(29)
「表現」教育の社会化について(番外編)
実践記録・幼稚園での野外演劇ワークショップ
堀
切
和
雅
[キーワード]子ども,恐怖,演劇的体験,ワークショップ
1. 表現教育の桃源郷
岐阜県揖
市にある私立揖
幼稚園は,近年,表現教育をめぐる意欲的な取り
組みを行っている。1999年には,ピカソの「ゲルニカ」と同じ8m×35m のサ
イズの集団絵画「キッズゲルニカ」4点を,約6ヶ月かけて制作。これらは現在
も,各国を回って観覧に供されている。
年長児とはいえ,ひとつの絵に6ヶ月取り組ませるというのは,幼稚園では異
例のことだが,これは,造形作家でもある佐木謙介園長の,独特の指導法による
ところが大きい。
2002年には,美術家で,東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授の川俣正氏
を招いて,1週間にわたるワークショップを行った。美大生と園児と園のスタッ
フ,川俣氏が入り乱れて,金
や鋸をふるい,広い園 のあちこちに「秘密基地」
や「トンネル」
「大テーブル」などを造る作業をするのである。材料は,主に
築廃材が
われた。このワークショップと,それに伴って行われたシンポジウム
は,ブックレットにまとめられ,英訳もされて,きちんと記録として活きる形に
なっている。
2003年は,岐阜県立情報科学芸術アカデミー(IAM AS)教授,赤 正行氏に
よる,コンピュータを多数持ち込んでのワークショップ。キーボードは,踊りな
がら叩けるように改造され,紙コップで,園児ひとりひとり専用のスピーカーが
つくられ,ワークショップのために新しくつくったソフトで,子どもたちは音や
(30)
映像と遊ぶことを楽しんだ。
この記録もブックレット化され,また,2004年の発達心理学会で,シンポジウ
ム形式で発表されている。
表現教育をめぐっては,とかく,
「言葉で表現しにくい」とか,
「瞬間的に生成
する感動は,記録に残しにくい」
と嘆かれるが,この幼稚園は,表現教育活動を
できるかぎり記録し,反省の材料を残している。見識ある姿勢だと言えよう。
2. 「恐怖と向かい合う」
私と佐木夫妻(園長・副園長)が出会ったのは,共通の知人であった茂呂雄二・
筑波大学助教授(言語心理学・教育心理学)のはからいによる。茂呂氏は,近年
の揖
幼稚園の活動を,幼児の学習過程研究のフィールドにしており,私は,あ
る表現教育のブックレットづくりで,茂呂氏に原稿を依頼したことがある,とい
う関係だ。
佐木夫妻が東京にいらした際で,幼児の表現教育について意見の
換をした
いという趣旨だったのだが,お互いに意見が一致するところが多々あり,その後
何度かのメール
換で,2004年夏のワークショップを私が担当することに決
まった。
2004年4月には,まず幼稚園の立地や
劇団側としては単身で,揖
囲気を頭に入れておくために,私が,
を訪れた。茂呂雄二氏も,成立過程の記録のために
同行し,同じ目的で,早稲田大学人間科学部助教授の宮崎清孝氏
(認知心理学・
教育心理学)も参加された。
山を後背にした,実に広い園
である。園舎も,非常時の避難路を兼ねた螺旋
状のスロープを備えているなど,面白い。樹木の多い園
に配された,2002年の
「川俣ワークショップ」の遺跡である「秘密基地」や「トンネル」が目を引く。
さまざまな場で演劇をつくってきた身としては,これは面白いことができそう
だ,という感触をはっきりと感じる。
私はその場で,以前からイメージしていた「鬼」を,ひとつのテーマにするこ
(31)
秘
密
基
地
。
こ
こ
が
﹁
鬼
の
城
﹂
に
な
る
とに決めた。
その夜の話し合いは
面白かった。私が,
「保
育者が,鬼にさらわれ
るという筋立ては,子
どもにとって大
しょうか
夫で
」
と問うと,
副園長の佐木みどり氏
は,少し
えて,大
夫だと思います,と答え,いくつかの実践的な対策を述べられた。それは,さら
われるのがいまの担任だと,子どもたちにショックが大きすぎるので,去年の担
任がさらわれる,という設定にすること,また,怖がりやすい子にはあらかじめ
親についていてもらうこと,などで,なるほどと思った。
「恐怖と向かい合う」ことをテーマにした幼児劇がさかんなところとして,宮
崎氏は,スウェーデンやフィンランドなどの北欧の例を挙げられた。Lindqvist
や Hakkarainen の名が挙がり,日本ではなかなか手に入りにくいそれらの資料
について,後日シェアしていただくことが約された。
ほかに,子どもたちから生まれたセンテンスや単語を,何らかの身体の動き
(踊りなど)と結びつけた方が体験として深まりやすいこと,マントや腕輪な
ど,何らかの象徴的なものを介在させた方が,子どもたちが物語の世界に入りや
すいことなどが話し合われ,確認された。
保育者は,子どもたちの保護を任じつつも,完全にドラマの世界に入る。これ
も基本方針となった。そのために,保育者に「演技」に慣れてもらうための,ワー
クショップの計画も立てられた。
私は,5月中に,台本の元となる,プロットを提出することを約した。このド
ラマ・ワークショップは,劇団側が一方的に提供するプログラムではなく,園と
劇団,アドバイザーとしての研究者たちと共同してつくるものだからである。
私は劇作家ではあるが,このプロジェクトにおいては,自
の作家性を前面に
(32)
押し出したりはしない,そういう性質のものではない,と,すでに決意していた。
この,「1歩引きつつ全体の責任を持つ」姿勢が,後に,うまく働いていくこと
になる。
私の提出した物語を,読み聞かせ,そのイメージから子どもたちが描いた絵で
絵本を造る,という提案もした。その,子どもたちが描いた絵の写真を事前に
送ってもらって,当日の役者たちの扮装に採り入れれば,現実と虚構を往還する
フィードバックの構造をつくれることになる。こういう思いつきをすると,俄
然,楽しくなってくる。
3. チームづくり
ストーリーが確定したわけではないけれど,併行して進めなければならな
かったのが,出演者・スタッフのスケジュール確保だ。出演者にはギャラを支払
わなければならないので(いつもボランティアでは生きていけない)
,キャスト
の人数は,最低限の4人と
えた。自
の劇団
(と言っても劇団員として身
を
拘束しているわけではなく,一種のプロデュース集団),月夜果実店から,まず
2名を抽出した。現役の保育者でもある高野有実子(本学の卒業生)と,もとも
とは平田オリザ氏の「青年団」にいて,いまはフリーの俳優である大塚秀記氏で
ある。
あと2名は,子どもたちとのワークショップの経験が豊かな人材を,と
え
た。以前から知り合っていた,柏木 陽 氏を思い出した。彼は,故・如月小春氏
のところで俳優のキャリアを始めた人で,如月氏の跡を継ぐ形で,
「演劇百貨店」
という集団を主宰し,主に世田谷区内の小学
で,表現ワークショップを継続的
に行っている。対象が,小学生と幼稚園児という違いはあるが,基本的な勘どこ
ろのようなものは,彼からいくらか学べるかも知れない。
彼が根城としている世田谷パブリックシアターの2階の喫茶室で,待ち合わ
せる。話を聞いていると,この夏は,彼自身,
「姫路子どもの館」というところ
で,これは中学生中心の演劇ワークショップを任されているそうで,相当に多忙
(33)
なのだが,こちらの計画をお話しすると,大いにおもしろがってくれて,何とか
参加したい,ということになった。
もうひとつしなければならなかったのは,ギャランティーの話。私自身,その
時点で園側の予算の状況をすべて知っているわけではなかったが,ふんだんで
はないのは
ん
かっている。かといって,役者にはできるだけお礼をしたい
(ふだ
乏に耐えているだろうから)
。思い切って,
「1日いくらなら動けますか
」
と聞いてみた。
柏木さんの答えは,
「1日拘束あたり3万円」
「それ以下だと,僕の後に続く人
たちが,この仕事(ワークショップづくり)で生きていけないことになりますか
ら」
。と,至極明快。
それにしても,控えめな額だと思う。毎日仕事があるというわけにはいかない
し,ボーナスもないのだから。しかも,私は厳しくも,
「柏木さんのような,指
導者を兼ねる役者はその金額で,その他の役者はその半額」と決めさせていただ
いた。のちのち述べるように,演劇ものには他にもさまざまな経費がかかるもの
なので,抑え気味にしたのである。
柏木さんには,彼の仲間から役者をひとり選んでいただく(配役が未定なの
で,まだ男女も未定)こともお願いして,その日の会談は終わった。
4. 人選の工夫
キャストのめどがある程度ついたところで,4月中旬,柏木氏,作曲家の石川
泰氏,照明家の秋草清美氏,私,の4人で会合を持つことにした。私が揖
から
持ち帰った写真や図面などを元に,やろうとしていることを話し,技術的に何が
可能か,を確認し合う会議である。ここにも,過程の記録のため,茂呂雄二氏が
ビデオカメラを構えて参加した。
音楽の石川氏は,広い園
なので,そこに配線を張り巡らせてスピーカーを配
したりしたりするのは予算的に不可能だろうと
え,生楽器を持った人を茂み
の各所に潜ませて,音空間をつくる,という案を提示した。私は,見てきた園の
(34)
空間の夜の
囲気を思い出しながら,それは効果的だろうな,と思った。
照明については非常に難しかった。園
中にコードを
い回らせるのは,音響
の場合と同じく,またはさらに,コストがかかる。照明の灯体
(電灯部
)は200
ボルトの電圧を必要とするので,スピーカーコードの比ではないくらい,その電
線は太い。おおごとだ。お金がかかる。
「日の落ちる頃から夜にかけての,野外
演劇にしましょう」と園長夫妻らと盛り上がりながら,私は,内心青くなってい
た。
一応対案はあって,それは,園
と森を,保護者から集めた懐中電灯100本く
らいと,蝋燭と本火(実際のたき火)で照らしだそう,ということだった。本火
の扱いの難しさはあるが,その方が,鬼の出てきそうなムードが盛り上がりそう
な気がした。しかしその原案は,秋草氏によって拒否された。
「私は舞台照明家なので,灯体を扱うのには慣れていますが,懐中電灯で舞台照
明を構成したこともなければ,本火の扱いの経験もありません。そういう,自
がプロではない仕事でギャラをいただくことはできません」
職人肌なのである。彼女とは,劇団時代たびたび一緒に仕事をして,その頑固
さには時々閉口したものの,結果的に彼女が作り上げる美しく緻密な照明設計
には,舌を巻いていた。久しぶりに一緒にやりたい,と思って彼女に声をかけた
のだが,これは私のミスキャステイングであった。野外で,天候もどうなるのか
予想がつかないのだから,彼女のような繊細なタイプの明かりづくりをする人
にとっては,不確定要素が多すぎて仕事ができないだろう。その後いろいろあっ
たが,私は結局,照明家を代えることにした。
5. 筋書はできた
5月の末には,石川氏,新しい照明家の川本友氏(男性),それと私で,再び
揖
の現場を訪ねた。それ以前に,私は台本の概略である「プロット」を園側に
送って,大筋での了承を得ていた。今回は,それを具体化するための方法を,ス
タッフが
える機会になる。
(35)
石川氏は夕闇の園
で,持参したいろいろな楽器を鳴らして,その響きを確か
めたりしていた。よく聞くと,園には小振りの和太鼓が約30個あることがわか
り,ボランティアの保護者の方々に,繁みの中でそれらを打ち鳴らしていただ
く,という案が浮上した。
照明の川本氏は配電盤で電気の容量を確かめたり,懐中電灯で木立を照らし
て,
囲気を見たりしていた。
この先の話になると,筋書が
からないと理解しにくいかと思われるので,
以下に,少々長いが,6月半ばに園側に渡す約束だった,台本を掲げることにす
る。
***********************************
配役>
赤鬼
柏木陽
青鬼
大塚秀記
偽保育者1
高野有実子
偽保育者2
大西由紀子
楽士
石川
トリックスター
堀切和雅
泰
前段>
6月,7月
保育案に従って,次のような活動が展開される。
鬼の出てくるお話の読み聞かせ。
鬼のイメージが生まれてきたところで,子どもたちに鬼の絵を描いてもらう
活動。絵は,遊戯室に飾られていく。→それはデジタルフォトで堀切に送られ,
当日の鬼の扮装にフィードバックされる。
の壷の出現(遊戯室入り口脇の
言葉遊びから呪文の生成へ。
の上)
。
(36)
鬼遊びの展開と,鬼を食い止める約束事の成立。
「仲直りの歌」の流行←石川より音源が送られる。
*
*
*
本番>
8月5日,夜7時頃,夕闇が園
に充ちたころ。
子どもたちはあらかじめ,本園舎2階のあおぞら・たいよう・ほし,の部屋に,
けられている。グループは,普段のクラス通りではなく,クラスを3
割した,
それぞれ混合である。
少しややこしいが,実際に部屋に入っているのは,つき,ほし,うみ組の年長
児たちである。
あおぞら・たいよう・ほしの部屋では,限定された光の下,事前に積み上げら
れてきた,読み聞かせの続きが行われている。
そして,報せがもたらされる。前の年の担任の保育士さん3人が,鬼にさらわ
れたのだ。偽保育者1,偽保育者2が,各教室に飛び込みながら,
「大変だ
××先生と,○○先生と,△△先生が,さらわれました
」
というようなことを言う。
保育者「さらわれたって,何に
」
偽保育者1,偽保育者2「鬼に
」
とたんに,園
の方から,あるいは遠くの山の方から,どんどこどんどこ太鼓
の音が聞こえてくる。子どもたちは「えーっ
保育者「それで,
××先生たちは,どこに 」
」という状態になるであろう。
(37)
偽保育者「ずーっと向こうの,鬼の城に
といった情報が,子どもたちの発言も
」
えて,結局伝わればよい。
保育者「どーする,みんな,先生たちを助けに行く
」
たぶん子どもたちは「行く」と言うだろうし,そう積極的でなければ,せりふ
を,
「助けに行こう
」
というニュアンスに変える。
偽保育者「でも,いっぺんにみんなでは助けに行けません 」
保育者・子どもたち「どうして
」
偽保育者
「鬼の城に行く道は,とぉーっても細い道だからです
け闇を
そこは草を
けていくけもの道で,途中には狭いトンネルもあるのです
保育者「じゃあ,たいよう組さんのみんなから行こうか,いい
」
」「他のみんな
は,ここで待っていてね。先生たちの無事を,祈っていてね」
せりふはもちろん,こういう意味であれば良いのであって,細部はその場の空
気に合わせていかように変えても良い。これは,この劇全体に言えること。また,
最初がたいよう組でなくても,もちろんいい。佐木先生,子どもたちのタイプを
見て,順番を決めて下さい。
(38)
保育者「つき組のみんな,集まって
」
つき組の子が渋るようなら,偽保育者が,
「だいじょぶ
こわくない鬼だから
」
とか,ウソを言う。
あおぞら・たいよう・ほしの部屋から,それぞれつき組の子たちが抽出されて,
本園舎2階の外廊下で,いつものたいよう組ができあがる。
偽保育者
「さあ,皆さんそろいましたか
では,鬼の城に向けて出発です
最初に,みんなで,このスロープを降ります。さあ
」
と言って偽保育者は,ビニールシートでトンネルになったスロープに,さっさ
と入っていく。保育者は子どもたちを励まして続かせ,しんがりを勤める。
スロープを通り抜けた子どもたちは,いったん,遊戯室の前のちょっとした空
間に集まる。そこで保育者が言う。
「さあ,みんな,鬼をやっつけるのにはどうするの
」
「呪文,呪文」と,子どもたちが言ってくれればいいが,そうでなければ,保育
者が,「そう,呪文を唱えるんだったわね」と,助ける。
保育者「じゃあ,呪文の練習をしましょう
〒
」
「#&*@Ⓒ
」
子どもたち「#&*@Ⓒ
☆○
= 〒
」
☆○
=
(39)
保育者「⊆∈∝∽
≒≠∪⇒
子どもたち「⊆∈∝∽
∴
≒≠∪⇒
」
∴
」
と,一通り言えたところで,青鬼がいきなり現れる。*
青鬼「違う
」
偽保育者「な,なにが違うんですか
」
青鬼
「それだけでは,人間の世界の呪文に過ぎん。俺たち鬼と戦おうと思ったら,
その呪文に,もう一言,大事な言葉を付け加えなければならないのだ
偽保育者「大事な言葉って
」
」
青鬼「ふっふっふ。わしが教えるわけないだろう。自
で えるこったな
」
*もし,それ以前に,子どもたちが呪文を間違えたりした場合,青鬼の出て
くるタイミングはこれとは異なる。間違ったところで「違う 」と現れて,
訂正する。その訂正が間違っていたりして,それを子どもたちが訂正。こう
したところに笑いの契機も含ませるといい。しかし,それで笑いの空気がで
きかかったりすると,鬼が怒ったりする。怖さと親しさのあわい,という両
義的な線を維持する。
そう言って,青鬼は風のように去る(そして鬼の城に移動しておく)
,ちょっ
と戻ってきて,
「ひとつだけヒントを言っておこう。それは,最近いつの間にか
現れた,何かの入れ物の中にある。じゃあなっ」再び風のように去る。
(40)
偽保育者「なんだろう,大事な言葉って
保育者・子ども「なんだろう
」
」
偽保育者「最近現れた入れ物って言ったよ」
そこで,子どもたちが,ちょうど背後の壷の存在を思い出せばいいし,そうで
なければ,保育者が誘導する。子どもたちが気づいたら,開けてみようよ,とい
う方向に誘導する。
壷を高いところから降ろし,その中を覗くと,1本の巻紙が入っている。そこ
には,呪文の最後に付け足すべき,
「βγν
(事
λι
θ 」という言葉が書いてある。
前の遊びの中で,呪文が確定してから決める)
。
偽保育者「それじゃあ,もう一度言ってみよう。#&*@Ⓒ
〒
,⊆∈∝∽
≒≠∪⇒
子どもたち
「#&*@Ⓒ
∴
☆○
☆○
=
,βγν
λι
θ 」
= 〒
,⊆∈∝∽
≒≠∪⇒
∴
,
βγν
λι
θ 」
保育者または偽保育者
「さあ,みんな覚えたかな
この呪文を唱えると,鬼が
10秒間フリーズする(保育の中で決まった言い方に従って下さい)んだよ。その
間に,まず,
××先生を助けよう
「他の先生はどうするの
」
」と言った言葉が子どもたちから出てくればよい
が,出てこなければ,副園長先生か誰かが,
「え,じゃ,他の先生はどうするの
」
(41)
とフォロー。
偽保育者
「鬼の城からは,いちどにひとりずつしか助けられないのです。これは
遠い古代から決まっている掟。だから,××先生を助けるのが,たいよう組の任
務なのです
」
「さあ,みんな,出発だ
」
と,出てきたのは楽士。
「じゃあみんな,これから『勇気を出す歌』を教えるからね。こわくなったら,
この『勇気を出す歌』を歌うんだよ」
楽士は,簡単な,歌詞とメロディーを教える。そして一行は,歌いながら出発
する。例えば,
「♪こわくないったらこわくない,勇気をだーすーぞー」
まず,プールと東園舎の間を通る。プールは血の池のように染まっている。
プールサイドのパラソルは,ひとつ目の傘お化けになっている。突き当たり
(東
園舎の末端)
まで行くと,そこには,プラスチックの遊具が,いつもと違う青黒
い色に,ぼうっと光っている。そこを右に折れてゆくと,正門のそばの,大人は
かがまないと通れないところ。そこを通り過ぎると,園
の奥に,鬼の城,それ
を護る篝火がちらっと見える。
偽保育者「あぶない
鬼に見つかるよ
早くトンネルに,入って入って
」
と,子どもたちをトンネルに誘導する。トンネルには色とりどりのビニールが
(42)
外側からかけられ,照明効果で,中はふしぎに光っている。トンネルの内側にも,
ひもとか,布きれなどが垂れ下がっていて,子どもたちはそこでちょっとひとり
ひとりになる恐怖を味わう。
誘導は,出だしは保育者と偽保育者が同程度の強度で行っていたが,この辺に
なると,はっきりしたせりふで発言するのは主に偽保育者,それと楽士
(歩いて
いるうちに歌がとぎれ,子どもたちが尻込みするようなら,随時
『勇気を出す歌』
を歌わせる)
。本物の保育者は,小声でフォローする感じに。つまり,より,フィ
クションの世界が強まってくるということ。こわがりの子がいたら,その保護者
が,行列の中に入っていても良い。
子どもたちがトンネルを抜けると,夜の園
は,遠くに篝火が焚かれていたり
して,別世界である。そろそろと先生たちが捕らわれている「鬼の城」の方に行
こうとすると,横合いの方で,
「ボーン 」と,何か花火のようなものが上がる
(イメージ的な記述です。川本君よろしく)
。
『勇気を出す歌』を歌ったりしながら,子どもたちと保育者,偽保育者らは園
を横切っていくが,途中3 の1くらいのところで,顔を白黒に塗り
けた,ト
リックスターが現れる。
トリックスター「わはははははは。お前たち,
『鬼の城』に,何をしに行くのだ」
子どもたち,あるいは保育者ら「××先生を助けに行く
」
トリックスター「わはははははは。そうではないだろう。お前たちは鬼の城に,
自
たちを助けに行くのだ。結果的にはな。 からなくてもよろしい。でも,で
きるかな
先生を助ける
鬼は手強いぞ。鬼はお前たちの心の中にあるのだから。どうやって
」
子どもたち,あるいは保育者ら「呪文を唱えるのさ
」
(43)
トリックスター「さあて,うまくいくのかな
は,はっ
見てるとしよう。わははははは
」
そう言ってトリックスターは風のように去る。この,トリックスターの出現に
は大して意味はないが,鬼の城までの心理的な距離を稼ぐ効果があると思われ
る。
ついに子どもたちは,
「鬼の城」に着いた。先生たちは太縄で縛られている。
城には赤鬼と青鬼がいて,樹木の間からこちらを窺っていたり,かと思うと猿の
ように樹を揺すったりして,かなり怖い。
「な∼に∼し∼に∼き∼た∼
」と
か。
赤鬼と青鬼「な∼に∼し∼に∼き∼た∼
偽保育士「さあ,今だ
」
呪文を唱えるのよ,みんな
」
子どもたちは一斉に呪文を唱える。すると鬼たちは,苦しみ,もがき,シビレ
て倒れる。
偽保育士「いまのうちだ
鬼がシビレている間に××先生を助けよう
」
ここで,子どもたちが,鬼の城入り口の,一列でしか通れない木道を渡って行
けば,それでよし。その場合,
××先生以外の捕らわれ人をも子どもたちが助け
ようとしたら,偽保育者が,
「だめ
ちゃうの」
1回にひとりずつしか助けられないの。そうしないと鬼が生き返っ
(44)
などと言って,誘導する。
子どもたちが躊躇して木道を渡って行かない場合は,頃合いを見て鬼が目覚
める。
赤鬼
「う∼ん,なかなかキョーレツな呪文だ。子どもとはいえ,油断はできんな
そこで俺たち赤鬼青鬼は,取引を提案する」
青鬼「おう」
赤鬼「これから出すクイズに答えられたら,
××先生はお前たちに渡す。だがも
し答えられなかったら,
××先生は永遠に戻ってこない。それで良いか
」
子どもたちからはかばかしい返答が出なかったら,保育者と偽保育者で,
「そ
れしかないわね。みんな」という空気をつくる。
赤鬼「よーし
かったあ
それではクイズだ
は見えないもの,それは何
友達には見えるのに自
に
」
子どもたち「
(たぶん)…………。
」
青鬼「ヒントは,
『鏡を
答えはもちろん「自
えば見える』だ 」
」なのだが,その答えは子どもたちの中から自発すれば
それで良いし,そうでなければ保育者と偽保育者がささやきをはびこらせて,そ
れを子どもたちの声にふくらませていく。
子どもたち「自
」
(45)
赤鬼「うーん参った」
青鬼「正解だ」
赤鬼「ピンポンピンポンピンポーン。では約束通り,××先生を返そう」
××先生は縄から解き放たれ,木道を渡って子どもたちの許に帰る。
楽士「じゃあ,みんな,帰ろう
」
楽士は,即興的に歌える「がんばったぞの歌」を用意しておいて,子どもたち
と本園舎に向けて帰る。園舎2階のベランダでは,保護者たちが,拍手している。
先生を助け出した子どもたちは,1階の遊戯室に入る。
以上がワンクールである。これが,その場の空気の違いによるバリエーション
を生み出しつつ,ほし組,うみ組と続き,都合3回繰り返される。
他の組が先生を助けに行っている間,待っている子どもたちに対しては,いろ
いろな配慮が必要だろう。最初のつき組の遠征の間は,外で起こっていることを
音などで察知しつつ,
「いまはつき組のみんなに任せなければいけない」という
ことを,付いている保育者が納得させなければならない。
最後の組が出発する頃になると,
囲気は(ベランダの大人たちの反応とか,
どうしても覗きに行く子どもの情報などによって),恐怖と戦うよりも,祝祭的
な遊びの空気になっていくかも知れない。どう転ぼうと,この場を楽しむことを
即興的に支えるのが,関わる大人の任務である。
やがて3人の先生は救出され,遊戯室には安
の空気が漂う。 しかし,そこ
で偽保育者が言う。
偽保育者1
「みなさん,3人の先生はみんなの力で助け出されましたが,鬼の城
(46)
の鬼と,講和を結ばなければなりません。平和条約を結ぶのです。そうしないと,
また来年の夏,先生たちがさらわれてしまいます。年中さんや年小さんのために
も,みんなが,鬼たちと永久平和条約を結ばなければならないのです」
偽保育者2
「それには方法があります。
(事前に流行らせておいた)
『仲直りの歌』
で,鬼に向かって平和を呼びかけるのです。さあ,みんな,行きましょう
こんどはみんなで出て行くが,鬼たちは,
「鬼の城」ではなく園
」
の真ん中あ
たりにいる。子どもたちは保育者などにうながされ,口々に,
「もう先生をさら
わないでください
」とか,鬼と
渉することになる。鬼たちも,「お前たちに
はずいぶん痛めつけられたからなあ」
と講和に応じ,鬼の世界の掟に従って,仲
直りの歌を,園児とみんなで歌うことになる。
このあたりのせりふは事前にあまり指定しない。
そして鬼たちは,山へ帰っていく。
大仕事を終えた子どもたちが遊戯室に帰ると,そこには,それぞれの親たちが
待っている。
***********************************
もちろんこの台本には,制作の進行に従って,随時変
が加えられることにな
る。
6. 保育計画との連携
5月末の,この劇団側スタッフと園との話し合いでは,さらに,以下の方針が
決められた。この話し合いにも,茂呂・宮崎両氏はリサーチャー兼アドバイザー
的な位置づけで参加している。これは,劇団だけで精密な世界を
る舞台劇では
なく,どこから知恵をもらってきてもいい,開かれた演劇ワークショップなの
だ。
まず,これは園側からの提起で,物語を読み聞かせた後,それを絵本にしてい
(47)
く,という案は,かたちを変 することにした。絵本にはせず,園児たちに,自
由に絵を描かせる。それを保育室に飾っておくことで,鬼の存在(の気配)を,
次第に日常のものにしていく,というアイディア。これはいい,と思った。
呪文について。長い呪文をその場で覚えるのは,幼児には困難だ。しかも,ひ
どく緊張しているはずだし。そこで,あらかじめなるべく自然発生的な形で呪文
を園児の間に流行らせておき,その場で,最後の一節を加える,という形に落ち
着いた(その結果は前掲の台本に反映させてある)
。呪文は,やがて,
「南無十一
面観世音
十二所権現」というものに決まって行った(谷川俊太郎の『ことばあ
そびうた』から採られた)。
また,最後に鬼との和解に
われる,「仲直りの歌」も,石川氏が事前に作曲
して送り,園児の生活場面(園児同士のちょっとしたいさかいとか)で歌われ,
伝承されるように計画した。
本番中の,具体的な園児の動きの確認。今回の対象は年長児のみだが,比較的
大きな園なので,年長児だけでも70数名いる。これを,幼稚園敷地平面図に掲げ
たコースを歩かせるのだが,70数名の隊列では,間
びしてしまって,たとえば
後ろの方では,確実に緊迫感が抜けてしまうだろう。
そこで,園児を3つのグループに
揖
けることにした。ただし,
「うみ」
「つき」
幼稚園敷地平面図
(48)
「ほし」
の既存のクラス
けではなく,それぞれを3つに割って,園舎2階の
「あ
おぞら」
「たいよう」
「ほし」
の保育室に
散して入れておく。つまり,各保育室
には,「うみ」
「つき」
「ほし」の混じり合った,混成部隊ができるわけである。
そして,保育者が鬼の人質になったことが偽保育者から知らされるとき,たとえ
ば「ほし組のみんな,
××先生を助けに行くから集まって
保育室から3
」というように,各
の1が抽出され,園舎2階の外廊下で,本来のほし組ならほし組
が再編成される,という仕組みである。
これは,3クール繰り返される救出劇を,その時救出に行っている組以外の児
童たちにとって単なる待ち時間にせず,次第に緊張の高まってくる(あるいは逆
に,
「遊び」だと見抜いて緊張感がなくなる可能性もあると,この時点では予想
していた)
時間にして,全体の流れを全員が,多様な経験として味わえるように
工夫したものだ。
鬼にさらわれるのは,現在の担任ではなく,参加する子どもたちの,前年度の
担任の保育者にすることも再確認された。現在の担任が誘 されると,子どもた
ちにとってよりショックが大きく,クラスをまとめる支柱が失われる,という理
由による。前年度の担任,つまりよく知っている先生が「鬼の城」で「タスケ
テー
」
と叫び声を上げ,現在の担任が子どもたちの道行きについていき,励ま
す,という仕掛けである。
ところで,当日雨が降ったらどうするか
野外劇であるから,これは重大な
課題である。結局,晴天を念じつつ,雨の場合は園舎の中を複雑に巡り歩くこと
にし,途中の各部屋が真っ赤に染まっているとか,何かがいる気配がするとか,
鬼の部屋では篝火の模造品(劇場用)が焚かれている,という形で,屋内でも成
立するようにシミュレーションをしておいた。
保護者の方々で,音楽(和太鼓など)に参加していただけるボランティアの数
も,見当をつけた。それから,役者のギャラは税込みか,手取りか
手取りで,
挙げていた金額にしていただくよう,一押ししてみて,快くご了解を頂いた。こ
ういう現実的な
渉はほかにもたくさんあるのだが,信頼関係を築いた上で,
はっきりさせておかないと,夢の世界も
ち上がっては来ない。
(49)
他に,呪文などの言葉遊びだけではなく,
「助けること」をテーマにした劇遊
びもやっておいた方がいいのでは
という意見も出たが,これは議論になっ
た。石川氏などは,そのような完成形の遊びではなく,断片だけを与えておいて,
それが当日,本番の時に,「助ける」という構造が初めて立ち上がってくるとい
うのがいいのではないか,という気がする,と述べた。それに対して,実際に日々
保育をしている佐木みどり氏の方は,構造として完成した遊びでも,子どもは断
片としてしか捉えていないことは良くある,と述べ,幼稚園はいろいろなことの
ある豊穣な場なので,いろいろな構造が混じり合って,経験としてはある意味断
片化する,という見解だった。奥の深そうな議論だが,限られた時間の中で全面
展開することはできないので,結局「助けること」の劇遊びはやめにした。いろ
いろ楽しい発想が出てくるけれど,いまはそろそろ,それらを削り込んでいかな
ければならない時期だ。基本は簡略にしておかないと,その場でいろいろなこと
が起こる,ナマの芝居というものはうまく行かない,という,私の長年の体験か
ら来た勘みたいなものもあった。
ここで,併行して動き出していた,園側のこの時期の保育案
(佐木みどり氏作
成)を,掲げておく。
***********************************
6月・7月
ねらい
劇遊び保育案
いろいろな人とかかわりながら,みんなで劇遊びをすることを楽しむ
保育内容
「鬼」で遊ぶ
*鬼の出てくるお話に親しむ。
*イメ−ジしながら描いたり作ったりすることを楽しむ。・・・鬼の絵
*歌を聴かせてもらう。・・・言葉遊び歌・・・→「呪文」遊びにつなげる
*言葉遊びを楽しむ。
*言葉あそびの絵本をおもしろがってみる。
・・覚えてしまう子がいると思
われる
*「呪文」を
って遊ぶ。
・・
「ゴンゲン」遊び
(50)
活
動
1.絵を描く
①
(3組とも同時に,担当園長)
「鬼」
②呪文と「鬼」
6/10・6/18・6/22
7/1・7/9・7/16
絵を描く前に歌「かぞえうた」を聴かせてもらう。(担当彩水)
準備するもの・・ろうそく
2.言葉遊び
6/4
(保育担当佐木)
ほし組
・6/8
うみ組
・6/9
つき組
3.「ゴンゲン」鬼は 日常の中で定着させていく。
:「氷鬼」と「泥棒と警察」をヒントにして
えた鬼遊び
○ル−ル
・鬼と子ども達に
かれる
・鬼の基地・子ども達の基地をつくる
・鬼に捕まりそうになったら「呪文」を唱えると鬼が10秒間フリ−
ズする
・鬼の城に捕まった仲間を助けにいく
・タッチをしたら一緒に逃げる
*子どもと遊びながらル−ルも呪文もは変わることが
えられる。
*呪文・・なむじゅうい
ちめんかんぜおん,
じゅうにしょごんげ
ん
4.絵 本 は 毎 日
「帰りの集い」で読
む。
**********
**********
鬼の絵①
クモのように手脚がたくさんある
(51)
鬼
の
絵
そ
の
②
***************
7. 子どもたちが動き出した
目
玉
だ
ら
け
6月の末に,予定よりやや早く,子ど
もたちの描いた鬼の絵のデジタル写真が
入った CD が届いた。すごい
美術家
が園長をやって独自の指導法をつくりだ
している園だけあって,独
的で力のあ
る絵ばかりである。とくに目玉しか描い
てないやつなんかすごい。楽しくなって
きた。
その楽しい気持ちのまま,私と柏木氏
は,そのころにはもう一人の役者として決まっていた大西氏とともに,メイク用
品を買いに出かけた。もう赤シャツとか青シャツではなくて,赤鬼青鬼は,全身
を塗ってしまうことに決めた。青鬼役の大塚氏にも写真を添付ファイルで送っ
て,扮装を
え,小道具をつくっておいてくれるよう依頼した。こういうことも
舞台劇では演出家が細かく決めて OK なりダメを出すことが基本なのだが,こ
のころの私はいろいろな人が出してくるいきいきとしたアイディアに,すっか
り集団制作のおもしろ
さを再確認して,ほと
んどのことを各自に任
せ る オープ ン マ イ ン
デッド な 演 出 者 に 変
わってしまっていた。
園からのメールによ
れば,子どもたちも鬼
の金棒や人魂を勝手に
鬼の絵③
顔は緑色である
(52)
鬼の絵④
もはや目玉だけである
つくったり,ある保
育室には「地獄の入
り口」なるものまで
出現している様子。
子どもたちももちろ
ん 含 め た,大 勢 の
人々の想像力が発揮
される場が,できあ
がって き た の で あ
る。
その後も,本番が近づくにつれて,いろいろな連絡を取り合った。日没の時間
の,データと現地の実際の感じを突き合わせて,
「劇」開始時間の検討。それか
ら,周りは水田の多い園で,唯一邪魔な光源となっていた近隣のホームセンター
の看板の照明は,本番当日は消灯してもらうよう 渉が成立したそうだ。
篝火は,イベント用具として貸し出すところがあるのだが,晴天用の本火と,
雨天・室内用の模擬火の両方を借りると10万円ほどになることが
かり,借りな
いことにした。園長先生が,廃材を集めて焚き火を焚いてくれるそうだ。雨の場
合は……臨機応変な照明家である川本氏が,なんとかそれらしいものをつくっ
てくれるだろう。
7月14日には,俳優
の柏木氏に単身揖
に
行ってもらい,保育者
対 象 の 演 劇 ワーク
ショップを数時間行っ
てもらった。ふだんか
らしっかり声を出すこ
と,表出することには
慣れているはずの保育
自
の描いた鬼の絵を,みんなに見せる
(53)
役
者
が
、
子
ど
も
た
ち
に
絵
本
の
読
み
聞
か
せ
を
す
る
者たちであるが,やはりそこに「演技」
という要素が入ると,人によっては戸惑
うかも知れない。演技の初歩に馴染んで
いただくための,
ワークショップである。
続いて,呪文の最後の部
を納めてお
くための壷(園長制作)が完成したとの
報せが届き,写真が送られてきた。石川
氏から園に M D で送られた「仲直りの
歌」は,リズミカルな曲調が子どもたち
にすぐに覚えられて,みんな何かと歌っ
ているそうだ。
8. 現地での段取り
8月2日。東京のスタッフは,新幹線組と自動車組に
かれ,揖
に向かう。
4時半から,ワークショップ期間第1回目のミーティング。北海道大学や早稲田
大学などから,茂呂氏や宮崎氏の弟子たちも集まり,もちろん園の保育者も参加
して,あらためて,相当な人数の関わった,これは催しである。近隣にポスター
は貼られ,観覧する保護者の方々への諸注意もすでにつくられていた。資料の中
には,園側の言葉とし
て,こうある。
「幼児期における『表
現』は コ ミュニ ケー
ション能力の発達や知
的発達の基礎となる重
要なものであり,保育
の現場で一般的に捉え
られているように単に
子どもたちがつくった「墓場」
(54)
絵を描いたり,楽器遊びをするというようなものではなく,心的内面の育ちと深
く関わると
えてきました」。
自己紹介もそこそこに,これから「劇」本番までのスケジュールが確認され,
疑問点や連絡の一致していなかった点はその場で解決された。
午後7時,日が暮れかかる。保育者たちが帰宅した後,役者と音楽家,演出家
で,第1回の「段取り」を行う。今回は,子どもが実際に入った場合の不確定要
素が多いので,通常の演劇としての
いと
古をきめ細かくやってもあまり有効でな
え,現場に入ってから,細部の多くを決めることにしていた。この
「段取
り」でも,
「ここで子どもの反応がこうだったら,こっちのパターンに切り替え
る」
といった,仮定を多く含んだ,手順の確認が中心である。それだけに,当日,
本番中の役者・保育者の臨機応変の判断と,それをあくまで「劇」の空気の中で
行うことが,成功の決め手となる。
翌3日の朝は,9時に集合。軽い打ち合わせの後,登園してきた児童たちと,
役者たちはとにかく一緒に遊ぶ。こうして,役者であることは明らかにしないも
のの,俳優たちと子どもたちを馴染ませることが,5日の本番の数日前に現地入
りとした,ひとつの大きな理由だった。幼稚園や保育園での普通の劇遊びの場合
でも,悪者の役は,子どもたちが親しんだ人がやることが多い。節
の鬼の役で
も,まったく知らない男の人がやったら,おそらく子どもたちは泣いてしまうだ
ろう。子どもは,俳優たちを,保育の手伝いの人なのか何なのか,どう解釈する
かは
からないが,顔は知っておいてもらおうと思った。鬼の役をやる男優2人
を,子どもたちが「あっ,あのお兄さんだ」と見抜いてしまうかどうかは諸刃の
剣だが,少なくとも偽保育者役として子どもたちを先導し励ます役を,本物の保
育者と共にやる女優2人は,子どもたちにとって,味方だと捉えられている必要
がある。
子どもたちが降園し,午後2時からは保育者対象のワークショップの第2回
目。今回はもう一人の男優の大塚氏にもアイディアを出してもらい,リサー
チャーとして来ている茂呂・宮崎氏や,私ももちろん参加して,大いに体と心を
ほぐす。
(55)
照明チームは午後に到着し,天気は保つと読んで,園
への機材敷設を始めて
いる。
夕方になって,大きな樹木にいろいろな色の明かりが当てられると,なかなか
異様な
囲気だ。
また午後7時近くなって,照明を入れての第2回段取り。時間がないので長い
台詞はとばすが,動きは本番通りに
って,明かりの当たり具合などをチェック
し,問題があればその場で直す。園側は芝居仕立てのものがこれほど手間がかか
るとは思っていなくて,もう少し早く終了すると思っておられたようだが,保育
者たちにも全員残業をお願いして,とにかく最後まで段取る。指示をする私の声
も,最後の方になるとさすがに嗄れ気味だ。
翌4日も9時集合。天気予報は,インターネットで園長先生が時々刻々チェッ
クしているのだが,予報がどんどん変わっていくので,はたしてどうなるか。合
間に,雨の場合の対策の追加などを話し合いながら,今日も役者たちは保育室に
入っている。絵本の読み聞かせをそれぞれの役者たちがやっているのを私も覗
いて歩いたが,それぞれの個性と子どもたちの様子で,異なる
ていて,面白かった。この日は晴れていたから,園
囲気がつくられ
の木陰で読み聞かせをする
組もあった。読み聞かせが終わると,子どもたちは,ふだんの遊びや工作などに
流れていく。
午後はシンポジウム。現時点までの流れを振り返りながら,佐木みどり副園長
の司会で,柏木・石川・茂呂・宮崎・堀切の5名がパネラーとなる。聴衆は主に
保護者の方々である。これも後日,記録に活かされることになる。
その夜が,練習の最後の機会。
「段取り」もまだもちろん充
ではないのだが,
今晩は「リハーサル」と位置づけることにする。もう後がないのだから。台詞も
しっかり言って,誰かが引っかかったりしても途中で止めずに,本番に近づける
べく,やることにする。
先ほどから弱い雨が降っている。だが,この段階で,全ての機材を室内バー
ジョンに組み直して,人間の方も段取りからやり直す,というのは不可能。士気
に関わる。佐木園長先生と相談して,たとえ明日雨でも,野外で決行することに
(56)
する。いくらかでも雨を避けるために,園舎2階からの螺旋型のスロープに,
築現場で
うようなブルーシートをかける。こうすると,大人はかがんで通らな
ければならないが,子どもの背の高さにはちょうど良いトンネルとなる。却っ
て,異世界への入り口,という感じが強まるかも知れない。
園
にある木製の「トンネル」には,当初その
間にさまざまな色のビニール
袋を貼って外側から照明を当て,色のトンネルにするつもりだったが,雨の中新
たな明かりの配線をするのは危険だし,時間の節約のためにも,やめる。余った
いろいろのビニール袋の
い道だが,佐木みどり先生と保育者の集団から,
「こ
れを魔よけの布にしよう」という声があがる。名案だ。袋は園児の人数
はある
し,ちょっとした雨具の役割も果たす。
さて,リハーサル。みんなが心を合わせて,雨の中声を張り上げて,8時半頃
終了する。もちろん1回のリハーサルで完全なものになるわけではないが,あと
は当日の勢いと運に任せて,がんばりましょう
と解散する。
9. そして本番
当日は昼間の保育はないので,午前11時集合。あたりを点検してまわると,照
明の灯体や,コードのジョイント部のすべてに,ビニール袋とビニールテープで
かなり厳重な防水処置が施してあるのに気づく。いつの間にやったのか。
「大
夫です」と言っただけのことはある。さすがプロだ。
最終打ち合わせと昼食の後,集まっていただいたボランティアの保護者の
方々と石川氏が,和太鼓等の楽器の響きの点検をし,その場で音空間をつくって
いる。音を出すところと止めるところの合図は,試行錯誤の末,トランペットで
行うことにした。ボランティアの方々は,女性も男性も,若いお母さんも,お爺
ちゃんかな,という人もいるが,皆,この夏の一日の,みんなでつくる出来事を,
楽しみにしてくれているようだ。
園児たちは,午後4時半に登園してくる。われわれスタッフは,ここからは裏
に隠れて,化粧なり,手順の再確認なりをすることになる。そうこうしているう
(57)
ちに,山の迫る幼稚園には夕方の気配がやってきて,緊張と,同時に意欲は,い
やがうえにも高まってくる。
雨は断続的に降っている。いまのところまだ弱い雨だが,本番中,どうなるこ
とか……。しかしもう園長先生と,どういう状況でも雨天決行,と決めてある。
保護者たちが,観客のために仕切られたスペースに集まり始める。事前に園から
のお知らせで注意は喚起してあったのだが,樹木の多い園
で,しかも夏の夕
方,皆,薮蚊には閉口しているようだ。持参の虫除けスプレーを手や脚に吹き付
けている人が目につく。
さて,僕もいったん別棟にこもらなければならない。
「トリックスター」とい
う役のための,化粧と着替えがあるので。これは,実は,劇の進行上はあっても
なくてもいい役なのだが,何しろぶっつけ本番に近い劇である。演出役の僕が,
劇の本番中どこへでも出没して,トラブル処理ができるように,いわば見える黒
衣としてつくられた役だ。
別棟に行くと,青鬼と赤鬼が全身を赤,青に塗っている。全身だから,なかな
か骨の折れる作業だ。僕は余りの化粧品をちょうだいして,右脚と左手を赤,左
脚と右手を青,顔面を赤と青に塗り
けて,サーカスのクラウンが被るような帽
子を被る。
山の端が急速に暗くなって,そしてまだ雨。内線電話で時間通り午後7時開始
のキューが
換され,やがて,始まる。和太鼓の音が鳴り響き,園舎の方から,
子どもたちのざわつく声が届いてくる。そっと覗くと,偽保育者から先生誘
の
ニュースがもたらされ,園舎の螺旋スロープを,子どもたちがほとんど叫びなが
ら降りてくるところだ。子どもたちは,急遽「魔よけのマント」ということにさ
れた,色ビニール袋を被っている。遊戯室の前の空間に着き,思いもかけないく
らい真剣に,呪文の練習をしている。
「うそんこ」だと思ってふざけている子は
いない。ここは,演劇空間になったのだ。
そこへ一斗缶を叩く大音声とともに突然登場する青鬼。子どもたちをさんざ
ん脅かし,しかし呪文完成へのヒントを与え,去っていく。顔をニューギニアの
仮面風に彩色した「楽士」が現れ,子どもたちに出発を促す。子どもたちは,事
(58)
前の保育の中でも歌っていた,
「勇気を出す歌」を歌いながら,雨の園
に踏み
出していく。
途中,プールは血の池の色に染まり,普段見慣れているはずの遊具は,闇の中,
不気味な色に浮かび上がっている。保育者と偽保育者,それに副園長先生まで加
わった励ましの中で,子どもたちは歩を進めている。
正門のあたりまで来ると,鬼の城の前で燃えている焚き火が見え,
「隠れて
トンネルから行くのよ。鬼に見つからないようにね
」
と,偽保育者が子どもたちを木のトンネルの中へ誘導する。トンネルの横の
間から鬼の城の方を窺う子,泣き出してしまって,トンネルの出口からなかなか
出られない子,それを励まして,一緒に行こうとする子,それぞれが恐怖に圧倒
されたり,連帯に助けられたりしながら,ついに子どもたちは鬼の城に向かっ
て,夜の園
を横切っていく。
その時突然トリックスター(堀切の役)が現れて, めいた言葉を残していく
わけだが,この時私は初めて子どもたちの顔を間近に見て,
「やばい」と思った。
あまりに怖がっている。はじめ大音声だったトリックスターの台詞は,語尾の方
ではふにゃふにゃに優しくなり,
「がんばろうねー」といった感じに,内容も変
わってしまう。
さて,鬼の城の前。子どもたちの頰が,焚き火にオレンジ色に照らされている。
赤鬼と青鬼が樹木を凶暴に揺さぶり,出てきて叫ぶ。
「な∼に∼し∼に∼きた∼
「先生を助けに来た
」
」と叫ぶ子もいる。そして保育者らが促し,秘密の呪文
が唱えられる。
「南無十一面観世音 十二所権現
「何だ
ポンポコピーの,ヤッホヤッホヤイ
」
聞こえないぞー」
と鬼が平気な顔をしているので,子どもたちは結局,呪文を三度繰り返す。ほ
んとうに必死だ。そこにはなんの冷笑的要素も,集中力の拡散もない。叫ぶ言葉
と,体と,精一杯の感情が,ぴったり一致しているのだ。そう,これこそが,演
劇的体験の,もっとも強く集中した瞬間だ。これを引き起こすために,われわれ
(59)
はずっと,準備してきたのだ。
子どもたちの声がうまく合わさって夜の闇に響いたとき,鬼たちは痺れ,地面
に倒れる。ここでどうなるか
と思っていたのだが,子どもたちはどんど
ん,狭い木橋を渡って,鬼の城の上に上がり,先生を助け出し始めた。恐怖に,
打ち勝ったのだ。
10. 物語は語り継がれる
子どもたちは意気揚々と引き揚げた。ギャラリーからは拍手が送られる。
実は,このシークエンスは前述のように三度行われたわけで,出番を待ってい
る間,また,救出劇を終えて,劇全体の終結を待つ間の子どもたちの態度や発言
には,とても面白いものがあったのだが,紙数が尽きた。起こったことは,ビデ
オにしっかりと記録されているので,また別の機会に,最初に触れた Lindqvist
や Hakkarainen の知見なども援用しつつ
析して,まとめてみたい。
最後,保護者たちと園児が全員集まった遊戯室
(雨と,時間の短縮のため,園
から場所を変
した)に,鬼たちが再び現れ,子どもたちは「仲直りの歌」を
歌い,それにつられて踊り始めた鬼たちは,心和らぎ,子どもたちと和解する。
そして,山へ帰っていった。
この記録を書いている,今はもう秋。けれどもいまだに,子どもたちが時々鬼
の
をし,あの夜の
体験が子どもたちの
集団的記憶の中で発
展を続けている様子
が,揖
幼稚園から
メールで送られてく
る。
戦い済んで……子どもたちと青鬼
ダウンロード

「表現」教育の社会化について(番外編)