2007年2月15日
「総合的な学習の時間」の状況論的アプローチ
佐長
健司(佐賀大学文化教育学部)
はじめに
状況学習論の立場から、今日の学校教育における授業のあり方を見直す試みを論じる。すなわち、学
校を超えて、学校的な状況においてだけでなく、現実社会においても意味、価値のある学力を育成する
授業の基本方略について考察することが、本小論の目的である。
以下では、「総合的な学習の時間」における授業改善について考察する。教科の学習指導とは異なり、
「総合的な学習の時間」は総合的であるので、多様な個別学問の影響はあるものの、それらは比較的小
さいことがある。そのため、後に述べるような、個別学問の影響による学校的な状況は強力ではない。
ここにおいて、それを超えて、現実社会の状況にその教育、学習を位置付けることが容易になってこよ
う。このような理由によって、「総合的な学習の時間」を取り上げて考察したい。なお、カリキュラム
のレベルで論じる準備はない。したがって、単元レベルの授業について論じることにする。
以下では、第1に、状況学習論について明らかにする。また、学校における教育、学習が学校的な状
況におかれていることの課題について論じたい。この課題に応じて、第2に単元授業の目標の改善につ
いて述べる。単元の授業目標は、学校的な状況においてだけでなく、地域社会においても意味や価値が
認められるものにすることについて考察する。第3は、具体的な教師の指導、子どもたちの学習の充実
についてである。単に指導のための指導、学習のための学習ではなく、第1の授業目標を達成するため
のあり方について考察する。第4は、学習評価の改善についてである。状況学習論に基づき、現実的な
状況における学習評価としてのパフォーマンス評価を提案したい。
1
状況論的アプローチから考える学校
状況学習論によれば、あらゆる行為は、状況に埋め込まれている。状況が行為を意味づけ、価値づけ
る。その一方で、意味や価値のある行為が、その行為を意味づけ、価値づける状況を可視化し、強固な
ものとする。すなわち、行為と状況は相互構成的な関係にあると言えよう。さらに、個々の状況はさら
により大きな状況によって意味づけられ、価値づけられる。このような入れ子構造にある状況は、状況
の状況を必要とする。そのような個別の状況を含み込む大きな状況は、共同体である。それは、共同体
としての地域社会や一般市民社会である。
学校で行う教育、学習も例外ではなく、一定の状況に埋め込まれ、さらにはより大きな状況、共同体
によって意味づけられ、価値づけられるものである。学校は学校という一つの共同体としての秩序を維
持しなければならない。そのため、子どもたちが入学すると、学校的な状況に適応し、学校共同体の一
員としてのアイデンティティを確立するように教育する。共同体のメンバーが、共同体が求めるアイデ
ンティティを確立し、その状況の中で適切でふさわしい行為を行うことによって、共同体は可視化され、
その維持、発展が可能になるからである。
しかし、問題は共同体としての学校が、それをも含み込むより大きな共同体である地域社会や市民社
会と断絶、あるいは孤立していることにある。断絶、孤立が言葉に過ぎるようであれば、一定の格差、
ギャップがあると言おう。この問題は、残念なことであるが、子どもたちにも保護者にも、学校で学ん
だことは、現実社会では役立たないと受け止められているような事実において、あらわになっている。
たとえば、算数の学習の場合である。教師が掛け算の問題を出題する。「一人6キログラムの体重の
小学生が6人います。全員の体重を合計すると何キログラムでしょうか」というような問題である。す
ると、子どもたちの何人かは、36キログラムと答える。そこで、教師が「ほんとうにそれでいいのです
か」、と問う。「体重が6キログラムの小学生がいると思いますか」と問うと、当然のように子どもは
「いない」と答える。すると、教師が「そんな嘘の問題、ありもしない問題を解いたけど、おかしいと
思いませんか」と言う。しかし、子どもは「これは算数の問題だから、いいんだよ」と答えるのである。
このようなエピソードに認められるように、学校での教育、学習は現実社会の状況から切り離されて
成立している側面がある。もちろん、このエピソードは実験的な場面における事例である。そうであっ
ても、学校での教育、学習にはこのような傾向は少なからず認められるであろう。なぜなら、そもそも
学校では、現実的な状況と切り離した一般的な知識や能力を教育できると考えているからである。この
意味では、学校は現実的状況と切り離された特殊な共同体とも言えよう。
しかし、そのような特殊な共同体として学校が機能することも必要とされてきた。なぜなら、学校の
外部である現実社会の共同体においては困難だと思える、知的な教育を行うことがその使命だからであ
る。なお、この使命は現実社会の共同体から与えられたものである。
近代になると、現実社会は伝統的な地域共同体を弱体化させ、それを超えて複雑で、過大になってい
く。そのため、わたしたちが生きていくためには、ある一定水準以上に、伝統的な知識や能力以上のそ
れらを必要とするようになってきたのである。たとえば、今日のような高度情報化社会、知識基盤社会、
グローバル社会においては、さらに高いレベルの知識や能力がなければ、よりよく生きていくことがで
きない。そのような知識、能力を教育するには現実社会は非効率的で、有効に機能しない。だから、近
代的な制度としての学校が創設、整備された。そこでは、現実社会では学ぶことが難しい知識や能力を
育成することが使命とされたのである。
この使命は、学校共同体の特殊性を強くする。高度な知識や能力を教育し、学習させるには、学問的
な内容がふさわしいことによる。学問的に正しいことを体系的に、順序よく教えていくことによって、
高度な知識や能力を育成するようになったのである。そのような教育内容は、必ずしも現実社会の状況
的な意味や価値を帯びることは少ない。学問的な成果を生み出す学者が構成する学問的共同体は自律的
で、現実社会の共同体から独立、孤立している側面が強い。学校もそれと同じような性格をもつように
なったことにより、学校の非現実的側面を強くした。
しかし、状況学習論が言うように学習は状況に埋め込まれているのだから、学校共同体の特殊性を低
減し、現実社会の共同体からみても意味や価値のある教育、学習を実現していくことが求められよう。
すなわち、教師が行う教育、子どもが行う学習を、学校の状況と現実社会のそれとの二重の状況に位置
付け、作りだし、解釈できるようにするのである。そうすることによって教育、学習の意味や価値が、
学校と現実社会の両者の状況から認められるようにしていくべきである。
2
授業目標を地域的状況に埋め込むこと
(1)地域的状況からとらえ直す授業目標
数時間から数十時間の授業のまとまりである単元を構成することは、目標の設定から始まる。目標は
授業のゴールであり、授業における教師の指導、子どもたちの学習を導くものである。目標が明確でな
ければ、教師の指導も子どもたちの学習も方向を見失い、かつて「はいまわる経験主義」と呼ばれるた
ことがあるが、それと同様の事態に陥る。一方、目標を絶対視し、その時、その場の状況を無視するな
ら、行われる教育も学習も窮屈で、反発を感じるものとなる。こう考えてくると、目標は明確で、柔軟
に状況に応じて動かせるものとして設定しなければならないことになる。
このように目標設定の難しさはあるものの、さらにより大きな現実的な状況に埋め込まれた目標へと
転じたい。すなわち、教室において、教師と子どもによって設定された目標であっても、地域社会の状
況に位置付け、そこから意味や価値を見出せるものにしていくことである。学校的状況の中だけでなく、
学校の外の地域社会に持ち出しても、保護者や地域の住民に理解され、意味や価値があると認められる
ような内容の目標として設定するようにしたい。
たとえば、単元において、地域の行事や祭りを対象として学習させる場合である。一般的には、「地
域の行事や祭りについて調べ、理解する」ことが目標として設定される。あるいは、評価が容易だと考
えられる行動目標の形式を重視して、「理解」に代えて「説明」とすることもある。いずれにしても、
そのことが地域社会において意味や価値が必ずしも大きいとは言えないであろう。
もちろん、地域の行事や祭りについて理解することには、一定の意味、価値を見出すことができる。
保護者や地域住民からみても、子どもたちが地域の行事や祭りについて知らないよりも知っている方が
望ましいと考えられるからである。しかし、そのような知り得た内容は当然と考えられることもある。
また、地域の行事や祭りに参加すれば、学校教育とは違う形で、そのような内容を自然に学ぶこともで
きよう。
さらには、より意味や価値のある教育を求めるような動きが出てくるかもしれない。たとえば、その
地域では地域固有の行事や祭りへの参加者が減少し、それらの維持が困難になっている場合である。そ
のような状況を改善したいと地域住民は考えている。しかし、改善の方法を十分に見出すことができな
い。そこで、子どもたちに行事や祭りに参加するように働きかけてほしいと学校に依頼するようなこと
を始める。
このような状況の中に、行事や祭りを対象とする「総合的な学習の時間」の授業目標を埋め込むこと
を試みよう。すると、目標は「地域の行事や祭りについて調べ、衰退しつつあるそれらを盛り上げ、多
くの人たちが参加するようになるプランを考えることができる」というような内容となってこよう。も
し、この例のような目標で教育、学習することを地域住民に知らせたら、その反応はどうであろうか。
先のような単に「理解(説明)する」という目標の場合よりも、地域住民は意味や価値を大きく感じる
であろう。学校での「総合的な学習の時間」は、地域社会から意味や価値が与えられるようになるので
ある。
(2)地域的状況に埋め込まれた授業目標
前項で述べたような目標の転換は、子どもたちや教師にとっても意味、価値を拡大する。「総合的な
学習の時間」での活動は地域社会のなかに埋め込まれ、活動する子どもたちや教師は地域社会に参加す
ることになるからである。参加し意味や価値のある社会的実践としての学習活動は、子どもたちや教師
の地域社会のメンバーとしてのアイデンティティを強化する。また、そのことは地域社会の共同体を可
視化し、維持、発展させることにもなってこよう。維持、発展される共同体は強固なものとなり、学校
を強くサポートすることが可能になり、学校教育は充実する。このようなポジティヴなフィードバック、
あるいは地域社会と学校のサーキット(回路)の強化が期待できるのである。
さて、学力の育成という観点からすれば、目標の「理解する」ことと「プランを考える」こととは、
かなり異なる。前者は後者に含み込まれ、後者は前者以上に多くの高度なことを行わなければならない
からである。「プランを考える」には、その必然性がなければならないので、たとえば地域固有の行事
や祭りが衰退しつつあることを理解しなければならない。そのような理解の内容が増加する。
また、プランを考えるには、新たな発想が求められる。現状において何らかの対策はなされているだ
ろうが、さらに有効な対策を発想しなければならない。そのためには、子どもたちはそれぞれのアイデ
アを出し合い、思考し、議論しなければならない。また、そうして得られた成果は地域社会に役立ち、
理解されなければならないので、地域住民に向けて表現しなければならないことになる。そのため、そ
の表現も説得的で高度なものが要求されよう。
こうして、地域的状況に埋め込まれた目標が導く子どもたちの学習は、高いレベルでの学力を育成す
るものとなってこよう。ただし、子どもたちの学習という限界があるため、現実的な視点からすれば十
分に有効な「プランを考える」ことまでは困難であろう。それでも、学習は本物の意味を強くして「お
勉強のためにお勉強」ではなくなるので、子どもたちの意欲とエネルギーは高まってこよう。しかも、
育成される思考力や表現力等の学力は、現実社会の状況に埋め込まれているので、現実社会において生
きて働くものとなることが期待できる。
ただし、子どもたちの高いレベルの学力の育成が可能になるかどうかは、目標だけで決まるものでは
ない。言うまでもなく、目標の達成を目指しての教師の指導、子どもたちの学習の充実が欠かせない。
そこで、項を改めて単元授業の展開におけるそれらについての考察を行うことにしよう。
3
指導と学び合いのツールを学習状況に埋め込むこと
(1)単元授業の展開
単元の授業の展開は、大きく3つに分節化することができる。導入、展開、終結の3つである。導入
部分の目標は、子どもたちの意欲や興味・関心を喚起し、学習課題を成立させることである。成立させ
る学習課題は、単元の目標に対応するものでなければならない。前項で述べた目標「地域の行事や祭り
について調べ、衰退しつつあるそれらを盛り上げ、多くの人たちが参加するようなプランを考えること
ができる」の場合であれば、この目標に示された行為を課題とすることが求められる。そのため、地域
の行事や祭りへの参加者が減少し、その維持が難しくなっているなどの事実を知らせなければならない。
また、そのことが地域社会に望ましくない影響を与えることについても考えさせる指導が必要である。
その上で、「多くの人たちが参加するようになるプランを考えよう」と課題を設定することになる。
単元の展開部では、設定した課題に応じて、調べたり、体験したり、話し合ったりするなどの活動を
指導する。地域の行事や祭りがどのようなものであるのか、その歴史や実態について調べ、あるいはそ
の一部を体験し、地域社会におけるそれらの意味、必要性などを考える。その後、それらに「多くの人
たちが参加するようになるプラン」を発想する学習が展開される。すでに行われている対策や他地域の
事例について調べるなどの活動を指導する。そうすることによって、新たなプランを発想することがで
きよう。それらを互いに発表し、質問や意見を交わして検討する。効果が高いと思えるものを選び、具
体化する作業を行うように指導する。
終結部では、1つ、あるいは複数のプランを効果的に表現する。そうすることは、導入部で設定した
学習課題に答えることである。教師にとっても、子どもにとっても目標を達成する行為となる。また、
それを教師は教師の視点で、子どもは子どもなりに評価する。不十分な達成であれば補充の指導、学習
を行うことになる。十分であれば、その成果を確認して次の単元の授業へと移る。
このように単元の指導と学習の展開が考えられるが、教師の指導は、子どもたちの学習活動の質を高
め、その発展を図るものでなければならない。学習活動は調べることをはじめとして、思考、体験、話
し合い、表現など多様である。それらのいずれについても指導の充実が求められる。
(2)指導のツールを学習状況に埋め込むこと
指導の充実のために、教師はそれぞれの学習活動を指導するツールを十分に準備しておかなければな
らない。たとえば、思考指導の場合である。思考には、事実的思考と価値的思考、あるいは異同、比較、
類似、一般化、因果などの思考の類型について知っておくことがある。このような類型は、子どもたち
の行っている思考のあらわれを観察して、その内容をとらえ、評価することに役立つ。
また、子どもたちが何らかの思考を行うプロセスにおいてつまずいている場合、有効な指導を行うこ
との準備も必要である。事実的思考の場合の指導としては、観察行為や資料から情報を引き出すことを
援助するようなことがあろう。思考の類型に応じて、それぞれにふさわしい指導の内容を準備しておく
のである。これらのような思考の類型、それぞれの思考に応じた指導の内容が思考指導のツールであり、
それを豊かにしておくことが求められる。
また、多様なツールは、子どもたちの学習状況に埋め込むようにしなければならない。すなわち、そ
の時、その場の状況に応じて柔軟に使い分けるようにすることである。あらかじめ、学習指導案には使
用する指導のツールについて、多様に明示しておくことは必要である。子どもたちの実態に応じて、そ
の学習状況をできるだけ具体的に予測し、必要となるツールを準備しておくことである。しかし、子ど
もたちの学習状況は、教師の予測を裏切ることは少なくない。学習状況は刻々と変化するのが当然とも
思えるほどである。したがって、学習指導案に明示し、予定していたツールにこだわることなく、多様
に準備していた他のものに差し替えるなど、柔軟に対応するようにしたい。この柔軟な対応こそが、教
師の指導を学習状況に埋め込み、それに意味や価値を与えることを促すのである。
なお、上では思考の「つまずき」と述べたが、それは個性ととらえることが望ましい。なぜなら、教
室には落ち着いて思考することは不得手だが、体験には没入することが得意な子ども、あるいはそれと
は逆の子どもなど、多様な子どもたちが認められるからである。どの子どもも同じように成長するので
はないことは、自明である。それにもかかわらず、単一の観点、スケールによって測定し、「つまずき」
として指摘したり、マイナスの評価を与えたりすることは、子どもたちの学習意欲を低下させるであろ
う。このことを避けるために、個性としてとらえるようにしたい。指導のツールは、個性に応じたそれ
なのである。
(3)学び合いのツールを学習状況に埋め込むこと
前項において述べたことは、教師が子どもを指導するという図式によるものである。しかし、その一
方で子ども相互の学び合いが学習を豊かにすることを忘れてはならない。状況学習論によれば、学習は
状況に埋め込まれている。すなわち、両者は相互構成的であり、状況が学習に意味や価値を与え、意味
や価値ある学習が状況を構成、強化し、学習の意味や価値を大きくしていくのである。したがって、状
況としてとらえることが可能な、子ども相互の学び合いの充実を実現するようにしたい。
たとえば、ある子どもの発言に対して、他の子どもが質問をするようなことがある。このような場面
をとらえて、教師は子ども相互の学び合いを充実させるように働きかけることが求められる。もちろん、
活発な意見の交換、ディスカッションが自然に引き起こされるなら、それを見守るようにする。しかし、
発言した子どもが質問に答えることができない、あるいは答えたとしても質問した子どもはその内容が
理解できないこともあるだろう。そうなると、子ども相互の学び合いであっても、教師は積極的に指導
を行うことが求められる。ここにおいては、子ども相互の学び合いのためのツールが必要とされる。
たとえば、話し合いやディスカッションに関するツールである。先に述べた思考指導の場合と同じよ
うに考えることができよう。言語による相互交流の類型化を明らかにしていくことがある。言語的交流
における発言は、意見発表、質問、異論発表、批判・反論、論点整理、総括などのように類型化できよ
う。このような類型は、子どもたちの行っている言語的交流における発言を観察して、その内容をとら
え、評価することに役立つ。
また、子どもたちによる個性的な言語的交流に対して、有効な指導を行うことの準備も必要である。
たとえば、意見発表の場合である。結論とそのサポートとなる理由を関係付けて、それぞれに明確にす
る指導をあらかじめ考えておくことがある。期待するように意見が述べられない子どもに対しては、「一
番言いたいことから、発言してごらん」というような助言、「なぜ、そのことが正しいと思うのか、理
由を聞かせてほしい」というような問いかけがツールとして考えられよう。このようなツールをその他
の質問や批判・反論、論点整理、総括などについても準備をし、状況に応じて使い分けるようにしたい。
しかし、教師による指導、子ども相互の学び合いのいずれの場合であっても、あらかじめ必要で十分
なツールを準備しておくことは難しい。指導の状況、子ども相互の学び合いの展開は教師の予想を超え
て、生成的だからである。だからといって、綿密な準備が無駄ということにはならない。可能な限り予
測できる状況に応じた多様なツールを準備し、学習指導案に記しておくようにしたい。
加えて、指導、学習の場において、必要に応じて新たなツールを作り出すことを試みるようにもした
い。このことは、教師が子どもから学ぶことである。子ども相互の学び合いに加えて、教師と子どもの
間に学び合いを実現することになろう。そうすることは、指導と学習を豊かにする。子どもたちの学習
が豊かになることに比例して、教師も指導力を向上させていくからである。
4
学習評価を地域的状況に埋め込むこと
(1)状況に埋め込まれた学習評価
学習評価の問題は、非常に重要である。なぜなら、学力と学習評価の問題は一体だと考えられるから
である。ここでは、学力は意図的に教育し、学習させたと思えるものであり、測定及び指導としての学
習評価の対象とする知識や能力、態度だと規定しておく。すると、学習評価によってこそ学力をとらえ、
指導することが可能になり、学力問題は、同時に学習評価の問題であるとも言えよう。
ところで、OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development)が実施したPISA(Prog
ramme for International Student Assessment)の国際的学力調査の結果が報道され、日本の学力が低下したと
の議論が盛んになったことがある。周知のようにPISAのテスト問題は、現実的文脈としての状況の
なかで知識や能力が使えるかどうかを測定するものである。すなわち、現実の状況の中で活用でき、な
んらかの目的を実現できる知識や能力を測定し、それらを学力とする。世界的には、このような評価方
法と学力観が先進国に共有されつつあるようだ。
これまでであれば、現実の状況とは切り離した客観テストと呼ばれるようなペーパーテストによる学
習評価が支配的であった。現実的な状況と切り結ぶことのない一般的な知識や能力であっても、現実社
会の問題を考えることに転移、応用が可能であり、それらの知識や能力は具体的な文脈としての状況を
欠いて測定できると考えられていたのである。しかし、状況学習論等の研究成果が文脈を欠いた知識や
能力の存在を否定するようになった。また、知識や能力は状況に埋め込まれていて、異なる状況には応
用、転移が難しいことが明らかになった。これらのことが学力観や学習評価の方法に影響を与えるよう
になってきたのである。
文部科学省もこのような動きに応じて、早くから「新しい学力観」を主張してきたのだと思える。生
活科の新設や「学習指導要領の3割削減」による「生きる力の育成」、「総合的な学習の時間」の新設
は、その具体化であろう。しかし、学力の育成と学習評価の実施は一体のものであるにもかかわらず、
学習評価の改善が十分に進まなかったことに問題がある。観点別学習状況評価、目標準拠の評価(評価
規準と評価基準の区別なども含めて)の充実を図ったが、PISAのように現実の状況や文脈のなかで
知識や能力を評価するにまでは至らなかった。
ここを超えるためには、オーセンティックな評価(Authentic Assessment、真正の、本物の評価)としての
パフォーマンス評価(Performance Assessment)を導入することが考えられる。これまでの一般的なペーパー
テストは、実際的な状況や文脈と切り離して、知識や能力を測定しようとするものであった。しかし、
そのようなペーパーテストで高い測定値を記録したとしても、現実にその力が発揮できるかどうかはわ
からない。そこで、知識や能力を現実に近い実際的な状況や文脈のなかで活用することを測定するため
の、オーセンティックなパフォーマンス評価が必要になる。
現実的な状況のなかで評価する場合、評価の対象となる行為は現実的に意味や価値のあるパフォーマ
ンスが対象となる。正誤問題や簡単な記述問題のような一般的なペーパーテストで求められる解答の行
為は、オーセンティックなパフォーマンスと呼ぶことはできない。オーセンティックなパフォーマンス
とはある程度の大きさの行為であり、現実的な状況においても意味や価値を見出すことができるもので
ある。たとえば、現実的に認められ得る内容で構成される長文のレポート、作品、問題解決的行為、討
論やディスカッションなどが考えられる。
(2)パフォーマンス評価の実際
ここでは、ビデオによる作品制作を例に具体的に考えてみよう。佐賀市三瀬地域の自然環境を学習対
象とする単元の場合である。終結段階では、「調べたことをグループ別にまとめ、番組作りをしよう」
という課題で学習がなされる。この課題は、単元の学習課題に答えることであるが、総括的評価のため
のパフォーマンス課題とすることもできる。そこでは、「調べた結果から分かったこと、考えたことか
ら何を誰に伝えればいいのかを話し合わせる」ことが指導される。子どもたちによって制作される作品
は、有明海をはじめとする他の地域環境との関係を明らかにして、保護者や地域住民に三瀬地域の自然
環境の保護、回復の重要性を訴える内容となってこよう。
このような作品を制作することは、保護者や地域住民との間に現実的な状況や文脈を成立させ、知識
や能力を実際的に活用することになる。また、現実的な状況に埋め込まれ、現実的な意味や価値が十分
に見出せるものでもある。すなわち、このような作品制作はオーセンティックなパフォーマンスになり
得るのである。
このパフォーマンスの測定によって、知識や思考力などの学力を評価するようにする。それには、評
価規準(critera)と評価基準(standard)を明示したルーブリック(rubric、評価表)を活用することが適切
である。なお、前者の評価規準は達成目標として何ができるか、わかっているかという評価内容であり、
後者の評価基準はどこまでできるか、わかっているかという到達度と考えたら理解が容易である。
そこで、以下に三瀬地域の自然環境の保護、回復の重要性を訴える作品評価のルーブリック案を示す。
単元の総括的評価
1 評価対象
単元の終末において児童に以下の作品のいずれかを作成させる。それらを評価の対象とする。
・有明海との関係を考慮して、三瀬の自然環境保護をアピールするビデオ番組、パンフレット等
・有明海との関係を考慮して、どんぐりから苗木を育てる活動を報告する作文
・単元の学習進めることにおいて、サポートしてくださった大詫間漁協の方へのメッセージ
2 ルーブリック
思考の技能
思考の内容(知識)
思考の活用(働きかけ)
達
成
目
標
異同、比較、類似、一般
化、因果などの思考の技能
を適切に生かして、主張す
ることができる。
思考し、表現することの
思考し、主張することにおい
て、事実的内容、概念的内容を 目的を意識し、他者に対し
必要に応じて盛り込むことがで て働きかけ、理解を得よう
とすることができる。
きる。
す
ぐ
れ
て
達
成
三瀬地域の自然環境の保
護、回復の重要性を主張す
ることにおいて、異同、比
較、類似、一般化、因果な
どの思考の形式が明瞭に読
み取ることができる表現が
数多く認められる。
三瀬地域の自然環境の保護、回
復の重要性を主張することにお
いて、三瀬の自然環境、他地域
の環境との関係などに関する事
実的内容、及び概念的内容を読
み取ることができる表現が数多
く認められる。
三瀬地域の自然環境の保
護、回復の重要性を主張す
ることにおいて、保護者や
地域の方々に理解を求め、
その正当性を訴えようとす
る力強い表現が認められる。
三瀬地域の自然環境の保
護、回復の重要性を主張す
ることにおいて、異同、比
較、類似、一般化、因果な
どの思考の形式を明瞭に読
み取ることができる表現が
いくつかは認められる。
三瀬地域の自然環境の保護、
回復の重要性を主張することに
おいて、三瀬の自然環境、他地
域の環境との関係などに関する
事実的内容、及び概念的内容を
読み取ることができる表現がい
くつか認められる。
三瀬地域の自然環境の保
護、回復の重要性を主張す
ることにおいて、保護者や
地域の方々に理解を求め、
その正当性を訴えようとす
る適切な表現が認められる。
三瀬地域の自然環境の保
護、回復の重要性を主張す
ることにおいて、異同、比
較、類似、一般化、因果な
どの思考の形式を明瞭に読
み取ることができる表現が
ほとんど認められない
三瀬地域の自然環境の保護、
回復の重要性を主張することに
おいて、三瀬の自然環境、他地
域の環境との関係などに関する
事実的内容、及び概念的内容を
読み取ることができる表現がほ
とんど認められない。
三瀬地域の自然環境の保
護、回復の重要性を主張す
ることにおいて、保護者や
地域の方々に理解を求め、
その正当性を訴えようとす
る適切な表現が認められな
い。
達
成
未
達
成
3 評価結果の活用
次に予定している単元において、未達成が認められた評価項目に関する指導を充実させる。そう
することによって、総括評価であっても形成的評価の機能を与えたい。
おわりに
本小論では、状況論的アプローチによって学校における教育、学習が学校的な状況におかれているこ
との課題について明らかにした。この課題に応じて、「総合的な学習の時間」を取り上げ、その授業改
善について論じた。状況学習論の立場から授業の目標、学習指導、学習評価のそれぞれを改善すること
について提案してきた。いずれも学校的な状況を超えて、現実的な状況に埋め込む授業開発の基本法略
について明らかにするものである。
この方略に従って、新たな授業開発の試みが拡大されるなら、さらに学力観を大きく転換することが
期待できよう。すなわち、学力を個人の内面にみることから、状況としての社会的環境及び自然的環境
との関係のなかにみるように転じることである。状況に埋め込まれたというだけでなく、知識や能力な
どの学力は、わたしたちの皮膚の内側にとどまるものではないと考えるようになることである。わたし
たちと社会的環境及び自然的環境とが形成するサーキットのなかに学力を認めることである。
学習という行為の目的や意味も、行為そのものも子どもと環境とのサーキットのような関係によって
創り出される。また、環境とのサーキットのような関係によって、子どもは学力を形成し、成長してい
く。その一方で、環境も何らかの影響を受け、変化する。その変化によって、子どもたちの学習は新た
なものになっていく。すなわち、環境と子どもたちとは相互構成的であり、1つのシステムとも言えよ
う。
人間は生態系の一部であり、そのなかに確かに組み込まれているのである。植物が成長すれば、それ
を動物が食して成長するが、動物が死ねば微生物がその死体を栄養素に分解し、それを植物が吸収して
成長する、というサーキットが生態系である。このような生態系を無視して、人間だけが行為すること
はもちろん、そもそも生きることはできない。このような生態系の場合と同じように、学習及び学力形
成を考えることができる。
参考文献
上野直樹、1999、『仕事の中での学習-状況論的アプローチ-』東京大学出版会。
上野直樹編、2001、『状況論的アプローチ1
状況のインターフェース』金子書房。
加藤浩・有本典文編、2001、『状況論的アプローチ2
茂呂雄二編、2001、『状況論的アプローチ3
認知的道具のデザイン』金子書房。
実践のエスノグラフィ』金子書房。
ハワード・ガードナー(訳・松村暢隆)、2001、『MI:個性を生かす多重知の理論』新曜社。
キャロライン・V・ギップス(訳・鈴木秀幸)、2001、『新しい評価を求めて-テスト教育の終焉-』論
創社。
ルーシー・A・サッチマン(監訳・佐伯胖)、1999、『プランと状況的行為-人間-機械コミュニケーシ
ョンの可能性-』産業図書。
グレゴリー・ベイトソン(訳・佐藤良明)、2000、『精神の生態学』(改訂第2版)新思索社。
グレゴリー・ベイトソン(訳・佐藤良明)、2001、『精神と自然-生きた世界の認識論』(改訂版)新
思索社。
ジーン・レイヴ/エティエンヌ・ウェンガー、1993、(訳・佐伯胖)『状況に埋め込まれた学習-正統
的周辺参加-』産業図書。
ダウンロード

「総合的な学習の時間」の状況論的アプローチ