東日本大震災から学ぶ
ライフスタイル
石田研究室 ゼミ
奥山達矢
棚井優
尾形成也
黒崎雄一
武田誠
阿部敏之
菊地大輔
星川晃城
東日本大震災
平成23年3月11日(金)14時46分 発生
震源:三陸沖(北緯38.1度、東経142.9度) 深さ約24㎞ M9.0
日本観測史上最大の地震
断層が破壊した震源域は岩手県沖から茨城県沖までの
南北約500km、東西約200kmに及ぶ
↑2011.3.11, 14:46時の各地の震度
http://ja.wikipedia.org/wiki
東日本大震災(津波被害)
大槌町中心部
12.6
9.0
9.5
7.66
釜石港
大船渡港
気仙沼市気仙沼湾奥
15.87
南三陸町志津川
17.6
女川町町立病院
10.35
9.09
東松島市野蒜
名取市閖上
震源(M9.0)
3月11日 14:46
14.0
5.9
6.8
福島第一原発
いわき市四倉港
いわき市折戸
東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ,東京電力調べ
■仙台市若林区荒浜地区
震度:6強
津波:9.54 m
死者:約600人
東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ,東京電力調べ
■宮城県山元町
震度:6強
津波:7.71 m
死者:約650人
東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ,東京電力調べ
■石巻市
震度:6強
津波:5.77 m
死者:約1300人(3 / 21現在)
東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ,東京電力調べ
被害状況
死者
行方不明者
避難者
家屋全壊
1万4517人
1万1432人
13万229人
7万6800棟
4月27日現在 警察庁調べ
http://www.google.com/imgres?imgurl=http:/
http://sakuranbo.xii.jp/blog/?p=1412
http://www.google.com
東日本大震災の影響
農地の塩害
漁港・漁船被害
物流の断絶
風評被害
大規模停電
原発事故
食
電気
これまでの生活
住
職業
農家・漁師の職場
が壊滅的ダメージ
地震
地域コミュニティ
地震・津波による家屋や
地域コミュニティの崩壊
津波
東日本大震災が
第一次産業に与えた影響
東日本大震災の第一次産業への影響
宮城県気仙沼市気仙沼漁港(3月20日)
http://www.asahi.com/special/gallery_e/view_photo_feat.html?jisin-pg/TKY201103210133.jpg
宮城県岩沼市(3月23日)
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0324/TKY201103230480.jpg
津波により東北の漁業・農業が大きな被害を受けた
東北の水産業
大畑
するめいか(冷) 28.407t <1位>
するめいか(生) 10.541t <1位>
さば類 57.094t <3位>
八戸
たら(生) 4.965t <3位>
宮古
釜石
かつお(生) 26.818t <1位>
さんま 29.356t <3位>
さんま 33.459t <2位>
大船渡
気仙沼
塩釜
女川
石巻
相馬原釜
たら 10.127t <1位>
さば類 67.172t <2位>
かつお(生) 15.869t <2位>
するめいか(生) 8.602t <2位>
まいわし 5.483t <2位>
かつお(冷) 19.909t <3位>
めばち(生) 2.917t <1位>
まぐろ(生) 553t <2位>
かれい類(生) 2.357t <1位>
小名浜
日本有数の漁港が
多数存在している
注:<全国順位>
資料:農林水産省 農地水産物流通調査
魚介類の自給率
約6割
日本の魚介類の
約2割を提供
東日本大震災による被害状況
漁船:546隻/6,990隻
漁港:17漁港/92漁港
漁船:壊滅的被害/10,522隻
漁港:壊滅的被害/111漁港
漁船:壊滅的被害/9,717隻
漁港:壊滅的被害/142漁港
漁船:896隻/1,068隻
漁港:壊滅的被害/10漁港
被害総額:6,026億円
(漁港施設3,781億円、漁船1,237億円
養殖施設464億円、養殖物544億円)
(4/18時点水産庁調べ)
まさしく壊滅的な被害を受けた
東北の農業
県別・品目別自給率(カロリーベース)(平成19年度概算値)
・東北地方6県の内4県が
食料自給率100%を超えている
日本国内で食料自給率100%
を超えるのは5道県のみ
北海道:198% <H19>
資料:東北農政局,「東北農業の姿2010」(農林水産省「食料需給表を基に東北農政局で試算
都道府県別
食糧自給率
(カロリーベース)
1人・1日当たりの各都道府県産熱量
全国の1人・1日当たり供給熱量
(平成20 年度は2,473kcal)
東北地方は日本の食糧庫
東日本大震災による被害状況
津波により流失や冠水等の被害を受けた農地の推定面積
津波被害
・東北3県で2万ha以上
阪神大震災の約100倍
(ha)
(ha)
・復旧に1年以上かかる場合も
資料:農林水産省 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害と対応
・食糧基地に対する大打撃
・農家の営農意欲の低下
東北の農業の衰退を招く危険性
http://ameblo.jp/somanytry/
農村部と都市とのつながり(宮城県)
宮城県加美町の集落営農組合(65戸)が、震災翌日、
仙台市泉区の松稜西小を拠点とする連合町内会に
救援物資を提供した。
集落営農組合と連合町内会は昨年10月、「災害救援
活動の相互支援に関する協定」を結んだ。協定には、
災害時に相互に物資や人員を派遣する内容を盛り込
んでいる。
泉区の松陵中が加美町で農業体験をしたことが、きっ
かけだった。
河北新報 2011年03月17日より
農村と都市部との
つながり
直売所を起点とするつながりの輪
2011年4月16日(土)~17日(日)
福島県の農産物や加工品を
長野県の直売所で販売する
http://www.kouryu.or.jp/a-support/fukushima02.html
福島県
直売所の生産者メンバーが
農家などから農産物や加工品
を集める
長野県
農業組合が主催となり
長野県の直売所で
販売を行なう
東日本大震災から学ぶコミュニティの形
都市
農家
宮城県の例
直売所
農業組合
直売所
農家
農家
直売所
農業組合
福島・長野県の例
直売所
農家
震災でも力を発揮した
柔軟性に富むネットワーク
原発事故とそれに伴う電力問題
福島第一原発
地震により発生した津波により
甚大な被害を受ける
日付
事項
3/11
停電と非常用電源の停止により
1、2号機の緊急炉心冷却シス
テムが停止
3/12
1号機で水素爆発
3/14
3号機で水素爆発
3/15
2号機で原子炉建屋損傷、4号
機で水素爆発と見られる火災
3/30
1~4号機の廃炉の方針の表明
http://blogs.yahoo.co.jp/icarus777z/64124808.html
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103120467.html
原発が与えた影響
• 福島第一原発付近において
放射性物質漏れにより基準
値を超える放射線量が観測
される
• 福島第一原発から20~
30km圏内に避難指示
• 福島、茨城、栃木、群馬にお
いて農作物等から基準値を
超える放射能濃度が検出さ
れ、出荷制限や風評被害が
広がる
(朝日新聞社調べ)
他の発電所への影響(東京電力、東北電力管内)
• 水力発電所では最大時22ヶ所が停止し、
4/21現在は全て復旧
• 火力発電所では最大時13ヶ所が停止し、
4/21現在は5ヶ所が依然停止中
• 原子力発電所では最大時4ヶ所が停止し、
4/21現在は3ヶ所が依然停止中
(東京電力、東北電力のHPより)
震災前の電力事情
日本の発電内訳
約3割が原子力発電
約6割が火力発電
(資源エネルギー庁「平成21年度電力供給計画の概要」より作成)
原子力発電
【メリット】
• 電力を安定して供給でき、
CO2をほとんど出さない
【デメリット】
• 放射能漏れの危険と放射
性廃棄物の処理の問題
火力発電
【メリット】
• 大量の電力を供給でき、発
電量の調整が容易
【デメリット】
• 大量の化石燃料を必要とし、
また大量のCO2を排出する
電力が問題となった原因
• 必要な電力量を確保するために、原子力、火
力発電のメリットに目を向けすぎて、デメリット
に対して盲目的だった
• 電力需要が増加し続けてきたこと
• 消費拡大型の生活を基準として、社会システ
ムが構築され、それに合わせて電力を生み
出していたこと
現在の電力供給量下での生活(東北)
2200
(万kW)
震災前の電力供給(2100万kW)
2000
供
給
能
力
減
少
1800
1600
前年度と同じ電力量
を消費した場合
1400
今夏は電力が不足
8月の電力供給予想(1210万kW)
3/31現在の電力供給(1100万kW)
1200
1000
800
震災後の電力需要(900万kW)
3月 4
2010年
5
6
7
8
9 10 11 12 1 2 3
2011年
8
東北電力管内の月別最大電力需要
(資料元:朝日新聞, 東北電力ホームページ)
25%以上の消費電力の削減が必要
ピークカット15%大作戦(新潟県)
• 方法:TV等で具体的な節電方法を明示し、節
電呼び掛け
• 対象:県内全域の企業・一般家庭
• 実施日:4月13日
(資料元:新潟県ホームページ)
17%の削減に成功
だが内容は・・・
(資料元:新潟県ホームページ)
我慢することによる強引な節電が多く見られる
日常的にこの様な生活を持続することは難しい
電力需要に関する一般的な解決策
• 火力発電の増強により、原子力発電分の発電量を賄う
→ CO2の問題や資源枯渇の問題
• 新エネルギー利用の促進
→ 地域依存性が強く、エネルギー密度が小さい
• 計画停電や企業への節電依頼による需要調整
→ 現状の社会システムでの長期実施は困難
震災以前の電力供給状態に早急に戻すことは困難
電力問題解決に向けて
電力問題の根本的解決には、現在の消費電力量を
いかに抑えるかを考えなくてはならない
消費電力量
消費電力量
電力供給量
持続して提供可能な
電力供給量
フォアキャスティング
バックキャスティング
しかし、現在の生活の延長での電力消費抑制では、国民に多大な
我慢を強いることとなり、豊かな生活を送ることは難しい
豊かさを保ちつつ、低環境負荷な生活へ
津波被害で見えた
テクノロジーの限界
岩手県釜石市、釜石港湾口防波堤の例
・津波被害の受けやすい三陸海岸
に存在
・過去の三陸大津波の経験から、
1978年に防波堤の建設プロジェク
トが立ち上がる。
・ 約1200億円をかけて約30年後
の2009年3月に完成。
・防波堤として初めて本格的な耐
震設計を取り入れた。総延長
1960m、水深63mの世界でも最大
規模の防波堤。
釜石港湾事務所ホームページ
(http://www.pa.thr.mlit.go.jp/kamaishi/port/km04.html)
津波に弱い地形的弱点を建
設技術で補おうとする考え。
防波堤の成果
• 今回の津波の高さを13.7メートルから8メートルに下げた
• 陸上での最高到達点の高さを20.2メートルから10メートルに軽減した
• 津波が防潮堤を越えて市街地に流れ込む時間を6分間遅らせた
(国土交通省港湾局の調査より)
4月21日現在、死者・行方不明者は1300人以上
(Yahooニュースより)
世界最大規模の防波堤をもってしても、
多数の死者・行方不明者が出ることは防げなかった
一般的な対策例
防波堤を高くする
理論的にはあと5メートル高くすれば
大津波を防げる可能性があった。
最初から同じ防波堤を造るには従来
の1.5倍(1800億円)以上の予算がか
かる。再整備にも数百億円はかかる。
2011年3月24日撮影時の
釜石湾口防波堤の様子
テクノロジーによる津波対策の限界
(毎日新聞 2011年4月3日より)
岩手県大船渡市三陸町吉浜湾の例
被災前
被災後
海抜20~30メートル前後の高地には
中心となる集落の家屋約100世帯が並ぶ。
湾奥部の低地には
家屋がなく
水田が広がる。
吉浜湾には10メートル前後の津波が襲来。
戦後に低地に建った民宿など2軒が流される。
吉
浜
湾
2011津波前後の吉浜(国土地理院、防災科技研による)
高地の集落はほぼ無傷
高台移住までの過程
100年以上前、吉浜湾でも湾奥部の低地に中心集落が
あったが、1896年の明治三陸大津波で死者、行方不明者
は200人を超える壊滅的な被害を受ける。当時の村長は
高台へ家を再建するよう指示した。
多くの住民が高台に移住したが、低地に住み続ける住民
も少なくなかった。その後、再び村を襲った1933年の昭和
三陸津波で、高地移住していた住民は助かったが、低地
の住民が被害に遭い、17人の死者、行方不明者を出した。
当時の吉浜村村長は私財に加え、銀行から調達した資金
で低地の土地を購入。村が移住先を用意することで、わず
か数年で高台への集団移住を完了させた。
(河北新報 2011年04月10日より)
その他の津波対策
岩手県大船渡市の
津波避難場所表示と地震津波水位表
( http://www.bo-sai.co.jp/tunami.htm )
吉浜の津波記念碑
( http://www.bo-sai.co.jp/tunami.htm )
高さ2.5メートルの巨大な石碑。
明治三陸大津波の犠牲者の全氏
名が彫られている。
電柱などに津波避難場所の表示や
津波水位表が設置されている
津波の恐ろしさを伝え、その意識を持続させるような工夫がなされている
吉浜の被害が少なかったのはなぜか?
釜石
近代のテクノロジーの進歩により、自然の脅威に対する危
機意識が薄れ、技術を過信するようになった
近代テクノロジー
が生んだ悲劇
吉浜
過去二回の大津波の経験を元にテクノロジーでの対策には
限りがあると知る
自然に立ち向かうのではなく、
自然の脅威を受け止めて対策する方向へ転換
問題から見えてきた新しいライフスタイルの要素
• 自然を畏れ、敬い、その脅威に備えておく
• 現代テクノロジーを過信しない
• 人々のつながりによる柔軟なネットワーク
• 我慢を強いない、豊かさが担保された生活
• 電力等のエネルギーへの依存性が小さな生活
• 現在の生活の延長ではなく、限られた資源の中でも
持続可能な新しい生活
東日本大震災から学ぶライフスタイル
農業・漁業でつながる街
震災をきっかけに、人々は食について考えるようになりました。
肥料なしで野菜が育つ壁が開発され、都市部では家庭菜園がトレンドです。ま
た、水温調節や水質を浄化してくれる材料の進歩により自宅でもプチ養殖が気軽
にできるようになりました。道路のわきには小川が流れており、そこから家庭菜園
に水を供給しています。夏には水浴びができ、暑い夏を快適に過ごす役割も持っ
ています。これにより、農業・漁業に興味を持った都市部の人々がグリーンツーリ
ズムに参加し農村・漁港に行くことが多くなりました。その際、データベースを活用
して興味のある分野の名人を調べています。
港では定期的にツアー漁船が運航し、地元の漁師によるフィッシング教室が運
営されています。農地や漁港の周りにはその場で収穫された食材を使用したレス
トランが立ち並び、その地域限定の料理が食べられます。
年に数回神社では大収穫祭が行われ多くの観光客も訪れています。
(必要なテクノロジー:微生物の多様性が保たれているタイル、高性能の断熱・吸着材料)
農業・漁業でつながる街
壁菜園
祭り
水質浄化材料
水温調整材料
汚れない水槽
レストラン
小川
レストラン
ツアー漁船
名人データベー
ス
満月の夜に節電
電力供給量が低下し、夏の暑い時期にはクーラー
の使用が制限されます。街ではその暑さをしのぐた
め、風の通り道を考えて作られた家が立ち並んでい
ます。
また、電力不足により夜の街の明かりが少なくなりま
した。そこで人々はその暗さを楽しもうと、月に一度満
月の日を節電デーとし、夜に広い場所に地域で集
まったり、家の縁側で夜空を楽しんだりしています。
手には昼間に太陽エネルギーで充電したマイスタンド
ライトを持っています。
(必要なテクノロジー:風の通る家、縁側、太陽光充電式スタンドライト)
満月の夜に節電
風の通る涼しい家
節電
マイスタンドライト
人々のつながりが支える街
世界一と言われた堤防の決壊を目の当たりにした
人々は、テクノロジーを過信しすぎる事の危険性を改
めて認識しました。そこで、自然とうまく付き合ってい
くために、過去の人々に学び住宅を高台に建てる事
を条例で定め、低地と高地での住み分けを行いまし
た。街中には犠牲者の名を記した石碑などがあり、
自然の脅威が人々の記憶に残されています。
低地には、会社のオフィスや工場、田畑など、高台
の住民の仕事場があります。海岸沿いには漁港が
あり、その中間には新鮮な魚介類が売られている産
地直売所があります。夕方には仕事帰りに晩御飯の
食材を買うお客さんで賑わっています。
人々のつながりが支える街
高台の住宅地
先人から学ぶ街づくり
低地の
オフィスや漁港
これまで離れがちだった
消費者と生産者の交流の場となる
直売所
東日本大震災による壊滅的なダメージ
町、人、地域コミュニティ、農業、漁業 . . .
復興には20、30年の長い年月が必要
復興のためには・・・






ライフライン復旧
電力節約
心豊かな暮らし
安全
食の供給
職の供給
まとめ
• 一つのものさしで考えるのではなく、電力供
給、人々の豊かな暮らし、災害に対する備え
の三者を考慮した全体最適化が必要である。
• これからの少ない電力供給条件、社会状況
を把握した上で、人間が楽しく、ワクワク、ドキ
ドキ豊かに生き、かつ自然と対峙せずその脅
威を受け流すようなこれまでの領域をこえた
新しい暮らしの方案をデザインしていくことが
必要になっていることが今回の震災で顕在化
したといえる
~学生それぞれの思い~
感想(奥山達矢)
この震災が起こったとき、自分は高速バスで東京
に向かう途中で、その大きさがすぐには分かりませ
んでしたが、東京に着いて街がパニックになってい
る様子や夜のニュースを見て現実感を失ったのを
覚えています。数日立ったころ、避難所の様子など
をニュースで見て、自分は衝動的に「何かしなけれ
ば」と思ったのですが、何か行動しようと思っても何
をすればいいのかわからず、結局は何もしないでい
ました。
震災が起こってから3週間ほど立った頃にようやく
ボランティア活動を始めました。その中では、人に感
謝されることもたくさんあったけれど、被災地では支
援物資が溢れ、毎日新しくやってくるボランティアへ
の対応に疲弊している様子も多く見ました。自分が
「何かしなければ」と思った気持ちは、場合によって
は相手に迷惑になってしまうのだと感じ、また何をすべきかわからなくなることもありました。
しかし、被災地の人たちは自分が思っていたより、明るく前向きで、子供たちは勉強をしたがったり、
じいちゃんは暖をとるために薪を割ったりと、生命力に溢れていました。
復興には周りからの助けがもちろん必要ですが、一番必要なのはやはり被災地の人が動くことだと
思います。被災地の人が復興に向けて全力で動いていく中で自分にできることがあるなら、それを自
分はやっていこうと思います。
感想(棚井優)
私は地震の時、研究室にいました。あまりの激しい揺れに、普段かぶることのな
いヘルメットをかぶり外に出ました。携帯のワンセグを確認すると、どの放送局も一
斉に大津波警報を報じていました。その時点では、「まあ大したことないだろう。」と
思っていたのですが、被害が徐々に明らかになってきて、次の日の夜にワンセグで
見た津波の猛威に唖然としたのを覚えています。
被災3日目に、実家山形に避難したのだけれども、何かやれることないかなと考え、
みんなの応援を被災地に届けたくて応援
動画をアップロードしました。その動画に
たくさんのコメントをいただき逆に元気を
いただきました。
震災より約一ヶ月後、実際の現状を把
握するために津波の被害が甚大な石巻
に行きました。そこでは建物の一階部分
が破壊され、泥まみれの商店街だけでは
なく、そこに一か月前までは街があった
が今はがれきの荒原となっているところも
あり、自然の恐ろしさを感じました。
感想(尾形成也)
石巻の状況は現地に行く前に報道等で知っているつもりでしたが、如何
に写真や映像が鮮明に状況を映し出しても、現地で受ける衝撃は全くの
別物なのだと思い知らされました。写真になど到底収められないと感じま
した。また、町を歩くたびに家々に散乱する、生活を匂わせる日用品等に
目を覆いたくなる思いでした。
率直に感じたことは、自分には何もできないのではないかということで
す。現地に立っている自分に違和感を覚えずにはいられませんでした。
その中でも、現地の人々は前を向いて進んでいると感じましたし、また
その中に笑顔を見てとることができ、人々のつながりや支え合いの力を
強く感じました。
今回の震災で、自分が特に大きな被害を被らなかったのは本当にたま
たまで、幸運なことだと思います。だからこそ、いつまでも塞ぎこんでいて
はいけないと思いますし、自分は自分の置かれた立場で、前を向いて進
んで行くしかないと感じています。
これから石田研で何ができるかを考えていきたいです。
震災を通して思う事
M1 黒﨑 雄一
4月13日 石巻湾(日和山から撮影)
「石巻の海はとてもきれいだな」
被災地石巻を訪れ津波でことごとく破壊された街を目の当たりにし、日和山に登った時、そう感
じてしまいました。足元には瓦礫の山が広がり、津波に飲み込まれた多くの人々がそこに眠って
いる。そんな悲惨な状況の中で、あまりにも楽観的な考えが頭に浮かんだことに、心から腹が立
ちました。なぜそのような考えが浮かんだのか。自分でも理解できません。ただ、おそらくはあ
まりの惨劇に感覚が麻痺してしまったのか、結局のところ他人事としか思っていないのか、本当
に海がきれいだったのか・・・。色々と考えましたが、今ではそれらすべてが当てはまっていた
と思います。
多くの人々の命を飲み込んだ津波は海がもたらしたはずなのに、自分が見た海は、たくさんの
瓦礫の向こうで何事もなかったかのように優美に佇んでいました。私たちは風の前の塵に同じな
のか。唯唯無力感に駆られます。正直今は自分が何をすべきなのかわかりません。その答えを出
せるほど賢くもありません。ただ、「すべきこと」を探して何もできなくなるより、「今できる
事」をする事が、生き残った自分が被災者に対してできる精一杯の弔いだと思います。
今回の震災を通して、私たちが普段与えられて当然のように考えている生活・平和・幸福のた
めに、これまでにどれほど多くの人の血・涙が流されてきたのかを考えさせられました。そして、
その掛け替えのない命の礎の上に立つ者として、恥ずかしくないように生きていこうと改めて思
います。
感想(武田誠)
被災地の状況を実際に目にしたとき、何も言
うことが出来なくなった。自分が目にしている
場所が数日前まで、人々の日常が営まれてい
た場所だと思うと、自然が恐ろしくなった。
しかし、家々が流された中でも山は雄々しくそ
びえ立っていた。その山の上では人々が炊き
出しをし、肩を寄せ合いながら生活していた。
自然の力強さと、人間を包み込むような優しさ
を感じた。今回の震災は、多くの被害をもたら
しただけでなく、人々の生活や考え方に大き
な影響を与えた。今まで当たり前だと思ってい
た日常に対して、一度立ち止まって考え直す
機会を与えてくれた。研究室のメンバーとの話
し合いの中でこれから求められる社会の在り
方が少し見えた気がする。その社会を実現し
ていくために今石田研のメンバーとして、そし
て僕個人として出来ることは何なのか、これか
らも考え続ける必要があると思う。
感想(阿部敏之)
• 被災直後2,3日は電気が通っていなかったため情報は小学校にある仙
台市からの掲示と近所の人の口コミのみ。それまでは地震の被害はそこ
まで大したことはないだろうと思っていた。その後電気が復旧してテレビ
を見ると仙台空港や若林区に津波が押し寄せる様子が報道されており、
自分の住んでいるすぐ近くの地域が津波にのまれているという事実は非
常にショックだった。
• テレビの報道より、「あの店で食料が調達できる」「あの公園では給水し
ている」「あのガソリンスタンドでは一人10Lまで販売している」などといっ
た生きるために必要な情報のほうがよほど重要だった。情報の価値観、
物の価値観が一気に変わった出来事だった。
感想(菊地大輔)
僕は震災当時は自宅にいました。以前から小さな地震はよく起こってお
り、3月11日もすぐにおさまると思っていました。ですがそうはならず、む
しろだんだんと大きくなっていくことに今までにない恐怖を感じました。
地震後は電気・ガス・水道が止まったため、知り合いが集まっていた近
くの大学へ暖を取りに行き、そこでようやく今回の地震がどういうものかを
知りました。荒浜で300人の遺体が津波で打ち上げられたという報道をラ
ジオで聞いた時に受けた衝撃は今でも覚えています。
僕にとってこの震災は、大事なことに
気付けたきっかけであったと今では思
います。電気が使え、毎日シャワーを
浴び、食べ物には困らず、仲間や家
族が健在である。そういった生活が当
たり前で無くなったのがこの震災でし
た。今僕個人にできることは肉体労働
程度ですが、復興に向けてできること
をしていきたいと思います。
感想(星川晃城)
地震の多い日本で過ごしていて、地震で死を覚悟したのは今回
の東日本大震災が初めてでした。連日報道される津波の被害や
被災地の状況に、これが本当に自分の国で起こっていることなの
かと信じられず、ただただ唖然とするばかりでした。自然災害の
恐ろしさを改めて思い知ることにもなりました。
しかし、これだけの震災が起きたにもかかわらず、秩序を守り冷
静にふるまっている被災者の姿がとても印象的でした。そういっ
た日本人の気概を誇りに思い、これから先長い年月の掛かる復
興に自分が何らかの形で関わっていきたいと感じました。
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