イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵
─ Henry Fielding を中心に ─
近
藤 久 雄
▶キーワード
Henry Fielding
Nationalism
Respublica Litteraria
Mother tongue
Novel
▼要 旨
本稿は「イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑴」からの議論の続きである。ヨ
ーロッパにおいては18世紀の前半にラテン語の「文芸共和国(Respublica Litteraria)」から独
立し土着語(vernacular)で著作を始める、いわゆる「母語の発見」が文化史の流れの一環と
してあったことを検証し、Henry Fielding の作品とりわけ Joseph Andrews と Tom Jones とを
そうしたコンテキストに置いて眺めてみると、イギリスのヨーロッパにおける地理的文化的位
置と文化的ナショナリズムとをキーワードとして Fielding 文学の創造性が説明できることを論
証した。
Ⅰ
1)
「論文 ⑴」においてすでに詳しく論じたところであるが 、18世紀初頭の文人たちの間には、
文運栄えた Elizabeth 朝の英語に比べて自分たちの時代の英語は「乱れている」という意識があ
り、Defoe や Swift などは英語の純化と規範に基づいた固定化のためにフランスに倣ってアカデ
ミーを創設することを提言した。言うまでもないことであるが、こうした動きの背景には、対
フランス戦争における勝利とそれによってもたらされたイギリス人としての自信や自負があっ
たことは十分考えられる。
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 43 ―
この点について、Linda Colley はその著 Britons: Forging the Nation 1707 1837 のなかで、
1689年から 9 年間に及ぶウィリアム王戦争に始まり1815年のワーテルローの戦いまでのあいだ、
イギリスとフランスは陰に陽に様々な形で戦いを続けており、この間のフランスとの敵対関係
がひとつの国民としてのアイデンティティーすなわちイギリス人意識(Britishness)を涵養す
2)
るのに大きく関与したと述べている。 つまり、イギリスでは1536年に England が Wales を併合、
そして1707年には合同法(The Act of Union)によって England と Scotland の政治的な統合が
おこなわれ、いわゆる Great Britain が誕生したが、まだこの時点では政治的な統合はともかく、
文化的統合あるいは Great Britain 王国人としてのイギリス人意識(Britishness)
、すなわちイギ
リス人としてのアイデンティティーの確立までには至っていなかった。イギリス人のあいだに
ナショナル・アイデンティティーとしてのイギリス人意識(Britishness)を強く自覚させたも
のは、いわば「第二次百年戦争」ともいうべきフランスとの戦いを通じてのフランスへの対抗
意識であるというわけである。つまりフランスとの戦争を通じてのフランスに対する強い対抗
意識の結果、政治的のみならず精神的にも Wales と Scotland そして England とを統合したひと
つの国民としての意識が育ったというわけである。
こうした Linda Colley の指摘は、必ずしも新しいものではなく、
「論文 ⑴」においても紹介し
3)
たように 、既に20世紀初頭には Leslie Stephen が同じような指摘を行っている。Leslie Stephen
はさらに踏み込んで、Anne 女王の時代に Marlborough 公によってもたらされた対フランス戦で
の大勝利が、かつて Elizabeth I 治下のイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を打ち破り、その結
果が人々にイギリス国民としての誇りをもたせ、やがてはその誇りが Elizabeth 朝文学の隆盛へ
4)
とつながったのと同様の効果をイギリスの人々にもたらしたと述べている。
もちろん18世紀には、Stuart 王朝の再興を掲げたジャコバイトの乱が起こるなど、まとまっ
たひとつの近代国家の国民としてのイギリス人意識(Britishness)はそれほど簡単に養われて
いたわけではない。Linda Colley の指摘するように、政治的な意味でのナショナリズムと、そ
れを支える国民国家の国民としてのアイデンティティーは対外戦争やあるいは国家間の対抗意
識が掻き立てられることによって形成される側面があることは確かである。しかしながら、18
世紀前半のイギリスの歴史において小説の勃興との関係で重要な事は、政治的な意味でのイギ
リス人としてのアイデンティティーではなく、むしろひとつの文化や感性を共有する共同体の
メンバーとしてのアイデンティティーが育ったことである。つまり、18世紀のとりわけ前半を、
政治的な意味でのアイデンティティーというよりもむしろ文化的な意味でのアイデンティティ
5)
ーが育った時代として捉えることである 。
これも既に「論文⑴」において述べたことであるが、近代小説の勃興を考える場合に重要な
6)
事は、小説はそのリアリズムを特徴とするということである 。つまり近代小説とは自分たち
の現実の姿を描いた新しいタイプの物語のことである。さらに言えば、イギリスのあるいはイ
ギリス人の姿を描いた物語こそが新しいタイプの物語(novel)なのであって、こうした新しい
物語の登場すなわち小説の勃興にとっては、Leslie Stephen の指摘するごとく、18世紀初頭に
自らの文学を生み出す素地となる国民的誇り patriotic pride
7)
が生まれたことが重要なのであ
る。
国家と国民文学とナショナリズムの関係を分析した Benedict Anderson はその著 Imagined
Communities の中で、18世紀ヨーロッパの国民意識の形成について新聞と小説がはたした役割
― 44 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
について言及し、共通の時間を生きているのだと人々に想像させるような基本構造を内蔵して
いる印刷媒体、すなわち新聞と小説が発達したことが18世紀の人々の間にひとつの共同体の成
8)
員としての意識を育てたのだとしている。 つまり、Benedict Anderson 流にいえば、イギリス
人(the British)としての意識は新聞と小説によってイギリス(Britain)という想像の共同体
が創造されたことによって形成されたのであって、もっといえば母語である英語でもって新聞
や小説という体験を共有することが、政治的な意味でも文化的な意味でも、イギリス人として
のアイデンティティーや文化的ナショナリズムを育んだというわけである。
Henry Fielding は Joseph Andrews の序文のなかで自分の書く新しいタイプの物語について
9)
「未だかって我らのことばで試みられたるを知らず」 と述べている。この箇所は古典文学の枠
組みを用いつつ英語で物語を書くのだという、いわば新しい文学創造の宣言と解することもで
きるが、同時に我らのことば「英語」でもって優れた物語を書くのだ、言い換えれば「英語」
ででも古典の伝統を踏まえた優れた文芸の著作が可能であることを宣言した箇所ということが
できる。すなわち文学語としての「英語」ということを強く意識した箇所と解することも可能
である。本論文のいわば前篇である「イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑴」に
おいて既に論じたことであるが、Fielding はこの箇所に続けて、自分のこれから書くものは a
comic Epic Poem in prose (散文による喜劇的叙事詩)だと述べているが、自らの作品を a
comic Epic Poem in prose であるとする規定は、その後 Tom Jones においても第五巻第一章
において、各巻に巻頭エッセイを挿入した理由について大げさにまたユーモアたっぷりに語る
箇所に見られる。
For this our Determination we do not hold ourselves strictly bound to assign any
Reason; it being abundantly sufficient that we have laid it down as a Rule necessary to
be observed in all Prosai-comi-epic Writing.
10)
つまり、Tom Jones の各巻の巻頭にエッセイを挿入したのは、我々が必要であると決めたか
らであって、 Prosai-comi-epic Writing (散文による喜劇的叙事詩)にとって巻頭にエッセイを
挿入することは守るべき法則であると我々が決めたのだというわけである。まさにローマ帝国
に比肩し得るヨーロッパの伝統的文学から見ればいわば本流から外れたローマ帝国の Provincia
である「散文による喜劇的叙事詩」の法則は、
「論文⑴」で論じた History の法則同様、作者
が決めればよいことであるというわけである。
さらに興味深いのは、この後さらに古典劇の三一致の法則に触れて、三一致の法則に理由な
11)
ど無いのだとする箇所が続いていることである。 古典については該博な知識を持っていた
Fielding のこうした態度は、本来はギリシア・ラテンの世界のものである文学の法則を有り難
がる風潮に対する批判であり、
「我らのことば」である英語でイギリスの物語を書くのだという
文化的ナショナリズム宣言であると言ってよい。ここで Fielding が自らの書こうとするものに
あえて Prosai-comi-epic
12)
とラテン語まがいの名前を付けていることも、古典とりわけラテン
語で書かれた叙事詩の法則などを訳知り顔に有り難がる批評家に対して、いわば vernacular
でしかない英語の世界から見た揶揄の気持ちを表していると同時に、古典とりわけ叙事詩のパ
ロディーを英語で書くことによって「未だかって我らのことば(英語)で試みられたるを知ら
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 45 ―
ぬ」物を書いてやろうという自負が込められていたのではないかと思われる。
周知のことであるが、ヨーロッパ近代史とりわけ言語文化史上の重要な出来事として、いわ
ゆる「母語の発見」ということがある。Peter Burke はこの点について、近代とはそれぞれの
国の土着語 vernacular が登場し、その土着語がやがて興隆しあるいは勝利をおさめ、一方で
13)
はラテン語を廃し、また一方では方言を駆逐したと述べている。 つまり、英語についていえ
ば、Elizabeth 朝の英語を理想として、一方においてはラテン語から英語へ、そして一方では
「乱れた」英語に対して文運栄えた Elizabeth 朝の英語への回帰が嗜好されたのである。
ここまでの議論で既に明らかなように、先に引用した Joseph Andrews の序文のなかの一節
I do not remember to have seen hitherto attempted in our Language. (
「未だかって我らのこ
14)
とば(英語)で試みられたるを知らぬ」
) との関係で重要なのはラテン語と土着語(英語)と
の関係である。今日「文法」を意味する英語の grammar は、語源的にはラテン語 grammatica
さらにはギリシア語 grammatiké 「文字の技術」に由来することばであり、また16世紀半ばま
ではラテン語そのものをも意味したことばである。このことからも分かるように、書きことば
とはすなわちラテン語のことであり、ラテン語を身につけることで民族や階級を超えた個人と
して汎ヨーロッパ的な知の共同体「文芸共和国(Respublica Litteraria)
」の住人と認められた
15)
のである。 しかしながら、知的活動の手段がラテン語の文芸共和国を中心に営まれた時代も
やがて近代に入って変化を見せ始める。つまり近代に入ってからは、 vernacular すなわち
Ferdinand de Saussure のいう idiom (固有語)が文法を持ち、また書きことばとして認知さ
れ確立していったのである。
具体的に例をあげると、1293年にはイタリアにおいて詩人 Dante Alighieri が抒情詩 La Vita
Nouva をイタリア語で執筆し、その後1304年には『俗語論』として知られる De vulgari
eloquentia をラテン語で書き vernacular こそ文学表現に相応しい言語であることを主張した。
また、その後1492年には Elio Antonio de Nebrija が『カスティリア語文法』Gramática
Castellana を著わし Isabella I 女王(r.1474 1504)に献じた。英語についていえば、 Sir Isaac
Newtonが興味深い例となろう。Newtonは1687年にPrincipia Mathematicaをラテン語で書き、
1704年には Opticks を英語で書いている。
こうしたラテン語から vernacular へという近代史を通じての流れは、とりわけ聖書の
vernacular への翻訳の歴史を概観すると歴然としている。そもそもラテン語で書かれた聖書を
土着語 vernacular に翻訳することは教会に対する反逆であり、1229年のトゥールーズの宗教
会議において聖書の土着語 vernacular への翻訳は禁止されていた。翻訳禁止の理由について
は、聖書解釈を教会の特権とすることによって権力の根拠にしようとした政治的な理由、ある
いは Traduttore, traditore. (
「翻訳者は裏切り者」
)ということばからもわかるように翻訳によ
って原典の持つ意味が変質してしまうことへの危惧という原理的な理由、などが考えられる。
いずれにせよ、わざわざ宗教会議で翻訳を禁止せねばならなかったということの背景には、聖
書の土着語への翻訳の流れが進行しつつあったと推測される。また1401年のオックスフォード
会議では John Wycliff の英訳聖書に関して、英語は聖書を翻訳することばとして適当であるか
否かの議論がなされているが、このことは宗教のことばラテン語に対して当時の英語の占めて
いた位置を暗示するものであろう。英語はいわばヨーロッパ文明の正統な言語的表現形式であ
るラテン語に対して、辺境の島国のことばでしかなかったのである。しかしやがて1534年には
― 46 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
Henry VIII が Acts of Supremacy(国王至上法)によって英国国教会の最高の首長となり、1611
年には James I の下で The Authorized Version of the Bible が出版された。この間に1521年に
はドイツで Martin Luther のドイツ語訳聖書が出版されたことはいうまでもない。André Maurois
はその『英国史』のなかで Henry VIII の宗教改革について「イギリスの宗教改革は、君主の気
16)
まぐれではなかった。島国的・言語学的国家意識の宗教的表現であったのである」 と述べて
いる。
宗教改革と言語の問題について、少し長くなるが歴史家 Krzysztof Pomian のことばを引くと、
「こうして宗教改革は、ヨーロッパ各地に拡大するにつれて、俗語による地方の口承文化の噴出
をひきおこし、それまでは<普遍><ラテン語><文字><階級性>の領域であった宗教にお
いて、完全な平等とはいわなくとも神のまえにおける人間の平等を望む傾向に拍車をかけた。
それゆえプロテスタンティズムは、いまだかつてこれほど強烈に表現されたことのない民族感
情と民族の特異性の爆発として、まずとらえることができる。フス派はチェック人のものであ
り、みずからそう自称したあまり、ボヘミアのドイツ人に呼びかけることはなく、ポーランド
でもたいした影響力を持たなかった。ルター派は、方針からしてドイツ的であり、その伝播も
ドイツの影響力のひろがりと同じ道程を通っていった。だからこそスカンディナヴィアでは成
功をおさめたのに対し、ロマンス語圏では覚醒作用はあったものの挫折したのである。フス派
の場合もルター派の場合も、宗教と民族的アイデンティティーの絆は、まず第一に使用言語に
よって保証されていた。同様に、カルヴァン派が支配的宗教になった場所は、ジュネーヴとフ
ランドル ― そこのプロテスタントの人々は、スペイン軍を逃れて北方にカルヴァン派を運んで
いった ― のようにフランス語を話す土地か、以前からフランスの影響を受けていたスコットラ
ンドのような土地であった。それ以外の場所では、導入はされても少数派にとどまっていた。
たとえばリトアニア、ポーランド、トランシルヴァニアがそうである。他方、英国国教会は、
完全に国家的・民族的な宗教であった。宗教改革の諸潮流のなかでは唯一、三位一体に反対す
るソッツィーニ派のみが、とりわけイタリア、ポーランド、ハンガリー、ドイツの人々を信奉
者にして、普遍的宗教への志向を保持していたようである。それゆえソッツィーニ派の主要な
17)
著作家はラテン語で書き、その影響範囲は限られたままだったのである。
」 (下線は筆者によ
る)というわけである。
ラテン語から土着語(vernacular)へという言語文化史の流れを見てくると、先にも示した
ように Fielding が Joseph Andrews の序文のなかで … it may not be improper to premise a
few Words concerning this kind of Writing, which I do not remember to have seen hitherto
attempted in our Language … . Now a comic Romance is a comic Epic-Poem in Prose; …
18)
と
述べたとき、そこに土着語である英語でもってラテン語で書かれた古典文学に匹敵する物を書
こうとする強い文化的ナショナリズムを読み取ることはあながち誤りではないと思われる。す
なわち、先に述べた Benedict Anderson の見解などを合わせて考えると、18世紀初頭における
イギリス近代小説の勃興は、宗教改革について先に示した André Maurois の指摘の顰にならい、
「
(イギリスの)島国的・言語学的国家意識の文学的表現であった」と言っても過言ではない。
ラテン語から英語へという歴史的な推移と、それがイギリスの文化的ナショナリズムに結び
付いていたことについては、歴史家 G. M. Trevelyan もその著書 History of England のなかで、
Stuart 朝に始まったラテン語による著作から英語による著作へという流れは18世紀には完成し、
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 47 ―
その結果イギリスの学者たちは文学同様に大陸の学者達とは別のより national な思想や学問
19)
を生み出したことを指摘している。
注19に示した Trevelyan の文章から判断すると、Trevelyan は文学が national であることを
前提としているように思われるが、それはその作品が英語である Shakespeare が1720年代まで
20)
ヨーロッパ大陸諸国ではほとんど知られていなかったのに対して、 ラテン語で著作を行って
いた Thomas More や Francis Bacon それに Thomas Hobbes といった思想家や哲学者などが既に
ヨーロッパ大陸諸国で広く知られていたことによるものであろう。Shakespeare の作品をはじめ
英語を中心としたイギリスの事情は Voltailre によって初めてフランスに伝わりフランス経由で
21)
ヨーロッパ大陸諸国へと広がっていったのである。 つまり、G. M. Trevelyan の指摘の意味す
るところは、ヨーロッパ辺境の島国でしかなかったイギリスが、大国スペインを打ち破り国威
が大いに高まるとともに文運大いに栄えた Elizabeth 朝と同様、18世紀初頭には対フランス戦争
での勝利と軍事的・政治的・経済的台頭、それに伴う自らの文化に対する自負、言い換えれば
文化的ナショナリズムの台頭が起こったことに言及したものと解すべきであろう。事実、18世
紀初頭から時代は大きく動き、軍事的・経済的にイギリスが台頭してくると知的世界において
22)
もイギリスの貢献は無視できなくなったのである。 Fielding が Joseph Andrews の冒頭でパロ
ディーを行っている Samuel Richardson の Pamela や Clarissa Harlowe もフランス語に訳され
てフランスでも広く読まれたのである。英語という土着語(vernacular)で書かれたものが、当
23)
時の文化語であるフランス語
に訳されて広く読まれるという、文化現象の新たな展開である。
しかしながらギリシア・ローマの古典とりわけ Homer、Virgil、Aristophanes、Lucian 等の作
品に精通していた Fielding にしてみれば、伝統的文学は必ずしも national なものではなく、む
しろラテン語の知的共同体である「文芸共和国」に属するものであったはずである。それでい
て Pamela のようなおおよそ物語の伝統的な形からはかけ離れたものがイギリスのみならず、
フランスにおいても持て囃される事態は容認できなかったであろう。Fielding が Joseph Andrews
24)
の中において古典を強く意識したうえで「我らがことば(in our Language)
」 つまり母語であ
る英語でもって新しいものを書こうと宣言して見せたことは、ヨーロッパの文学的伝統に則っ
た物語が英語でも書けることを示そうとした、いわばラテン語世界からの英語世界の独立宣言
であった。そして、Fielding のこうした立場は、先にも述べたように、Dante Alighieri や Elio
Antonio de Nebrija、そして Sir Isaac Newton といったラテン語で著作をしていたヨーロッパの
知識人達が、いずれもそれぞれの母語である土着語(vernacular)によって著作を始めた近代
史の流れに沿ったものであった。Daniel Baggioni はその著『ヨーロッパの言語と国民(Langue
et Nation en Europe)
』の中で、「古代語の専門家であったユマニストのうち、かなり多くの
25)
人々が、同時に、それぞれの土着語の推進者でもあったというのは偶然のことがらではない。
」
と述べ、さらに続けて「古代語の探求は、国民文学にとって害を及ぼすどころか、芸術的創造
26)
に新たな飛躍をもたらす運動だったのである。」 として、古代語すなわちギリシア語やラテン
語を能くするエリートたちこそが土着語すなわち母語によって新たな文学的創造を行い得る人々
であったことを述べている。つまり、ギリシア語やラテン語を解し、ギリシア・ラテンの古典
に通じた Fielding が、ヨーロッパの文学的伝統を強く意識して母語であり土着語である英語で
もっていわば正統派の物語を書こうとすることは、まさに「芸術的創造に新たな飛躍をもたら
そう」とする試みであった。
― 48 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
Fielding は小説を書きはじめる前に20数編の芝居を書いている。このうち1731年に Fielding の
芝居 Tragedy of Tragedies: or, The Life and Death of Tom Thumb the Great のアフターピ
ースとして上演された同じく Fielding の芝居 The Welsh Opera の中に、ラテン語と英語という
観点から興味深い台詞がある。後述するが、そもそもこの芝居のタイトルが Opera となってい
ることについても、本稿で問題にしようとしている文化的ナショナリズムという観点から論ず
べき問題をはらんでいる。
The Welsh Opera は、そのサブタイトル The Gray Mare the Better Horse からもわかるよう
に、Henry V の妻 Katharine の納戸係秘書をしていて Henry V 亡き後 Katharine と結婚したウェ
ールズ出身の男 Owen Tudor と Katharine との夫婦関係を「かかあ天下(petticoat government)」
であるとして風刺したものである。表向きは Tudor 王朝の風刺であり歴史的な事件の風刺であ
るが、実は内容的にはやはり petticoat government と言われた George II(r.1727 1760)と
Caroline の宮廷に対する風刺となっており、イギリス王室にとっては二重に屈辱的な内容とな
っている。そのせいか後には The Glub-Street Opera とタイトルを変えて出版されている。
このような背景を持つ芝居 The Welsh Opera 改め The Grub-Street Opera の第 3 幕第 4 場
に、Caroline 王妃を連想させる人物 Lady Apshinken が牧師 Puzzletext に、ロンドンへ出たとき
に今までに出版された「愛(Charity)
」に関する本を全て買ってきて欲しいと依頼する場面が
ある。ところが Puzzletext は、全てを網羅した自分の本が近く出版される予定であり、それは
Lady Apshinken に捧げられたものであってラテン語で書かれていると答える。そして問題の台
詞は Puzzletext の台詞に続く Lady Apshinken の台詞である。
Puzzletext: I have a treatise, madam, which I shall shortly publish, that will comprehend
the whole. It will be writ in Latin, and dedicated to your Ladyship.
Lady Apshenken: Anything for the encouragement of religion. I am a great admirer of the
Latin language. I believe, Doctor, I now understand Latin as well as
27)
English.(Italics not in the original)
この芝居の書かれた1731年は Hanover 朝 George II の時代である。周知のように George II の
父 George I(r.1714 1727)はドイツ生まれで、英語は全く解せず、その宮廷ではフランス語や
時にラテン語が使われていた。このあたりの事情について、渡部昇一氏は「George I は英国に
来るときは、一群の愛妾たちを引き連れてきたが、この英語を話すことのできない女たちが宮
廷生活を形成するのである。主としてフランス語が用いられ、大臣たちとの会話にはラテン語
28)
が用いられることもあった。」 と述べている。そして、George Iに続く George II とその王妃
Caroline はともに幼い時期をドイツで過ごしたせいで、その英語には強いドイツ語訛りがあっ
た。Wilber L. Cross はこの点に着目し、この作品の舞台がウェールズに設定されたのは、国王
George II とその王妃 Caroline との強いドイツ語訛りの英語が、あたかもウェールズ人のしゃべ
る訛りの強い英語のようであったからだとしている。つまり、芝居の中でウェールズの田舎紳
士 Sir Owen Apshinken とその妻 Lady Apshinken とが息子 Owen の結婚問題について話すその
姿は、George II とその妻 Caroline とが、皇太子(the Prince of Wales)Frederick の結婚問題に
29)
ついてドイツ語訛りの英語で話し合う姿を観客に連想させるというわけである。
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 49 ―
してみると、先に示した Lady Apshinken の台詞 I believe, Doctor, I now understand Latin
as well as English. は英語の危うい Caroline 王妃が「英語はもちろんラテン語もわかる」と語
る姿を連想させるわけであり、芝居のこの箇所は、いわば英語もおぼつかない王妃はラテン語
も危ういということを述べているに等しいわけである。つまり、芝居の観衆を意識して述べら
れたこの台詞は、英語もしゃべれない Hanover 朝の国王を戴くことになったことに対する皮肉
と、当時のイギリス民衆の心の中に芽生え始めた自分たちのことば英語に対する自信と文化的
ナショナリズムの見て取れる箇所であると言ってよい。
先ほど示した渡部昇一著『英語学史』の引用からも解るように、ヨーロッパの宮廷ではフラ
ンス語が使われており、ルネッサンス期に Erasmus を中心にラテン語の文芸共和国(Respublica
Litteraria)が存在したのと同様に、17世紀になると Pierre Bayle を中心にフランス語の「文芸
共和国(République de Lettre)」ができあがっていた。その背景には、フランスから追放され
たユグノー教徒たちが、ヨーロッパ各地に移り住み、それぞれの土地で社会のエリートたちに
とけこみ、フランス文化に対する関心を高めたことなどが考えられる。フランス語の文芸共和
30)
国ができるに従って、フランス語はヨーロッパの上流階級の共通語となっていったのである。
31)
しかしながら、イギリスでは大陸諸国と違って Anne 女王の宮廷では英語が使われており 、
George I の時代になってフランス語が使われるようになった。フランス語を話す George I の周
りの女性達と大臣とのやりとりにラテン語が使われたとする渡部昇一氏の先の指摘もそうした
背景があってのことであろう。Linda Colley も、18世紀の最後の四半世紀になってもイギリス
では、フランス語は上流階級や高級官僚にとって必要なものと考えられていたものの大陸諸国
32)
のようにエリート層の共通語(first language)とはならなかったと述べている。 しかしなが
ら、そうはいってもフランス語を始めとしたフランス文化の影響には圧倒的なものがあり、Linda
Colley は先の指摘に続けて、1818年に Castlereagh 卿のパーティに出席したアメリカ大使 Richard
Rush が、そこでのフランスの影響の大きさに驚いたようすを、Richard Rush のことばを引いて
33)
紹介している。
宮廷および上流階級のこうした状況にもかかわらず、先に示した G. M. Trevelyan の指摘のご
とく、18世紀に入って、Bentley、Blackstone、Gibbon、Adam Smith といったイギリスの知識
人たちはラテン語でなく英語で執筆する習慣を確立し、ラテン語の文芸共和国に属しているヨ
ーロッパの知識人たちよりも、むしろイギリスの人々に向かって英語で訴えることを始めたの
34)
である。 1780年には独立間もないアメリカ合衆国の第二代大統領 John Adams が炯眼にもこう
した歴史の流れを以下のように描写している。
In the last Century, Latin was the universal Language of Europe. Correspondences
among the learned, and indeed among Merchants and Men of Business and the
conversation of Strangers and Travellers, was generally carried on in that dead Language.
In the present Century, Latin has been generally laid aside, and French has been
substituted in its place; but has not yet become universally established, and according to
present Appearances, it is not probable that it will. English is destined to be in the next
and succeeding Centuries, more generally the Language of the World, than Latin was in
the last, French is in the present Age.
― 50 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
35)
Fielding の二つの主要な小説 Joseph Andrews と Tom Jones の中で、Fielding が自ら書こう
とするものを規定したと思われる二つの箇所、すなわち Joseph Andrews の
it may not be
improper to premise a few Words concerning this kind of Writing, which I do not remember
to have seen hitherto attempted in our Language.
Founder of a new Province of Writing.
37)
36)
および Tom Jones の I am, in reality, the
には、ローマ帝国にも比肩しうる圧倒的な古典文学
の伝統に対して、自らのことば英語でもって新しい文学を創造しようという自負と、所詮はヨ
ーロッパ文学の属領(Provincia)でしかない当時のイギリスの文学に対する古典を知悉した人
間の冷めた見方とが綯い交ぜになっているように思われる。こうした、いわばアンビバレント
な態度こそが、イギリスの「島国的・言語学的国家意識の文学的表現であった」のであり、い
わば Fielding の文学を解く鍵であると思われる。それは、Fielding がこの二つの作品をして、イ
ギリスを舞台にした comic-epic in prose であるとした意味を解く鍵でもある。
Ⅱ
前章において、母語の発見と発展という言語文化史的な動向と近代小説の勃興とが無縁では
ないことを述べてきた。いうまでもないことであるが、近代に起こったこうした言語文化史的
動きはイギリスに限ったことではない。この点について、先にも触れた Peter Burke の見解を
原聖氏の訳によって以下に示してみると「これまでにもたびたび言われてきたことだが、近世
とは、国ごとに俗語(ヴァーナキュラー)が「出現」/「興隆」/「勝利」し、国際言語であ
るラテン語を押しのけ、各言語内部の方言を統合する時代である。こうして新たな『言語共同
体』が生まれ、地域横断的な、地域を越えるレベルでの言語意識が醸成されることになった。
この意味で俗語の興隆は重要だったのである。中世における欧州では、古典古代とは異なると
はいえ生存を続けるラテン語の対極に、話しことばとしての地域的言語・方言があった。つま
り言語体制が二つに別れていたが、これが1750年頃までにはまったく異なる形になったのであ
38)
る。」 となる。つまり、ヨーロッパの北西端に位置するブリテン島においても、近代において
は「英語」という俗語の台頭によってラテン語は押しのけられ、話しことばの方言は統合され
ていったのである。すなわち18世紀に入ってイギリス人としての自意識が高まるにつれて、か
つて世界帝国の礎を築き文運栄えた Elizabeth 朝の英語をひとつの理想として、英語の「乱れを
正す」つまり英語の純化と規範に基づいた固定化が文人たちの関心事となったことは、ヨーロ
ッパ近代に起こった大きな世界史的流れからみて不思議なことではないであろう。
この点について、Peter Burke はさらに続けて、
「イングランドでこうした言語の純化の試み
が見られるのは、
(17世紀フランスに比べて)もっと後になってからで、しかもフランスに比べ
ると、その動きも鈍い。18世紀はじめ[ママ]、ダニエル・デフォーが『純粋さと礼儀正しい様式
の確立』に資することを意図して、言語アカデミーを計画した[Defoe 1697]
。サミュエル・ジ
ョンソンの有名な『辞書』
(1755年)は、英語の「純粋性」を保全するための大きな企ての一部
をなすものだった。ジョンソンの考えでは、英語は1660年に王政復古でチャールズ II 世が復帰
39)
して以来、危機にさらされ続けていた[Johnson 1747]。
」 と述べている。Peter Burke はまた、
土着語(英語)の規範に基づいた固定化の問題についても「空間をまたぐ均質性と並ぶもう一
つの標準語化の目的は時代を超えた固定性である。ラテン語に相当するような威信を獲得する
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 51 ―
には、言語は固定していなければならない。それゆえにドライデンは『イタリア語は14世紀の
ボッカチョやペトラルカの時代からほとんど変わっていないのに』英語では14世紀のチョーサ
ーの著作が『昔の辞書に頼らなければ理解できない』ことを嘆いた。18世紀前半の作家ジョナ
サン・スウィフトは『わが言語が絶え間なく変わる』ことを忌み嫌い、
『永遠に固定化される』
40)
ことを願った。」 と述べている。
こうした土着語(英語)の標準語化・固定化という大きな流れを俯瞰したうえで、再び Joseph
Andrews の序文の中の一節
it may not be improper to premise a few Words concerning this
kind of Writing, which I do not remember to have seen hitherto attempted in our
Language.
41)
を見てみると、そこには「未だかって我らのことば(英語)で試みられたるを知
らぬ」新しい種類の物語(History)を創造しようとする文学創造の意欲だけでなく、今や我ら
のことば(英語)で書かれた文学である History を持ち得るまでに文化的自立を果たしたイギ
リスの作者の気概がにじみ出ているように思われる。
Ian Watt は近代小説勃興の背景には「英語」で物を読む読者(reading public)が形成された
42)
ことがあったことを述べている。 そしてその読者の中核をなしたのは gentry と呼ばれる中
43)
産階級であったことをもまた指摘している。 そうした読者を意識したのか、小説やジャーナ
リズムに登場する人物の中には The Spectator に登場する Sir Roger de Coverley や Tom Jones
に登場する Allworthy や Western それに Joseph Andrews の Booby 夫妻など、類型化された地
方の地主であるジェントリー階級の人々が登場することが多い。言うまでも無いことであるが、
こうした地方のジェントリー階級の人々を登場させることは、いわばイギリスの土着語である
44)
「英語」で物を読む読者を意識したものである。 そして、これらジェントリー達の生き方に象
徴される価値観を見てみると、それはむしろ古いイギリスの田舎の価値観なのであって、決し
て当時洗練されていると考えられていた大陸とりわけフランスやイタリアの趣味を礼賛するよ
うな価値観ではなかったのである。いわば田舎風で粗野ではあるが、健康で伝統的なイギリス
の田舎の趣味であり価値観であったと言ってよい。つまり、
「未だかって我らのことば(英語)
で試みられたるを知らぬ」新しい種類の物語(History)を創造しようとするには、イギリス的
として誇り得る生活や価値観こそ自信を持って描かれねばならなかったのである。
Joseph Andrews の第四巻第九章には Didapper という名前のフランスかぶれの伊達男(Beau)
が登場する。この Didapper にはモデルがあり、George II の王妃 Caroline の寵愛を受けた Lord
45)
John Hervey(1696 1743)がそのモデルであるとされている。 Fielding はこの Didapper につい
て、肉体的に貧弱で外見的にも見劣りのする男として描いているのみならず、 He was not
entirely ignorant: For he could talk a little French, and sing two or three Italian Songs: He
had lived too much in the World to be bashful, and too much at Court to be proud:
46)
とし
て、精神的にも世間ずれして恥知らずなうえに、宮廷に出入りしていたので自尊心も無くして
いる、さらには、フランス語を少し話し、イタリアの歌も二つか三つは歌えるから無学ではな
いなどと、実に手厳しく描いている。実はこの Didapper という名前は水鳥のカイツブリを意味
することばであり、この鳥は17世紀および18世紀にはバイセクシャルかあるいは性別の無い無
47)
性の鳥であると考えられていた。 したがってこの箇所は、バイセクシャルであったとされる
Lord Hervey
48)
個人に対する揶揄であり風刺であることはもちろんであるが、同時にこの作品
の随所に見られる伝統的なイギリスの田舎地主ジェントリーの持つ価値観に対する賛美等を考
― 52 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
えると、上流階級におけるフランス趣味礼賛に対する批判であることは明らかである。
つまり、この箇所で Fielding は、フランスを中心とした異国風なものを都会的で洗練された
ものとして賛美する上流階級の価値観に対して、そうした物の中に偽善を見、むしろ素朴で健
康なイギリスの田舎のジェントリーの持つ価値観、つまりイギリスの土着の価値観を是として
主張しているのである。さらにこの時代には、ロンドンを中心に、コーヒー・ハウスやクラブ
に出入りして The Spectator などを読む豊かな商人階級も台頭し、彼らもまた自分たちのこと
ばである「英語」で物を読む中産階級として、フランス趣味に染まった上流階級とは異なる新
しい価値観を作り出しつつあったのである。
一方ではフランス風のマナーやフランス語の使用、貴族の子弟の教育の仕上げとして行われ
ていたイタリアを始めとした大陸諸国へのグランドツアー、そしてさらにはイタリアオペラの
流行、他方では中産階級を中心とした伝統的価値観の尊重とイギリス人意識の形成、一見矛盾
とも思えるこうした状況こそは、まさにヨーロッパにおけるイギリスの地理的・文化的位置に
由来するものであり、むしろこうした矛盾を抱えた文化の在りようこそがイギリス的なもので
あると言っても過言ではない。そうして、こうした矛盾を内包した文化の一表象として18世紀
初頭に具体的な形を取って姿を現したのがイギリス近代小説であるといってよい。
Samuel T. Coleridge は、Fielding の作品について、
「Richardson の後に Fielding の作品を手に
取ると、まるでストーブで暖められた病室から抜け出して、 5 月の風薫る日に広々とした芝地
49)
へ出てきたようである」 と述べ、また批評家 Aurelien Digeon は Tom Jones を読んだ時の印
象を「日の照る明るい海の上を帆を一杯に張って、荷を満載し、波を掻き分けて進んで行く古
い帆船が見えるようだ。順風の風に押され、海面を疾走しながら、甲板からは水夫たちが逞し
50)
い歌声で古い素朴な勝利の舟歌を空に響かせている」 と述べている。
つまり、これらの批評家が Fielding の作品に対して感じたのは、粗野ではあるが逞しく健康
で力強い古い田舎風のイギリス人の姿であり、それはフランスやイタリアからもたらされてロ
ンドンの上流社会で流行していた異国風の趣味を身につけた上流紳士の姿とは全く異なるもの
であった。むしろ当時「伊達男(Beau)
」と呼ばれたフランス趣味やイタリア趣味を身につけ
た上流の紳士は、Fielding の小説の中ではその偽善性が攻撃の対象となっている。
Joseph Andrews の中には、この他にも素朴で健康で田舎的なイギリスの文化と、洗練され
都会風ではあるが異国的なフランス渡来の文化とを対比させて、前者を肯定的に描こうとする、
いわば文化的ナショナリズムの表出と呼んでもよい箇所が散見される。このことは単なるナシ
ョナリズムというだけではなく、ギリシア・ラテンの圧倒的伝統を直接引き継いだいわばヨー
ロッパ文明のメイン・ストリームに対して、新興国イギリスのある種の挑戦であり自己主張で
あり、その背後にある自信の表れであったのではないかと思われる。
Joseph Andrews の中には、先に述べた Didapper の例のみならず、第三巻第七章にはグラン
ドツアーに出かけ三年後に帰国したときには、服装もことばもすっかりフランス風にかぶれて
しまい、祖国であるイギリスやイギリス風を全て軽蔑するようになっていたにもかかわらず当
代の最も立派な紳士として国会議員になった男のことが皮肉を込めて述べられている。
At the Age of twenty, his Mother began to think she had not fulfilled the Duty of a
Parent; she therefore resolved to persuade her Son, if possible, to that which she
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 53 ―
imagined would well supply all that he might have learned at publick School or
University. This is what they commonly call Travelling; which, with the help of the Tutor
who was fixed on to attend him, she easily succeeded in. He made in three Years the
Tour of Europe, as they term it, and returned home, well furnish d with French Clothes,
Phrases and Servants, with a hearty Contempt for his own Country; especially what had
any Savour of plain Spirit and Honesty of our Ancestors. His Mother greatly applauded
herself at his Return; and now being Master of his own Fortune, he soon procured
himself a Seat in Parliament, and was in the common Opinion one of the finest
Gentlemen of his Age. But what distinguished him chiefly, was a strange Delight which
he took in every thing which is ridiculous, odious, and absurd in his own Species;
51)
(Underline not in the original.)
とりわけ、引用文中の下線を付した箇所では、イギリス人の伝統的気質を素朴で正直なもの
として、それを軽蔑するフランス帰りの伊達男(Beau)の軽薄さが強調されており、そこには
イギリス的価値観の肯定とそれに対する誇りすら感じられるのである。
さらに第二巻第六章では、不誠実なフランス帰りの男 Bellarmine が登場する。彼は、Leonora
との結婚について彼女の父親と持参金の交渉をしていたが、持参金が無いと分かるや否や、手
のひらを返したように彼女のもとを去って、そそくさとパリへ戻っていた不誠実な男として描
かれている。
, Bellarmine having tried every Argument and Persuasion which he could invent,
and finding them all ineffectual, at length took his leave, but not in order to return to
Leonora; he proceeded directly to his own Seat, whence after a few Days stay, he
returned to Paris, to the great delight of the French, and the honour of the English
Nation.
52)
そして彼がパリへ戻ったことについて、
「フランス人にとっては喜ばしいことであり、イギリ
ス国民にとっては名誉なことであった」と述べている。
ここにあげた Joseph Andrews の中の例は、いずれの場合もフランスかぶれの伊達男(Beau)
を軽蔑し、純朴ではあるが誠実な伝統的イギリスの田舎風の価値観を肯定的に誇らしく描いて
いるわけであるが、こうした立場で描かれているのは何も Joseph Andrews に限ったことでは
ない。Fielding は本格的に小説を書く前に十数編の芝居を書いているが、その中には当時のロ
ンドンの空気を彷彿とさせる作品がある。なかでも1736年に上演された Pasquin: a Dramatic
Satire on the Times(1736)には、この時代の状況をうまく風刺した Officer と Queen CommonSense の以下のようなやりとりの箇所がある。
Offic.
Forgive me, Madam, if my Tongue declares
News for your sake, which most my Heart abhors;
― 54 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
Queen Ignorance is landed in your Realm,
With a vast Power from Italy and France
Of Singers, Fiddlers, Tumblers and Rope-dancers.
Q.C.S.
Order our Army instantly to get
Themselves in readiness; ourselves will Head em.
My Lords, you are concerned as well as we,
T oppose this foreign Force, and we expect
You join us with your utmost Levies straight;
Go, Priest, and drive all frightful Omens hence;
To fright the Vulgar they are your Pretence,
But sure the gods will side with Common-sense.
53)
この箇所は決して当時のロンドンの文化的背景や脈絡と無関係に書かれたものではなく、ま
た当時の興行の世界だけに言及したものでもない。当時のロンドンの、とりわけ上流階級の人々
の好みは、すでに述べてきたようにフランスかぶれの伊達男(Beau)をもてはやし、イタリア
オペラを無条件に称賛するといったものであった。しかし一方では、台頭してきた中産階級を
中心に、イギリス人としてのアイデンティティーが強く意識され、文化的な意味でのナショナ
リズムが高まり、いわば軽薄な外国かぶれにたいしては苦々しく思う空気も育っていた。
1728年に、社会や政治を風刺した芝居 The Beggar’s Opera が John Gay によって書かれるや、
この作品が大変な人気を博したことはよく知られているところである。The Beggar’s Opera は
Beggar によって書かれたオペラの謂いであり、序幕は役者のもとに芝居を持ちこんだ乞食
(Beggar)とそれを受け取る役者とのやり取りで構成されている。つまり、イタリア語も解らな
い人々が上品で高級なものとしてもてはやすイタリアオペラと、そのイタリアオペラを無条件
に喜ぶ人々に対して、社会の最下層に置かれた人の作になるいわばイギリスのオペラを提示す
ることによって、イタリアオペラやイタリアかぶれを風刺し、同時にイギリスとは、またイギ
リス人とは何であるかを示そうとしたと言ってよい。加えて、そうした芝居がイギリスの人々
に共感を持って受け入れられたことの意味は、当時のイギリス人のアイデンティティーについ
て考える場合に重要であろうと思われる。つまり、イギリス人は、自分たちのことをフランス
人やイタリア人に比べて粗野ではあるが、一方ではお上品ぶったフランス趣味やイタリア趣味
などについては軽蔑するだけの自信と誇りを持った人間なのだと見ていたことが考えられる。
The Beggar’s Opera が書かれたのと同じころ、Fielding もイタリアオペラとそれをもてはや
す上流階級の人々や政治を風刺する作品を書いている。それはすなわち1730年に上演された The
Author’s Farce: and the Pleasure of the Town である。このなかでは、Signor Opera、Don
Tragedio、Sir Farcical Comick、Monsieur Pantomime などといった登場人物が Goddess of
Nonsense の宮廷で最高の詩人の栄誉を得ようと争うが、結局 Goddess of Nonsense は、カスト
ラートの Signor Opera を選ぶのである。Signor Opera は、先にも述べたが Joseph Andrews に
おいてもフランス帰りの伊達男(Beau)Didapper として攻撃された Lord Hervey のことであり、
彼がバイセクシャルであったこともあって、カストラートの Signor Opera として描かれている。
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 55 ―
つまり、この作品は当時ロンドンの上流階級の間で大人気であったイタリアオペラに対する風
刺であると同時に、Lord Hervey のような女王お気に入りのイタリア帰りの伊達男に対する風
刺でもあったわけである。すなわち、この当時のロンドンでは上流階級はフランス風を礼賛し、
イタリアオペラに夢中になり、加えて王室はドイツ人の王をいただき、とりわけ George II の宮
廷では王妃 Caroline が伊達男 Lord Hervey を寵愛し、宰相 Walpole が権力を我がもの顔に牛耳
っていたわけで、Fielding にしてみれば、こうした状況はいわばイギリス人本来の自由で純朴
で逞しい姿が失われつつあるものと感じたとしても不思議は無い。
Fielding はこの他にも、芝居 Historical Register for the Year 1736 の中で、1734年にロンド
ンへやってきて、とりわけ上流階級の婦人の間で大人気を博したイタリアオペラのカストラー
ト Farinelli、こと Carlo Broschi に対してバーレスクでもって痛烈な攻撃を加えている。
The Ladies all speak together.
All LADIES.
Was you at the Opera, madam, last night?
SECOND LADY.
Who can miss an opera while Farinello stays?
THIRD LADY.
Sure he is the charmingest creature!
FOURTH LADY
He s everything in the world one could wish!
FIRST LADY.
Almost everything one could wish!
SECOND LADY.
They say there s a lady in the city has a child by him.
ALL LADIES.
Ha, ha, ha!
FIRST LADY.
Well, it must be charming to have a child by him.
THIRD LADY.
Madam, I met a lady in a visit the other day with three!
ALL LADIES.
All Farinellos?
THIRD LADY.
All Farinellos, all in wax.
FIRST LADY.
Oh Gemini! Who makes them? I ll send and bespeak half a dozen tomorrow morning.
SECOND LADY.
I ll have as many as I can cram into a coach with me.
― 56 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
SOURWIT.
Mr. Medley, sir, is this history? This must be invention.
MEDLEY.
Upon my word, sir, tis fact, and I take it to be the most extraordinary accident that
has happened in the whole year, and as well worth recording. Faith, sir, let me tell you,
I take it to be ominous, for if we go on to improve in luxury, effeminacy, and
debauchery, as we have done lately, the next age, for ought I know, may be more
like the children of squeaking Italians than hardy Britons.(Italics not in the
54)
original.)
とりわけ MEDLEY の台詞は、華美で軟弱なイタリア趣味の流行によってイギリス人本来の逞
しさが失われつつあることを危惧する内容となっている。このように華美で軟弱な異国風の文
化と質実で逞しいイギリス土着の純朴な文化を対比させる論法は、素朴な後発の文化が華美で
贅沢な異国の文化に晒され飲み込まれようとした時に出てくるある種の文化的ナショナリズム
だと言ってよい。
こうした時代の精神の表象として、さらに Fielding の作品の中から例を挙げておくと、1734
年に書かれた芝居 Don Quixote in England の第一幕で歌われる The Roast Beef of Old
England というよく知られたイギリスの古い歌がある。芝居の中では AIR V. The King’s Old
Courtier となっているが、その内容はローストビーフに象徴される純朴で強く逞しい伝統的な
イギリスの土俗的な文化を称え、イタリアやフランス趣味を軟弱なものとして軽蔑し、イギリ
スのナショナリズムを称揚する歌となっている。
When mighty rost Beef was the Englishman’s Food,
It ennobled our Hearts, and enriched our Blood;
Our Soldiers were brave, and our Courtiers were good:
Oh, the Rost beef of Old England,
And Old England’s Rost Beef!
Then, Britons, from all nice Dainties refrain,
Which effeminate Italy, France, and Spain;
And mighty Rost Beef shall command on the Main.
Oh the Rost Beef, &c.
55)
Oh the Rost Beef, &c.
こうした視点から Joseph Andrews の大団円の一節 The Company arriving at Mr. Booby’s
House, were all received by him in the most courteous, and entertained in the most splendid
manner, after the Custom of the old English Hospitality, which is still preserved in some very
few Families in the remote Parts of England.
56)
を見てみると、今では失われつつあるが田舎
にはかろうじて残っている古き良きイギリスの文化的伝統に対する賛美であり、先にも述べた
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 57 ―
ように、この作品中に散見されるイタリアかぶれやフランスかぶれの伊達男に対するバーレス
クを併せ考えると、この箇所もまたイギリスの文化的ナショナリズムであると言ってよい。
さらに付け加えると、引用文中に after the Custom of the old English Hospitality とある
ことからも分かるように、当時のイギリス人の読者であれば古来からの「ならわし(the Custom)
」
として田舎の屋敷における訪問者の処遇のありかたを具体的にイメージできたことがうかがわ
れる。具体的には、カントリーハウスにおいて、訪ねてくる人々を貧富貴賤にかかわらずそれ
なりに寛大に処遇したことがそれである。それはある意味単純で気前がよいものではあるが、
決して洗練された上品なものでは必ずしもなかった。しかしながら、Mark Girouard はその著
Life in the English Country House の中で、カントリーハウスへの訪問者や客人へのそうし
た寛大で親切な処遇や接遇について具体的に述べた後で、それは後の時代のイギリス人に郷愁
を感じさせる the Ancient English Hospitality
57)
であったとしている。
さて、これまでの議論で、Fielding の作品の中には、都会的できらびやかな異国趣味と純朴
で田舎風の伝統的イギリスの価値との対比という構図が存在することが見えてきた。そして、
この構図は異国趣味とそれに反発するイギリス人のアイデンティティーの主張、言い換えれば
文化的意味でのナショナリズムの生成とその発露と考えることができる。しかしながら、
「論文
⑴」で提起した最初の問題意識に戻って、Fielding に a new Province of Writing を書くのだ
と宣言して Tom Jones のような物語を書かせるに至った動機としては、もう少し複雑なものが
あったように思われる。そこで、異国趣味の都会風な価値と田舎風の伝統的イギリスの価値と
の対比というこの構図について、もう一歩踏み込んで考えるために、再度 Tom Jones を見てみ
ることとする。
よく知られていることであるが、Tom Jones は十八巻からなる長編の小説で、その構造はギ
リシア古典の叙事詩 The Odyssey を下敷きにしたものである。そして、「論文⑴」でも述べた
ように、各巻の冒頭には作者が小説中に登場して物語の展開について解釈や解説を加える一章
が添えられている。Tom Jones の第一巻第一章もこの例外ではなく、作品をレストランの料理、
作者をレストランの経営者にたとえて次のように述べ、この物語の構造について説明している。
In like manner, the Excellence of the mental Entertainment consists less in the
Subject, than in the Author s Skill in well dressing it up. How pleased therefore will the
Reader be to find, that we have, in the following Work, adhered closely to one of the
highest Principles of the best Cook which the present Age, or perhaps that of
Heliogabalus, hath produced. This great Man, as is well known to all Lovers of polite
eating, begins at first by setting plain Things before his hungry Guests, rising afterwards
by degrees, as their Stomachs may be supposed to decrease, to the very Quintessence of
Sauce and Spices. In like manner, we shall represent Human Nature at first to the keen
Appetite of our Reader, in that more plain and simple Manner in which it is found in the
Country, and shall hereafter hash and ragoo it with all the high French and Italian
Seasoning of Affectation and Vice which Courts and Cities afford.(Underlines not in the
58)
original.)
― 58 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
すなわち、Tom Jones において作者は、まず田舎で見受けられる単純素朴な人間性(Human
Nature)を読者に提示し、そのあとで宮廷や都会で見かけるような虚飾や悪徳といったフラン
ス風あるいはイタリア風の味付けをした人間を示すというわけである。この箇所はまさに先ほ
ど来述べてきたように、素朴で伝統的なイギリスの田舎の文化と、洗練されてはいるが華美で
都会風とされる外来の欺瞞的な文化とを対比させて作品の構図を示している箇所であり、いわ
ば Fielding が彼の芝居や Joseph Andrews においても繰り返し用いてきたモチーフが明示され
ている箇所であると言っても過言ではない。
ところで、既に繰り返し述べてきたように、Fielding は Tom Jones の第二巻第一章で、自ら
を the Founder of a new Province of Writing であると規定している。また Joseph Andrews
の序文では、 I do not remember to have seen hitherto attempted in our Language. と述べて、
いまだかって英語で書かれたことのないものを書くのだと宣言し、それに続けて、自分の書く
ものは「散文による喜劇的叙事詩(a comic Epic-Poem in Prose)
」であるとも述べている。
「散
文による喜劇的叙事詩」という表現は Tom Jones の第五巻第一章にも Prosai-comi-epic Writing
として出てくることは、これまでにも述べた通りである。この叙事詩(epic)と言うことにつ
いて、Gilbert Highet は「かくしてフィールディングは、合流して近代の小説を成すに至った二
つの古典の流れを、理論として理解もし、実際の創作を通して肌で感じてもいたのである。こ
の二つの中の一つはギリシアのロマンスであり、もう一つはギリシア・ローマの叙事詩であっ
59)
た。」 と述べている。もちろん Fielding の学識と創造性といういわば個人的力量や資質の問題
としては Highet の指摘する通りである。しかしながら、これまで見てきたように、the Founder
of a new Province of Writing という時に「論文 ⑴」において論じた如くその Province とい
うことばに込められたと思われる意味、法律のアナロジーとして述べられた文学の規範に対す
る考え方、そして本稿において論じた如く汎ヨーロッパ的な知の共通語であったラテン語やフ
ランス語から英語つまり土着語へという、いわば「母語の発見」へと向かう近代の歴史の流れ、
そして新興国イギリスの自信と気概といったことを考えると、Highet の言うように単にロマン
スや叙事詩の影響というだけでは説明しつくせない面があるように思われる。
これまで繰り返し述べてきたように、Fielding はその作品の中で、異国趣味とりわけフラン
スやイタリア趣味の流行を苦々しく思い、作品中ではそうした趣味を揶揄している。しかしな
がら、彼自身はラテン語、フランス語、イタリア語は母語並みに使え、ギリシア語にも堪能で
あったことが知られている。さらにまた、当時の知識人の例にもれず、ギリシア・ラテンの古
典に対する知識は該博であったことも知られている。つまり、Fielding にとっては、グランド
ツアーによって大陸諸国を巡遊し皮相的な知識を身につけて帰国し得意になってフランス趣味
やイタリア趣味をひけらかす当時の風潮など、いかにも軽薄に感じられたとしても不思議は無
い。古典を通して地中海世界を中心とするヨーロッパ諸国の文明の本質を洞察した人間の目か
ら見れば、軽薄なフランス・イタリアかぶれなど、しょせんは田舎者イギリス人の劣等感の裏
返しに過ぎないものとして見えたに違いない。
このようないわば劣等感の裏返しのようなものから来る歪みに対して、イギリスの伝統的な
田舎の文化を、自分たちの物、自分たちの本質として肯定し、それをギリシア・ローマ以来の
古典の伝統的形式を意識しながら母語である英語で表現したとき、そこに新しいイギリスの文
学が生まれたのだと言ってもよいであろう。Fielding の言う the Founder of a new Province of
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 59 ―
Writing という意味は、そうしたいわばヨーロッパの外縁部にある島国、ローマ帝国の属領
(Provincia)でしかなかったイギリスの知のあり方と新興国イギリスのナショナリズムとが融合
した時代の精神であったのではないかと思われる。
Fielding は自ら作ったいわば彼独自の小説の規範とでもいうべき概念「散文による喜劇的叙
事詩(a comic Epic-Poem in Prose)
」を Tom Jones という形で具現化するにあたって、古典の
伝統を重んじながら、同時にそれは異国の物であり素朴なイギリス人の感性には必ずしもそぐ
わないものであることを熟知していたものと思われる。そこにはヨーロッパ文明の本流ともい
うべきギリシア・ローマの伝統文化に対する深い理解と、新興国として世界史の舞台に登場し
つつあったイギリス人の自信と誇りそしてアイデンティティーの問題とが綯い交ぜになった姿
が垣間見えるように思われる。
イギリス人にとって、圧倒的な存在であるギリシア・ローマの古典とどう向き合うかという
問題は、自らのアイデンティティーに関わる重要な問題あったに違いない。いわばギリシア・
ラテンの文学というローマ帝国に、ヴァナキュラーである英語で書かれた文学すなわち
Provincia が挑戦し、文学の大英帝国を作ろうとしたもの、これが Tom Jones であり、またこ
の小説が書かれた18世紀中葉の時代の精神であったものと思われる。
Ⅲ
最後に Alexander Pope の詩 An Essay on Criticism の一節を引用することによって結論とし
たい。Pope はその An Essay on Criticism の681行から722行において批評の歴史を語り、その
中で古典文学の世界をローマ帝国に例え、文学の規範を法律に例えている。そして、文芸の中
心がイタリアからフランスへと移り、やがて批評の学問がフランスで隆盛となりイギリスへ影
響を及ぼしてくる過程を描いている。
Thus long succeeding Critics justly reign d, 681
Licence repress d, and useful laws ordain d;
Learning and Rome alike in Empire grew,
And arts still follow’d where her Eagles flew;
From the same Foes, at last, both felt their Doom,
And the same Age saw Learning fall, and Rome.
.
But soon by Impious Arms from Latium chas d, 709
Their ancient Bounds the banish d Muses past;
Thence Arts o er all the Northern World advance;
But Critic Learning flourish d most in France.
The Rules, a nation born to serve, obeys,
And Boileau still in Right of Horace sways.
But we, brave Britons, Foreign Laws despis d,
And kept unconquer’d, and unciviliz’d;
― 60 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
Fierce for the Liberties of Wit, and bold,
We still defy d the Romans, as of old.
Yet some there were, among the sounder Few
Of those who less presum’d, and better knew,
Who durst assert the juster Ancient Cause,
And here restor’d Wit s Fundamental Laws.
60)
(Underlines not in the original)
つまり、Fielding は Tom Jones において、
「勇敢なブリトン人」
「外国の法律を軽蔑し、外国
に征服されず、文明化もしなかった」ブリトン人を描き、それでいて「古代の原則を主張し」
、
「創作の基本的な法則を復活させ」ようとしたように思われる。言うまでもないことであるが、
Civil Law ということばが本来的には The law of Roman citizens
61)
を意味したことからも分
かるように、 civilize とはローマ市民となることであり文明化するとはローマ化することであ
った。したがって An Essay on Criticism のこの個所は、古典文学とりわけラテン文学の文学
創作の原則と、ローマ帝国の Provincia の住民でしかなかった Briton 人の文学創造の試みとの
間の確執を述べたものであり、その立場は Fielding が自らの作品の中で a new Province of
Writing あるいは I do not remember to have seen hitherto attempted in our Language. と
述べたときの立場と同じ立場に立ったものであると言ってよい。そして、この立場は、圧倒的
なヨーロッパ文明の主流に対して、ヨーロッパの辺境にあるイギリスが自信と誇りを持ち始め
自らの文学を創造しようとした18世紀イギリスの時代の精神であったものと思われる。
(本稿は『龍谷紀要』第34巻第 1 号(2012年 9 月)所収の「イギリス近代小説の勃興と文化的
ナショナリズム⑴」の続編として執筆したものである。したがって、2010年度国内研究員とし
ての研究成果であり、内容的には2011年 3 月18日に同志社大学で開催された「十八世紀英文学
研究会」における口頭発表に加筆して論文としたものである。
)
注
1 ) 近藤久雄「イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑴」『龍谷紀要』第34巻第 1 号 2012年 9 月 pp.49 50。以下「論文⑴」と略記。
2 ) Linda Colley, Britons: Forging the Nation 1707 1837, New Haven & London: Yale Univ. Press, 2005. p.1
3 )「論文⑴」pp.49 50
4 ) The great monarchy before which the English court had trembled, and from which even patriots had
taken bribes in the Restoration period, was met face to face in a long and doubtful struggle and
thoroughly humbled in a war, in which an English General, in command of an English contingent, had
won victories unprecedented in our history since the Middle Ages. Patriotic pride received a stimulus
such as that which followed the defeat of the Armada and preceded the outburst of the Elizabethan
literature. (Leslie Stephen. English Literature and Society in the Eighteenth Century, London:
Duckworth & Co., 1903. p.45
5 ) ダニエル・バッジオーニ『ヨーロッパの言語と国民』今井勉訳 筑摩書房 2006 p.60
6 ) The novel being, as we understand it, a realistic picture of actual life, this rule is essential to it. Any
prose fiction which does not remain within the realm of probability in the actions of its characters is not
a novel but a romance. (Frederick Old Bissell, Jr, Fielding’s Theory of the Novel, New York: Cooper
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 61 ―
Square Publishers, Inc., 1969 p.52)および「論文⑴」 pp.36 37参照。
7 ) ダニエル・バッジオーニ 前掲書 p.60
8 ) Benedict Anderson, Imagined Communities, New York: Verso, 2006. pp.24 25
9)
it may not be improper to premise a few Words concerning this kind of Writing, which I do not
remember to have seen hitherto attempted in our Language. (Henry Fielding, The Hisotry of the
Adventures of Joseph Andrews, and of his Friend Mr. Abraham Adams, ed. Martin C. Battestin.
Middletown, Conn.: Wesleyan UP. 1967. p.3 以下 Joseph Andrews と略記。)
10) Henry Fielding, The History of Tom Jones a Foundling, ed. Fredson Bowers. Middletown Conn.:
Wesleyan UP. 1975. Bk.V Ch.i, p.209以下 Tom Jones と略記。
11) Loc. cit.
12) Fielding claimed to be the founder of a new province of writing , which he named prosai-comi-epic
writing , or the heroic, historical, prosaic poem .
At the outset he emphasizes the point that the writer
of a comic prose epic has his rough materials provided for him in the actual facts of human nature. He
does not invent them out of his own brains does the fanciful romance-writer; he discovers them already
existing in the world about him. (F. Homes Dudden, Henry Fielding; His Life, Works and
Times,London: Oxford UP. 1973. Vol.II, p.666)
13) It has often been argued that the early modern period was one of the emergence , the rise or the
triumph of the national vernaculars, at the expense of cosmopolitan Latin on the one hand and local
dialects on the other. Peter Burke, Language and Communities in Early Modern Europe, Cambridge
UP. 2004. p.61
14) Joseph Andrews, p.3
15)「『文芸共和国』に加わる際、人は宗教上の所属や、国家と民族だけでなく家族への忠誠も放棄するのであ
る。国家・民族・家族などはすべて、偶発的、局地的、特殊なものと見なされ、人間に本来固有のもので
はないと規定され、唯一理性だけが、普遍・必然・全体をあらわすとされるのである。」(クシシトフ・ポ
ミアン 『ヨーロッパとは何か』 松村剛訳 平凡社 2006 pp.136 137)
16) アンドレ・モロワ『英国史(上)』水野成夫・小林正訳 新潮文庫 1993 p.306
17) クシシトフ・ポミアン 前掲書 pp.113 114
18) Joseph Andrews, pp.3 4
19) It was during the eighteenth century that a process, begun in the Stuart period, was brought to
completion ― the establishment among the learned of the custom of writing in English instead of in
Latin. This change had important consequences: British scholars became more than ever separated from
their continental brethren; thought and learning became more national, more popular, and more closely
allied to literature. Bentley, Blackstone, Gibbon and Adam Smith all made appeal to the general
intelligence of their countrymen at large, rather than to a professional learned audience scattered over
all the countries of Europe. (G. M. Trevelyan, History of England: The illustrated Edition, London:
Longman 1973. p.611)
20) The French did not discover Shakespeare until they discovered England; and they did not discover
England until Voltailre, the abbé Prévost, and the baron de Montesquieu crossed the Channel at various
times in the 1720s. (John Pemble, Shakespeare Goes To Paris, London: Hambledon and London, 2005.
p.1)
21) クシシトフ・ポミアン 『前掲書』
p.158
22) During the earlier part of the eighteenth century this view completely changed. The sea-girt outpost of
the Continent, the afterthought of the muses, became a commanding presence in sophisticated France.
Britain made her entry into cultural and intellectual Europe, disturbing hallowed systems of thought and
cannon of art. (John Pemble, Shakespeare Goes To Paris, London: Hambledon and London, 2005.
― 62 ―
龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
p.xiv)
23) フランス語の「文芸共和国(République de Lettre)」については Voltailre がその著『ルイ十四世の世紀』
(Le Siècle de Louis XIV: 1751)の中で次のように説明している。「フランス語はヨーロッパ語になった。す
べてが、それに貢献したのである。ルイ十四世時代の偉大な作家と、その後継者たちはよい例だ。亡命し
たカルヴァン派の牧師は、雄弁と論理的な思考を、諸外国へ持ってゆく。ベール、つまりオランダで執筆
し、各国に読者を持ったあの人物は、中でも特筆に値する。ラパン・ドゥ・トアラースは、フランス語で、
立派なイギリス史を書いた唯一の人。サンテヴルモンは、ロンドンの宮廷人に、こぞって交際を求められ
る。マザラン女公の歓心を買うため、汲々としたものは少なくない。ドルブルーズ夫人といえば、ツェル
公の夫人になった女性だが、この人は、祖国の優雅なものを、すべてドイツへ持ち込んだ。フランス人は、
生まれながらに、社交性を身につけている。これは長所だし、快いものなので、他国民もその必要を感じ
た。あらゆる言語の中で、フランス語ほど、教養のある人々が話題にするような事柄を、すべて、容易に、
明確に、また上品に表現しうるものはない。だから、その点で、フランス語は、全欧の人々に、人生最大
の楽しみの一つを、味わわせるのに役立っている。」(ヴォルテール著・丸山熊雄訳『ルイ十四世の世紀』
第三巻 岩波書店 1984年 pp.85 86)
24) Joseph Andrews, p.3
25) ダニエル・バッジオーニ著・今井勉訳『ヨーロッパの言語と国民』筑摩書房 2006年 p.126
26) Loc. cit.
27) Henry Fielding, The Grub-Street Opera, ed. Edgar V. Roberts. Lincoln: University of Nebraska Press,
1968. III. 4 )
28) 渡部昇一『英語学史』大修館書店 1975年 p.259
29) Wilber L. Cross, The Hisotry of Henry Fielding, New York: Russell & Russell Inc., 1918. Vol. 1. p.106
30) ヴォルテール著・丸山熊雄訳『ルイ十四世の世紀』第三巻 岩波書店 1984年 pp.85 86(脚注19を参照。)
31) 渡部昇一『英語学史』大修館書店 1975年 p.258
32)
they differed from many other European élites in not favouring French as their first language. But it
was still a prerequisite for entry into high society or high office. (Linda Colley: Britons; forging the
Nation 1707 1837, Yale UP. 2005. p.165)
33) Ibid.
34) G. M. Trevelyan, History of England: The illustrated Edition, Longman 1973. p.611
35) John Adams. Papers of John Adams, vol.10, June 1780 December 1780, ed. Gregg L. lint et al.
Cambridge, MA: Harvard UP. 1996. p.174
36) Joseph Andrews, pp.3 4
37) Tom Jones, Vol.I Bk.II Ch.i p.77
38) It has often been argued that the early modern period was one of the emergence , the rise or the
triumph of the national vernaculars, at the expense of cosmopolitan Latin on the one hand and local
dialects on the other. To the extent that this happened, the phenomenon was important for the creation
of new speech communities and eventally new trans-regional or super-regional loyalties. By 1750, the
European linguistic system was very different from the medieval system, which had been divided
between a living but non-classical Latin ad regional dialects which were spoken rather than written.
(Peter Burke, Op. cit., p.61)訳は『近世ヨーロッパの言語と社会』(原聖訳 岩波書店 2009 p.81)によ
る。
39) In England, attempts to purify the language in this way came later and the movement was weaker than
in France. Daniel Defoe s project for a language academy was intended to help establish purity and
propriety of style . Samuel Johnson s famous Dictionary was part of a larger enterprise to preserve the
purity of English, which Johnson considered to have been under threat since the Restoration of Charles
II in 1660. ( Peter Burke, Op. cit., p.146)訳は『近世ヨーロッパの言語と社会』
(原聖訳 岩波書店 2009 イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 63 ―
p.208)による。
40) Another purpose of standardization, besides uniformity across space, was fixity over time. For a language
to gain the kind of prestige accorded to Latin, it had to be stable. For this reason, Dryden found it
embarrassing that while from the time of Boccaccio and of Petrarch, the Italian has varied very little , in
the English case, on the other hand, Chaucer is no to be understood without the help of an old
dictionary . Jonathan Swift disliked what he called the perpetual variations of our speech and hoped to
fix it for ever .( Peter Burke, Op. cit., pp.89 90)訳は『近世ヨーロッパの言語と社会』(原聖訳 岩波書
店 2009 p.122)による。
41) Joseph Andrews, p.3
42) Ian Watt, The rise of The Novel, Harmondsworth: Penguin 1963. p.36
43) Ian Watt, Op. cit., p.43
44)
; it[The Spectator]catered to middle-class taste,
(Ian Watt, Op. cit., p.54)
45) Joseph Andrews, p.313の Martin C. Battestin による脚注 1 を参照。
46) Joseph Andrews, Bk.IV Ch.ix, p.312
47) Sean Shesgreen, Literary Portrait in the Novels of Henry Fielding(Dekalb Ill.: Northern Illinois UP,
1972)p.81
48) In 1731 William Pulteney publicly accused Lord Hervey of being a homosexual, and the evidence indeed
indicates that he was actively and physically bisexual. (Lawrence Stone, The Family, Sex and
Marriage in England 1500 1800, Harmondsworth: Penguin Books, 1990. p.337)
49) To take him(Fielding)up after Richardson is like emerging from a sick-room heated by stoves into an
open lawn on a breezy day in May. (Samuel T. Coleridge, The Complete Works of Samuel Taylor
Coleridge, ed. W. G. T. Shedd, Rinsen, Kyoto, 1989, VI. p.521)
50)
there rises before my eyes a vision of one of the great ships of old ploughing with spread sails and
laden hold over a sunlit sea. The winds blow fair, and from her deck, as she speeds upon her way, the
deep voices of sailors fling to the air some lusty old chantery, simple and victorious. (Aurelien Digeon,
The Novels of Fielding, New York: Russell & Russell, 1962. p.129)
51) Joseph Andrews, Bk.III Ch.vii, pp.244 245
52) Joseph Andrews, Bk.II Ch.vi, p.128
53) Henry Fielding, Pasquin:a Dramatic Satire on the Times( 1736). Act. IV. Scene I,(The Wesleyan
Edition of the Works of Henry Fielding; Plays Volume Three 1734 1742, ed. Thomas Lockwood,
Oxford:, Clarendon Press, 2011. pp.294 295)
54) Henry Fielding, The Historical Register for the Year 1736, ed. William W. Appleton. Lincoln: University
of Nebraska Press 1967. Act II. pp.24 25
55) Henry Fielding, Don Quixote in Englnad. Act. I. Scene VI,(The Wesleyan Edition of The Works of
Henry Fielding; Plays Volume Three 1734 1742, ed. Thomas Lockwood. Oxford: Clarendon Press,
2011. pp.41 42)
56) Joseph Andrews, Bk.IV Ch.xvi p.341
57) It was a way of life which later generations looked back on nostalgically as the Ancient English
Hospitality . (Mark Girouard, Life in the English Country House, New Haven and London: Yale UP,
1978 p.23)
58) Tom Jones. Vol.I Bk.I ch.i pp.33 34
59) ギルバート ・ ハイエット著・柳沼重剛訳『西洋文学における古典の伝統』(下)筑摩叢書 1985 年 p.95
So then Fielding saw in theory and felt in practice the two chief classical currents which flowed
together to make the modern novel. One of these was Greek romance. The other was Greco-Roman
epic. Gilbert Highet, The Classical Tradition; Greek and Roman Influences on Western Literature,
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龍谷紀要 第34巻(2013)第 2 号
New York & London: Oxford UP. pp343 344
60) Alexander Pope, An Essay on Criticism, ll.681 722(Pastoral Poetry and An Essay on Criticism; The
Twickenham Edition of the Poem of Alexander Pope Vol. I , ed. John Butt: New Haven, Yale UP. 1969
pp.316 323)
61) OED Civil Law の項目参照。
イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵(近藤) ― 65 ―
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