名古屋大学大学院環境学研究科
相生山のヒメボタル
(2003年5月)
と幼虫(2005年11月) (撮影:小原 玲)
December, 2005
11号
目 次
国産小中径木材の用途拡大の試み
古川忠稔 ────────────────────
3
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
河村則行 ──────────────────── 7
津波大惨事の鎮魂歌“アチェ和平”とシアクラ大学との
学部間協定
木股文昭 ──────────────────── 14
「使える」アーカイブと検索システム
∼名古屋大学災害対策室アーカイブの構築∼
木村玲欧・林 能成 ─────────────── 24
相生山で「瓢箪から駒が出る」?
転機を迎えた緑地保護活動に関する同時進行的研究備忘録
大川睦夫 ──────────────────── 35
私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
─環境学研究科主催万博記念国際シンポジウム報告─
広瀬幸雄 ──────────────────── 51
筏津安恕教授の逝去を悼む
黒田達朗 ──────────────────── 56
事務部の窓
───────────────────────── 59
【表紙写真説明】
相生山のヒメボタルの写真 3 枚のコラージュ。黄色い光は飛ぶオスの
点滅の軌跡(2003 年 5 月)
、右下円内は今年11月に道路建設予定地で
写真家自身が自作のトラップで試験的に捕獲した幼虫、その左上は
梅の葉にとまっているオスの成虫
(2003年5月)
撮影は3枚とも小原玲。
本誌35頁以下参照。
02
国産小中径木材の用途拡大の試み
国産小中径木材の用途拡大の試み
古川忠稔 都市環境学専攻 建築構造システム講座
昨年 10 月に名古屋大学環境学研究科に助教授として
赴任して、いつの間にか 1 年が経ってしまいました。せ
っかくの寄稿の機会をいただきましたので、ここ数年
関わっている、外材にシェアを奪われ低迷する国産木
材・林業を活性化させ、国内の森林環境問題の改善を
目的とするプロジェクトの試みを紹介させていただき
ます。
よく知られている事実ですが、世界的に見ると森林
面積は年々減少しており、地球温暖化防止の観点から
も、大気中の二酸化炭素固定に貢献する森林の保護と
拡大が求められています。しかし国内人工林に限れば、
森林備蓄量は年々増加しており、むしろ伐採が進まな
いことが問題となっています。例えば我々が 2000 年の
時点で試算した兵庫県の場合、県下の人工林を適切に
管理する為には、今後 40 年から 50 年にわたり毎年 150
万立米の木材を伐採すべきであるとの結果が得られま
した。そして、この伐採により算出される製材量は、
前年度における兵庫県内での木造住宅で消費される製
材使用に相当する量となりました。すなわち、県下人
工林で適切量が伐採され木造住宅で使用されるならば、
外材輸入に頼らずに木造住宅を供給することが可能と
なります。さらに伐採後に再植林を行えば、炭素固定
量は住宅に使用された木材分だけ増加することになり
ます。また製材としての使用後は、各種木質ボードや
製紙材料としてリユースやリサイクルを行い、最終的
に燃料として使用すれば、資源の有効利用にも役立つ
と考えられます。国内人工林の伐採を阻害する要因は
様々なものがあり、一概に述べることは出来ませんが、
その一因として、間伐時に生産される小中径材の用途
がほとんど無いことと、上級材以外の木材(節の多い、
いわゆる中低品質材と呼ばれる木材)の価格が低く、こ
れらの木材を生産してもペイしないことが挙げられま
す。そこで、小中径材や中低品質材の用途を広げる技
03
国産小中径木材の用途拡大の試み
術開発がなされ、木材生産がビジネスとして成立する
ようなれば、需要も高まり、これらの木材の生産が促
進されるのではないかと考えました。
このような観点から、我々のプロジェクトでは通常
建築構造材としてあまり使用されていない小中径材や
中低品質材を用いて高付加価値製品を生み出せないか
という研究開発を実施しました。まずは、それまで建
築構造材料にほとんど用いられなかったため、性状が
あまり明らかでなかった小中形材の強度を実験的に確
認することを行いました。その結果、国産材として生
産量の多い杉、桧とも圧縮強度と引張強度については、
当時の建築学会木質構造設計基準で示されていた普通
構造材の材料強度程度は見込んでよさそうなことがわ
かってきました。さらに小中径材に多い節の存在につ
いても、材を細断せずに丸ごと使用する場合には、強
度にそれほど影響を与えていないことも次第に明らか
三木山森林公園東屋(我々が開発した木造トラスシステムによる
最初の建物、屋根形式は単層楕円ドームで、写真は膜屋根を外
して、部材の交換実験を行っているところ)
04
国産小中径木材の用途拡大の試み
になりつつあります。
このように材料強度はある程度見込めるとの確信を
得られたので、この小中径材を建築構造材として使用
する用途として、まず小中径丸太を使った立体トラス
構造システムを考案しました。これは性状が完全に解
明された訳ではない小中径材という材料を、曲げやせ
ん断の影響が小さく、軸方向力が卓越する力学的にシ
ンプルなトラス部材として使うことで、予測範囲外の
危険を避けることを念頭のおいた選択でもあります。
写真のトラスドーム屋根をもつ建物は、このシステム
を使った最初の建物です。その後、トラス部材と金属
製の接合部の接合方法について強度と信頼性に関する
改良を順次加え、現状ではスパン 40m 程度の空間を覆
うことが可能となっています。
つぎに、中径材から得られる芯持ち角材を、特殊な
金具で機会接合し一体化する重ね梁などの開発も行い
ました。写真の木橋では、主桁に 15cm 角の角材を 2 段
同じ三木山森林公園に設置された人道橋(スパン7mの単純桁
橋、写真は径間中央に加振器を設置し、加振実験をおこなってい
るところ)
05
国産小中径木材の用途拡大の試み
に積んだ重ね梁が 2 本使用されています。通常の木橋な
ら、主桁に接着集成材を使うところですが、あえて機
械接合を採用したのは、集成材に含まれる接着剤がリ
サイクル時に不都合を引き起こす可能性があると考え
た為です。
これら開発技術は、製作コストや構造体としての耐
久性や安全性など、まだまだ研究の余地が多いとは思
いますが、今後は安全安心学や持続性学の考え方を取
り込みつつ、さらに幅広い観点からこの様な国産材の
高付加価値につながる技術開発を継続していきたいと
考えます。
06
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
河村則行 一昨年度に引き続き、2004 年度も、名古屋大学大学
院環境学研究科社会環境学専攻では、「人間・社会環境
学の構築ワークショップ」を開催した。シリーズⅢは「環
境問題への法学的・経済学的プローチ」、シリーズⅣは「環
境問題と公共性−アジアから考える−」、シリーズⅤは
「組織倫理への心理学的アプローチ」のテーマを設定し、
外部の機関からも専門家をまねき、活発な議論が行われ
た。今回は、社会学講座を中心に開催したシリーズⅣの
ワークショップで、どのような報告がなされ、何が問題
になったのか、紹介したい。
報告者とテーマは以下の通りである。
1)羅 紅光(中国社会科学院)
「中国における環境問題の
問題点−メコンリバー・セミナーから学んだもの」
2)嘉田 由紀子(京都精華大学)
「[近い水]
[遠い水]
−
住民による水環境の自治を琵琶湖の事例から考える−」
3)宇井 純(前沖縄大学)
「公害と環境における公共性の
内容」
羅氏は、メコン川流域の住民、専門家、政治家等の
交流のセミナーから見えてきた問題を中心に報告され
た。メコン川は、中国からベトナムへとアジアの6カ
国を流れる 4800Km の川で、国をまたがり、上流で水
を汚したら、下流の人に迷惑をかけるように、つなが
っている。それは、自然の川であると同時に、文化の
07
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
川であり、宗教的、経済的、政治的な意味を持っている。
その川の沿岸には、さまざまな人々の生活がある。川
の水で稲作をしたり、魚を採って生活をしている地域
もあり、鉛の開発、観光リゾート化で汚染されている
地域もある。植物の研究で特許をとるために製薬会社
が資金を出している会議もある。いくら GIS 等の最新
の技術で綿密な科学データを収集しても、実際に生活
している人間が見えないことが大きな問題であるとし、
住民たちが考えるニーズと専門家が考えるニーズのず
れを発見すること、政治的交流やハイカルチャーレベ
ルの知的交流ではない、草の根レベルの知的交流を進
めることの重要性が指摘された。
そして、環境問題は、貧困・福祉の問題と結びつい
ており、豊かな国と貧しい国との共犯関係を問題にす
る。豊かな国では、環境問題は、消費主義によって作
られ、思想や価値観の衝突になる。貧しい国では、環
境問題は貧困と環境の悪循環の問題である。一反伝統
的な文化が破壊されると、生活は科学、経済に依存せ
ざるを得なくなり、ますます開発のために自然環境を
破壊せざるをえなく、食えるか、食えないかの利益の
衝突になる。
公共性の問題は、中国でも、経済成長とともに市場
と国家の価値のヒエラルヒーが支配し、社会的な責任・
義務、信頼性の文化的基盤が弱体化していることであ
る。「砕けた文化」になり、価値、人間性、感情を表現
する空間がなくなってきている。今の社会福祉は、貧
しい人・弱い人と裕福な人とを永遠に必要とするシス
テムであり、弱い人のパワー、財、富、感情、価値観
があることを認め、それをいかすような社会福祉のシ
ステムの必要性を強調する。公共性では、ヨーロッパ
との比較で、アジア的価値も問題になる。ヨーロッパ
にはチャリティ、ヒューマニティというキリスト教の
伝統があり、人を愛し、思いやる。アジアの場合は、
文化が多様、宗教もバラバラであることが特徴であり、
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「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
それ故にこそ、草の根レベルの知的交流が重要である
と結論づける。
嘉田氏は、琵琶湖の事例から、「近い水」、「遠い水」
をキーワードにし、人間と水環境とのかかわりをテー
マに報告された。「近い水」では、カミとシモの区別な
ど水の使い分けをし、汚染を防いでいた。「排水」とい
う言葉はなく、養い水であった。川から流れるのは「ゴ
ミ」ではなかった。しかし、治水と電力需要ともに、水は、
個別の地域社会の管理から中央管理へ移行し、
「遠い水」
になり、地域の自治を失っていく。水は、治水、電力用水、
都市用水など「目的別機能論」で、専門家による制御の
対象になる。治水は、洪水閉じこめ型になり、堤防の
中に水を閉じこめる。水系一貫主義が生まれ、遠いと
ころからたくさんの管で水を引き、できるだけ遠いと
ころへほかるシステムになる。ここで「排水」という言
葉が生まれる。上流で捨てたものを下流の人が利用し、
その人が捨てたものをさらに下流の人が利用するので、
下流にいくほど水がまずくなる。
そこでは、科学の知、計測の普遍性が支配し、物事
は、個別専門分野に分解され、科学的知識に基にしな
がら、国家の権力と経済性の論理で組み立てられる。
科学的言語しか持たない専門家、それに依存する行政
官僚、集票装置化した政治の構造が支配する。専門分
化した工学者によって問題が分断化されるので、その
問題が住民には全体として見えない。住民は、水がき
れい、汚いを科学的な測定によって判断するのではな
い。人々の相互信頼関係のもとで、その水を信頼する。
嘉田氏も、ハイカルチャーのところで公共性が組み立
てられていることを批判する。専門化され、象徴化され、
脱文脈化のなかで、関係性が切断されて、手段的価値(物
質的価値)、生命価値(存在価値)、共感価値(ふれあう、
ともに喜ぶ)がばらばらになっていることが問題である
と言う。
09
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
また、ヨーロッパなどとの比較で、アジアの文化の
特質が指摘される。言語は、物と人をめぐる関係の自
然観を反映するが、「もったいない」という感覚に相当
する言葉は英語にはないが中国語にはある。アジアは、
高温多湿という生態学的条件で、水も太陽もある。ア
フリカは水はないけど太陽がある。ヨーロッパは生産
能力が弱く農業が成り立たない、牧畜文化である。ア
ジアは、何千年も農地など潜在的な自然をうまく活か
してきた。中国、日本、ベトナムは、屎尿親和文化で、
水の中の栄養分を循環するシステムをつくり、屎尿を
うまく生活に利用してきた。ヨーロッパ、インド、ア
フリカは、屎尿忌避文化であり、屎尿を水に流す下水
道は屎尿忌避文化から生まれたものと言う。
宇井氏は自然科学者として水俣病などの公害の原因
究明に尽力され、公害問題に実践的に取り組んだ人で、
その経験から報告された。日本の反公害の運動は、足
尾の鉱毒事件での田中正造に始まるが、彼は、公共の
利益、公益を損なうものとして公害という言葉を使い、
渡良瀬川の流域調査をし、水質分析、生物調査の前に、
どこに街があり、工場があるのか、どの川がどのよう
に流れるのかを、足で歩いて調べていた。
戦後、資源調査会という内閣の諮問機関が設置され
た。資源として豊富にあるのは水であることから、水
質汚濁防止法の制定と国立の水科学研究所の設立を答
申したが、その答申は当時の首相吉田茂によってにぎ
りつぶされてしまい、そのことが水俣病などの公害に
つながった。環境を踏みつぶし、高度成長するという
開発モデルで経済成長に成功し、その儲けたお金で環
境の手当をするというのが日本型モデルであるとし、
アジアの発展途上国でまねされているパターンである
と言う。
水俣病の悲惨さは、国の不条理が通っていたことで
あり、知らぬ存ぜぬ、責任がありませんという不条理
10
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
を通していいのか、公共の場では人間としての道が通
るのではないかという考えが運動を支えた。弱者の運
動は、負けても何度も繰り返してとことんやることに
意義がある。道理がものを言う公共という場、みんな
が一緒に生きる共という場がある。
科学者、専門家の問題も厳しく指摘される。公害問
題は、一つの物差しでは測れないのに、その尺度から
はずれるものは切り捨てられることにある。猫の変な
死に方など、直感、経験、一見非科学的なものに真理
がある。なまじっかの専門的知識を持つと、それが邪
魔して全体がみえなくなってしまう。外国から取り入
れた学問の尺度をそれぞれ持っていて、それを現実に
当てはめようとする。外国の文献をよんでおしゃべり
するけど、自分の研究する対象を本当に腰を据えて、
じっくりと見ようとしないことが問題である。気候変
動の温暖化のモデル計算の論文が多く出ているが、前
提さえ決めればいくらでも計算でき、でてきた結果が
あっているどうかは確かめようがないと批判する。
沖縄の問題は、基地問題との関連で、お金が湯水の
ごとく注がれるが、沖縄の現実に合わない公共工事が
行われていることである。赤土が流れ、環境破壊が進む。
農家は豚をたくさん飼っているが、豚の屎尿の垂れ流
しで水は真っ黒になり悪臭を放っている。そこで、農
家でも負担できる程度の投資で処理できる実験を行な
い、処理した廃水を液肥に使うようにした。
最後に地域の重要性が強調される。中津や宮崎など
運動があった地域は元気であるが、外部の資本を持っ
てきて中央政府の言いなりであった地域は不況でつぶ
れている。運動は地域の財産として残っている。今後
税金が払えなくなり、日本は財政的に貧乏になっても、
地域はつぶれない。シビルエンジニアとしての専門家
と、専門家が集まり教育の場所である地域の学校に期
待する。
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「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
以上、3氏の報告は、いずれも貴重な経験に基づく、
大変熱のこもった話であった。対象としている地域、
素材は異なるが、問題意識において、多くの点で一致
点があり、議論は重なり合っていた。水環境の問題を
生活との関わりにおける文化の問題としてとらえてい
ること、欧米とは異なるアジアの中で環境問題を考え
ること、国家と市場の拡大に対して、社会、地域、公
共を重視していること、科学者、専門家の役割を問題
にし、ハイカルチャーの知ではなくて、現場の知を重
視していることである。
環境問題は、それぞれのディシプリンから様々なア
プローチが可能であろう。特に最近では地球環境問題
として、環境問題は、温暖化、酸性雨など国境を越え
グローバル化しており、政治的経済的な問題として論
じられる。環境問題は、素朴に考えれば、自然現象の
問題であり、さまざまな科学データの測定が重要であ
ろう。また、自然環境を無尽蔵なものと思いこみ、そ
こから資源をとりだし、そこへ資源を放り出していた
のだが、その社会のあり方が反省を迫られている。環
境政策論的には、「循環型社会」、「持続可能な発展」や、
環境税を導入し社会経済の仕組みを改革し、環境と経
済、社会の対立を統合する政策もある(ワークショップ・
シリーズⅢの竹内報告を参照)。
しかし、いくら立派な政策を作っても、市民の協力
がなければうまくいかないであろう。環境問題を考え
る上で、現実に、市民がどのような価値観、倫理観を
持って生活しているのか、自然と関わっているのかも
重要な視点であろう。協力するか、しないかでは、人々
の生活の営みがおりなす社会関係のあり方が問題にな
る。川や海、森林の問題などはわれわれが生きている
身近な地域から問題を考えることが重要である。社会
学ではそれを「生活世界」と呼ぶことがある。生活して
いる人々がどのような価値観をもって、何を善と判断
し、何を悪と判断するのか、物事は、宗教的に、経済
12
「人間・社会環境学の構築 ワークショップ」シリーズⅣの報告
的にも、科学的にも解釈することができ、それぞれの
言語体系、解釈体系がある。例えば、リスクはデータ
を用いて、科学的に統計学的に測定することができる
であろう。しかし、何が危険であるのか、何が利益に
なるのか、社会関係のなかで判断される。もちろん、
そこでの人々の判断も間違っているかもしれないし、
様々な差別、偏見も存在していることもある。科学の
知も、相対であり絶対に正しいとは言えない。それゆ
えに、専門家と市民のコミュニケーションがますます
重要になることがこのワークショップで改めて確認で
きた。
付記 このワークショップの成果は、以下の報告書とし
て刊行されているので、是非とも参照されたい。
名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻
『人間・社会環境学の構築ワークショップ』報告
書2、2005 年3月
13
津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
津波大惨事の鎮魂歌“アチェ和平”とシアクラ大学との学部間協定
木股文昭 地震火山防災研究センター
戒厳令下のアチェを襲った大津波
インドネシアに足を運ぶようになって 20 年も経とう
としている.でも,スマトラ北部のアチェまで足を伸ば
すとは,昨年 12 月のスマトラ北部地震が起きても考え
ていなかった.ところが,この半年に4回も訪れたアチ
ェは私に多くのことを教えてくれた.
私は地震や火山の研究に携わり,その観点から,イン
ドネシアを訪れていた.しかし,恥ずかしながら,大惨
事を招く巨大地震がスマトラの北端に起きるとは考えて
いなかった.勉強不足だった.さらに,惨事を招いた津
波が,今度はアチェに独立紛争の和平を導くことも,こ
れまた予想外の出来事である.もっともこれは嬉しい予
想外である.
この8月末にアチェに入る前に,マスコミはインドネ
シア政府とアチェ独立派(GAM)との間で和平協定が締
結されたことを報じていた.インドネシア独立 60 年を
まさに祝う出来事だった.津波が襲った時,アチェ州に
外国人は立ち入れなかった.メガワティ政権が 2 年ほど
前に戒厳令を引いていたからである.独立派(GAM)の
武装蜂起を口実に,外国人を追い出し,インドネシア政
府軍による GAM 鎮圧政策が実施されていたのである.
注1)
戒厳令下のアチェを津波が襲い,犠牲者はバンダアチ
ェで人口の 10%に達した.GAM は津波被災と同時に,
その日に「独立よりもまず救援」と休戦宣言した.アチ
ェ和平を唱えて当選したユドヨノ インドネシア大統領
は,政府軍に停戦を命じなかったが,救援のために,戒
厳令を破棄し国外からの救援隊をアチェに迎え入れた.
勿論,戒厳令が解除されただけで,外国人は救援でも,
軍隊を除き,全員にビザのみならず居住登録が強いられ
た.私達も,2月上旬の調査では警察に出向き,居住許
可を受けた.
しかし,大惨事を理解しない一部のインドネシア政府
軍は,メダンとバンダアチェを結ぶ国道で検閲を口実に
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津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
通過料を強請っていた.私達が訪れた3月,バンダアチ
ェの西海岸では,政府軍は幹線道路の復旧工事に取り組
むと同時に,集落の出入り口で車の窓を全開させ検閲し
ていた.坂道でスリップした政府軍トラックに遭遇し,
一時的ながら銃を構えた軍隊に包囲されたり,逆にスタ
ックした私達のレンタカーを軍人が押してくれるなど,
エールも交換した.車押しのお礼は可愛くペットボトル
の水で終わった.
アチェ西海岸の仮設橋で釣りを楽しむ村の若者達
津波災害による新たな社会情勢の展開
私達が,初めてアチェに入る時,私達のアチェ情報は
皆無だった.少ない情報ながら,これまでのインドネシ
ア訪問とは異なり,かなりの不安感を持っていた.そこ
で,豊橋技術科学大学で学ぶアチェ出身の留学生ファリ
ッドさんに案内役を頼んだ.最初は名古屋大学のインド
ネシア留学生に案内を頼む予定だった.しかし,ジャワ
出身の彼らは,多民族国家のインドネシアゆえ,アチェ
出身の留学生が適役と助言した.そして,インドネシア
留学生ネットワークからアチェ出身の留学生を捜しだし
てくれた.
調査にインドネシアの社会科学者スヒルマンさんも同
15
津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
行した.バンダアチェのシアクラ国立大学に文系の学部
がなく,社会科学分野の適切な研究者が見つからず,バ
ンドン工科大学から彼を招いた.彼のアチェでの開口一
番が,「この津波被害がアチェ和平の大きな契機になる」
だった.彼によれば,独立派は,アチェの情勢を海外に
アピールする絶好の機会と考え,絶対に戒厳令を再び施
行させたくない,その一方で,政府は国際的な救援を最
低限で切り上げ,速やかに外国人をアチェから撤退させ,
アチェ独立紛争をふたたびインドネシアの国内問題に収
めたいという.
私達の日本にも,震災を契機とした悲劇の歴史がある.
1923 年の関東大震災である.この地震は強風下の東京
を襲ったこともあり,火災を伴い,20 万を超える人々
が東京の下町などで焼死した.
この災害に加え,東京の周辺では,朝鮮人が暴動を起
こしたというデマが組織的に流され,避難している朝鮮
人を民間の警護団が逆に襲い,数多くの命を奪ったので
ある.マスコミですら,このデマを報じている.民間の
警護団にそのような権限がないはずなのに虐殺事件が生
じた.また,社会主義者という理由で家族までが警察に
拉致され虐殺されている.二つの事件とも責任者は追求
されていない.一方,政府も東京湾沖まで来たロシアの
救援艦を,救援を口実した政府転覆勢力への支援と解釈
し追い返した.この路線は,その後も拡張され,とうと
う第二次大戦を迎えてしまった.
もし,2004 年スマトラ北部地震で 80 年前の関東大震
災と同じような事件が誘引されると,アチェは二重の被
災になる.インドネシアは,80 年前の日本を繰り返す
のであろうか.私は地震の調査と同時に強い社会的関心
を抱いた.
被災後のアチェ 和平へ大きく前進
3月,外国の軍隊と NGO グループに月末までの撤収
が命令された.軍隊は静かに帰国していった.しかし,
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津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
NGO はさらに5月末まで条件つきで滞在が延長され,
活動を継続した.5月 19 日,アチェで非常事態が解除
され,文民統制となる.アチェだけに義務づけられてい
た紅白身分証明書が廃止され,アチェもインドネシアに
戻ったのである.
同時に,フィンランド旧首相の努力によりインドネシ
ア政府と GAM との間で和平交渉がヘルシンキで断続し
つも継続された.そして,8月末にアチェを特別自治区
として認める和平合意を迎える.
合意された和平は急速に具体化された.私達が訪れて
いた9月に,収監されていた GAM のメンバーが続々と
釈放され,バンダアチェなどに帰還した.私達はバンダ
アチェで,解放される GAM メンバーのインタビューが
放映される TV を見入った.つい最近まで,GAM メン
バーはモザイクで顔を隠した形でしか放映されていなか
った.
勿論,インドネシアゆえに,復旧に関わる汚職も目
に余るほど報道されている.流失した私財の略奪事件も
起きている.しかし,独立を巡り 30 年をこえる紛争が
和平を迎えたことはすばらしい.これこそ,津波で奪わ
れたアチェ 14 万人の人々の犠牲が報われることである.
多くの課題も残りながらも,確実に歴史は逆転しなかっ
た.バンダアチェに一緒に来ていたインドネシア社会を
研究する島田さんが「ショートメールが政府と GAM の
間の和平協議を根強く非公式の折衝として支えたのさ,
ノキアの勝利だよ」とつぶやいていた.ショートメール
は 200 文字に凝縮された和平への執念だったのである.
関東震災は少なくともインドネシアでは繰り返されなか
った.
バンダアチェの真下を横切る大スマトラ断層
アチェ沖での巨大地震はしばらく襲来しないだろう.
しかし,年間に3 cm もの滑りが予測されながら,最近
200 − 300 年も地震を起こしていないスマトラ断層がバ
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津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
ンダアチェから南西の山岳域を縦断している.日本で注
目されている新潟−神戸歪み集中帯ですら年間に数 mm
の滑り速度にすぎない.バンダアチェの下を走るスマト
ラ断層は,日本の歪み集中帯の一桁上の歪み速度を示す
と考えられる.もっとも,地形変形などからの推定であ
り,実際の観測値でない.これらのことから,私達は,
次は直下型地震がアチェを襲う準備を終えていると考え
る.そこでの地震予知は簡単でない.しかし,その状況
を明確にするための観測網の構築には,和平は絶対に必
要だった.和平なく,とてもスマトラ断層での観測網な
ど構築できるはずがない.
しかし,シアクラ大学に地震や活断層の研究者はいな
い.シアクラ大学に限ったことでない.インドネシアの
大学に,いわゆる地震学の研究室は存在しない.石油探
査に関連した構造探査の部門はあっても,地震活動など
のいわゆる地殻ダイナミクスの研究者は皆無である.日
本列島と同様にプレート沈み込み帯に位置し,100 余を
超える火山,毎年のごとく M7 クラスの地震や火山噴火
に襲われながらも,この分野の研究者は非常に少ない.
私は7月末と8月末にインドネシアのジャカルタと
パダンで開催された 2004 年スマトラ地震に関する研究
集会に参加する機会を得た.その席上で,「津波早期警
報システムの早期の確立」を数多くのインドネシア研究
者から聞いた.彼らはスローガンのごとく,「Tsunami
early worming system」を叫んでいた.
今回の調査中にも二度も有感地震に襲われた.日本な
ら,TV のテロップやラジオの速報で震源情報や津波情
報が伝えられる.しかし,大惨事を迎えながら,インド
ネシアのマスコミは未だに地震速報を報じない.
私は,インドネシアの関係者の中に,致命的な誤解が
あるのではと疑い始めた.震源情報すら速やかに報道さ
れない状況で,いかなる「津波早期警報システム」が考
えられるだろうか.少なくともインドネシアのスマトラ
沖で発生する津波は,地震発生から津波襲来まで 10 数
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津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
分以上の余裕を有する.すなわち,的確な震源情報を即
座に報道すれば,人々に 10 数分以上の避難時間が与え
られることになる.1000 年という低頻度の津波襲来に
関して,防波堤などよりも迅速な津波警報の発令が非常
に有効と考える.大惨事から1年を迎えるのに,未だに
この問題は解決されていない.
関東大震災は地震研究所を設立させた
8月末のシアクラ大学理学部地球物理学教室で開催さ
れたセミナーで,50 名ほどの研究者や学生を前に私は
アジ演説を久しぶりに交えた.
東京を中心に 20 万人もの犠牲者を出した 1923 年関東
震災は,朝鮮人虐殺などの史上の汚点をつくりながらも,
東京大学に以後の地震学研究の拠点となる地震研究所が
設立された.地震研究所の歴史を全面的に理解できない
が,日本の地震学の研究を考えるうえで,地震研究所の
設立は意義あるものである.14 万人を超える犠牲者を
もたらしたアチェでも,今回の震災を契機に地震研究所
をそれも国際的な研究所を創設すべきとはしたない英語
でアジった.シアクラ大学独自でもスマトラ北部におけ
る津波警報システムが現在の観測技術で可能なこと,そ
して,直下を走るスマトラ断層の挙動を早急に明確にす
る必要があることなどがその根拠である.
このような研究所を設置し,インドネシアにおいても
地震学研究を進めない限り,とても「津波早期警報シス
テム」を有効に運用する保証はできない.日本の政府も,
アラスカに「国際北極圏研究所」を設置している.日本
も国としても絶対に援助すべきと考える.
7月のジャカルタでの会議では,インドネシア日本大
使館の幹部と意見交換する機会があった.席上,「イン
ドネシアにものを与えてもすぐに利用されなくなり寝て
しまう」という愚痴を大使館側から聞いた.当然であろ
う.システムを運用できるソフトシステムの充実を考慮
していない日本側に大きな責任があるのである.日本は
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津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
外交も「箱物」である.
環境学研究科とシアクラ大学の部局間協定を発展させる
新たな動きに期待
このような背景から,今回,黒田環境学研究科長が同
席し,環境学研究科とシアクラ大学理学部との間で学術
交流と共同研究に関する部局間協定を締結した.シアク
ラ大学には名古屋大学を始め日本の大学で博士号を取得
した研究者が多い.8月 27 日の協定調印式でも,シア
クラ大学の研究者から日本語による挨拶も飛び出した.
私達は,バンダアチェを訪れるたびに,大学の研究者
や学生を相手に可能な限り講義などを開催している.2
月上旬には安藤センター長と私が,2月下旬には留学生
のイルワンさんとバンドン工科大学のヘリさんが1日
にわたり GPS と地震時の地殻変動について,8月はセ
ンターの研究員であるフィリピン人のグレンダさんと私
が,そしてグレンダさんはアンコールに応え,調印式の
直前まで学生相手の講義を実施した.また,バンダアチ
ェに来る前にパダンで開催された会議で発表したポスタ
シアクラ大学でのグレンダさん(地震火山防災エンター研究員)に
よる講義
20
津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
ーを私達はシアクラ大学に届けた.彼らはそのポスター
を新入生のガイダンスで活用した.
シアクラ大学で私達の窓口となっているディディクさ
んはこっそりと私に大学事情を話してくれた.彼によれ
ば,津波以降,シアクラ大学へは外国の多くの大学から
共同研究が申し込まれ,それなりに協力してきた.しか
し,調査を終え帰国するとあとは音信不通になってしま
う.ところが,名古屋大学はきちんと学生相手に講義を
してくれ,調査結果を直ちに印刷物にして送ってくれ,
シンポジウムなどでの発表もポスターでシアクラ大学に
送ってくれるなど,成果の還元に十分に気を配ってく
れる.おかげで,理学部の外部評価もそれまでの C から
B+ まで高まった.
たしかに,シアクラ大学には 2 万もの学生が在籍する
が,私達が訪れた地球物理学教室の事件室は実にお粗末
だった.日本でいえば中学校クラスの実験機材しかなか
った.しかし,今後のインドネシアでの地震学研究の向
上を考えると,シアクラ大学で新たな展開を期待したい.
そのためには私達は援助したいと考える.
巨大地震の発生過程を考察する上で,今回のスマトラ
北部地震について,地震直後からの余効変動,そして歪
み回復過程などをきちんと追跡研究することは重要であ
る.なにせ,南海トラフで発生した 1994 年東南海地震,
1946 年南海地震とも,大戦の末期と直後できちんとし
た観測がなされていない.
私は3回目のバンダアチェ訪問で初めて市街地にある
ホテルに泊った.2月の上旬と下旬の訪問では.ほとん
どのホテルが津波から復興できず,ガイド役を果たして
くれたファリッドさんの実家に泊まった.
ホテルの前の広場は,夜にテーブルと椅子がならび,
周りに屋台が並ぶ素敵な野外レストランとなった.屋台
からナシゴレン ( 炒飯 ) やミーゴレン ( 焼きそば ) などをと
り,マンゴジュースやココナッツジュースを飲みながら,
のどかに食べ,食べ終わるとインドネシアの菓子とアチ
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津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
ネルドリップながらも大胆に入れるアチェコーヒー,アチェの街中
にはコーヒー屋台がいたるところで店を出している 一杯十円相当
(太田雄策さん撮影)
バンダアチェの屋台広場 ここでアチェの焼きそばやアチェコー
ヒーを楽しむ.のどかで穏やかな風が吹いていた
22
津波大惨事の鎮魂歌
“アチェ和平”
とシアクラ大学との学部間協定
ェコーヒーを楽しむ.アチェの人が,アチェコーヒーが
世界一と称するだけに,ネルドリップで豪快に入れるア
チェコーヒーは濃い色ながらも柔らかな味だった.厳つ
い顔ながら優しさをもつアチェ人に共通しているかもし
れない.
この広場は1階まで津波に襲われ,2月には人気がな
かった.それが6ヶ月後の8月末,週末にはテーブルも
人々で一杯になっていた.アチェは津波の悲惨さを世界
に発信したが,今度は世界に地震の研究成果を発信した
いものである.環境学研究科とシアクラ大学理学部との
部局間協定がその契機を果たしてくれるものと期待する.
注)アチェの社会情勢は http//achekita.com/ が英語で報
道し,その社会的な背景については,民族博物館の
山本博之さんが http://homepage2.nifty.com/jams/
aceh_background.html で紹介し,アチェ独立運動と
その弾圧に関しては,インドネシア民主化支援ネッ
ト http//nindja.exblog.jp/ が詳細に訴えている.
木股文昭
地震火山防災研究センター,毎年のごとく火山地震観測
でインドネシアを訪れる.最初のインドネシアがスマト
ラでのキャンプ生活 4 週間だった
23
「使える」アーカイブと検索システム
「使える」アーカイブと検索システム
∼名古屋大学災害対策室アーカイブの構築∼
木村玲欧・林 能成
1.なかなか探しあてられない災害・防災関係資料
災害や防災に関する資料は、
「検索者泣かせの資料」と
言われている。とにかく目当ての資料がなかなか見つか
らない。それには次の3つの理由がある。1)市販図書
が少なく、行政資料や学術機関の研究報告書などISBNや
ISSNが振ってない資料が多い、2)パンフレット・ホチ
キス止め冊子・地図などの図書でない資料が多い、3)タ
イトルや著者名が「○○(災害名)に関する報告書」
「△△
研究会編」など抽象度の高いものが多い。つまり、図書で
ないために図書館に蔵書されないものが多く、また蔵書
されたとしてもタイトルや著者名が漠然としているため
に、こちらが意図しているキーワードでは検索システム
で引っかかってこないのである。
そこで筆者が勤務する災害対策室では、環境総合館に
居を構えた 2003 年8月以降、災害・防災に関する書籍・
報告書・映像資料・地図等の各種情報を集積する「災害
アーカイブ」の構築を、中核的事業の1つと位置づけて
行ってきた。この事業は研究者のみならず行政の防災担
当者や一般市民までもターゲットとしているところに特
徴がある。また、調べたい内容をインターネットを通し
て容易に検索できるシステムを構築した。今回は、その
経緯について、宣伝を兼ねて報告する。
2.一般市民・子どもまで視野に入れた資料を収集
利用者に活用されるアーカイブを構築するためには、
1)主たる利用者、2)主たる利用目的、3)収集すべき
資料の3点を考える必要がある。そこで2003年4月以降、
全国に存在する主要な災害アーカイブを 10 件訪ね、そ
の概要や運営状況を調べながら、上記 3 点にもとづく「資
料収集の基本方針」を決めていった(図1)。
4種類の利用者
まず、主たる利用者として、a)研究者・大学生(名
古屋大学および周辺大学の研究者・学生など)、b)地
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「使える」アーカイブと検索システム
【図1】災害アーカイブ調査(人と防災未来センター
(神戸市)
にて)
域住民(自治会・防災ボランティア・消防団・自主防災
組織など)、c)小中高校生(総合的な学習の時間など)、
d)東海地域の地方自治体・企業の防災担当者の4種類
の利用者が想定した。特に、地域貢献における「地域防
災力向上」という目的から考えると、学術的資料だけで
はなくbやcの利用者ニーズを満たすような資料収集を
行う必要があることがわかった。
b(地域住民)については、愛知県では「地域防災力を
総合的に高めるために、災害に対しての正しい知識や防
災活動の技術を習得した地域の実践的リーダーを養成す
る」
(愛知県防災局防災課、2005)という目的のもとに、
平成 14 年度より年間 12 日間にわたる「あいち防災カレ
ッジ」
(定員 250 名)を開講している。修了生に対しては
「あいち防災リーダー」の称号が与えられ、平成 16 年度
終了までに 500 名を超えるリーダーが誕生している。災
害アーカイブを構築する以前には、「地元で活動するた
めに何かよい資料はないか」と筆者が個人的に相談を受
けることが頻繁にあり、彼らの活動をサポートするよう
25
「使える」アーカイブと検索システム
な基礎資料の収集は急務であると考えた。
cについては、小中学校では平成 14 年度より、高等学
校では平成 15 年度より学年進行で「総合的な学習の時間」
が本格的に実施されている。これは「地域や学校、子ど
もたちの実態に応じ、学校が創意工夫を生かして特色あ
る教育活動が行える時間」
、
「国際理解、情報、環境、福祉・
健康など従来の教科をまたがるような課題に関する学習
を行える時間」とされており(文部科学省初等中等教育局
教育課程課、2003)
、
「地域における災害・防災について
の学習」を求めて名古屋大学災害対策室を来訪する小中
高校生も少なくない。今後も小中学生の来室者は増加し
ていくことが予想されるため、彼らの学習をサポートす
るような資料の収集が不可欠であると考えた(図2)
。
【図2】名古屋大学災害対策室を訪れる中学生(総合的な学習の
時間)
6種類の利用目的
次に、これらの利用者の主たる利用目的として、6点
を想定した。災害アーカイブで資料を収集する際は「資
料が以下の利用目的に適うかどうか」を判断基準として
26
「使える」アーカイブと検索システム
いる。
a)災害・防災についての理解を深める(全利用者)、
b)災害・防災学習の教材・副読本にする(小中高校生)、
c)防災啓発活動に使用する(地域住民(防災リーダー)、
研究者)、d)防災研究を行う際の参考資料・引用文献
にする(防災研究者、防災の隣接領域研究者)、e)卒業・
修了研究のデータ・引用文献にする(大学生・大学院生)、
f)防災計画・防災施策・防災訓練等について検討する
(自治体・企業の防災担当者)。
8種類の収集すべき資料
利用目的にかなう資料として、以下の8種類を考えた。
詳しい内容は次節以降で紹介する。
a)行政(地方自治体など)発行の災害・防災関係資料、
b)大学・研究機関発行の災害関係資料、c)災害・防
災の一般書・専門書などの資料、d)防災関連領域(地
震学・火山学・建築学・土木工学・地理学・社会学・心
理学など)の基礎的な図書・資料、e)防災教育に関す
る図書・資料(絵本・防災教具など)、f)災害・防災関
連雑誌、g)災害・防災関連新聞記事、h)写真・ビデオ・
DVD などの画像・映像資料。
3.約1万5千点の収集資料は地域住民と学生に好評
2003 年 9 月、 環 境 総 合 館 4 階(421 室:46 ㎡ )に 災 害
対 策 室 ア ー カ イ ブ を 開 設 し た。2005 年 10 月 現 在、 約
1万5千点の資料が所蔵されている。次節で述べる
Web 検索システムには、図書・冊子系資料約5千点の
うち、約3千点が登録されている。ここでは現在までに
収集されている資料について述べる。
a)行政(地方自治体など)発行の災害・防災関係資料
地域防災計画や被害想定資料、ハザードマップ、地域
の郷土史、災害・防災に関するパンフレットなど。地域
の被害予測・防災体制を知るためには不可欠な資料であ
27
「使える」アーカイブと検索システム
るが、これらの大部分は市販されず、ホームページ等で
も公開されていないものも多い。現在は東海3県のうち、
愛知県下の市町村に要請を出し、約半分の市町村から資
料の提供を受けている。災害対策室を訪れる地域住民が
「わがまちの災害対策の現状と被害想定」を知るために
資料は活躍している。
b)大学・研究機関発行の災害関係資料
災害・防災研究での引用文献となりうる資料、特に大
学・研究機関の報告書を中心に収集した。災害関連の資
料は、速報的な意味あいで出すものが多いため部数が少
なく、報告書が出てすぐのタイミングで入手しないと入
手困難になる資料も多い。そのため、学内・学外からの
寄贈を広く募る、あるいは大学の研究室の蔵書を災害ア
ーカイブに置いていただけるように働きかけている。こ
れらの資料は研究上貴重なため、災害・防災関係の研究
者・学生に喜ばれている。
c)災害・防災の一般書・専門書などの資料
市販されている災害・防災の一般書・専門書も収集す
る。これらの図書は種類も少なく、また絶版になってい
るものも多いために、新刊に関しては発売と同時に購入
している。特に研究者・学生・一般市民ともに「阪神・
淡路大震災について知りたい」という要望が大きく、積
極的に収集している。
d)防災関連領域(地震学・火山学・建築学・土木工学・
地理学・社会学・心理学など)の基礎的な図書・資料
災害・防災関連資料を閲覧していると、他分野の研究
者ではわかりにくい分野特有の専門用語や理論がでてく
ることが多々ある。そのため各分野の専門書に立ち返っ
て意味を簡潔に知るために「辞書・事典」
「教科書的な概
説書」
「『図解シリーズ』などの簡単な一般書」などを収集
している。これらは学生だけでなく隣接領域の研究者も
28
「使える」アーカイブと検索システム
頻繁に利用している。
e)防災教育に関する図書・資料(絵本・防災教具など)
利用者に小中高校生を想定していることから、特に子
どもたちの防災教育活動の基礎となるような教材・教具
を収集している。これらは災害・防災の知識がない・興
味が薄い大人にとっても、絶好の入門書になる。特に児
童書特有の「図鑑」
「マンガ」
「絵本」の 3 点に焦点をあて
て収集することで児童書の充実を図り、災害アーカイブ
の独自性を出している(図3)。また小中高校生だけで
なく、あいち防災リーダーや研究者が地元で講演・勉強
会を行うときの「ネタ本」としても歓迎されている。
【図3】収集している児童書(意外にも大人が良く読んでいる)
f)災害・防災関連雑誌
災害・防災関連雑誌は、現在約 30 誌を収集しており、
地域防災交流ホールの雑誌コーナーで閲覧することがで
きる(図4)。国内外の災害・防災に関する最新動向が
掲載されているが、業界誌であり大学や地域図書館では
29
「使える」アーカイブと検索システム
【図4】雑誌コーナーは、災害対策室アーカイブに隣接する地域防
災交流ホールに設置されている
ほとんど収集されていない。そのため、特に研究者に重
宝されており、原稿や論文の「はじめに」にあたる部分
で最新動向として引用する研究者もいる。
g)災害・防災関連新聞記事
新聞記事は、時々刻々と移り変わる災害・防災情報を
知るための貴重な情報源である。しかし、新聞各紙から
網羅的に情報を得たり、得た情報をスクラップのような
形で切り抜いて保存するのには多くの手間と時間が必要
である。そこで、朝日・読売・毎日・日経・中日・静岡
の各紙から「災害・防災」に関連する記事をピックアッ
プしたり、いくつかの災害に焦点をあててスクラップブ
ックにしている。例えば 2004 年9月5日の「紀伊半島沖
の地震(全1冊)」、2004年10月23日の「新潟県中越地震(現
時点4冊)」、
「2004年新潟・福島・福井豪雨(全1冊)」、
「2004
年台風災害(全1冊)」、2004 年 12 月 26 日「スマトラ沖地
震津波災害(現時点3冊)」について、また「2005 年1月
17 日阪神・淡路大震災 10 年(全1冊)」などの企画新聞
30
「使える」アーカイブと検索システム
記事もスクラップブックを作成している。
h)写真・ビデオ・DVD などの画像・映像資料
過去の被害状況や災害のメカニズムなどについては、
実際の映像や CG などで視聴覚に訴えることによって、
より具体的なイメージを持つことが可能になる。啓発用
ビデオ・DVD は高価なこともあって現時点では 50 本程
度であるが、災害対策室を来訪する地域住民に人気のビ
デオ・DVD も数本あって活用されている。また、災害
対策室が年 10 回程度行っている防災に関する一般講演
会「防災アカデミー」での講演についても DVD に保存し
ており、災害アーカイブ資料として災害対策室内で視聴
することができる。
4.目次入力によって単語レベルでの検索が可能
http://archive.seis.nagoya-u.ac.jp/ を見ていただくと、
災害対策室アーカイブの検索システム画面が現れる。特
に、画面の左下「すべての項目から検索する」から自由
検索ができることが特徴である(図5)。
例えば 2005 年 10 月現在、「中越」と入力すると、35 件
の資料が抽出できた。そのうち、著者名・発行者に「中
越」が入っているものは0件、タイトルもしくは副題に
「中越」が入っているものは 10 件、目次中の「中越」を検
索システムが拾ってきたものが 25 件あった。特に『広報
ぼうさい』
『月刊消防』
『近代消防』
『消防防災』
『消防科学
と情報』などの消防・防災専門誌において、目次中の「中
越」を抽出したものが 16 件あり、目次検索の威力が確認
できる。また市販図書についても、『家を建てる前にお
読みください。(大出正廣著)』
『学校の地震災害危機対
応マニュアル(大泉光一著)』
『ヘリコプター災害救助活
動(山根峯治著)』など、タイトルからでは「新潟県中越
地震」との関係が不明なものも抽出することができた。
また災害名や地名だけではなく、従来では検索が難し
かった災害時のさまざまな事項についても検索できる。
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「使える」アーカイブと検索システム
【図5】インターネットでのデータ検索画面
( http://archive.seis.nagoya-u.ac.jp/ )
例えば災害時のトイレの問題について調べるために「ト
イレ」と入力すると 23 件の資料が抽出された。このうち
副題・著者名・発行者に「トイレ」が入っているものは
0件、タイトルに「トイレ」が入っているのは3件のみ
であった。
『12 歳からの被災者学(メモリアル・コンフ
ァレンス・イン神戸著)
』
『地震のあとは何をしたらいい
の ?( 横山裕道)
』
『防災 実務のガイド(高橋洋著)
』
『地
域防災データ総覧 応援協定編(消防科学総合センター
編)
』など、目次項目を細かく見ていかないと掲載されて
いるかどうかわからない資料について広く抽出された。
なお「下敷き」では6件、
「耐震」では 128 件、
「液状化」
では 58 件、
「り災証明(罹災証明)」では5件、
「天ぷら油」
では3件、「延焼」では 27 件、「浸水」では 36 件、「豪雨」
では 62 件、「雷」では 18 件、「温暖化」では 14 件、「テロ」
では 28 件、「SARS」では4件などと、広範囲の言葉につ
いて検索が可能であることがわかる。
32
「使える」アーカイブと検索システム
5.より多くの人に利用されるアーカイブ構築のため、
みなさまのご意見・ご要望をよろしくお願いします
今後の課題として、1)アーカイブ資料収集の継続性、
2)利用環境の改善、3)検索システムの改良があげら
れる。
1)については、災害アーカイブの有用性を保つため
には、新しく発生する災害に関する資料を収集し続ける
必要がある。そのための予算措置もさることながら、継
続的に資料収集を行う仕組みづくりも必要である。今後
も多くの利用者から「こんな資料が欲しい」という要望
をくみ上げ、収集した資料に対する評価を収集し今後の
購入の条件としていくといった「資料収集のための仕組
み」を作っていきたい。
2)については、土・日・祝日における開室要望が大
きい。しかし環境総合館ではセキュリティー確保の立場
から、土日は玄関で立ち入り管理をしているため災害対
策室単独での一般公開はできない。また、通常の人員体
制では土・日・祝日に対応することも難しい。今後、セ
キュリティーを確保した上で、多くの人が資料にアクセ
スできるような方策を検討していきたいと考えている。
室内の配置などについては、可能なところから改良を
進めている。たとえば、「資料を調べたり、資料をもと
に模造紙等を用いて作業するスペース」がほしいとの要
望があったため、2005 年4月、地域防災交流ホールに
120cm × 60cm の机を 4 台設置して、ちょっとした作業
ができるように模様替えをした。
3)については、検索システムはまだ融通がきかない
点が大きく、「検索単語に引っかかった目次箇所を反転
させて表示させる」
「関連する単語等についてもあわせ
て表示させる」などの要望がでている。
人間の寿命を越える 100 年あるいは 1,000 年周期の災
害を相手にするアーカイブは一朝一夕に完成するもので
はない。今後とも資料の整備・充実と、検索システムの
改良を重ね、「役にたつ」災害アーカイブを作っていき
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「使える」アーカイブと検索システム
たいと思っている。KWAN 読者のみなさまにも災害に
関する調査・研究の際には活用いただき、ご意見・ご要
望などを寄せていただきたいと願っている。
木村 玲欧 (きむら れお)
名古屋大学災害対策室・助手(防災心理学・社会心理学)。
2003 年4月から現職。災害時における被災者の心理・
行動と生活再建過程について研究し、防災対策への提言
を行っている。災害対策室アーカイブは、大学院生や一
般市民に参考資料を紹介したり、講演のネタ本の宝庫と
して活用している。
林 能成 (はやし よしなり)
名古屋大学災害対策室・助手(防災地震学)。2003 年4
月から現職。地震そのものの研究もしたいが、現実は地
震学の知見を防災情報に読み替える仕事の毎日である。
それゆえ、これまでの自分の研究では縁のなかったこと
を調べる機会が多く、災害アーカイブを自ら活用してい
る。
34
相生山で「瓢箪から駒が出る」?
相生山で「瓢箪から駒が出る」?
転機を迎えた緑地保護活動に関する同時進行的研究備忘録
大川睦夫 社会環境学専攻 社会環境規範論講座
【相生山緑地横断道路の工事開始で勢いがなくなった自
然保護住民運動】
名古屋市天白区の瑞穂区、南区、緑区との境界に近い
西南部の市街地の中に孤島のように残された相生山緑地
に、陸生のヒメボタルの大規模な生息地があること、こ
の貴重な生態系がほぼ半世紀前に作られた都市計画にも
とづく「弥富相生山線」道路建設により壊滅する危険が
あるのではないかと心配されていることについて、本誌
6号で報告した。この小論が発表されてから半年ばかり
経った 2004 年秋に、4年以上にわたって粘り強く進め
られてきた道路建設反対運動を押さえ込む形で、道路建
設工事が着手された経過も、本誌 8 号と9号に書いた。
相生山緑地の西端から東に向けて建設工事が進められている横断
道路(撮影・小原玲)
。
その後私は相生山緑地のことをあまり考えたくない憂
鬱な気分にとらわれていた。その理由の第一は、大きく
は予想の範囲内ではあったものの、予測より早く強引に
開始された道路工事により、仮にヒメボタルがわずかに
生き延びるとしても、主要な大規模生息地が回復できな
い程度に破壊されるのではないかという不安と怒りにと
らわれていたことだ。第二に、これまで相生山緑地保護
35
相生山で「瓢箪から駒が出る」?
の中心的役割を担ってきた「相生山の自然を守る会」が
「道路建設阻止」を掲げてきただけに、工事の開始を目
の前にして、すっかり元気をなくしてしまい、活動が眼
に見えて停滞に陥ってしまったように見えたことだ。私
は、本誌6号に書いたとおり、「建設阻止」は残念なが
ら現状では実現不可能な目標だと考え、緑地保護のため
には他の選択肢も視野に入れておくべきだと主張してい
たので、「守る会」の原理派というべき強硬派との関係
も徐々に悪化していた。研究者が市民運動とかかわると
きにはまりがちな落とし穴に自分までが・・・とうんざ
りしてもいた。
【相生山生態系研究会の立ち上げ】
偶然のきっかけから足を突っ込んだに過ぎないとはい
え、環境学研究科に所属して社会科学を専攻する一研究
者として、難しい状況の中で何かできることはないもの
かと、その後も考え続けていた。その結果として、2005
年の初夏を迎える頃に、「守る会」の活動的な会員、生
態系の専門家や、動物写真家として、付かず離れずの微
妙な距離を保ちながら「守る会」の活動に協力してきた
人々との座談会を開催することを思いついた。これまで
の緑地保護活動を中間総括することにより、開始された
工事を前にして何か活路を見出せないかという気持ちだ
った。しかし、一度は実現しそうになったこの企画も、
準備段階で「守る会」の強硬派との折り合いがつかず、
一度は流産しそうな雲行きになった。
だが、乗りかけた船を何とかしなければと考えて、最
終的に企画に賛同してくれなかった「守る会」の会員以外
の参加予定者に事情を説明した上で、
「相生山生態系研究
会」を立ち上げることにした。こうして、第1回の研究
会を 10 月 16 日に開催するところまで漕ぎ着けた。
【動物写真家の心強い協力】
上記のような経過で、第1回の研究会には結局、「守
36
相生山で「瓢箪から駒が出る」?
る会」からの出席は得られなかったが、それを補って余
りある参加者を得られた。それは、危険な戦場を駆け巡
る報道写真家から動物写真家に転進し、近年は「ホタル
写真家」として有名な小原玲さんの協力のおかげだった。
私自身は今度の研究会を立ち上げるために9月半ばにお
会いしたのが、個人的に親しく話した最初だったが、彼
は最初から積極的にアイデアを提供してくれた。
彼の紹介によって、ヒメボタルの第一級の専門家と言
ってよい兵庫県立「人と自然の博物館」主任研究員の八
木剛さんに出席していただけることになった。
また、小原さんの提言により、名古屋市緑政土木局(以
下では「土木局」と略記)が 2001 年秋に立ち上げた「「環
境に配慮した道づくり専門家会」の委員で名古屋市立大
学教授の岡村穣さんにも参加していただけることになっ
たのも有難かった。実は、この「専門家会」は「環境に配
慮した」ふりをして緑地横断道路建設による生態系破壊
を強行する土木局の隠れ蓑だと、「守る会」の強硬派か
ら糾弾されており、これが最終的に彼らが出席を取り止
めた最大の原因だったのかもしれない。
【第1回研究会の議論】
研究会での議論についての詳細は別の機会にあらため
て紹介しようと考えているので、ここでは要点だけ書き
とどめておく。参考までに、研究会出席者を紹介してお
こう。
大川睦夫 名古屋大学環境学研究科教授(憲法学)
岡村 穣 名古屋市立大学教授(ランドスケープ計画)
小原 玲 動物写真家
高岡立明 愛知県に"生態環境博物館"をつくる会代表・
環境カウンセラ
八木 剛 兵庫県立「人と自然の博物館」主任研究員
(昆虫分類学)
この研究会を企画していた最初の頃は、2000 年春以来
の「守る会」の活動を中心に、道路建設計画に脅かされる
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
相生山緑地の保護をめざす住民運動の総括に重点を置く
つもりだった。けれど、上に書いたような事情で住民活
動家の参加が得られなくなったので、主な論点を道路建
設工事開始後に残された緑地保護の最善の選択肢とその
実現の方法に変更した。日本は「官治国家」などと皮肉ら
れながらも、ともかくも法治国家の一員なので、相生山
緑地横断道路の建設自体は、手続き的にはほとんど合法
的に行われてきたので、法学者である私の出番はあまり
ない。だから、今回の研究会でも控えめな態度に徹して、
それぞれの分野での専門家たちの議論に耳を傾けて、今
後の緑地保護運動の可能性について思いをめぐらした。
1.「自然環境や生態系に配慮した専門家会」の唐突な発足
冒頭の大川の挨拶に続いて、最初に基調報告のような
形で動物写真家の小原さんが発言をし、その中で、建設
路線の変更などを提案した専門家会の議論について「あ
る程度評価しているが、元にしたヒメボタル調査に不
備があった。」と述べた。これに関して、大川と高岡は、
道路建設自体の可否についての住民合意を得る努力がお
ざなりのまま、建設を前提にする「専門家会」が唐突に
組織され、しかも路線変更などの重要な提言については、
いつのまにかうやむやにされて裏方であるはずの土木局
主導の運営が行われてきたことを指摘した。また、根本
的な問題として5人の委員(専門家=インスペクター)
のなかにヒメボタルについて学識のある生態系専門家が
誰一人いないことも批判された。
しかし、小原の発言の趣旨は「道路建設が開始された
今は、むしろ、今からでもできることを前向きに考える
ことが重要だ。」ということにあり、これについては異
論はなかった。
2. 土木局が実施したヒメボタル生息調査
土木局はヒメボタル生息調査を 2002 年5月の 17 日、
21 日、24 日の3回にわたり実施した。専門家会委員の
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
大竹勝が指導し、もう一人の委員岡村穣も姿を見せた。
名古屋市の職員、コンサルタント、市民ヴォランティア
の総勢のべ 164 人が参加した。市民運動団体8団体にも
調査実施について案内が行われ、なかでも「ヒメボタル
サミット in 愛知」には参加が招請された。その結果、10
人の市民が調査に参加したと、当時の今井道路係長が報
告している。
市民参加は 164 人中の 10 人で、わずか6%とはいえ自
然環境への配慮を示す自治体の行動としては一応評価し
てよいのではないか。しかし、問題は調査のなかみであ
る。これについては環境カウンセラとして高岡さんが厳
しい批判的見解を述べた。
批判の主眼は、調査地が計画道路沿いの地域に限定さ
れ、調査期間も 1 週間のうちの3日間に、いずれも1回
2時間で夜 22 時から 24 時までの限られた時間に行われて
おり、これでは生態系調査としては極めて不十分で道路
建設によるヒメボタル生息への影響を検討するデイタと
しては利用に耐えないお粗末なものだという点にあった。
調査地については今井係長によれば相生山緑地全体の
三分の一にあたる約 40 ヘクタールの 246 地点で実施した
ということなので、素人の私には「良くやったんじゃな
いかな。」とも思われるが、高岡さんにとっては、ヒメ
ボタルの生活史全体を対象にしない調査は不十分であ
り、また調査の手法も粗雑に過ぎたということだ。
私自身も近年は車の運転を自粛しているので、ヒメボ
タルを見るのは地下鉄の終電車に間に合う時間までに終
るようにしてきたために、ヒメボタル集団のまばゆいば
かりの大発光など見たこともないし、想像もできなかっ
た。けれど、近隣住民の話では、ヒメボタルがこの世の
ものとは思えないほど絢爛豪華に光り輝くのは、深夜の
12 時を過ぎてからで、今年は2時から3時にかけてが
最高潮だったとのことだ。だから、深夜 12 時までの2
時間ずつ計6時間の観察では決定的に足りないという批
判は分かりやすい。
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
道路建設予定地で発光するヒメボタルの集団
(2003 年 5月:撮影・小原玲)
3. ヒメボタルが棲む相生山緑地の価値
専門家会のインスペクターの一人である岡村さんは、
「相生山は道路建設計画ができた頃は、樹木が住民によ
って燃料として利用されていたために、ツツジの花が咲
く季節以外は人目を引くこともない禿山だった。」と述
べた。
これに対して、大川は、「それが事実だったとしても、
その当時は周辺の土地がほとんど田畑だった当時と違
って、すっかり宅地や商工業地として開発され尽くした
50 年後の現在では、市街地の中の広大な緑地として当
時には考えられなかった新たな大きな価値が生まれてき
たことを評価すべきだ。」と反論した。
この議論には加わらなかった小原さんも、最初の基
調報告で「都会の内部で、ホタルと人が共生していると
いうことに重要な価値があるのではないか。」と問題提
起していたが、大川の発想と共通点がある。また、ホタ
ルの生態に詳しい専門家として出席いただいた八木さん
が、冒頭発言で「もし、相生山にホタルが生息していな
かったら、緑地保護運動はどうなっていたでしょう?」
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
と問いかけていたのも、ホタルだけにこだわるのはどう
かという趣旨と思われる。
一方、高岡さんは、相生山では道路建設問題が深刻化
した 2000 年以後にもオオタカが営巣していたこと、数
種の渡り鳥の滞留が確認されており、名古屋市内と近郊
の他の緑地を併せた大きな生態系(Biotope Network)の
一部として重要な意味があることを指摘した。この点は
「守る会」もかねてから指摘していたことであり、岡村
さんや林進会長のように相生山緑地を孤立した生態系と
いう限られた視点から見る方法を批判する論点として重
要ではなかろうか。
4. 専門家会の実績評価
岡村さんは、専門家会が生態系の保護のために頑張っ
た例として、計画路線に対する「よりマイナス影響の少
ない『南回り路線』」を提案したこと、それが実現される
可能性がなくなったと判断したときに、「歩道なし道路」
を提言したことなどについて述べた。
これに対して、大川は議事録を精細に分析した結果と
して、専門家会の提言は土木局によって真剣に検討され
た形跡はなく、「言いっ放し」のまま単なるガス抜きと
して、言い換えれば土木官僚の「環境を配慮した」アリ
バイ証明として、議事録に残されたに過ぎないのではな
いかと厳しく批判した。
また、地元に住む高岡さんは、土木局の住民アンケイ
トの方法も評価も道路建設推進に都合の良い結果となる
ような客観性に欠けたものだと指摘した。大川も、記録
資料から判断する限りは同じような印象をもっている。
二、三の例を挙げておこう。「今のような周辺道路の
渋滞が解消されなければ、八事日赤病院に救急自動車で
運ばれる心臓発作などの病人も、助かるものも手遅れに
なる。」という回答が紹介されていた。しかし、大川が
2004 年春にハノーファの郊外のシュタットハーゲンと
いう人口5,6万人という小都市の総合病院を視察した
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
ときには、この町が属する郡が建設した救急ヘリコプタ
発着場が病棟に隣接する芝生広場に完備されていた。道
路建設よりはるかに少ない費用で相生山緑地の東端の小
公園あたりにヘリポートを建設して、道路建設を取り止
めれば悪化している市の財政にも寄与するはずだ。
次に、「歩道なし道路」の提言をしりぞける理由とし
て土木局が引用した住民アンケイトに、「住民のなかに
は通学や買い物に自転車で通りたい人もいる。」という
回答があったことが報告されているが、このようなアン
ケイトをただ一人が書いたのか、もっと多くの住民が書
いたのかという説明は何もなかった。
このような疑問点を林会長をはじめ四人の専門家の誰
も糾さなかったことを不思議に思う。岡村さんも、国庫
補助をもらう道路の建設が守らなければならない基準を
定めた「道路構造令」という省令が、広大な平地を前提
にしたアメリカ合州国の例にならったもので、平地が乏
しくて起伏の多い日本には適合しないものだと説明した
が、このような批判的な視点が活かされなかった専門家
会の姿勢にも問題がありそうだ。
この項の最後に、高岡さんの専門家会への批判を要約
して引用しておこう。
相生山緑地の自然の特徴は、チャート礫による尾根部
の貧栄養地域部分と、植物相・鳥相の分析からエッジ効
果の影響の度合いが比較的低い中央の谷周辺の、自然度
が最も高くなっている緑地生態系のコア部分であると評
価する。
最も自然が豊かな生態系のコア部分中央に道路が建設
されると、エッジ効果によって豊かな自然が失われる可
能性が高い。また、
そのことに専門家会が言及していない。
【土木局ができないホタル調査を自分たちで率先してや
ろう!】
私が研究会を発足させた真意は、すでに書いたように、
土木局のペイスで進み始めた緑地横断道路建設工事によ
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
る生態系への侵害をできる限り食い止めるための方法を
探ることだった。だから、研究会も毎月1回くらい継続
的に開催するつもりだった。
ところが、会の終わりごろになって小原さんが面白い
提案をした。「ヒメボタルの生息地が壊滅的な被害を受
けることがないように世論に訴え、名古屋市に路線変更
や慎重な工法を考えてもらうために、私たちが先頭に立
ってヒメボタルの幼虫調査をできないだろうか?」
実は、ホタルの生態に詳しい専門家として研究会への
出席をお願いした八木剛さんが、基調報告の中で「飛び
ながら発光するオスのヒメボタルの個数を調べるだけで
は不十分だ。成虫と幼虫の生息する場所が違う可能性も
小さくないので、幼虫の個数の調査も大事だ。」と指摘
したことに、注意を促されての発言だった。
小原さん以外の参加者も、初めて聞く話に注目してい
たので、この提案はすぐに全員の賛同を得た。この後の
話し合いは生態系の専門家には興味深いだろうが、紙数
の都合を考えて紹介を省くことにする。私自身は植物生
態系も視野に入れるはずの研究会の議論が、後半に一転
してヒメボタル保護に集中してしまったことが少々不満
だったが、物事には優先順位があるので、あえて異議を
申し立てなかった。
学生調査員に説明する岡村穣(中)
と小原玲(右)
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
【専門家も素人も、お役所不信派も協調派も一緒にでき
ることは?】
現在、挫折しかかっているかのように見える「相生山
の自然を守る会」が主導した緑地の生態系を守る住民運
動も、1999 年末に抜き打ち的に天白体育館で事業説明
会が開催された直後から、土木局肝いりの「専門家会」
の活動が始まった 2002 年の春頃までの間は活発な運動
を展開していた。
政党への要請、大新聞や主婦向けに無料配布される
地域雑誌などへの投稿、テレビ局への取材の働きかけ、
座談会などの形での名古屋市との協議、「相生の森から
SOS」を掲げたチラシ 1 万枚戸別配布、日本野鳥の会に
よる探鳥会、「歩こう、食べよう、語ろう会」、2001 年
から始められたヒメボタル鑑賞会、四季の「相生山を歩
こう会」、地域での提灯デモ行進など、その活動は広範
囲に及んだ。
その一方、土木局と対決するときには周辺地域だけで
なく都心の三越百貨店前などでの署名集めも敢行し、土
木局の不当な決定や行政行為には、しばしば公開質問状
を提出するなど、運動が高揚した時期もあった。
しかし、献身的に実行されたこれらの活動も、今から
あえて批判的に顧みると時代にそぐわない古臭い手法も
目立つ。昨年の夏休みに私が年表形式で作成した A4 で
6 頁に及ぶ詳細な「相生山緑地保護運動の歴史」を予め検
討して研究会に臨んだ八木さんも、「このような手法で
は世論を盛り上げることは難しいでしょうね。」という
感想を述べていた。
このような時代錯誤ともいえる手法に傾いて行った理
由として、「公権力=悪」という公式を前提にした「敵・
味方論」という 1970 年代までの硬直した階級国家観から
抜け出せない人々が、運動の中心にいたからではないか、
と私は推測している。だから、2003 年春に専門家会が
提言を提出する頃から、この運動が眼に見えて衰退し始
めたのではないか。
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
現代の環境保護は、国や市を糾弾するだけでなく、広
い世論を味方につけて公務員を説得し、時には追い詰め
て、ヴォランティアの市民活動家と協力しながら、「よ
り望ましい環境行政」を模索する方向に向かわせること
なしには容易に進まないのではないかと考えている。
昨年と同様に、今年の春も休暇を取ってウィーンの旧
友を訪れた。そのとき、オーストリアの代表的な新聞の
EXPO 特集記事を何回か読むうちに、一つの作戦を思い
ついた。「環境万博」を呼び物にしていることを逆手に
とって、EXPO のお膝元である名古屋市内で、貴重な緑
地生態系が横断道路により破壊されようとしているとい
う問題を国際化したらどうだろう。外圧に弱い日本の中
でも飛び切り保守的な風土を特徴とする「偉大な田舎」
名古屋市の役人たちには結構効き目があるだろう。
そう考えて、まずは緑の党のウィーン支部党員とし
て活動している元名古屋大学外国人教師、次に前回の
EXPO が行われたハノーファ近郊に住んでいて、昨秋訪
日の折に私の少人数授業に出演してもらった二人の地理
学の先生に、相生山緑地横断道路への疑問を日本の大新
聞に投稿してもらうよう頼んだ。
そして帰国後、
「相生山の自然を守る会」の人々に、
「万
博が始まる今が絶好のチャンスだ。欧米の大新聞や週刊
誌に相生山横断道路建設に抗議する投稿をどんどん送
ろう。ドイツ語なら私が翻訳してもいい。」と提案した。
彼らも賛成してくれたが、実はこの頃には「守る会」の
行動力は衰退の一途をたどっていて、もはや私のアイデ
アを実行する力は残っていなかったらしい。
【ヴォランティアによるホタル幼虫大調査の試み】
今年5月に開催された「守る会」の第6回年次総会の
様子を見て、「今の時期にこんな心細い状態では!」と
失望した。もはや「守る会」に多くを期待できないから
には、他の市民や団体を巻き込んで、より広い運動を展
開して何とか最悪の事態を避けなければならないという
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
思いにかられた。
このような模索の手始めとして第1回相生山生態系研
究会で提案された幼虫調査を時期的リミットと言われる
12 月を目前にして大急ぎで実行することにし、研究会
参加者が大車輪の活動を開始して、おおわらわの準備が
始まった。
けれど、ここまでの話も簡単に進んだわけではない。
名古屋市の所有地である道路建設予定地に無断で入り込
んで、幼虫を捕獲するトラップを何千個も埋め込むこと
は許されない。
こういうわけで、研究会が終って間もなく小原さんの
大活躍が始まった。まずは、土木局道路建設課との折衝
で、立入り調査の承諾を取りつけなければならない。お
役所仕事に珍しくはないが、話合いを 10 月 24 日に行う
ことが当日の朝に(!)伝えられた。研究会の他の会員
は仕事を放り出すわけにいかないので、私だけが小原さ
んの援軍として急遽駆けつけた。相手は5人で、私は夕
刻に始まる授業のために冒頭の 30 分だけの出席。
最初に専門的な資料を広げて小原さんが幼虫調査の必
要性を力説した。その後の市側の対応は思ったより好意
的な感じがするなと聞いているうちに、私が退出しなけ
ればならない時間がきたので、次のように発言した。
「これは行政法的には許可処分と言うのでしょうか?
本来ならば、幼虫調査はあなた方、土木局にやってもら
いたいところですが、お願いしてもお役所仕事で何年後
に実現するか分かりません。そのうちに道路は完成とい
うことになりかねないので、こうして私たちが自発的に
やりたいということで、申請にきたのです。調査のタイ
ミングも急ぐので、先延ばしにしないで一日も早く決定
してください。」
私は笑顔で穏やかに話したが、相手側の一人か二人は
内心ドキッとしたはずだ。万一、不承諾になったときの
訴訟に備えて、依頼する弁護士のことも考えていたのだ
から、以心伝心で私の気持ちは伝わったと思う。
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
フィルム・ケイスに穴をあけてトラップを作る
(2005 年 11月:撮影・松成由紀子)
小原が試験的にトラップで捕獲したヒメボタルの幼虫
(2005 年 11 月:撮影・小原玲)
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
【活路を切り拓けるか「市民大連合」ヴォランティア活動】
昆虫学者の八木さんは研究会の基調報告で次のように
説明した。
1 . ヒメボタルの生態は科学的にまだほとんど解明され
ていない。全国的な生息分布状況も写真家の小原さ
んたちの活躍にも助けられて、近年に少しずつ分か
ってきただけだ。だから断定的には言えないが、こ
れまでの調査の結果から、相生山のヒメボタルの生
息地は市街地はもちろん、都市近郊や他の平野部の
生息地と比べて国内最大級と言えるのではないか。
2 . ヒメボタルは地域によって明らかな相違が認められ
るいくつかのグループがあることが分かってきてお
り、相生山のヒメボタルは、西日本の平野部にいる
グループの東の端に位置すると思われる。とすれば、
この地域での生息地保全はますます重要であり、緊
急の保護策が必要ということになるのではないか。
3 . 最善の保護の方法を考察することも容易ではない。
なぜなら、道路建設によるマイナスの影響を予測す
るためには、発光する成虫の生息場所だけでなく、
普通は見ることができない幼虫の成育場所を確認す
ることがより重要と考えられるから。
すでに上に書いたように、この発言を受けて幼虫調査
を開始することが、場所を移しての研究会の後半で決定
され、具体的な作業日程や必要な準備にまで話が及んだ。
この後のことも書き始めれば紙数が増えるので、ここで
は研究会以後の活動実績と今後の予定を表形式で示すこ
とにする。
10 月 16 日 相生山生態系研究会第1回を開催。ヒメ
ボタル幼虫調査の実施を決定。
10 月 23 日 相生山ヒメボタル幼虫調査実行委員会発
足。
10 月 24 日 土木局道路建設課に幼虫調査のための立
入り承諾を申請。
10 月 30 日 実行委員会第1回会合で、調査のための
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相生山で「瓢箪から駒が出る」?
具体的準備に着手。
11 月 01 日 土木局道路建設課が幼虫調査のための立
入り承諾を実行委員会に伝達。
11 月 15 日 中日新聞紙上で、市民調査員(ヴォランテ
ィア)を募集。
12 月 03 日 幼虫調査第1回、トラップ設置。
12 月 10 日 幼虫調査第2回、トラップ回収。
12 月 17 日 相生山生態系研究会が、講演会「" ヒメボ
タル幼虫調査 " ∼市民が調べる名古屋の自
然∼」を開催。
1月中旬頃 幼虫調査結果の報告書公表予定。
このようにヒメボタル保護運動は、学生や生徒を含む
一般市民にヴォランティア調査員としての参加を呼びか
け、これを機に広範な世論を味方にひきつけて、名古屋
市に生態系への被害をできる限り押さえ込む道路建設の
ために考え直すよう迫りつつある。
ただ、私はそれほど楽観論者ではないので、急遽浮
上してきた名案ではあっても、初年度の調査を間近に迫
っている 12 月に実施しなければならないという切羽詰
った状況で、拙速のために幼虫調査が必ずしも予期した
成果をあげられないのではないかという一抹の不安があ
る。けれども、お金も人材も十分でない市民運動に失敗
は付きものなので、そんなに心配しなくても、と大らか
に考えて調査の結果を楽しみに待つことにしよう。
〈あとがき〉
すでに何回も書いたように、工事開始という事態を予
想していたものの、工事開始を前に落胆はなはだしく成
すすべを知らないかのように、「守る会」の活動が停滞
している状況を目の前にして、私自身も一時はかなり気
が滅入っていた。
ところが、私が主宰者として始めた研究会がきっかけ
となって、様々に立場が異なる専門家やヴォランティア
が参加する幼虫調査実行委員会が発足し、活動を急速に
49
相生山で「瓢箪から駒が出る」?
展開し始めたことに救われる思いでいる。研究会と実行
委員会を両輪とする今後の活動が、相生山緑地の生態系
の保護にどのように貢献するか、もちろん楽観は許され
ないが、今後とも機会があれば不定期に横断道路建設に
よる相生山緑地の変貌について報告し続けたい。
ホタル鑑賞会に案内した三人のドイツ人の一人、相生
山の竹林、林の草花やヒメボタルなど小さな動物を愛し
た Brigitte Moehwald さんを偲びながら筆をおきます。
桜が満開の今年の春に急逝しました。
(11 月 21 日)
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私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
─ 環境学研究科主催万博記念国際シンポジウム報告 ─
広瀬幸雄 社会環境学専攻 環境政策論講座
上記のタイトルのシンポジウムが 2005 年8月6日に
野依記念学術交流館カンファレンスホールにおいて、
200 人余りの参加者を得て開催されたので、その内容を
報告する。
本シンポジウムは持続性学プロジェクトの一環として
企画された。環境学研究科は、人間社会が直面している
様々な環境問題の解決のための行動理念である「持続可
能な社会の形成」を目指す文理連携の教育・研究活動を
推進しているが、そのなかで、持続可能な社会のビジョ
ンをいかにして構築するかが課題として浮かび上がって
きた。1970年代に経済学者のケネス・ボールディングは、
爆発的に増加する地球人口とそれを維持するための食料
やエネルギーなど資源確保の困難さ、さらに人口・資源
問題に関する南北格差の大きさを指摘したうえで、地球
社会の将来ビジョンとしては、救命ボートあるいは宇宙
船地球号というニュートラルなイメージよりも、断崖の
メタファーが当てはまるという暗い感想を述べている。
断崖上ではすでに多くの人々が密集しており、徐々にそ
の人数が増加するのに反して、断崖の周辺部が崩れ落ち
て生存可能なスペースが縮小すると悲劇的なイメージか
Hams-Peter Duerr 氏の講演
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私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
パネルディスカッションでの松尾前総長の発言
ら、どのようにして持続可能な社会という明るいビジョ
ンを構想できるかが重要だとしているが、これまでのと
ころその問いかけに十分に答えられてはいないのではな
いだろうか。
そこで、本シンポジウムでは、自然科学、工学、社
会科学、人文科学の分野で地球環境問題に造詣の深い内
外の研究者を招聘して、持続可能な社会のビジョンとそ
れに密接にかかわる諸問題について、それぞれの専門的
立場からの提言を求めた。シンポジウムの前半セッショ
ンのテーマは、「持続可能な自然・人間関係」であった。
最初に、富山国際大学教授(前国立環境研究所長)石井
吉徳氏から「20世紀型文明の行方―脱石油戦略を考える」
の講演があった。その中で、世界の石油資源の専門的情
報の分析にもとづいて、中東の2つの巨大油田はすでに
老化の時期にあり、それに変わる新しい巨大油田は発見
されておらず、地球全体の石油供給のピークは過ぎてい
ることを指摘された。さらに、石油に依存する 20 世紀
型文明から持続可能な社会への橋渡しをするために、自
然と共存する農業、人口の都市集中から地方分散、自
動車から鉄道への運輸手段の転換など日本独自の脱石油
52
私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
持続可能な社会のデザインについての提言
戦略を実施する必要性を強調された。続いてマックスプ
ランク研究所名誉理事でラッセル・アインシュタイン
2005 年の起草者の1人である Hans-Peter Duerr 氏から
「持続可能なエネルギー利用」の講演があった。地球全
体のエネルギー利用の物理学的な計算に基づいて、現代
の社会は自然から一方的に資源を略奪する銀行強盗社会
であること、さらにピラミッド状に何段も積み上げたト
ランプに喩えられた不安定なバイオシステムが維持され
るための許容限界を人類のエネルギー消費は既に超えて
いると指摘した。そのうえで、持続可能なレベルまでエ
ネルギー利用を下げるために、エネルギー利用の効率性
を高めるとともに、有限のエネルギーの下で充足した生
活を送るうえでどれほどのエネルギーがあればいいのか
という十分性の基準を考慮する必要性を強調された。3
人目の講演者は、国際日本文化研究センター教授の安田
喜憲氏で「環境考古学からみた持続可能性」について発
言された。世界各地の文明発祥・衰退の遺跡から発掘さ
れた花粉の分析にもとづいて、畑作をして家畜を放牧す
ることから食を求めたギリシャなどのヨーロッパ文明は
森林の破壊によって衰亡したことを指摘したうえで、森
53
私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
と水の循環系を守るモンスーンアジアの食文明こそ持続
可能であるとして、島国根性(アイランド・ウィズダム)
としてのライフスタイルを見直す必要があると提案し
た。最後に、本研究科教授の川田稔氏は、「伝統的自然
観・倫理観の再評価」と題して講演した。柳田国男によ
る日本の伝統的村落共同体における信仰などの著述にも
とづいて、日本の社会が自然と共生してきたのは、人間
だけでなく自然も固有の存在価値をもつと見られてきた
こと、将来の世代を配慮する世代間倫理が存在したこと、
自然の生態系の保全と再生が重視されてきたことによる
と指摘したうえで、伝統的な日本人の自然観・倫理観を
将来の持続可能な社会のビジョンの基礎にすべきだと提
言した。
シンポジウムの後半セッションのテーマは「国家間の
環境コンフリクト」であった。最初に、金沢大学教授(名
古屋大学環境学研究科名誉教授)の岩坂泰信氏から「ア
ジアにおける黄砂と大気汚染」について講演された。黄
砂研究は、最初は水力資源に益する人工降雨要因という
国内的関心から開始されたこと、ついで公害の時代から
は汚染物質の越境が取り上げられたが、中国や韓国と共
通の学問的関心と理解を得ることがむずかしく、越境汚
染問題という国家間の利害対立の側面も意識された。現
在は黄砂を温暖化に関連する重要な物質として見直し、
地球環境問題として捉えられることで、ようやく共通の
学問的理解と方法に基づいて国際的に共同研究すること
が可能になったことや、そのなかから重要な研究成果が
蓄積しつつあることが説明された。科学という共通の言
葉での共通理解に努めたことによって、環境問題の国家
間利害対立を解決するための協働の仕組みを作り上げて
いった事例を報告された。最後に、世界交通学会の会長
でカールスルーエ大学教授の Werner Rothengatter 氏か
ら「EU における自動車への環境課金」について発言され
た。加盟国拡大により EU 内での自動車輸送が増大し、
環境負荷も大きな問題となっている状況で、高速道路の
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私たちは人間生活の環境の未来を構想できるのか?
インフラ整備や環境対策のために通行する自動車への課
金が国ごとに異なる基準で導入されている問題を指摘し
た上で、加盟国内の利害対立を解決する上での障害を説
明しながら、いかにして環境保全のための EU 共通の課
金制度を作り上げていくべきかについて、自動車による
社会的コストの経済学的な分析にもとづいて提言がされ
た。
以上の6名の発言を受けて、「21 世紀における環境バ
ランスとコンフリクト」のタイトルのパネルディスカッ
ションが、国際開発研究科教授の中西久枝氏の司会の下
で、同済大学副学長楊東援氏、世界資源研究所プロジェ
クトリーダー Lee Schipper 氏、環境医学研究所長児玉
逸雄氏の指定討論者を交えて、地球環境問題への地域間
対立の解決を目指して、いかにして持続可能な社会のビ
ジョンを構築していくかについての議論が行われた。
以上の詳しい内容については、現在刊行準備中のシ
ンポジウム報告書に詳しいので、それをお読みいただ
きたい。今回はその概要についてのみ報告した次第であ
る。なお、このシンポジウムは、財団法人 UFJ 環境財団、
中日新聞社、国際学術コンソーシアム AC21 との共催で
おこなわれた。
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筏津安恕教授の逝去を悼む
筏津安恕教授の逝去を悼む
黒田達朗 名古屋大学環境学研究科長
筏津安恕さんの御霊に謹んで
惜別の言葉を捧げます。
私が十四年ほど前に名古屋大
学に赴任したとき、貴方は社会
科学系の代表として教養部の改
組を担当する委員をしていまし
た。新米の私は教養部がもうす
ぐなくなるということ以外はわ
かりませんでしたが、後から思
えば新しい学部を作るか完全に消滅するかの瀬戸際で、
筏津さんも忙しい思いをしていたのだろうと思います。
社会科学系の教官会議で貴方が委員の交代を希望したの
に、長老教授たちがもう少しの辛抱だと言ってあっさり
却下したのが印象に残っています。
結局、情報文化学部という新学部ができて我々はまた
同僚になりました。貴方は私より4つほど年長で名大で
はそれ以上の先輩でしたが、東北大の学生時代の貴方の
下宿が私の実家のそばだったことなどから、いつの間に
か親しく話をするようになりました。
最初の改組が落ち着いた頃、貴方は待ち望んでいたド
イツへの留学を果たしました。風の便りで猛勉強してい
るとは聞いていましたが、帰国した貴方は大きな宝物の
ありかを探し当てた探検家のようでした。留学前は大学
で仕事をしないのを自慢していたのに、帰国すると早朝
から夜8時過ぎまで大学で仕事をするのが当たり前にな
りました。その毎日の繰り返しが見る見るうちに成果と
なって数冊の研究書に結実し、専門家の賞賛を浴びるま
でになりました。貴方のライフワークは、法思想史的な
観点からの、西欧における社会的契約理論の系譜の再構
築ないし再評価にあったのではないかと思いますが、理
論経済が専門の私には詳細はわかりません。ただし、一
時流行した「法と経済」などにおける取引費用、情報や
契約の不完全性など、アメリカ流の捉え方がいかに皮相
で浅薄なものかという批判を何度か聞かされました。
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筏津安恕教授の逝去を悼む
一方、不完全な形に終わった名古屋大学の教養部改組
は、法人化を前にして更なる改編を必要としていました。
文系の再編統合のアイディアを抱えた私が新研究科の設
立を目指して活動を始めたとき、貴方自身は決して会議
の場には出てこようとしませんでした。私は、最初の改
組で多くの研究時間を失った貴方の意地のようなものを
感じました。しかし、会議の続く毎日の中で、私は一日
の最後に、遅くまで大学に残っている貴方に自分の考え
を述べながら、それを修正し再確認することができまし
た。いつも明かりがついている貴方の部屋は多くの同僚
を惹き付け、コーヒーサービス付きのサロンともなって
いましたね。貴方はそこで直接会議に出ていない多くの
同僚に、私の考えや進捗状況を説明する広報担当の役目
を自ら担い、我々の分業が成立したわけです。もっとも、
時々二人揃って他の部局に説明に行くと、一部の学部長
から盗人よばわりされることもあり、我々は文系盗賊団
だと自ら名付けては笑い転げ、そんな学内の誤解も楽し
んでいましたね。
そんな苦労の中で生まれたさらなる改組も一段落し、
貴方はもう一冊本を書くのだと我々に、そして自分自身
に言い聞かせて、恒例となった夏休みのドイツ行きの準
備を今年もしていましたね。しかし、もともと腰痛持ち
の貴方がマッサージに行く回数がこの春から随分増え
たことに私は気付いていました。50 を超えると疲れや
すくなると5月か6月頃によくぼやくようになったこと
も、内心変だとは思っていたのです。しかし、7月の半
ばに、リンパの検査があるから今年のドイツ行きは止め
ると言った貴方が、まさかこんなに早く逝ってしまうと
は誰が予想できたでしょう。8月の検査でおおよその病
状がわかってからも、つたない知識や医者の診断をもと
に、私たち仲間は貴方の病状に一喜一憂の日々を過ごし
てきました。それでも、まだ貴方が逝ってしまったこと
が信じられない思いで一杯です。先週の土曜日に病室を
訪ねた時も、急に痩せ細った貴方を見て私はとても驚い
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筏津安恕教授の逝去を悼む
たのですが、食欲が戻ればまた持ち直すだろうと本当に
信じていました。きっと、寄り添うように看護されてい
た奥様も同じ思いを抱かれたのではないでしょうか。
もともとタバコ嫌いの私が事あるごとに禁煙するよう
に勧めたとき、貴方はいつも不機嫌そうな顔をしました
ね。本当の病因はわかりませんが、嫌われてももっとし
つこく禁煙を迫れば良かったと、今では慚愧に堪えませ
ん。
神慮により、いま貴方は現世の重荷から解き放たれた
わけですから、病室でまで心配していた大学の雑事はも
う忘れてください。残された私たちが、貴方が二度に渡
って示した改革の志を引き継ぎます。
貴方に向かって安らかに眠れとは言いません。なぜな
ら、貴方がこの世で書ききれなかった本を仕上げるため
に来世でも机に向かう姿が、我々には見えるような気が
するからです。
(2005 年 11 月 9 日 告別式における弔辞)
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事務部の窓
事務部の窓
【DATA BOX】
○ 平成 16 年度 修(満)了生 進路状況
博 士 課 程 前 期 課 程
専 攻
就 職
進学
その他
計
15
(1)
6
(2)
〈1〉
45
(8)
〈1〉
1
5
(4)
〈3〉
3
(1)
〈1〉
52
(13)
〈5〉
3
(2)
2
(1)
7
(1)
1
〈1〉
25
(13)
〈2〉
11
(2)
3
(1)
27
(6)
〈3〉
10
(3)
〈3〉
122
(34)
〈8〉
民間
企業
公務
員等
19
(5)
5
都市環境学
専
攻
40
(8)
〈1〉
3
社会環境学
専
攻
12
(9)
〈1〉
合 計
71
(22)
〈2〉
地球環境科学
専
攻
その他
博 士 課 程 後 期 課 程
専 攻
地球環境科学
専
攻
都市環境学
専
攻
社会環境学
専
攻
合 計
就 職
研究所
大学等
企業等
その他
3
1
1
(1)
3
1
1
7
2
1
(1)
その他
計
6
(1)
11
(2)
9
(1)
〈6〉
13
(1)
〈6〉
8
(1)
〈3〉
9
(1)
〈3〉
23
(3)
〈9〉
33
(4)
〈9〉
( )は女子,
〈 〉は外国人留学生を内数で示す。
*「就職 ─ 公務員等」は教員を含む。
*「就職 ─ その他」は有職者,自営業等。
*「進学」は他大学進学者を含む。
*「その他」は研究員,研究生,帰国,就職活動,家事等。
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事務部の窓
○ 委任経理金受入状況(平成 16 年度)
件数・金額
件数
専攻等
研究科
受入額
0
地球環境科学専攻
0
5
4,598,000
都市環境学専攻
39
34,833,334
社会環境学専攻
3
2,850,000
地震火山・防災研究センター
計
3
1,677,000
50
43,958,334
【教職員の異動】
(平成17年7月1日∼平成17年12月15日)
○ 退 職
H17.09.15
平原和朗
地球環境科学専攻地球惑星
物理学講座教授(京都大学大
学院理学系研究科教授へ)
H17.09.30
山口喜子
21 世紀 COE 拠点推進室技術
補佐員
H17.11.30
小林真歩
環境学研究科・地球水循環
研究センター大学院掛事務
補佐員
○ 配置換(転出)
H17.10.01
飯高哲也
社会環境学専攻心理学講座
助教授(大学院医学系研究科
助教授へ)
H17.10.01
永田幸男
環境学研究科・地球水循環
研究センター事務長(事務局
総務企画部長へ)
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事務部の窓
○ 配置換(転入)
H17.10.01
山本明博
環境学研究科・地球水循環
研究センター事務長(情報文
化学部・情報科学研究科事
務長から)
H17.08.01
廣瀬美佳
環境学研究科・地球水循環
研究センター会計掛事務補
佐員
H17.09.12
村手暢子
21 世紀 COE 拠点推進室技術
補佐員
H17.10.01
古本宗充
地球環境科学専攻地球惑星物
理学講座教授(金沢大学大学
院自然科学研究科教授から)
H17.10.01
丸山一平
都市環境学専攻建築構造シ
ステム講座助教授(広島大学
工学部助手から)
H17.10.01
中道治久
附属地震火山・防災研究セ
ンター助手(U.S. Geological
Survey 研究員から)
H17.12.01
渡辺訓子
環境学研究科・地球水循環
研究センター大学院掛事務
補佐員
H17.11.01
三村耕一
地球環境科学専攻地球化学
講座助教授(地球環境科学専
攻地球化学講座助手から)
H17.12.01
原田昌幸
都市環境学専攻都市持続発
展論講座助教授(都市環境学
専攻都市持続発展論講座講
師から)
筏津安恕
社会環境学専攻社会環境規
範論講座教授(逝去)
○ 採 用
○ 昇 任
○ 訃 報
H17.11.07
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<原稿募集>
本誌は名古屋大学環境学研究科の広報誌ですが、内部外部を問わず
原稿を広く募集しています。
「環境」をキーワードにしたものであ
れば、内容は問いません。文字数は 1,500 字∼ 8,000 字とし、長い
原稿は連載として掲載します。執筆ご希望の方は、最寄の広報委員
へご相談いただくか、下記メールアドレスまでお知らせください。
名古屋大学大学院環境学研究科広報委員会
荒川政彦・岩松将一・木股文昭・柴田 隆
田渕六郎・玉樹智文・西澤泰彦
[email protected]
<編集後記>
今回は、編集作業中に筏津先生の訃報が入りましたので、告別式
での黒田研究科長の弔辞を掲載しました。心よりご冥福をお祈り
します。また、今号と時を同じくして『環境学研究ソースブック』
(藤原書店)が出版されます。環境学研究科における環境学研究の
幅の広さと奥行きの深さを示すものとなりました。
(西澤泰彦記)
KWAN「環」11 号
名古屋大学大学院環境学研究科広報委員会
2005 年 12 月発行
http://www.env.nagoya-u.ac.jp
ダウンロード

2005年11月 - 名古屋大学 大学院 環境学研究科