中国天津伝統曲芸
——中国の無形文化遺産
修了博士2班
張先飛
一、京韵大鼓
京韵大鼓は今から100年あまり前、清の時代の末に北京や天津に伝わったも
のです。もともとは、河北省で流行った木版大鼓から形を変えたものだそうです。
「太鼓の王様」と呼ばれた劉宝全という人は、歌詞を河北省の方言から北京語
に換え、伴奏楽器も三弦のほかに、琵琶と四胡も取り入れ、こうして京韵大鼓
が誕生したそうです。
「太鼓の王様」
1920年代、京韵大鼓は人気の最盛期を迎え、それぞれ異なる特徴を持つ多く
の流派が生まれ、京劇と人気を二分するほどになりました。
駱玉笙
(小彩舞)
先輩の芸人
京韵大鼓は歌の中にセリフがあり、またセリフの中に歌が出てきます。歌詞は
その中で重要な役割を占めていて、七文字と十文字の二種類で、言葉の最後
の韵を合わせます。
1946年•駱玉笙•
慶雲戯院•《関黄对刀》
漫才芸人の
郭德刚の学唱
二、天津時調
天津時調は天津特有で、清の末期から誕生
したものです。もともとは船頭さんなど、労働者
の間で歌い継がれてきたもので、その多くは
民間に伝わる小唄と密接な関係があります。
天津の小唄は七文字がほとんどで、音や調子
には郷土の雰囲気が色濃く出ています。
中華戯院
南市权樂落子館
これらの小唄は、調子が高く、言葉がわかりやすいうえ、余韵があって天津
の人たちの好みに合うようですね。昔は、よく町のあちこちで人々が自分の楽
器を弾きながら小唄を歌う風景を見かけたそうです。
この種の小唄は主に「壁歌」「おしどり小唄」「人夫小唄」などが含まれていま
す。壁歌は靴修理の人が一服するとき、壁に寄りかかって歌う鼻歌のようなも
のです。「おしどり小唄」は男女の恋歌です。「人夫小唄」は人力車を引くときに、
お客さんを待ちながら口ずさんだ歌だそうです。
1980年代
2000年代
1920年代以降、プロの小唄芸
人も誕生しました。彼らは民間
の小唄を、その時代の社会や
風俗を反映させたものにアレン
ジし、茶館や露天で歌い始め、
たいへん喜ばれていたそうで
す。伝統芸能の中でも、陽気な
メロディーを代表するものに
「羽根蹴り」「凧揚げ」があり、悲
しいものには「悲しい一人身」
「子供を叩く継母」などの曲名
があります。
王毓宝
三、天津中華漫才
• 天津中華漫才は歴史が古く、大衆文化として広く伝わったものです。清の時
代に内容も進化したと聞きました。昔、北京では朱少文や李徳錫などの芸人
が天橋あたりで芸を披露し、漫才の発展に貢献したそうです。
窮不怕(朱少文)•漫才の創始者
馬三立•馬派漫才の大先輩
実は、漫才は最初北京で誕生したものですが、天津は北京にも近いため、
漫才師がよく行き来していました。その後、新しい演目は必ず先に天津で
公演し、好評を得ると北京での公演となったそうです。実は有名な漫才師
のほとんどが、天津で長年修行し、公演を積んでやっと全国に名前が売れ
るようになった人ばかりです。漫才の大先輩・馬三立という人は天津で有
名になったそうです。
蘇文茂•漫才文哏の大家
•茶館漫才•佟有為 、馬树春
馬三立と馬誌明
•珍しい伝統が伝授して、継承する
北京と天津の漫才は同じ家がある
漫才とほかの曲芸は同じ伝統がある
津派曲芸の継承者の郭德刚
•今中国で一番有名な漫才芸人
四、伝統上演をする場所
鼓楼の南に天津でもっとも完全な状態で保存されている「広東会館」は清
の時代に建てられた規模の大きな会館です。ここで昔から天津の伝統芸能
を良く上演していました。300年前に、広東人が船で天津にやってきて商売を
していました。仲間との連絡を取りやすくするための目的もあり、天津に住む
広東人が集まる場所としての「広東会館」を作りました。
晚清•天仙茶園
広東会館
700人ほど収容できる木造の建物で、四合院風の感じのものです。上は個
室、下は一般席となっていて、20世紀のはじめには梅蘭芳などの役者もここ
で公演をしたことがあります。残念ながら今は市の文化財として保護されていて、
観光地となり、上演はしていません。広東会館の開館時間は毎日朝9時半か
ら4時半までです。月曜日はお休みです。
広東会館•中国の伝統芸術博物館
広東会館内部
天津で毎日伝統曲芸を上演しているところは天津の名流茶館です。天津
の名流茶館では毎日午後と夜、伝統芸能を上演しています。場所は天津平
和区文化館2階で、平和区新華路177号です。料金は10元と15元の二種
類です。
観众
広東会館•舞台
終わります。
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