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皆年金実現の政治過程 : 台湾の国民年金制度の導入
林, 成蔚
年報 公共政策学 = Annals, Public Policy Studies, 5: 145-163
2011-03-31
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http://hdl.handle.net/2115/47754
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Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
皆年金実現の政治過程
皆年金実現の政治過程―台湾の国民年金制度の導入
林
1.
成蔚
はじめに 1)
2008年10月に、台湾において「国民年金制度」が実施されたことによって、ほぼ似
たような発展経路を辿ってきた韓国に比べて20年遅れて、皆年金が漸く実現された。
また、2008年 7 月には「労工保険条例(労働者保険条例)」の修正が行われ、「労工保
険(労働者保険)
」による年金給付およびそのポータビリティの実施が実現された。両
制度の改革を合わせれば、台湾における高齢者の所得保障制度がより充実化したとい
える。かつては一部の専門家から「残滓型福祉国家」として扱われてきた台湾にとっ
てこれらは重要な出来事であった。本稿はその前者の「国民年金制度」が導入された
政治過程を分析対象にしたい。
開発国家の典型である台湾の社会福祉・社会保障制度は、長い間研究の対象として
扱われるほどのものではなかった。しかし、民主化とともに急速に拡大した社会保障・
福祉制度は90年代初期から注目を浴びるようになり、台湾の研究者のみならず、欧米
の研究者も取り上げるようになった。今日において、台湾の社会福祉・保障制度を素
材に、政治学、政治経済学の視点から行われる分析は主として 2 種類に分別すること
ができる。一つは台湾における「福祉国家」の起源あるいは特徴などに焦点を当て、
福祉国家の一類型として分析を行うものである。そこには人口構成、家族の役割、経
済発展の水準、文化要因などの側面が注目され、マクロな視点が採用されている。第
二種類は、比較政治学によく使用される国家構造論や政治過程論の流れを汲む研究で
あるが、統治体制と社会福祉・社会保障制度の関係、或いは特定の制度(例えば公的
医療保険や年金制度)の形成をめぐる政治過程を分析対象としているものである 2)。
国民年金制度という特定の制度をめぐる政治過程に焦点を当てた本稿は、第二種類に
属しているといえよう。
90年代以降台湾の社会保障・福祉制度は民主化によって現れた選挙競争の中で、政
党の公約合戦によって拡大し続けた。それは階級同盟あるいは社会集団の連帯によっ
てもたらされた結果よりも、国家主導の再分配政策の拡大として認識されるべきであ
る。しかし、民主主義の定着によって開発国家における社会福祉・社会保障制度が拡
大するという論理は、一定の説得力を持つものの、拡大の「あり方」については新た

北海道大学公共政策大学院准教授
E-mail: [email protected]
1) 本稿は、林(2003、未刊)第五章、Lin(2005)の一部を抽出し、大幅に加筆したものである。
2) より包括的な既存研究のレビューは、林(1999)、林(2002)と池(2006)第一章を参照。
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な示唆を与えることはできない。なぜなら、健康保険制度と年金制度を取り上げて比
較するだけでも興味深い違いが明らかからである。台湾においては両者とも普遍性(皆
保険・皆年金)が確保されるようになったが、健保に関しては保険加入者のリスク分
担が最大限確保されている保険者の一元化がなされ、給付の同一化が確保されてい
る 3)。それに対して、皆年金を実現した「国民年金制度」は、農民を除いた自由業、
零細労働者、主婦、学生など比較的所得が低く、雇用が不安定な社会集団のみを対象
とし「弱者の基礎年金」であり、その他の公務員保険、軍人保険、労工保険(労働者
保険)
、農民保険など給付がより充実した職域保険の年金制度は維持されたままである。
言い換えれば、台湾の健保制度は多くの研究者が指摘しているように、再分配機能が
高く、社会的平等を促す制度になっており、それは市民団体の連帯と財政体質の改善
という二つの理由が相まって可能にしたものである 4)。この健保制度は極めて「進歩
的」なものであるにもかかわらず、年金制度は「保守的」な体質を維持したままであ
る。このような違いを説明するためにはよりマクロ、あるいは比較的な視点が必要で
あるが、本稿は年金制度の拡大の「あり方」-「国民年金制度」の導入-をめぐる政
治過程に焦点を当て、メゾレベルの分析を行うことを目的とし、より包括的な比較分
析に寄与したい。
2. 台湾の高齢化社会
台湾の人口構成は90年代以降急速に高齢化が進んだ。理由の一つは、多くの先進国
と同様に経済発展によって価値観が変化し、女性の社会進出が増え、結婚制度をめぐ
る考え方が変化し、その結果として出生率が低下していることにある。1983年の2.05
パーセントをピークに、台湾の出生率は減少し続け、2009年には0.829パーセントまで
下がっている5)。このレベルの出生率は、ドイツとほぼ同じであり、世界的に最も低
いものである(聯合報(2010/2/6))。もう一つの理由は医療技術の進歩および医療制
度の整備によって平均寿命が上昇したことである。台湾においては1989年の平均寿命
が73.51歳であったのに対して、2009年は79.0歳に延びたのである 6)。
これらのことによって、1993年に台湾における65歳以上の高齢者は、すでに人口の7.1
パーセントに達し、台湾が高齢化社会として位置づけられるようになった。2009年に台
湾における65歳以上の人口は全人口の10.6パーセントを占め、この趨勢が継続すると、
2019年には高齢者人口が全人口の15パーセントを上回り、わずか26年間で高齢者人口が
倍増することになる(表 1 を参照)。このように日本や欧米諸国を上回る社会の高齢化
台湾の健康保険制度の改革については、Lin K.M.(1997)と Wong(2006)が最も包括的かつ
優れた研究である。
4) 台湾の健保制度をめぐる評価およびその改革は Wong(2001)を参照。
5) 台湾内政部戸政司 http:// http://www.ris.gov.tw/
6) 平均寿命に関しては、台湾内政部「中華民国人口統計年刊」の各号を参照。
3)
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皆年金実現の政治過程
表1.台湾人口構成の変化
は、いうまでもなく様々な問
題を控えている。その中で最
も深刻な問題の一つは、高齢
者の所得保障である。
高齢化問題と同時に、台湾
では2010年に終戦直後に生ま
れた世代が退職するピークに
達する。台湾内政部の統計に
よると、40歳から60歳までの
人口は全労働人口の 6 割を占
めており、2010年前後には毎
年約40万人が退職することが
予想される(民主進歩党政策
週報第24期(2006))。したが
って、高齢者の所得保障は政
府にとって重要な課題である
年
0-14 歳
15-64 歳
65 歳以上
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2015
2020
2030
2040
2050
2060
20.5
20.1
19.7
19.3
19.0
18.6
18.2
17.9
15.7
13.2
12.0
11.4
11.0
10.8
11.4
70.5
70.8
70.9
71.1
71.3
71.4
71.6
71.8
73.6
74.3
71.8
64.5
58.5
52.6
49.2
9.0
9.2
9.4
9.6
9.8
10.0
10.2
10.3
10.7
12.6
16.2
24.2
30.5
36.6
39.4
労働人口対
高齢者比率
7.8
7.7
7.5
7.4
7.3
7.1
7.0
7.0
6.9
5.9
4.4
2.7
1.9
1.4
1.2
(出典)台湾経済建設委員会『2010年至2060年臺灣人口推計』
2000年 9 月、台湾内政部『中華民国人口統計年刊』各号
と同時に、民主化以降激化してきた政党競争においても、問題化されやすいものとな
っている。そのため、90年代から地方・国政選挙の度に議論されてきており、対策も
特定の地方自治体あるいは集団(例えば農民)に老齢手当金を配布するものから労働
者一般の退職金制度の整備などさまざまである。その中で一貫して注目を浴びてきた
のは「皆年金」を実現する「国民年金制度」の導入である。
3. 台湾の「国民年金制度」の実現をめぐる政治過程
「国民年金制度」が台湾において話題を呼ぶ契機となったのは、1992年に野党の民進
党が国会議員の増補選挙において「老年年金」の支給を公約として打出し、躍進した
ことにある。それを受けて、国民党政府は1993年から国民年金制度の政策企画を開始
し、2008年に実現されるまで、実に15年間の時間を要した。本節はその「国民年金制
度」が成立するまでの政治過程を分析することによって、最終的に執行される制度を
決定する要因をとらえたい。
3.1 制度的差別を持つ政策遺制
90年代の改革以前の台湾における老齢所得保障は、エスニック集団間の差異が顕著
であったため、それが選挙競争において問題視され、社会全体の注目を浴び始めた。
台湾における社会保障は長く総合型社会保険が主な制度であった。これら職域ベース
の社会保険には医療給付、労災給付、そして老齢給付が含まれていた。1995年に各保
険の医療給付を抽出し、さらに公的医療保険を受けていなかった国民を加えて、すべ
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ての国民が加入する「全民健保」が発足することによって、公務員・教職員保険、軍
人保険、労工保険などの保険の最も重要な役割の一つは老齢給付になった。
しかし、このような状況には二つの問題はあった。一つは、中小企業が多い台湾で
は労働基準法に準拠した条件に基づいて雇用しない企業は比較的に多く、労働者が有
利な状況で老齢給付を受給するのは障害が非常に多かったことである。逆に、公務員・
教職員と軍人は職業自体が安定しており、老齢給付を受給できる上、政府による寛容
な退職金制度も設けられている。傅立葉(1994)の研究によると、たとえ労働者が労
保の老齢給付と退職金制度の給付を受給しても、それを年金に換算すると、所得代替
率の32.67パーセントであるのに対して、軍人・公務員がそれぞれの社会保険および退
職金制度から得られる給付の所得代替率は、90パーセントを超えていたのである 7)。
つまり、言い換えれば、多くの労働者は、自力で老後の所得保障を解決しなければな
らない状態であったのに対して、軍人と公務員は、政府によって手厚く保護されてい
たのである。
二つ目の問題は、農民をめぐる制度が欠如していたことである。農民を含む医療保険
自体が1989年に漸く発足したが、老齢所得保障に関しては皆無であった。表 2 に示され
ているように、1993年の時点では、非高齢者と高齢者のどちらにせよ、いかなる社会保
険にも加入していなかった農民が公的老齢所得保障給付非受給者の半分を占めていた。
言い換えれば、90年代の初期まで、台湾では軍人、公務員、教職員が公的制度によ
ってかなり優遇されていた一方、労働者に対してはかなり低いレベルの所得保障が行
われ、農民をめぐるそれがほぼ皆無であった状態であったことになる。この状況が一
層問題化される理由は、この職域間の格差が、実は台湾におけるエスニック集団間の
亀裂と一致していることである。それは、農民に関しては19世紀末までに中国大陸か
ら移民してきた「本省人」が多いのに対して、軍人・公務員は1950年前後に蒋介石と
表2.公的老齢所得保障給付非受給者の人口構成(1993 年)
職
種
農 民
中、大型企業雇用主
家庭主婦
失業者
学 生
合 計
25 歳から 64 歳までの人口
推計人数(万人) (%)
165.3
(51.3)
2.2
(0.6)
141
(43.8)
6.6
(2.0)
6.9
(2.1)
322.0
(100)
65 歳以上の人口
推計人数(万人) (%)
51.8
(50.3)
0.3
(0.3)
4.3
(4.2)
--(老齢)46.6
(45.2)
103.0
(100)
(出典)経済建設委員会 (1995) 17~8
(備考)65歳以上の「老齢」は、非農民高齢者で、元の職業が明らかでない人口
7)
さらに、一部の研究者は、軍人と公務員は利子率18パーセントの優遇貯金制度があり、そ
の経済的効果を計上すると所得代替率が100パーセントを超えると主張している(郭明政,
1998)。
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皆年金実現の政治過程
ともに台湾に移転した「外省人」が多かったことである。しかしながら、中国大陸に
おける中国共産党との内戦に敗北し、国民党政権が台湾に移ってからすでに半世紀以
上を経ており、軍人・公務員にも多くの本省人が務めるようになったのは事実である。
そのため、現役の労働者と公務員・軍人の差異よりも、老齢所得問題に注目を集めた
所得保障をめぐる差異の論争は、退役軍人と農民の高齢者をめぐる処遇の違いである。
その退役軍人の殆どが、戦後国民党と共に台湾に移った外省人であることは、台湾社
会では一般的な認識とされており、対しての農民高齢者はほぼ間違いなく本省人であ
った。
しかし、台湾では職業別の出身地-省籍-についての正式なデータがないため、そ
れを実証することが困難である。本稿において、台湾の研究者が行った高齢者をめぐ
る経済的自律性のサンプル調整に依拠し、この職域間とエスニック集団間の所得保障
をめぐる格差が一致しているという印象が台湾社会において受け入れられやすい状態
であることを指摘しておきたい。表 3 は、1989年のサンプル調査から経済的自立でき
る老人の属性を、省籍と職種(農民、非農民)に基づいて整理したものである。表に
示されているように、仕事、退職金や手当金などの収入を含めて、60歳以上の高齢者
の42.7パーセントが経済的に自立できるとされていた。しかし、省籍別で見ると、調
査をうけた外省人の78.8パーセントが自立できるのに対して、本省人はわずか32.2パ
ーセントである。外省人の高齢者の方が、経済的に自立できる能力を持っていたので
ある。その原因は教育水準、健康状態、性別など他の要因にも影響されるが、外省人
の半分以上が老齢給付、退職制度、個人貯蓄などによって経済的に自立していること
は看過できない。つまり、勤労収入によって経済的自立している比率は省籍的に大差
がなかったのに対して、老齢所得保障制度や個人貯蓄によって経済的自立している老
表3.台湾―経済的に自立できる高齢者の属性(1989 年)
調査全体において経済的に自立できる高齢者の比率:42.7% →
調査全体において経済的に自立できない高齢者の比率:57.3% →
経済的に自立できる
調査
高齢者の比率(%)
サンプル数
(3)=(1)+(2)
1704 人
2286
経済的自立できる収入源
老齢給付、退職金、
勤労収入に依存
貯蓄などの収入に
している高齢者
依存している
の比率(%)
高齢者の比率(%)
(2)
(1)
年齢層
60~64
65~
1,542
2,447
58.6
32.6
41.3
16.4
17.2
16.2
省籍
本省人
外省人
3,099
891
32.3
78.8
23.7
34.5
8.6
44.2
職種
農民
非農民
その他不詳
1,291
2,037
662
29.7
58.2
20.4
23.6
33.1
9.4
6.1
25.1
11.0
(出典)張明正 (1996) 18~9、表 6 のデータに基づいて計算し、作成した。
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人に関しては、省籍上の違いが歴然としており、外省人の方が圧倒的に比率的に高い
のである。さらに、(元)職種別にみると、経済的自立できる(元)農民の比率は、非
農民より一般的に低く、老齢所得保障制度あるいは個人貯蓄によって経済的に自立でき
る比率は6.1パーセントであり、非農民の25.1パーセントよりかなり低いものであった。
表 3 のデータは、上述の各種の社会保険、退職金制度と手当金制度をめぐる差異と
似たような傾向を示していると同時に、エスニック集団間の差異が存在することをあ
る程度裏付けている。従って、
(元)軍人・公務員が多い外省人がより恵まれていると
いう認識が、台湾社会においてもたらされることは、十分ありえることであった。
次のセクションにおいて述べられるが、老齢手当金という問題が急速に注目を集め
たきっかけとなった台南県では、まさにこの差別化が顕著な地域であった。台湾の南
部に位置する台南県は本来本省人が多く、そして今でも農業が中心的な産業である。
1993年の調査によると、1992年に同県の人口構成において、第一次産業(農漁業)に
従事する人口は、全体の38.6パーセントに達し、台湾全体(台北市、高雄市を除く)
の24.6パーセントより高かった(台南県政府,1996)
。民主化によって開放された選挙
競争において、野党の政治家は票を獲得するために、この状態に着目したわけである。
3.2 老齢手当金の政治化
1992年に台南県における野党民進党候補者の蘇煥智が、選挙キャンペーン中に老齢
手当金の不公平性を盛んに取り上げ、その結果、1 万余りの得票で惨敗した前年の国
民大会代表選挙とはうってかわって、10万余りの得票で大勝したのである。蘇の選挙
区の有権者の多くが本省人の高齢者かつ農民であり、老齢手当金を取り上げたのは、
社会保障制度など地方の老人にとって馴染みのなかった概念よりも、退役軍人(外省
人)が老齢手当金(月額 5 千元弱)で厚遇されていることから、高齢者の多い農民(本
省人)も同様な福祉を受けられるべきという主張のほうが老人達に浸透しやすいから
ことであった 8)。また、老齢手当金をはじめ、老人を対象とする政策を選挙公約に取
り入れた候補者は、それまで皆無であったため、蘇煥智陣営にとって老齢手当金は、
他の民進党候補者と自分達を差別化区別する格好の材料にもなった。
選挙の結果は前述のように、蘇煥智が10万票余りを獲得し当選した。この勝利は、
当時の民進党執行部において非常に高く評価された。なぜなら、民進党は同選挙区に
おいて他の 2 名の候補者が併せて約 9 万票を獲得し、伝統的に民進党が確保できる票数
であった。しかし、それが意味するのは、蘇煥智の10万余りの票が殆ど新たに獲得し
た票であることである。これをうけて、民進党は翌1993年 2 月の澎湖県県知事補欠選
8)
筆者による蘇煥智氏とのインタビューによる。蘇氏によると、選挙キャンペーン中、彼は
スピーチにおいて、聴衆に対して「退役軍人が毎月 5 千元ももらえるのに、なぜ我々は一
銭ももらえないのか?(老芋仔毎個月可以領到 5 千塊、我們為什麼一塊銭也領不到!)」と
呼びかけた。
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皆年金実現の政治過程
挙においても同様に「老人年金」問題を掲げ、勝利を収めた。
選挙動員において大きな成果を収めた野党民進党は、この後国会、社会運動、そし
て選挙などすべての政治競争において、老齢手当金を中心に社会福祉を重要な政策と
してアピールするようになっていった。立法委員になった蘇煥智は他の民進党立法委
員と共に、1993年 3 月に最初の「国民年金法草案」を立法院に提出した。さらに、民
進党勢力は民間団体の連携によって、同10月23日(台湾の敬老の日)に 1 万人余りの
老人が参加した大規模の集会を開き、「老人年金」の実現を強く要求したのであった。
当時の台湾全体の老人が140万人前後であることから考えると、「老人年金」の動員力
がかなり強かったといえる。集会の成功を受けて、民進党執行部は同年12月の地方選
挙において、すべての候補者が「老人年金」や「老齢手当金」を公約に組み込むよう
に指導し、各候補者によって公約された老齢手当金の金額は、3000元から 1 万元と地
方 の 事 情 に よ っ て 異 な っ た (中 央 日 報 (1993/10/4 ); 中 国 時 報 ( 1993/10/24 ・
1993/12/28)
;台湾日報(1994/1/5)
)。そして、同12月の地方選挙において、民進党の
得票率は前回(92年の立法委員選挙)の31パーセントから41パーセントに増えた。老
齢所得保障制度の整備という訴えが果たして選挙にどれほどの影響を与えるかは微妙
である。一部の研究の回帰分析によると、年金政策の差異が直接投票行動に影響を与
えたとは断定できない(傅(2000))。しかし、選挙競合があるため、政府が老齢所得
保障制度の整備に取り掛かるプレッシャーを感じたのは間違いない。
3.3 補助金と「福祉手当金」としての国民年金制度
そのため、国民党政権の内政部長は、選挙キャンペーン中において野党の老齢手当
金をめぐる公約が財政的に無責任であることを批判しながらも、10月中旬になると国
民年金制度の草案が完成したと発表した(中国時報,1993/10/15)。そして、11月には
行政院長であった連戦が、内政部および関連部会の報告を受けて、総合的な計画作業
を担当する経済建設委員会に、「年金制度専案小組(年金制度企画委員会)」を設置す
るように指示し、より具体的な制度的設計に着手するようになった(経済建設委員会
(1995)、p169)。このように、国民年金制度の計画を推進している間に国民党政権は、
1995年 5 月に農民手当金制度を導入し、約40万人の老齢農民に月額3000元の手当金を
給付し、中低所得世帯老人に対する手当金制度と併せて、国民年金制度が実現される
まで、既存の高齢者の所得保障を手当金制度の導入によって対応していた。
一年余りの期間を経て、経済建設委員会は1995年 4 月に、
「国民年金保険制度整合規
劃報告」
(経済建設委員会,1995)を提出した。その最も重要な特徴は、近い将来に導
入される国民年金保険は社会保険式の皆保険であるが、既存の職域別の保険を維持し
ながら、新たな国民年金制度を発足させるという点にある。すなわち、新たな国民年
金制度を基礎年金としてとらえ、その上、既存の職域別の保険を付加年金として考え
る二階建て方式なのである。このような考え方は、1998年に発表された企画報告書に
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おいても踏襲されている。当時の経済建設委員会の計算によると、これによってどの
職域別保険にも加入していない479万人(65歳以上の57万人を含む)の国民が新たに発
足する国民年金に加入できる(経済建設委員会(1998b)、p12)。
このような制度的設計の問題は、政府に莫大の財政負担が生じることである。まず、
これらの提案にはいずれも政府の補助金(政府による保険料の一部負担)が組み込ま
れている。98年の企画報告書では政府が、被用者の保険料に対して最高20パーセント、
雇用者およびその他(自営者や雇用者のいない職業組合に属する労働者)に対して最
高40パーセントの保険料一部負担を提供する予定となっている。さらに、既存の高齢
者-つまり拠出ゼロ-に対しては、
「福祉手当」を支給する。すなわち、基本的には既
存の手当金制度の受給者も、その他の社会保険から老齢給付を受給している者も2000
元から3000元の老齢手当が支給され、政府の推計によると、1997年度ではその人数が
約65万人に達していた(経済建設委員会(1998a)、pp.17,23,51)。表 4 からも分か
るように、1999年度に国民年金制度が発足すれば、政府は、最低限253億元の負担が要
求される。その内訳をみると、政府による保険料の分担と「福祉手当」が約半分ずつ
占めている。1998年度の全社会福祉の支出が2,895億元であることを考えると、国民年
金制度の導入によって、最低でも10パーセントの増加率になる。台湾は80年代後半か
ら既に財政赤字が継続しており、1994年の時点に累積公債がすでに GNP の13パーセン
トに達していたこともあって、政府にとって、国民年金制度を実施するためには、新
たな財源を確保する必要があった。経済建設委員会はそれについて当時 5 パーセント
の営業税(消費税)を 6 パーセントに引き上げることを提案した(経済建設委員会
(1998a)、pp.26-27,47)。
言うまでもなく、この営業税の引上げが経済界の反発を招き、国民党政府は懸命に
説明に回ったが、具体的な成果が出る前に、1999年 9 月21日に台湾が大震災に見舞わ
れてしまい、震災の復興を財政的に優先するために、国民年金制度の導入が先送りさ
表4.国民年金制度発足時の政府の財政負担
単位:億元
保険料の
分担
(a)
新たに加入する被保険人に対して
一律 20%
雇用者のない被保険人の半分が低所
得層であり、40%の共同負担が必要
雇用者のない被保険人の 2/3 が低所
得層であり、40%の共同負担が必要
福祉手当
行政 制度発足
コスト コスト
2000 元 3000 元
(d)
(b)
(c)
(e)
合
計
(a)+(b) (a)+(c)
+(d)+(e) +(d)+(e)
50.0
155.3
232.9
17.9
30.0
253.2
330.8
132.4
155.3
232.9
17.9
30.0
335.6
413.2
159.9
155.3
232.9
17.9
30.0
361.1
440.7
(出典)
経済建設委員会(1998 a)45
(備考)1. 国民年金保険料は、国民年金指導小組の推計である一人当たり毎月910元として計算。1999年の
最低加入賃金が16,315元であることを仮定し、その後年間成長率を 3 %とする。
2. すでになんらかの社会保険に加入している者に対しては同じ保険料負担率であるが、新たな加入
者には 20%を補助、雇用者あるいは被用者以外の被保険人に対しては状況に応じて最高 40%まで
保助する。
- 152 -
皆年金実現の政治過程
れたのであった。本節では老齢所得保障が政治化された後、国民党政府の対応につい
て検討したが、そこで明確にされたのは、国民年金制度の導入に当たって、これまで
の社会保険によって形成された慣習-政府による分担-が当然視され、また、様々な
手当金を受給している既存の高齢者が含まれているため、政府には厳しい財政負担が
課されることになり、それによって国民年金制度の導入が先送りされたことになった
のである。
3.4 税負担方式定額給付案の失敗
2000年 3 月に台湾では戦後初めての政権交代を成し遂げられ、それによって登場した
民進党政権は、それまで政府によって提案されたことのない税負担方式による定額給付
型の国民年金制度を新たに提出し、国民党政権の時に企画された社会保険方式と並列し
て、国家審議に臨んだのである。
権威主義への反体制運動から生まれた台湾の民進党は、本来より労働者団体、環境
保護団体、女性団体など様々な市民団体とより緊密な関係を持っていた。これらの団
体は社会保障制度の導入を医療や所得の保障のみならず、社会的連帯を促す重要な政
策道具として捉えていた(蕭、林(2000))。そのため、これらの団体は以前より、国
表5.民進党政権の国民年金案(甲案と乙案)
(2000)
加入資格
老齢給付受給資格
甲案
国民年金貯蓄案
既存各種の社会保険に
加入していない国民
一定加入期間を満たし、
65 歳以上の被保険者
乙案
税負担方式定額給付案
すべての国民
65 歳以上すべての国民
老齢給付受給資格に基づいて老齢年金を支給;金額は支
給開始前二年の一人当たり月間支出平均の 20 から 25 パ
ーセント、なお最低限月額 3000 元
主に保険料と政府予算、そ 主に消費税引き上げによって増加する税収および政府
の他国有財産の売却など 予算、保険料は徴収しない
既存の高齢者への 福祉手当を支給;金額は
所得保障の給付内容 一人当たり月額 3000 元
財
(出典)
源
経済建設委員会(2000)
(備考)1. 甲案は老齢給付の他に障害年金、遺族年金、葬礼手当などの給付が含まれている。乙案は、障害
年金、孤児年金を含まれている。
2. 中国語ではそれぞれ「国民年金貯蓄保険案」(甲案)と「全民提撥平衡基金案」
(乙案)となって
いる。甲案が 1998 年に示された社会保険型年金と異なる点は、社会保険と個人貯蓄型年金の要素
を両方含むものであること。具体的には、掛け金が相変わらず政府(20 パーセント)
、雇用主、加
入者によって分担されるにもかかわらず、掛け金の 80 パーセントは、個人口座に振り込まれ、そ
れが退職後の年金となり、残りの 20 パーセントは、年金保険基金にプールされることになる。ま
た、掛け金は、年金全金額(一人当たり月間支出の 50 パーセント)の 10 パーセントと定められ
ている。このような設計によって、個人貯蓄の要素をかなり高めたが、政府負担が存在すること
と、掛け金の一部を保険基金に振り込むことによって、多少の所得移転が確保され、また、最低
給付額(一人当たり月間支出の 50 パーセント)が保証されることによって社会保険的な要素を保
っている。詳細は、経建会の報告書(経済建設委員会, 2000)を参照。
民年金制度はすべての国民に最低限の所得保障を提供すべき、それが「皆年金」の実
- 153 -
年報 公共政策学
Vol. 5
現と同時に、一元化されたすべての国民が加入する税負担の制度であるべきだと主張
してきた。民進党政権の誕生はこのような主張が実現される可能性を大きくした。2000
年8月に経済建設委員会によって新たに提出された報告書には、従来の社会保険方式を
踏襲した国民年金貯蓄案(甲案)に加えて、税負担方式による定額給付型の乙案が新
たに加えられた(表 5)。報告書によれば、乙案における給付資格は、(既存の高齢者
にも適応する)65歳以上の全ての国民である。そして、財源は、専ら政府の一般予算
および消費税の引き上げによって確保され、保険料などは一切徴収しない。つまり、
これを基礎年金とし、既存の職域別保険(軍人・公務員・労工保険)の保険費を引き
下げることによって、被保険者の負担を軽減すると同時に、各保険がすでに支給して
いる老齢給付を調整し、それを付加年金にする考えが示されていた(経済建設委員会
(2000)、pp.15-19)。
このような制度設計においては財政負担増に伴われる営業税の引上げが要求される
と同時に、既存の職域別保険の改革が行わねばならなかった。つまり、同時に多数の
制度改革を成功させる必要があった。この議論をさらに複雑化したのは、民進党政府
が選挙公約を果たすべく、既存の高齢者に対して老齢手当金の給付を実現する法案を
同時に提出しようとしたことである。その老齢手当金の給付資格に対して一定所得水
準(年間50万元)によって一部の高齢者を排除したい民進党政府と、受給資格を大幅
に緩和したい野党に転じた国民党が国会において激しく対立した(中国時報
(2000/6/20))
。国民党案は、現役軍人、公務員、教職員および労働者のみを排除して
いるため、受給者数が140数万人に達していた(中国時報(2000/6/24))。そのため、
政府案では老齢手当金を実施するための予算が156億元と推計されていたのに対して、
国民党案は、500億元を確実に超えると言われていた(中国時報(2000/6/22))
。これ
は前年度の全社会福祉支出の20パーセントに相当する金額であり、民進党政府にとっ
て新たな財源を確保しなければいけないことになる。
老齢手当金と国民年金制度をめぐる与野党の国会における激しい対立を経て、民進
党政府は、老齢手当金関連法案を撤回する代わりに、民進党政権が提出する国民年金
関連法案の審議に野党勢力が直ちに応じる合意を取り付いた(中国時報(2000/8/2、
2000/8/3))。しかし、今度は甲乙両案の選択をめぐっての対立が起き、明らかに乙案
を支持していた民進党政権に対して、野党の国民党と親民党は、国民年金制度は必ず
実施すべきであると主張しながらも、一部の野党の立法委員は、国民年金の実現は、
個人貯蓄を中心とした制度設計によって、増税しないという前提で実現すべきである
と主張していた(中国時報,2000/8/29)。また、国民党政権の時代から国民年金の企
画を担当していた経済建設委員会の幹部は、マスコミを介して甲案を擁護し、乙案を
暗に批判し、自ら辞任の意向を表明し、野党勢力の反発も一層勢いづいた(中国時報,
2000/8/31; 2000/9/1; 2000/9/7)。
国民年金制度の法案をめぐる審議が国家において行き詰っていた頃、台湾経済の景
- 154 -
皆年金実現の政治過程
気後退が著しくなり、甲乙にせよ、新たな財政支出が要求される国民年金制度に対す
る世論の支持が失速しはじめた。その上、台湾の世界貿易組織の加盟に伴う農・産業
の構造調整には政府のさらなる支出が要求され、それまでに増して財政的な圧力を、
民進党政府は頭を痛めていた。これで世論がより具体的な景気対策を強く望むように
なったことにあわせて、民進党政府は、
「経済発展を優先させ、社会福祉は暫く棚上げ
する(優先経済発展、社福暫緩)
」という方針を明確にし、国民年金制度の実施を見合
わせる意見を表明した(中国時報(2000/9/17、2000/9/18))。
結果として、甲乙両案を提出したにもかかわらず、十分な財政計画と国会対策を事
前に準備しなかったため、民進党政権は2001年 1 月に国民年金の導入を放棄し、目標
を陳水扁総統の任期内に導入することに切り替えたことになった。
3.5 選挙競合と国民年金制度の実現
財政的な圧力と十分な合意を形成できなかったことを教訓に、民進党政府は2001年
あたりから国民年金制度を含む社会福祉制度一般の包括的な整備に取り掛かろうとし
た。2001年 5 月に当時の行政院長張俊雄は、社会福祉団体の代表との面会において、
政府、民間団体、専門家を一堂に集める「全国社会福利会議」
(全国社会福祉会議)の
開催を約束し、国民年金制度を含む様々な社会福祉・社会保障制度をめぐる政策調整
を行うことにした。実際、翌2002年5月に、中央政府、地方政府、立法委員、民間団体、
学者・専門家など300人を含めた大規模な会議が行われ、6 つの一般議題について、総
数100以上の合意がまとめられた。その第四の議題は、「より包括的な社会保障制度の
構築について」であったが、第 6 項において、
「国民年金制度の実施は社会保険方式が
好ましい。政府が国民の基本生活を保障するという責務を鑑み、世代間の公平性、リ
スク分担、社会全体の財政負担能力、基本生活水準の保障、人口高齢化の衝撃などの
要素を考慮し、持続可能な制度の発展を原則とする」と明記された 9)。これによって、
民進党政府は実質上税負担方式を放棄しことになる。その理由はやはり財政の負担増
による営業税の引上げが政治的に非現実的であったことである。また、かつて税負担
方式を要求していた労働者団体、民間団体なども、税負担方式に拘るあまりに国民年
金制度の実現が遠のいてしまうことを危惧していたと同時に、一部の立法委員と官僚
が押していた個人貯蓄方式を排除する代わりに、社会保険方式に消極的に合意した10)。
また、そのプロセスにおいては、社会福祉に関連する団体が著名な福祉運動家ととも
に、陳水扁総統と会見し、国民年金を完全な社会保険方式にするという公約を引き出
し、漸く話がまとまったのである(自由時報(2002/5/23))。
しかし、社会保険方式に合意し、具体的な法案が政府より国会に提出したものの、
9) 台湾内政部 http://www.moi.gov.tw/dsa/ 全国社会福利会議
10) 筆者による労働者団体へのインタビュー(2010年 9 月10日)。
- 155 -
年報 公共政策学
Vol. 5
その後の国民年金制度の成立が滞ってしまった。実際、2003年以降、二度にわたり国
会に優先的に審議する法案として提出されたが、2回とも審議されることなく、会期末
に廃案に追い込まれたのである。その理由はやはり既存の高齢者への給付および加入
者に対して政府が保険料の一部を負担しなければならないことによる財政的圧力が非
常に大きかったからと指摘されていた(立法院公報(2004年93巻48期)、p.192)。また、
表 6 に示されているように、90年代から繰り返されてきた選挙公約によって、2004年
当時の台湾においては中央政府によって様々な老齢手当金が給付されており、それら
の制度によってなんらかの手当金をもらっている高齢者は約185万人であり、全高齢者
人口の約87パーセントを占めるほどである。これによって既存の高齢者をめぐる所得
保障の圧力はある程度緩和されたこともあって、かなりの財政負担増を必要とする国
民年金制度の導入に急がなかったのである。
また、台湾は2004年に総統選挙が行われ、そこで最も議論されたことはナショナル・
アイデンティティをめぐる問題であり、社会保障政策ではなかった。そのため、国民
年金をめぐる議論はしばらく停滞していたが、それが再び動き出したのは2005年 2 月
であった。新たに行政院長(首相相当)に就任した謝長廷は、国民年金制度を実現す
べく、社会保障制度を専門とする社会学者を担当大臣(行政院政務委員、minister
without portfolio)に任命し、民間団体と行政組織の調整にとりかかった11)。しかも、謝
の発言によれば、新たに企画される国民年金制度は、すべての国民が加入する税負担
表6.2004 年当時に台湾の中央政府が支給していた様々な老齢手当金
制度名
敬老福利生活津貼
(敬老福祉生活手当)
原住民敬老津貼
(先住民敬老手当)
老農津貼
(老齢農民手当)
栄民就養金
(退役軍人老齢手当)
中低収入生活老人生活津貼
(中低収入老人生活手当)
中低収入身心障害者生活補助
(中低収入障害者生活補助)
合計
受給人数
給付内容
予算額
国民年金との整合性
(2004 年予定)
89 万人
3000 元
320 億元
完全合併
1.7 万人
3000 元
5.5 億元
完全合併
69 万人
4000 元
320 億元
完全合併
10 万 5 千人
13550 元
184.9 億元
完全合併
15 万 6 千人
3000 元~6000 元
90.4 億元
高齢者部分合併
21 万 2 千人
3000 元~7000 元
65 億元
高齢者部分合併
高齢者
185.5 万人
障害者
21.2 万人
--
985.8 億元
――
(出典)蔡(2008)p.122
11) 台湾の行政院院長(首相相当)は、総統の任命を受け、立法院(国会)の承認を受けずに
就任できる。
- 156 -
皆年金実現の政治過程
方式を考慮に入れ、営業税の引き上げも厭わない内容であった(工商時報(2005/2/28))
。
謝長廷が行政院長を務めたのは 1 年間であったが、その間この野心的な計画は、税負
担方式から再び社会保険方式に戻され、様々な問題をめぐって既存の公的社会保険の
担当部会(省庁)の強い反対に遭い、営業税の引き上げによる財源確保の調整も不十
分であった。それでも担当大臣らは最終的に当初の税負担方式の決定を覆し、社会保
険方式を採用し、既存の公的社会保険に加入していない国民と農民のみを対象に、国
民年金法の草案をまとめた。その財源は、国民年金制度が発足すると同時に様々な老
齢手当金制度が停止されることによってある程度確保したと考えられていた。この草
案はなんとか謝長廷が在任最後の日に閣議決定されたのである。しかし、労工保険(労
働者保険)の老齢給付機能を吸収しないこの草案に対して民間団体が強く反発したた
め、次に行政院長になった蘇貞昌は新たな草案作りに取り掛からざるを得なかった(聨
合報(2006/2/14))
。
蘇貞昌が行政院長に就任した時点(2006年 2 月)では、陳水扁総統の任期が残り 2 年
になり、翌2007年には各政党の総統候補を選ぶ予備選が行われることが予定されてい
た。有力総統候補の一人である蘇貞昌は、自らの政策能力をアピールするために、国
民年金制度を含む様々な社会保障・社会福祉制度の改革、統合を実行する「大温暖計
画」を打ち出したのである。さらには、2007年 7 月下旬に蘇貞昌内閣は与野党、政府、
民間団体、専門家などを含む「台湾経済永続発展会議」を開催し、経済発展、社会福
祉、環境保護など重要な政策課題をめぐる広範囲な社会的合意を確保しようとした。
言うまでもなく、行政院長交代によって仕切り直しになった国民年金制度も討論の対
象であった。
「台湾経済永続発展会議」では国民年金について、公平性と財政的な持続
可能性などいくつかの原則を再確認したが、最も重要なのは2007年に法案を必ず成立
させることと、国民年金制度の発足とともに既存の様々な老齢手当制度を廃止し、そ
して国民年金制度が発足するまで既存の老齢手当の引き上げを基本的に禁止すること
であった(自由時報(2006/7/28)
)。
蘇貞昌は就任早々謝長廷と同じく、社会福祉の関連団体と協力関係にあった、社会
保障・社会福祉を専門としていた大学教授を担当大臣に任命し、調整に当たらせた。
そこで、2006年 7 月の「台湾経済永続発展会議」に決定された原則に基づいて民間団
体と議論を重ねた結果、1998年にスウェーデンにおいて導入された確定給付型社会保
険方式(不足分は政府負担)を真似る国民年金制度に合意し、さらに既存の社会保険
制度との整合を考慮に入れ、草案が準備された。その内容は、前の謝長廷内閣が企画
したものとほぼ同様なものであったが、最も大きな違いは、他の公的社会保険におい
て老齢給付を受けたことのある者は、国民年金制度に再加入することが許されないこ
とであった。つまり、労働者が退職し、労工保険より老齢給付を受給してから国民年
金保険にまた加入し、一定年数を経てまた国民年金保険から受給することが許されず、
- 157 -
年報 公共政策学
Vol. 5
国民年金保険は事実上農民と雇用されていない者のための制度になったわけである12)。
一部の労働者・民間団体は、リスク分担の機能が税負担方式に比較して縮小したこ
のような制度設計に不満を感じていたが、社会保険方式は個人貯蓄方式に比べれば比
較的に受け入れられるものであった。また、労働者・民間団体は、国民年金制度の導
入によって、既存の老齢手当金が廃止され、予算上老齢手当金の膨張によって圧迫さ
れていたその他の社会保障・社会福祉政策をより充実させることを考えると、税負担
方式に拘るよりも、国民年金制度の早期実現のほうが重要であったと判断した13)。
2007年 5 月 2 日に行政院にて閣議決定されたこの法案は、その後すぐ国会において審
議されることになった(聯合報(2007/5/3))。既存の公的社会保険に対する影響が少
ない上、これらの職域保険によってカバーされていない国民が年金を受給できるとい
う制度設計は、潜在的な財政問題を除けば、損する集団はいないが、得する集団がい
ることによって、与野党による攻防はさほどなかった。さらに、翌2008年には総統選
挙が控えており、与野党とも財政圧力への対策よりも、社会保障制度の充実化という
意味を持つ国民年金制度の導入に反対な立場を取ることはありえなかった。社会福祉
関連の民間団体も、著名な社会福祉運動家であり、与党の比例代表として国会入りし
た立法委員と緊密に連携を取り、自己負担率や給付額についての細かい調整をしなが
らも、2007年会期内に実現させることに全力を尽くしたのである。結局、国民年金法
案は2007年 7 月20日に立法院において可決され、2008年10月より国民年金制度が実施
されることになった。14年間にわたって議論されてきた国民年金制度が漸く実現され
たが、その制度設計は紆余曲折を経て、社会保険方式になった。そして、対象として
は既存の公的保険制度に加入していない国民と農民のみであり、保険料は基本給の
6%になったが、被保険者の自己負担は60パーセントであり、政府による一部負担が40
パーセントになった(聯合報(2007/7/21))。
法案の可決によって国民年金制度の実施に取り掛かるところであったが、あれほど
議論された国民年金制度は、2008年の総統選挙キャンペーン中、野党による攻撃によ
って加入対象について改正が余儀なくされた。総統選挙キャンペーンにおいて野党国
民党は、新たに実施される国民年金はこれまでほぼ無拠出でも老齢手当金を受給して
きた農民に対して保険料を徴収することについて、農民にとっての負担増になると解
釈した。このような攻撃を繰り返し、多くの農民による反感を形成することに成功し
た。さらに、国民党候補者らは、自らが当選すれば、農民への老齢手当金を復活させ、
農民らによる国民年金制度への加入を取り消すことを公約した(林(2009)、p.286)。
その後、国民党は2008年 1 月の立法院選挙と 3 月の総統選挙に圧勝し、実際、政権交替
12) 謝長廷時代の草案においては労働者による国民年金の再加入が可能であったが、そのよう
な事例では労工保険(労働者保険)によって老齢給付(当時は一時金)と国民年金の年金
給付を二重給付する乱用に繋がりかねないと批判されていた。
13) 筆者による労働者団体へのインタビュー(2010年 9 月11日)。
- 158 -
皆年金実現の政治過程
表7.台湾の国民年金制度の概要
1.
2.
加入資格
3.
1.
2.
給付資格
3.
25 歳以上 65 歳未満、公務員保険、軍人保険、労工保険、農民保険に現在参加していない、
かつ公務員保険、軍人保険、労工保険の老齢給付を受けたことのないもの。
国民年金発足するまでに、労工保険老齢給付を除き、公務員保険、軍人保険、農民保険の
老齢給付を受けたことがない、かつ 65 歳以下のもの。
国民年金発足してから 15 年以内に労工保険の老齢給付を受け、労工保険加入期間が 15 年未
満、65 歳未満、かつその他の社会保険の老齢給付を受けていないもの。但し、労工保険の年
金制度が実施される前に労工保険老齢給付をうけたものは加入期間の制限を受けない。
満 65 歳の保険加入者あるいは本保険に加入したことのあるもの
国民年金制度が発足する時点において、すでに満 65 歳であり、かつ老齢手当金が支給され
る資格を有するものは、月ごとに給付される。
先住民については、満 55 歳から 65 歳未満のものは、国民年金によって月ごとに給付を受
ける。
1.
(1) 保険料計算に使用された基本給(一年目は 17,280 元)× 0.65%×保険加入年数
+3,000 元
給付額
(2) 保険料計算に使用された基本給(一年目は 17,280 元)×1.3%×保険加入年数
2. 老齢基本保障年金:3,000 元。
1.
保険料
2.
3.
4.
5.
6.
財
源
一年目は労工保険が定められる第一級基本給(17,280 元)の 6.5%、2 年後と 0.5%の引き
上げ、上限を 12%とする。
2 年目は消費者物価指数が 5%の成長に達する場合、その成長率にしたがって調整する。
一年目の保険料は 1,123(17,280×6.5%)であり、保険加入者の自己負担は 674 元(60%)、
政府負担は 449 元(40%)
低所得世帯は政府が全額補助、障害者は 55%から全額補助
柔軟的強制加入制度である。未払いに対しては罰さないが、給付は受けられない。
配偶者間は連帯納付責任が生じる。
保険料、公益宝くじ、政府予算、財政状態によって消費税を 1%引き上げ、国民年金制度にあてる。
(出典)林(2009)、p.284
(注) 老齢給付のほか障害給付、遺族年金給付、葬儀給付も国民年金保険に含まれている。
してから直ちに改正案を提出し、2008年 7 月に立法院においてその国民年金法の改正
を可決した。国民党が選挙キャンペーン中公約した通り、本来ならば国民年金制度の
発足によって廃止される農民保険が存続することになった。
台湾における国民年金制度は2008年10月に予定通り発足したが、加入しない国民に
対しては特に罰則を設けず、強制加入ではないため、加入者は当初予定されていた人
数より少なく、家庭主婦、学生、外国籍・中国籍配偶者、屋台従事者などを中心に約
410万人とされている。
4. むすびにかえて
野党の選挙戦略によって脚光を浴びはじめた台湾の「国民年金制度」は、14年の時
間がかかり、2 回の政権交代を経験し、漸く実現されたのである。台湾社会における
社会保障、特に老齢所得保障についての認識が今でも限定的であることが、一時的な
措置であった老齢手当金の配布が長く継続したこと、当初から高い財政的な圧力があ
ったこと、民主化によって労働者、福祉問題を扱う市民団体発言力が強かったことと
合わさって、これほどの時間がかかったのは当然であったかもしれない。しかし、そ
- 159 -
年報 公共政策学
Vol. 5
の政治過程をたどったことによって、我々はいくつか示唆にとんだ発見が得られたの
である。
まず、改革を促す契機となったのは、権威主義的な統治体制の下で形成された所得
保障をめぐる差異が社会的亀裂と一致したため、民主化以降、政治的動員を主とした
目的によって問題化されたことである。しかし、当初から「老齢年金」と「老齢手当
金」をめぐる議論が混乱し、
「年金」は即ち「手当金」であり、政府によって与えられ
る一種の福祉として認識されるようになった。民主化によって激しい政党競合にさら
される与野党とも、手当金の給付を公約に盛り込むことを繰り返し、その誤解の定着
を助長した。そのため、これらの手当金が新たな既得権益をもたらし、その規模がか
なり膨張し、他の社会保障制度を圧迫するようになったほどである。国民年金の実現
は、実は国民年金の問題化自体が生み出したこれらの手当金に対する改革でもあった。
このように、台湾においては「福祉国家の拡張」―国民年金制度の導入―が実は政策
遺制によって触発され、その改革の方向も大きく左右されたのである。つまり、近年
の研究においては財政危機などによって引き起こされる「福祉国家の縮小」をめぐる
政治は「福祉国家の拡張」のそれとは異なり、社会福祉・保障制度の遺制と政治制度
(行政組織内、行政組織と国会の関係、大統領による拒否権など)の特徴に大きく左右
されるといわれている。台湾の国民年金制度をめぐる分析から理解できるのは、新興
産業国においては「皆年金の実現」のような「福祉国家の拡張」も実は政策遺制およ
び政治制度に規定されることである。
次に政治制度の特徴が改革の成否に与える影響についてのインプリケーションにな
るが、台湾の憲法体制が特殊な半大統領制になっているため、総統を有する与党が国
会において少数派になりうるだけでなく、行政院長(首相)の任命が国会の承認を必
要としない。その結果、法案の審議が全体的に滞ってしまう可能性があり、与党が政
策を決定する能力が限定されてしまう。ただし、総統選挙に勝ちたい動機がそれまで
の法案の審議をめぐる停滞を一気に突破してしまう可能性もある。国民年金法はまさ
にこのようなボトルネックと選挙戦略によって長く実現されなかったが、総統選挙の
直前に与野党一致の支持で法案が成立したのである。このような政治制度的な要因は、
紙幅の都合により十分に検討することができなかったが、先進国における社会保障制
度や福祉国家をめぐる改革に関してはすでに多くの先行研究があり、台湾については
事例分析を増やし、今後の研究課題としたい。
最後は、本稿においては分析範囲に取り入れられなかった要素―グローバリゼーシ
ョン―について触れたい。先進国の経験においては、グローバリゼーションによる社
会保障制度への影響が重要な研究テーマとなっている。無論、台湾も世界貿易機関の
加盟などによって一層世界経済体制に組み込まれているが、グローバリゼーションに
よる影響については、市場統合度および資本流動性と、社会保障支出水準との相関関
係が検証されているが、そこにはグローバリゼーションが社会保障支出の減少をもた
- 160 -
皆年金実現の政治過程
らす傾向は観察されなかった。つまり、現時点ではグローバリゼーションによって台
湾の福祉国家の縮小をもたらしていない。福祉国家の見直しが先進国において取りざ
たされているにも関わらず、新興産業国である台湾ではある意味で逆の現象が起きて
いるのは興味深い。いうまでもなく、後発産業国であったため、もともと社会保障制
度の整備がかなり遅れており、そのため拡大する余地がまた残っているという極めて
シンプルな論理も考えられる。だが、市場統合と資本の流動性の増大が産業構造の転
換と相俟って、今後グローバリゼーションが台湾の社会福祉・社会保障制度にどうい
う影響を与えるかという問題は重要なテーマであるに違いない。
参 考 文 献
池炫周直美(チ・ヒョンジュ・ナオミ)
(2006)
『金大中政権における「現代化」と社会政策:
福祉政策とジェンダー政策に見る自覚と現実の間』北海道大学法学研究科博士論文
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- 162 -
皆年金実現の政治過程
Politics of Realizing Universal Pension System:
The Introduction of National Pension Program in Taiwan
LIN Chenwei
Abstract
This paper traces the process of how a developmental state like Taiwan came to realize the
universal pension system. Democratization and unique institutional legacies, ethnic cleavage
coincided with differences in old-age income securities in the existent public pension
programs had profound impacts on the manner public pension programs expanded.
Introducing a national pension program that covers, not every citizen, but mostly housewives,
students, and foreign-born spouses was the result of having to make sure that the program was
financially sustainable and still covers nearly half of those over the age of 65 from the onset.
During the planning process, many NGOs effectively utilized ties with political parties or
individual politicians to strategically block drafts not preferred by them. Another finding was
that old-age allowance were used as temporary measures but actually created vested interest
groups which made the introduction of the national pension program more difficult. After 14
years of prolonged planning and debates, the program was eventually realized due to pressures
to please the voters before the presidential election of 2008.
Keywords
Taiwan, national pension program, universal pension system, policy legacies, welfare
politics
- 163 -
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皆年金実現の政治過程: 台湾の国民年金制度の導入