膜の表面温度を観
測した結果である。
膜厚 500 nm の試料ではパルス加熱後 80 ps までには熱は基板まで到達せず、観測された表面温
度変化はアルミニウム薄膜内部の熱の拡散に対応している。一方、膜厚が 100 nm の試料では、パ
ルス加熱後 30 ps 程度で温度変化の速度が低下し、膜厚 500 nm の場合と乖離していく。これはガ
ラス基板の熱浸透率がアルミニウム薄膜の熱浸透率に比べて小さい(バルクのアルミニウムの物
性値と比較すると、20 分の 1 程度)ので、熱が基板まで到達すると基板方向への熱浸透が抑制さ
れ、薄膜内部の温度が下がりにくくなるためである。さらに薄い膜厚が 50 nm の薄膜では、加熱
直後から基板への熱浸透の影響を受け、アルミニウム薄膜内部の熱拡散の寄与を分離して観測す
ることはできない。このように同一成膜条件の試料で系統的に膜厚を変化させて薄膜表面の温度
履歴曲線が基板の影響を受けている様子を観測したのは世界で初めてである。
次に RF 型配置で測定した例を示す。薄膜試料として厚さ 100 nm のモリブデン薄膜とアルミニ
ウム薄膜を使用した。成膜はパイレックス 7740 のガラス基板上にマグネトロン DC スパッタリン
グにより行った。図 4 に室温におけるアルミ薄膜とモリブデン薄膜のサーモリフレクタンス信号
を示す。本システムで測定されるサーモリフレクタンス信号の時間変化は、バルク円板状試料に
対するレーザーフラッシュ法の温度応答に類似している。
Drude 理論の範囲内では電子格子衝突時間τep は、バルクの電気伝導率を表す次式の関係から計
算できる。
σ=
ne e 2τ ep
(3)
m
ここで、ne は電子密度、m は電子の質量、σは電気伝導率である。バルクの電気伝導率から計算
される衝突時間は、バルクのアルミニウムに対して 8 fs であり、バルクのモリブデンに対しては
11 fs である。電子の平均自由行程は、フェルミ速度と、衝突時間τep から計算できて、室温ではア
ルミニウムに対して 16 nm、モリブデンに対して 15 nm である。平均自由行程は膜厚 100 nm に対
して十分短いので、拡散過程がバリスティックな伝導より支配的であると考えられる。我々が測
定したピコ秒パルス加熱後のサーモリフレクタンス信号は、電子またはフォノンのバリスティッ
面温度変化として定式化可能であることを
示している。算出された膜厚方向の熱拡散率
はアルミニウム薄膜が 9.4×10-5m2s-1、モリブ
-5
2 -1
デンが 4.7×10 m s であり、これらの値は
バルク材料に対する熱拡散率に近い値であ
った。
また、
室温下の金属では Wiedemann-Franz
則により電気伝導率と熱伝導率の比が一定
であることが知られていることから面内電
Normalized thermoreflectance
クな輸送ではなく、熱がフーリエ則に従って薄膜/基板界面から薄膜表面へ拡散することによる表
1.0
Mo
0.5
0.0
-50
気抵抗率を四探針法で測定したところ、バル
0
50
100
150
200
Time delay /ps
ク材料の電気抵抗率に対して約 30%であっ
た。一般的に比熱容量や密度は構造敏感では
Al
図 4 RF 型配置で測定したガラス基板上にスパッタ
成膜したモリブデン薄膜とアルミニウム薄膜
-4-
ないことから、膜の構造に起因して熱拡散率が面内方向と膜厚方向で異なることを示唆している。
5位相検出法(ホモダイン検出法)の開発
試料表面の温度変化は測温光の反射率変化によって測定されるが、その変化量は 10-4K-1 程度と
微小であるために、繰り返し発振される加熱光パルスに強度変調を加え、強度変調に同期した振
幅成分がロックインアンプにより検出される。我々は新たにロックイン出力の位相成分に注目し
たところ、単一パルス光の表面温度変化に比例して位相が変化し、振幅成分より優れた安定性、
SN 比、再現性を持つことを見出した[5]。
図 5 に膜厚の公称値が 75, 120, 200 nm のモリブデンをパイレックス 7740 ガラス基板上にスパ
ッタ成膜した試料に対する温度応答を示す。図 5 から明らかなように遅延時間に対する応答は位
相成分のほうが振幅成分より雑音が小さく、形はバルク材料に対するレーザーフラッシュ法の温
度応答曲線と相似である。特に膜厚が 200 nm の場合は、振幅成分ではドリフト成分に重なり、有
意な熱的応答が観測されなかったにも関わらず、位相応答では熱的応答のみならず音響パルスの
エコーと考えられる信号まで観測された。位相成分を用いてパルス加熱による温度応答式に基づ
いて熱拡散率を計算すると、熱拡散率は 75, 120, 200 nm に対し、それぞれ 5.7×10-5 m2s-1、5.9×10-5
m2s-1、4.0×10-5 m2s-1であり、ばらつきはあるがバルクのモリブデンの熱拡散率 5.4×10-5 m2s-1に近
い値になった。
位相成分にもパルス加熱に対する温度応答が含まれる原因は、連続して照射されるパルス加熱
の寄与を考えることにより説明できる。あるパルス加熱による温度変化が次の加熱パルスが到着
するまでに初期温度レベルに戻らない場合、図 6-(a)に示すような強度変調されたパルス列に対す
る薄膜表面の温度応答は繰り返しパルスを照射することで薄膜内部に熱が貯まり、図 6(b)に示す
温度応答になると考えられる。このとき反射後の測温パルス列は図 6(c)に示され、その包絡線は
図 6(d)となる。この包絡線の示す信号は、遅延時間 tpp に依存して変化する成分(図 6(e)中の方形
波)と遅延に依らない自発的に生成された信号(図 6(e)中の三角波)の重ね合わせとみなせる。
図 6 においては方形波で変調しているが、以後一般化して正弦的な周期変調で考えると、ロッ
クインアンプの出力は自発的に生成された「参照信号」とパルス加熱による温度上昇の重ね合わ
12
-35
200 nm
Phase / degree
Amplitude /a.u.
-40
10
120 nm
8
75 nm
70 nm
-45
120 nm
-50
-55
200 nm
-60
6
-65
0
100
200
300
400
500
600
0
Delay time /ps
100
200
300
400
500
Delay time /ps
図 5 モリブデン薄膜のサーモリフレクタンス信号。左が振幅成分の信号、右側が位相成分の信号
-5-
600
せとして次式で表される。
∆T (t pp )


cos ωt 
A cos(ωt − θ ) = M δT cos(ωt − θ 0 ) +
2


(4)
ここで A とθはそれぞれ、ロックイン出力の振幅成分と加熱光の強度変調に対する位相遅れで
ある。(4)式から、
「参照信号」の変調された加熱光に対する位相遅れθ0、θ0に対するロックイン出
力の位相変化φ=θ0−θ、そしてロックイン出力の振幅Αは、∆T<<T0 の場合、下記の式で表される。
tan(φ ) =
∆T (t pp ) sin θ 0
2δT
∆T (t pp )


A≈ M δT +
cosθ 0 
2


(5)
2π /ω ,1µs
(6)
(5)式において、
「参照信号」に対するロ
(a)Modulated pump
pulses
2 ps
τ, 13 ns
t
ックイン出力の位相変化は、「参照信号」
の振幅δT に対するパルス加熱による温度
(b)Temperature rise
t
上昇∆T(tpp)の比で表されるので、加熱光並
びに測温光強度を含む比例係数 M が相殺
される。そのため、加熱光または測温光に
含まれるドリフトや雑音に大きく左右さ
(c)Reflected probe
pulses
tPP
れることはない。一方(6)式で示される振幅
t
成分は、比例係数 M が残るので出力信号
∝∆T(tpp)
は加熱光強度並びに測温光の強度揺らぎ
に対して敏感である。
(d)Envelop of the
reflected probe pulses
周期的に変化する微小信号を検出する
“Reference”
ために同一周期の信号を重畳して検出す
t
る方法は一般にホモダイン検出法と呼ば
∝∆T(tpp)
れており、光通信分野では一般的に用いら
れる手法であるが、自発的に参照信号が生
成される点が考案した方法の特徴である。
この位相成分を用いた測定方法は安定性
(e)Square wave
component and
triangular wave
component
“Reference”
と SN 比に優れていることから、応答時間
t
の長い多層膜材料や低熱伝導材料等の熱
物性測定に有効である。また、薄膜熱物性
図 6 位相検出法の原理概念図
測定のみならず超短パルスレーザーを用
いた微小時間内の過渡応答測定一般に適
用可能であり、応用範囲の拡大が期待される。
6電気遅延計測システムの開発
これまでの RF 型測定システムの開発、ホモダイン検出法の考案により、薄膜を横切る熱エネ
ルギーの移動を再現性良く観測できるようになったが、観測時間領域が可変遅延ラインの可動距
離によって制限されており、現状の装置では 1 ns が最大であった。そのため、低熱伝導材料や 200
-6-
AOM
Pump
Picosecond
Ti/Sapphire laser
AOM
Picosecond
Ti/Sapphire laser
Specimen
Probe
Specimen
Picosecond
Ti/Sapphire laser
Probe
Retroreflector
Pump
Picosecond
Ti/Sapphire laser
Picosecond
Ti/Sapphire laser
Detector
Detector
Translation stage
図 7 光学遅延方式の装置ブロック図(左)と電気遅延方式の装置ブロック図(右)
nm より厚い金属薄膜や多層薄膜では、温度応答曲線の全体像を把握することが困難となり、測定
対象が制約されていた。この制約を取り除くため、2 台のピコ秒パルスレーザーを用い、遅延時
間を電気的に制御する計測システムを開発した。図 7 に従来の装置と新たに開発された実験装置
のブロック図を示す。従来のピコ秒サーモリフレクタンス法では一台のピコ秒パルスレーザーか
らの光を偏光ビームスプリッタで加熱光と測温光に分離して用いていた。一方新たに開発した電
気遅延型では、測定対象を加熱する加熱用ピコ秒チタン・サファイアレーザーと、測温用ピコ秒
チタン・サファイアレーザーの2台を用意し、加熱パルス光の試料照射時に対する測温用パルス
光の試料到達時刻の差を電気的に制御することにより、励起パルス光と測温パルス光の時間差に
依存して変化する信号を検出する。2 台のピコ秒チタン・サファイアレーザーのパルス幅は共に 2
ps であり、発振周波数は 76 MHz (繰り返し周期 13.2 ns)である。
遅延時間を制御するためには 2 台のパルスレーザーが等しい繰返し周波数でパルスを発振して
いる必要がある。そこでピコ秒チタン・サファイアレーザーのパルス発振周波数を 76 MHz で一
定に維持するために、外部から 76 MHz の正弦波形の参照信号を基準にして共振器長を一定に保
つ。
温度変化に比例したサーモリフレクタンス信号の時間変化は、加熱光に対する測温光の試料到
達時間の遅れを電気的に制御することで記録される。この加熱パルス光に対する測温パルス光の
遅延時間制御は、加熱パルスレーザーの共振器長制御に用いる信号発生器からの 76 MHz の正弦
信号と測温パルスレーザーの共振器長制御に用いる信号発生器からの 76 MHz の正弦信号の位相
差を制御することによって実現される。76 MHz の正弦信号におけるπ/10 の位相差は 658 ピコ秒
の遅延時間に対応する。
従来の計測技術より長い遅延時間で観測が可能であることを検証するために、ガラス基板上に
スパッタにより成膜された厚さの公称値が 140、200、300 nm のタングステン薄膜を用意し、開発
した電気遅延システムで測定を行った。
図 8 に測定されたピコ秒サーモリフレクタンス信号を示す。上から膜厚の公称値が 140, 200,
300 nm のタングステン薄膜の温度応答を示している。横軸は測温光の加熱光に対する遅延時間
を示し、縦軸はロックインアンプの信号出力の位相成分を示す。測定した遅延時間領域は 65 ns
であり、信号発生器間の位相差に換算すると約 10πに相当する。図 8 から明らかなように加熱光
パルスの繰り返し周期(1/76 MHz=13.2 ns)でパルス加熱に対する温度応答が繰り返される様子が
-7-
T h erm orfle ctan ce sign al / a .u .
T h e rm o reflecta n ce sig na l / a.u.
2
140 nm
1
200 nm
0
300 nm
-1
0
10
20
30
40
50
2
140 nm
1
200 nm
0
300 nm
-1
0
60
2
4
6
8
10
12
Delay /ns
Delay / ns
図 8 電気遅延方式で測定したタングステン薄膜のサーモリフレクタンス信号。観測時間領域 65 ns
(左)と 13.2 ns(右)。
観測されており、光学的遅延では困難なパルス光の発振周期以上の時間領域に対して温度応答を
観測することに成功した。
バルク材料に対するレーザーフラッシュ法と異なる点は、最大試料温度上昇を迎えた後にほぼ
直線的に戻ることである。これはロックインアンプで測定しているために遅延時間をパルスの繰
り返し周期だけシフトさせても相対的な遅延関係に変化しないことに由来する。見かけの温度応
答から、断熱薄膜に対する温度応答のほかに単位時間当たり一定の熱量が基板に奪われることに
よる温度の減少があると仮定し、パルスの繰返し周期分の時間領域の見掛けの温度応答に対して
カーブフィッティングした結果を図 9 に示す。この仮定の基に算出された厚さ 300 nm のタングス
Thermoreflatnce signal / a.u.
テン薄膜の熱拡散率は 2.6×10-5m2s-1 であり、バルクのタングステンに対して 39 %であった。
1.0
0.5
0.0
0
2
4
6
8
10
12
Delay /ns
図 9:観測される温度応答と直線的な寄与を差引いた後の温度応答。断熱薄膜に対する温度応
答に近い温度履歴曲線となる。
-8-
7薄膜熱拡散率と構造との相関
前節までの装置の改良により測定可能な対象が広がり、ピコ秒サーモリフレクタンス法による
薄膜熱拡散率測定の要素技術はほぼ確立されたと言ってよい。改善された本計測システムを用い
て成膜条件の異なる薄膜を 2 種類用意し、熱拡散率と構造との相関を調べた。成膜条件の異なる
薄膜として、DC スパッタリングにより成膜したモリブデン薄膜と RF スパッタリングにより成膜
した薄膜を準備した。どちらも膜厚の公称値は 100 nm で、基板は厚さ 1 mm の Pyrex7740 ガラス
である。成膜時の基板温度はどちらも室温で行った。
成膜した薄膜の波長 780 nm における光学定数はエリプソメータで測定し、膜厚は触針式の粗さ
計を用いて測定した。表に成膜した薄膜の光学定数、光学定数から算出された浸透深さ、膜厚を
示す。
DC スパッタ Mo 膜及び RF スパッタ Mo 膜のサーモリフレクタンス信号を図 10 に示す。装置
から直接観測されるサーモリフレクタンス信号は、周期的なパルス加熱のために直線的に初期温
度に復帰する信号であるが、表示されたサーモリフレクタンス信号は前節で考察した直線的に温
1.2
1.0
(a)
0.8
0.6
0.4
DC sputtered Mo 97 nm
0.2
0.0
-0.2
0.0
0.1
0.2
0.3
0.4
Normalized thermoreflectance signal
Normalized thermoreflectance signal
度が復帰する寄与を差し引き、断熱薄膜の温度応答に変換したものである。
1.2
1.0
(b)
0.8
0.6
0.4
RF sputtered Mo 106 nm
0.2
0.0
-0.2
0
1
2
3
Delay / ns
Delay / ns
図 10 異なる成膜条件でスパッタされたモリブデン薄膜のサーモリフレクタンス信号。(a).DC スパッタで成膜
されたモリブデン薄膜。(b)RF スパッタで成膜されたモリブデン薄膜。
(a)
(b)
Mo
Mo
Glass substrate
図 10
TEM 断面像
50 nm
Glass substrate
50 nm
(a) DC スパッタされたモリブデン薄膜. (b) RF スパッタされたモリブデン薄膜。.
-9-
4
DC スパッタ成膜した薄膜の熱拡散率は 3.8×10-5 m2s-1で、バルクに対するモリブデン熱拡散率
の 71%、RF スパッタ成膜した薄膜の熱拡散率は 4.4 ×10-6 m2s-1で、バルクのモリブデンに対して
8%であった。この値は DC スパッタで成膜した薄膜の熱拡散率と比較しても 11%であった。
熱拡散率の値が大きく異なるので、膜質の違いを調べるために TEM 断面観察と X 線回折測定
を行った。
図 11 に TEM による断面像を示す。試料の一部を薄片化し、加速電圧 300 kV、倍率 500,000 倍
で観察した。DC スパッタ膜では直径約 20 nm から 30 nm 程度の柱状に膜厚方向に向かって成長
している様子が見られる。一方 RF スパッタ膜では明白な柱状構造は明確に観測されず、両薄膜
の構造が大きく異なることがわかる。
X 線回折装置を用いてθ−2θ法により測定した結果を図 12 に示す。試料は基板面と入射する X
線の角度がθになるように設置した。線源として CuΚα線(波長 1.5405×10-10m)を使用し、2θで
38°から 42°の間を 0.004°間隔で測定した。DC スパッタ膜、RF スパッタ膜の双方で(110)面に対応
するピークが現れたので、アモルファスではなく、結晶性の薄膜といえる。但しピーク位置も幅
も異なるので格子定数も結晶子サイズも異なることがわかる。
回折ピークの位置から算出した(110)面の
面間隔とピーク幅から算出した結晶粒サイ
Mo (110)
ズを表 1 に示す。比較のためバルクのモリブ
タ膜の格子定数はバルクの面間隔より大き
く、内部応力の存在を示唆している。
結晶粒サイズに注目すると、結晶粒サイズ
Intensity/cps
バルクの面間隔はほぼ等しいが、RF スパッ
Intensity / cps
デンの面間隔を併記した。DC スパッタ膜と
DC-sputtered
Mo 100 nm/Pyrex(DC)
600
600
400
400
Mo (110)
RF-sputtered
Mo 91 nm/Pyrex(RF)
200
200
が小さいほど熱拡散率が小さい。室温でのバ
0
38
38
ルクなモリブデンの平均自由行程は 15 nm
39
39
2θ
なので、RF スパッタ膜の場合には、結晶粒
界での電子の散乱が実効的な電子の平均自
由行程を短くし、熱拡散率が小さくなると考
えられる。一方 DC スパッタ膜の場合、結
表1
晶粒サイズは電子の平均自由行程よりや
Sample
いと考えられる。
8結論
42
42
Mo 薄膜の熱拡散率と面間隔、結晶子サイズ
Thermal
diffusivity
-5
2 -1
×10 m s
ているので、膜厚方向には熱が流れやすく、
その結果相対的にバルクの熱拡散率に近
41
41
図 12 X 線回折(θ・2θ) により観測された(110)面に
対応するピーク信号。低角度側が RF スパッタ膜に対
するピーク、高角度側が DC スパッタ膜に対するピ
ーク。
サイズが平均自由行程より小さいために粒
や大きく、しかも膜厚方向に柱状構造をし
40
40
/2θ/degree
degree
Surface
separation
of (110)
nm
Crystallite size
nm
DC
3.9
0.2225
25.2
RF
0.44
0.2274
9.8
Bulk
Mo
5.4
0.2224
サーモリフレクタンス法に基づき、
厚さ 1µm 以下の薄膜の熱拡散率を計測する技術を開発した。
本研究において開発した RF 型ピコ秒サーモリフレクタンス法薄膜熱拡散率計測システムは、従
来の FF 型計測システムに比べて吸収係数の影響が低減している。さらにホモダイン検出法の考
案により SN 比と安定性が飛躍的に改善され、電気遅延システムの開発により観測時間領域が 10
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倍以上広がった。これらの技術的進展により、これまで一部の金属薄膜にしか適用できないと考
えられていた本測定技術が、多様な薄膜に対して適用可能になった。これにより先端工業分野で
必要とされる厚さ 1µm 以下の薄膜の膜厚方向の熱物性値が測定可能になるのみならず、層間界面
熱抵抗の測定も可能となった。さらに薄膜の構造に起因する異方性や結晶子サイズなど欠陥との
相関が論じられるようになってきており、ナノスケールの熱輸送機構の解明に寄与することが期
待される。
参考文献
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Thin Films Using a Picosecond Thermoreflectance Technique” Jpn. J. Appl. Phys., Vol.38,
pp.L1268-L1271, (1999).
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picosecond thermoreflectance technique” High Temperatures High Pressures Vol.34, pp.19-28,
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metal thin films using a picosecond thermoreflectance technique” Meas. Sci. Tech.,
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spontaneously generated reference signal in picosecond thermoreflectance
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「ピコ秒サーモリフレクタンス法を用いた薄膜熱拡散率計測
[6] 竹歳尚之、馬場哲也、小野晃、
システムの開発(8)」 第 23 回日本熱物性シンポジウム(日本熱物性学会, 東京, 2002) pp.73-75
[7] 竹歳尚之、八木貴志、馬場哲也、小野晃、
「ピコ秒サーモリフレクタンス法を用いた薄膜熱
拡散率計測システムの開発(9)」 第 24 回日本熱物性シンポジウム(日本熱物性学会, 岡山,
2003) pp.73-75
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ピコ秒サーモリフレクタンス法を用いた薄膜熱物性計測技術