東京都の観光政策の変遷に関する研究
東京都の観光政策の変遷に関する研究
国際地域学研究科国際地域学専攻博士後期課程3年
野瀬 元子
1章 はじめに
東京都は、2001年4月に観光部の所管をそれまでの生活文化局から産業労働局へ変更し、
11月に観光産業振興プランを策定した。そのなかで「観光を都民のレクリエーションとして
捉えるだけで、国内外から旅行者を誘致する視点が欠けていた」と説明し、東京を訪れる外
国人旅行者の増加を図るため、5年で倍増の600万人にする誘致目標数を具体的に掲げ、国
内外の旅行者の集客に積極的な施策を展開し始めた。このように都は観光を産業として位置
づけて振興を図る方針へと転換をしながら、その後、2006年8月に第31回オリンピック競技
大会(2016年開催)国内立候補都市に選定されると、オリンピック招致を中心に取り組むこ
ととなる。以上のように、来訪者を迎える地域レベルの主体となる地方自治体の取り組みは、
国内外の社会経済情勢をはじめとする外部要因、知事をはじめとする組織などの内部要因の
変化に対応して、重点分野や政策課題が変化したと考えられる。
そこで、本研究では特に「観光」に着目し、観光行政の体系的な方針、方策を「政策」と
定義する。そして日本で最も外国人来訪者の多い東京都を事例に、戦後から現代に至る自治
体による観光政策の展開過程を国の観光政策と照らし合わせ、現在の観光行政の成り立ちを
明らかにする。具体的には東京都観光事業審議会の答申内容、都政概要、事業概要を対象と
した文献調査により次の2点を明らかにすることを本研究の目的とする。
1.東京都の戦後の観光政策の変遷を明らかにする。その際に東京都の観光政策に影響を
与える外部要因、内部要因もあわせて考察する。
2.東京都発行の「一般会計予算説明書」
、当該組織別に発行されている「事業概要」を
対象として、観光の所管組織の変遷、事業内容及び予算の推移を確認し、観光政策の
変遷を明らかにする。
これらの分析を通じて、観光政策の変遷を整理することは、今後の自治体の観光政策検討
に有用な視点を与えるものと考えられる。
― 55 ―
2章 従来の研究と本研究の位置づけ
関連する先行研究のなかで、戦後日本の観光政策全般に関する研究は、国の観光政策の流
れに関する研究として寺前1、2、佐野3、佐藤4、5、進藤6、今村7、戦前からの通史のSoshiroda8、
観光行政100年の通史および観光政策審議会30年史の記録9、国際観光政策に関するものでは
現在、日本政府観光局を名乗り活動をするJNTO設立20周年間の記録10、航空利用動向と観
光政策を論じた塩谷・中条11、鎌田12の研究がある。
一方、地方自治体や地域圏の観光行政に着目したものに、県レベルでは、新潟県を対象と
した岡村・十代田13、神奈川県を対象とした内田14、千葉県を対象とした中村15、沖縄県を対
象とした高千穂16、また、市レベルでは、京都市を対象とした杉野17、神戸市と横浜市を事
例とした中尾18、19、神戸市を対象とした太田20、東北地方に関する日下21、ソウル市の取り組
みを東京都と比較したKwakの研究22、都政に関する論考23などがみられる。
さらに、観光政策の評価に関しては、観光と交通産業の政策を収益管理・イールドマネー
ジメントから論じた藤井24など、さまざまな蓄積がみられる。しかしながら、日本の首都で
あり、最も多くの来訪者を迎える東京都の観光政策、観光行政・制度の変遷を通史で検証し
たものはみられない。
以上から、本研究は戦後の東京都の観光政策の変遷を把握し、予算の推移による検証を行
う点が特徴である。
3章 東京都の観光行政、政策の変遷
社会経済的要因により観光分野に着目した政策が近年取られるようになったと考えられる
が、戦後を通じて、東京都はどのように観光政策に取り組んでいたのだろうか。東京都では、
第1次東京都観光事業審議会への諮問及び答申が1956(昭和31)年に初めておこなわれたの
を皮切りに直近の2010(平成22)年、第18次の諮問・答申まで続いている。本章では、まず
3-1節で東京都の観光行政所管組織の変遷を、3-2節では時代毎の観光政策の変遷を把握す
る。この過程では、東京都観光事業審議会への諮問・答申内容および観光関連法令・制度の
施行、国の観光事業審議会、観光政策審議会の諮問・答申内容、
「観光行政百年と観光政策
審議会三十年の歩み(総理府、1980年)
」を用いて実態把握につとめるとともに、東京都と
国の取り組みの連携を検証する。
3-1 東京都の観光行政機構の変遷
はじめに、東京都の観光行政のはじまりを「東京都観光行政概要(1965年)25」から確認
すると、1933(昭和8)年4月に東京市役所秘書課の所属として設置された「市設案内所」
の案内業務が起点とみなすことができる。案内所は、東京、上野両駅および丸ビル内に観光
案内施設として開設され、観光客に対する接遇案内業務を行った。その後、1938(昭和13)
年には、「紀元2600年記念事業部観光課」と改称し、機構の拡大を図ったが、戦局の進展に
― 56 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
伴い、1942(昭和17)年2月に再びもとの秘書課に所属することになり、同年12月「市設案
内所」も廃止された。
一方、戦後の観光行政機構の変遷を示したものが表1である。官房文書課に開設された
「都政案内所」が1946(昭和21)年10月に「東京都案内所」と改称され、都政一般の相談業
務と併せて観光客の案内業務を行ったのが観光行政の第一歩と考えられる。1947(昭和22)
年に、この案内所を昇格させて総務部に観光課を設置した。1949(昭和24)年には、観光事
業の重要性が次第に一般に認識されるとともに、観光行政事務は建設局に移され、公園観光
課となった。さらに1952(昭和27)年11月に、国内観光行政は都民室に編入され、同室総務
部観光課となり、国際観光行政は外務室外事部連絡第二課が担当することになった。この2
課は、1955(昭和30)年8月に、合併され外務外事部観光課となった後、翌1956(昭和31)
年12月、広報渉外局に観光部を設けて、観光行政は再び一元化された。この時期は、2~3
年で担当部局が変更するなど、試行錯誤しながら観光行政に取り組んだ段階といえる。
第18回オリンピック大会の東京開催が1959(昭和34)年に決定され、オリンピック準備事
務局が同時に設置され、翌年7月にオリンピック準備局となり、観光部は同局に編入され
た。オリンピック東京大会終了後、同局廃止に伴い、1964(昭和39)年12月、観光部は総務
局に移され渉外観光部観光課となった。その後は、1981(昭和56)年に生活文化局コミュニ
ティ文化部観光レクリエーション課となり、2001(平成13)年に現在の産業労働局の所管と
なる変遷を経た。
観光政策の変遷には、知事の方針を中心とした内的要因や社会のニーズや認識の変化とい
った外的要因が要因となると考えられるが、各時代の政策実現のために、これらの行政組織
の改編をともなったことが予想される。そこで、全体を総合的に判断すると、戦後を観光政
策の所管組織の変遷に着目した5つの区分により把握することが適当と考えた。すなわち、
所管組織の変化に基づき、1.第18回オリンピック大会以前(1947年-1958年)
、2.第18回
オリンピック東京大会準備期間(1959年-1964年)
、3.第18回オリンピック東京大会後の総
務局時代(1965年-1980年)
、4.生活文化局時代(1981年-2000年)
、5.産業労働局時代
(2001年-2010年)以上の5つである。
次に、国の観光行政機構の変遷と比較すると(表1)
、戦後、国においては観光課が1946
(昭和21)年に設置され、東京都では国に続くようにその翌年に観光課が設置されている。
国では課から部への昇格が1948(昭和23)年になされ、同年に観光事業審議会が設置された
のに対して、東京都における課から部への昇格は1956(昭和31)年で、その7年前に、国の
観光事業審議会の設置と同年1949(昭和24)年に東京都観光事業審議会が設置された。部へ
の昇格時期に若干のずれがあるものの、戦後の早い時期から担当部課が存在すること、審議
会を設置して委員による審議を通じた政策立案を行う共通点が見出される。また、当時の国
の観光政策の目的であった貿易外収入となる外国人旅行者の観光消費増加による国際収支の
― 57 ―
改善へ向け、東京都でもその一翼を担う取り組みがなされていたといえる。
オリンピック東京大会が成功裡に終了した1964(昭和39)年以降、所得と余暇の増加によ
り、昭和40年代前半に日本国民に観光ブームが起き、国内観光が振興された国内環境、そし
て輸出産業の成長による国際収支の均衡(1968(昭和43)年)といった観光を取り巻く環境
の変化により、国、東京都の観光政策への力点に変化が生じ、それにともない所管の変化が
国、都いずれでもみられる。
表1 東京都と国の中心的な観光行政機構の変遷
東京都
年
1946 S21 官房文書課に「東京都案内所」(10月)
1947 S22 総務部に観光課
運輸省観光部設置
7.10 観光事業審議会、設置
(内閣総理大臣の監督のもと)
総理府設置、観光事業審議会を総理府に設置(6.1)
運輸省、大臣官房観光部設置
1948 S23
1949 S24
1952 S27
1953 S28
1955 S30
1956
1959
1960
1963
1964
1968
1981
S31
S34
S35
S38
S39
S43
S56
1984 S59
1989 H元
2001 H13
2002
2003
2004
2008
H14
H15
H16
H20
国
運輸省に鉄道総局業務局観光課、設置(6.10)
建設局に移され、公園観光課
東京都観光事業審議会、設置
国内観光行政は都民室の機構に編入され、同室総
務部観光課となり、国際観光行政は外務室外事部
連絡第二課(11月)
東京都観光事業審議会条例
都民室総務部観光課と外務室外事部連絡第二課が
運輸省観光部→観光局に昇格
合併され外務外事部観光課(8月)
広報渉外局に観光部(12月)
オリンピック準備事務局、観光部設置
オリンピック事務局、観光部
総理府に観光政策審議会、設置
総務局の所管に変更、渉外観光部観光課(12月)
運輸省大臣官房観光部
生活文化局の所管に変更
運輸省国際運輸・観光局観光部/
観光政策審議会→運輸省に移管
運輸省運輸政策局観光課
国土交通省,発足(1/6) 総合政策局観光部設置
産業労働局の所管に変更
観光政策審議会→交通政策審議会観光分科会に改
称
産業労働局観光部設置
観光立国関係閣僚会議、設置
観光立国推進戦略会議、開催
観光庁発足
文献25、26、27、28、29、30を参考に筆者作成
3-2 東京都の観光政策の変遷
前節で示した観光行政の5区分毎の観光政策の施策内容及び主眼の変遷をまとめたものが
表2である。具体的には、東京都発行資料:都政概要(1947年-1958年、1965年-1967年)
、
オリンピック準備局発行資料(1960年-1964年、1959年は資料欠損)
、総務局事業概要(1968
年-1980年)、生活文化局事業概要(1981年-2000年)
、産業労働局事業概要(2001年-2009年)
を用いた文献調査により、それぞれの時代の観光施策の重点の変遷を抽出するため施策内容
を把握した。次に、外部要因や内部要因に関する記述や重点施策への言及部分から、時代区
分毎の観光行政の主眼、背景を抽出し整理した。また、各時代の施策の対象(都民、都への
― 58 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
来訪者のうち国内旅行者、外国人旅行者の3区分の対象)を把握し、その重点の度合いによ
り、高い順から◎(非常に高い)
、○(高い)
、△(施策の対象)
、▽(積極的な観光促進の
施策対象ではない)の印で評価を示した。
表2より、戦後間もない第1期では、その主眼が平和文化国家にふさわしい観光首都建設
が目指され、東京都の観光政策は国家目標である国際収支の改善に資する外国人観光客誘致
であった。外国人観光客を対象とした受入対策は、第2期のオリンピック東京大会開催ま
で、東龍太郎知事、鈴木俊一副知事の主導により東京都の観光政策として中心的に取り組ま
「観光レ
れた31。一方で、第1期の終盤には、都民を対象とした観光政策にも取り組まれ、
クリエーションの指導」が1955(昭和30)年に施策として初出しており、
「ソーシャル・ツ
ーリズムの普及」は1957(昭和32)年から取り組まれた。
アジア初のオリンピック東京大会が一定の成果をもって終了した後の第3期(総務局時
代)には、都民に対する観光レクリエーション需要へ応えることが東京都の観光政策の主眼
となった。その原因として、国際収支の改善が輸出産業の拡大により達成されたこと、都民
の余暇行動が活発化、多様化したことが考えられる。
第4期(生活文化局時代)の80年代、90年代を通して、一貫して、都民の観光レクリエー
ションの場の提供が目指された。93年策定の東京都観光ビジョンでは、これまでの都民対象
の「出かける観光」を主とした政策に加え、
「迎える観光」の両方の充実を目指していく姿
勢が掲げられた。
第5期(産業労働局時代)は、石原都慎太郎都知事の方針により都の観光政策は観光産業
の積極的な振興を目的とするように大きな転換を経て今日に至っている。
次に、各期の東京都の観光政策と国の観光政策の関係について、東京都観光事業審議会と
国の旧・観光事業審議会、旧・観光政策審議会、現・交通政策審議会観光部会の取り組みに
着目する。
(1)第1期:第18回オリンピック大会以前(1947年-1958年)
戦後、東京都に初めて観光課が設置された1947(昭和22)年の都政概要によると、「終戦
後において観光事業はわが國の再建にきわめて重要な役割を占めるものとしてとりあげられ」
、
「観光事業が外貨を獲得し、國際貸借の改善に資するという國家的使命の一端を負」うもの
として、国際観光政策を主眼に取り組まれていた。この時代の所管内容を都政概要で確認す
ると、1956(昭和31)年に広報渉外局観光部が設置されるまで、表1で示すように所管部署
が度重なり変更したこともあり、項目自体や記載順序の変化が多かった。ここでは、変化の
あった年を中心に内容を見ていくことにする。1947(昭和22)年の所管内容は次の通りであ
った。
― 59 ―
表2 東京都の観光政策の変遷
時代区分 及び 施策内容
主眼
背景 / 対象
知事
1.第18回オリンピック大会以前(1947年-1958年)
総務部 観光課、建設局 公園観光課、総務部 観光課・外事部 連絡第二課
国家経済の再建
外事部 観光課、広報渉外局 観光部
・観光理念の普及(観光事業の健全な振興の基礎)
・観光地の開発(三多摩地方と伊豆諸島は,都民の保健休養の適地)
(国立公園候補地:秩父多摩地域→1950年指定)
安
井
誠
一
郎
対 象
都
民
外
国
人
旅
行
者
○
◎
'47
)
○
国
内
旅
行
者
~
・民間事業団体の育成指導
・訪客の接遇あっせん(都の紹介,修学旅行の勧奨,観光案内所)
・宿泊施設の整備
・観光協会等の連携(観光行事の東京都観光協会への委託)
・観光レクリエーションの指導(1955年)
外貨獲得の必要性
サンフランシスコ講和条約
(
平
和
文
観化
光国
首家
都に
建ふ
設さ
わ
し
い
'59
・ソーシアル・ツーリズムの普及(1957年)
・機関委任事務(観光統計調査,旅行あっ旋業法,通訳案内業法)
東
龍
太
郎
対 象
2.第18回オリンピック東京大会準備期間(1959年-1964年)
オリンピック準備事務局 観光部、オリンピック事務局 観光部
ッ
都
民
外
国
人
旅
行
者
▽
△
◎
'59
~
・市街地を中心とした外国人観光客の受入対策(通称道路名設定)
・観光客の誘致宣伝接遇(観光案内所)
・宿泊施設(旅館客室改造資金融資)
・ユースホステル及び国際観光施設整備計画
国
内
旅
行
者
(
東
オ
京 ア
リ
大 ジ
ン
会 ア
ピ
の 初
成 の
ク
功
)
'67
・観光宣伝の強化
・観光情報の提供(1965年~,都民の観光レクリエーション活動の利便)
・観光レクリエーション施設の整備
・伊豆七島及び奥多摩地区観光開発調査
・島しょ地域の宿泊施設整備費補助
'67
ー
~
レ
ク
都
施リ
国民の観光旅行の増加
民
設エ
の 国際収支の均衡
整
観
国民の所得水準の向上
備シ
光
(
3.第18回オリンピック東京大会後の総務局時代(1965年-1980年)
総務局 渉外観光部 観光課
'79
)
ョ
ン
余暇の増大,交通の進歩
美
濃
部
亮
吉
4.生活文化局時代(1981年-2000年)
生活文化局 コミュニティ文化部 観光レクリエーション課
対 象
◎
△
△
鈴
木
俊
一
~
外
国
人
旅
行
者
'79
)
'95
(
・社団法人東京コンベンション・ビジターズビューロー(1997年12月設置)
都
民
国
内
旅
行
者
ョ
「出かける観光」と「迎える観光」の両面の充実を目指す)
ー
観
光
レ需
ク要
リ多
エ様
化
シの
中
ンの
行
政
(
・観光情報の提供(都民の観光レクリエーション活動を助けるため)
・新東京百景(1982年~1997年,郷土愛,観光レクリエーション活性化)
・歴史と文化の散歩道(1983年~1995年,東京再発見,ふるさと意識の高揚)
・観光施設整備事業補助(1989年~1999年,モデル事業:西多摩,島しょ地域)
・地方博覧会への参加(1989年~,国際文化都市東京を広く紹介)
・観光事業振興交付金(1992~1999年)
・東京都観光ビジョン策定(1993年,観光関連産業の売上高推計,
'95 幸 青
・ユースホステル
・観光団体振興補助(東京都観光連盟補助,JNTO分担金ほか)
'99
~
(シティ・セールスの展開,コンベンション誘致,インターネット多言語情報発信)
)
5.産業労働局時代(2001年-2010年現在)
アジア地域の旅行人口増加
商工部、観光部
旅行市場における競争激化
人口減少,高齢化
対 象
都
民
国
内
旅
行
者
外
国
人
旅
行
者
△
◎
◎
'99
注)知事欄( )内数字は在任期間を表す
6
― 60 ―
~)
(2007年,5年後に年間国内旅行者5億人, 外国人旅行者700万人誘致)
観
光
産
業
振
興
石
原
慎
太
郎
(
・観光産業振興プラン策定(2001年)
・宿泊税,開始(2002年)
・路線名・駅名のナンバリング(2004年)
・水辺空間の魅力向上(2006年~)
・観光産業振興プラン~活力と風格のある世界都市・東京を目指して~策定
男島
東京都の観光政策の変遷に関する研究
1.観光理念の普及 2.観光地の開発
3.民間事業団体の育成指導 4.訪客の接遇あっせん 5.都政の相談案内 6.貿易代表團の宿泊施設 7.東京都観光協會
この中で、7.東京都観光協會は、昭和21年5月再発足し、観光課と表裏一体の関係にあ
って、もっぱら民間事業団体との連絡ならびに育成、刊行物の頒布、旅行、視察のあっせん
事業を行った組織である。その後、組織は社団法人東京都観光連盟、社団法人東京コンベン
ション・アンド・ビジターズ・ビューローへと変更、現在の財団法人東京観光財団に相当す
る。
この時期は、観光事業の再建に政府が乗り出していたため、全国的に観光資源の開発と施
設の整備増強がはかられ、これに刺激された民間観光事業も次第に活発化していた。東京都
では、1949(昭和24)年に観光事業の基本的方策の樹立と重要事項の調査審議機関として東
京都観光事業審議会を設置した。同年の都政概要では「平和文化国家にふさわしい観光首都
建設」を目標に 、
「政府の観光施策と相まって、内容と外観を兼ねそなえた国際観光都市の
実現を期している32」としている。この年に所管組織は、建設局公園観光課となり、1952
(昭和27)年まで同局の所管であった。
1949(昭和24)年の観光事業の所管内容は次の通りであった。
1.観光事業の協力振興 2.観光地の開発
3.国立公園候補地 4.観光理念の普及 5.通訳案内業者の免許 6.訪客接遇 7.観光協会
観光事業の協力振興については、都は関東信越地域の1都11県で構成される中央日本観光
協議会の事務局として近接各県との観光行政の協調および関係中央官庁との連絡にあたっ
た。また、三多摩地方と伊豆諸島は、都民の保健休養の適地として当時著しく観光旅客が増
える傾向があったため、各種施設の増強の計画を策定した。また、奥秩父地域の国立公園指
定に向けた活動の結果、昭和25年7月国立公園に指定された。 この時代の特徴は、外客に対して都の紹介宣伝を行うなど、国際観光政策が主であったも
のの、国内観光の面でも、地方小中学校児童に対する本都修学旅行の勧奨、年中行事の復活
― 61 ―
などにより訪客の誘致に努め、都内7カ所の百貨店に観光案内所を設けて、旅客の利便性向
上に努めた。さらに、複雑多岐にわたる産業の複合によって成り立つ観光事業の健全な振興
は、観光理念の普及浸透に基礎をおかねばならない、との見地から昭和22年観光課の設置以
来、数回観光展覧会を開催するとともに、接客業者、観光事業関係者のために、観光講座を
開講したほか、座談会、郷土史講演会、ラジオ放送、刊行物なども利用し、1951(昭和26)
年9月から都内国鉄各駅その他目抜きの場所に、壁新聞「観光のページ」を毎月掲出するな
ど、ひろく観光観念の徹底をはかった点であろう。都内学童に対しては1952(昭和27)年7
月から、大型観光自動車を使用する「教育観光バス33」の運行を開始して、郷土教育と観光
観念の普及にも取り組み、都民の各層に対して理念の普及徹底をはかった。
1951(昭和26)年4月28日にサンフランシスコ平和条約が公布発効し、同年9月18日に締
結された。都政概要には次のように当時の状況が記されている。
「最近にいたってようやく
新情勢に即応する本格的活動の段階を迎えたというのが実情」
、
「講和後首都東京の国際観光
事業は各国に伍してはげしい競争場裡にたつべきは充分予想されるところであり、したがっ
。また、都の観光事業の位置づ
てその受入れ態勢の整備などは刻下の急務となっている34」
けについて「文化日本の建設と経済の復興に寄与しつつ国際親善と外貨獲得に貢献すること
を目的」とし、「国の方針にそい、都民の観光・厚生・慰楽など福祉の向上に重点をおき、
また国内観光の面からも最大の対象であることを認識し、国際・国内両観光事業の振興をは
かることを基本方針35」とした。
また、観光事業の位置づけについて「首都建設計画と密接な関連をもつものであり、これ
と併行して推進さるべきはいうまでもない35」との見解であった。同年に東京都観光事業審
議会により「東京都觀光事業綜合計画書36」が策定された。図1は同計画書の章構成を示し
ている。1章2節では、都の基本方針について、
「東京都観光事業は文化日本の建設と経済
の復興に寄与しつつ国際親善の促進と、外貨の獲得に貢献しなければならないが、先ずもっ
て都民の観光厚生慰楽の向上と都民経済の福祉に其の重点をおき国際並びに国内観光事業の
振興を図る」としている。同計画の6章「都市美造成」のなかで、戦後、大半が焼土と化し
た都の区域に関して如何に都市美を造成するか、
「観光立國を標榜した我國の首都東京とし
て(p. 101)」充分に考慮をしなければならない、との考えを示している。また、5章の観
光施設に関する部分では、多摩川渓谷について「山岳レクリエーション(p. 55)
」
、また高
尾山地域について「憧れのレクリエーションセンター(p. 63)
」という言葉がそれぞれ一度
使用されており、21世紀に入って多用されるようになった「観光立国」という言葉や高度経
済成長と共に観光行政のなかで頻出するようになった「レクリエーション」という言葉が当
時の計画のなかですでに用いられていた。
表3では、第1期の東京都観光事業審議会と国の観光に関する取り組みを示している。こ
の時代に国は1948年に内閣総理大臣の監督の下で観光事業審議会を設置し、翌年に総理府が
― 62 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
第1章 総説
第7章 観光教育
第1節 東京都における観光事業
第2章 観光地帯
第3節 観光教育の内容
第1節 市街地観光地帯
第4節 観光教育普及方法
第2節 三多摩観光地帯
第8章 観光宣伝
第3節 島嶼海洋観光地帯
第4節 観光圏
第3章 観光ルート
第3節 宣伝の内容
第1節 市街地観光地帯国際観光ルート
第4節 宣伝の手段方法
第3節 島嶼海洋観光ルート
第9章 観光接遇と斡旋
第1節 接遇の改善
第2節 斡旋の充実
第1節 人文資源の保存顕揚
第2節 自然資源の保護経営
第5章 観光施設
第1節 海外宣伝
第2節 国内宣伝
第2節 三多摩観光地帯連絡ルート
第4章 観光資源の保護開発
第1節 観光教育実施の対策
第2節 観光教育実施機関
第2節 東京都観光事業の基本方針
第10章 観光産業
第1節 東京都おける観光土産品
第1節 市街地観光地帯施設計画
第2節 東京の著名食物
第2節 三多摩観光地帯施設計画
第3節 観光土産品の振興改善
(山梨県下、東京都水源地域を含む)
第3節 島嶼海洋観光地帯施設計画
第11章 観光統計調査
第1節 観光統計
第2節 観光調査
第6章 都市美造成
第3節 各種統計調査の利用
第12章 計画実施に対する要望 第1節 観光事業機構の整備強化
第2節 都民の協力
第3節 関係方面に対する要請と連携協調
図1 東京都觀光事業綜合計画書36(1951年)の章構成
設置されると総理府所管となり、この名称の審議会は1962年まで続いた。以降は、観光政策
審議会と改称されて1963年から1983年まで総理府、翌1984年から2000年までは運輸省の所管
となり、現在は国土交通省所管の交通政策審議会観光分科会として継続されている審議会で
ある。当時、表3中に○印で示すように、国際観光振興に関する度重なる勧告を示していた
ことがわかる。当時の国の方針を確認すると、1952(昭和27)年7月30日付「観光事業の基
本方針」では、
「国際間の相互理解を促進するとともに、国際収支の改善による国民経済の
自立達成に資し、併せて国民の文化と厚生の向上を図ることを観光事業の基本的目的」とす
るとし、次の7項目の重点的推進の方針を示していた。
(1)主要観光地について、宿泊、交通、その他の観光施設ならびに環境を整備すること (2)観光資源としての自然を保護、開発し、文化を保存、活用すること (3)国土開発に関する諸計画の策定ならびに実施に当つては、観光的要素を取り入れる
こと (4)海外観光宣伝を強化すること (5)外客に対する接遇を改善し、旅行障害を除去すること (6)観光に関する国民の理解協力を促進すること (7)観光関係の政府及び民間機構を調整強化すること
東京都の1953(昭和28)年発行の都政概要によると、この年に、国内観光、国際観光と区
分した記述がみられるようになる。国際観光では、観光宣伝について「海外に対する観光の
宣伝は、従来主として日本交通公社および海外観光宣伝協議会(都道府県、運輸省および国
鉄)などにより行われ、直接、都が海外に宣伝することはほとんどなかったが、一国の国際
観光に占める首都観光の重要性を考え、全世界の主要50カ国の都市、旅行あっ旋業者および
― 63 ―
在外日本公館など合計8カ所に対し、英文東京観光地図および英文東京観光ポスターを配布
して積極的に外客誘致につとめ37」始めた。また、翌年の昭和29年版で「都民レクリエーシ
ョン38」という言葉が「都政概要」のなかで初出している。都の観光事業の目標の説明で、
「首都の性格をいかした構想のもとに国際・国内両観光事業の振興をはかることを基本方針」
との記述に加えて「あわせて都民レクリエーションの面を考慮して、観光資源の開発整備、
観光施設の充実、接遇対策の強化を達成することにある」と述べている。特に、都民のレク
リエーション地である秩父多摩国立公園(昭和25年7月指定)と伊豆七島自然公園候補地に
対しては、なるべく優先的に開発整備する方針としている。国際観光事業については、この
年の記述に「貿易外収入として外貨を獲得するうえにきわめて重要なものであるから、都と
しても相当の比重をこの仕事においている39」と説明している。1953(昭和28)年は、来訪
外客数が80,143人、消費外貨推定額3,500万ドル(約127億円)に達して戦前の記録を上回っ
た年であった。
1954(昭和29)年10月1日から東京駅八重洲口の国際観光会館内に東京都中央観光案内所
を設け、都内およびその周辺の地理・観光・交通・宿泊施設および文化、産業その他につい
て無料案内サービスを開始した。また、この年には通訳案内業法にもとづき、国家試験に合
格した者のうち東京在住者に対しては都知事が免許をあたえる機関委任事業のほか、毎年、
実地演習および講義を含む研修会を2回開催し、昭和29年には都内および日光国立公園にお
ける案内演習と東京におけるテーブルマナー実習をおこない、さらにホテル従業員に対して
も衛生・教養・接客態度等の面を指導助言するなど、人材教育を都が直接担っていた。
このように第1期は、観光施設などハード面の整備が国、東京都双方において重要施策で
あったといえるが、観光に関する教育、観光理念の普及に東京都が力をかけていた点は特筆
すべき点である。
1955(昭和30年)度の観光事業の説明では「観光事業を振興するための一つの条件は、受
入れ側関係者ならびに一般都民の観光に対する理解と協力にある。それで毎年、この方面の
権威者を講師として、各種講座を開くほか、随時観光壁新聞を主要駅構内や旅館等に掲出し
て、啓発につとめている40」と記されている。1958年開催予定のIOC(国際オリンピック委
員会)総会、第3回アジア競技大会はオリンピック大会東京招致にとって「有力な足がか
り41」であったため、それに備えて、とくに都内高・中学校および小学校高学年を対象とし
て、観光教育用リーフレット50,000部を作成配布し、都市の美化、観光都市の市民たる自
覚、旅客に対する接遇態度などについて啓発につとめた。
1957(昭和32)年度は、東京都観光事業審議会の運営と関連して、東京都観光事業5カ年
計画の第2年計画および小河内貯水池(通称:奥多摩湖)
・周辺観光開発計画、ならびにコ
ンベンション・ビューローの設置運営などの、基本的対策を検討した。国では同年を初年度
とした5カ年計画を策定しており、東京都の取り組みもそれに準じたものと考えられる。ま
― 64 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
た、奥多摩湖周辺一帯の観光開発計画を樹立するため、同地域の観光実態調査を行った。観
光立地条件調査と地域内における観光客の動態をあきらかにする観光動態調査の二つに分け
て実施している。調査関連では、早稲田大学観光学会、慶應義塾大学観光事業研究会の有志
学生によって、研究者の立場から観光地大島の総合研究調査が実施され、東京都はその援助
をした。
表3 東京都と国の観光の取り組み(第1期)
年
東京都の
観光事業審議会ほか
国の(旧)観光事業審議会(1948年~1962年)ほか
法律
■12月、運輸省、ホテル整備10カ年計画策定
1946 S21
■(8.1)東京都、第1
回観光講座開催(6日
1948 S23 間)
■(3.14)東京都、第2
回観光講座開催(6日
間)
1949 S24
1950 S25
主眼・背景
ハード面の施設整
備
・旅館業法
■(7.10)観光事業審議会、設置(内閣総理大臣の監督の
下)
○(10.15)勧告「観光事業基本方針」「観光地帯、観光都
市の選定」「観光施設整備5ヶ年計画」
○(12.28)勧告 観光行政機構の整備
■総理府設置、観光事業審議会,総理府に設置(6.1)
○(2.11)勧告「昭和24年度観光施設整備計画]観光道路整
備計画,宿泊施設整備、観光諸施設整備計画
○(3.2)勧告「観光施設整備に要する資金及資材対策」
○(4.15)勧告「接収ホテル等の一部解除」
○(4.28)勧告「国宝、重要美術品、史跡名勝天然記念物
等の保護対策」
○(5.12)勧告「観光道路の緊急整備」「宿泊施設の緊急
整備」
○(7.14)勧告「瀬戸内海関係観光施設の整備」
○(9.4)勧告「観光事業関係経費の予算」「外客誘致宣伝
の強化方策」
○(10.30)勧告「観光関係衛生の強化方策」「観光文化財
保護対策」
■ホテルの政府登録開始
■旅館の政府登録開始
・国際観光ホテル整備法
・国際観光事業の助成に関する法律
・通訳案内業法
・文化財保護法
・特別都市建設法
・別府国際観光温泉文化都市建設法
・伊東国際観光温泉文化都市建設法
・熱海国際観光温泉文化都市建設法
・奈良国際文化観光都市建設法
・京都国際文化観光都市建設法
東京都觀光事業綜合計 ○(6.5)勧告「揮発油税収入を暫定的に目的税として使用 ・松江国際文化観光都市建設法
・松江国際観光温泉文化都市建設法
画書
し主要幹線道路ならびに観光道路の整備を促進するこ
・軽井沢国際親善文化観光都市建設法
と」
1951 S26
・国土綜合開発法に基く特定地域の設定
○(6.6)勧告「国土綜合開発法に基づく特定地域の設定」
(1)観光都市、一般観光地帯(2)国立公園地域
1952 S27
○(1.21)勧告「連合軍接収ホテルの対日講和条約後にお ・旅行あっ旋業法
ける自由営業」
○(7.30)勧告「観光事業の基本方針」
○(11.18)勧告「国道路線の指定」
○(12.10)勧告「道路整備特別措置法に基づく昭和28年度
有志要望路線」「揮発油税の道路整備目的税化」
■(4.1)GHQ,帝国ホテルほか接収解除
■海外宣伝事務所(ニューヨーク)開設
1953 S28
○(7.14)勧告「観光関係行政機構の改革」「瀬戸内海会
場観光振興方策」「西日本水害により被害を蒙りたる観
光施設,特に宿泊施設の復旧」
○(11.24)勧告「国際観光事業振興に必要名交通機関等の
整備」
1954 S29
○(5.27)勧告「観光事業振興方策の樹立及びその実施」
○(11.15)勧告「被接収ホテルの解除」
■国民保養温泉地初の指定(栃木・日光湯元温泉、群
馬・四万温泉、青森・酸ヶ湯温泉)
経済自立5カ年計
画、閣議決定
(12.23)
■秩父多摩国立公園指 ○(3.3)勧告「観光事業振興上緊急整備を要する観光地帯
定
及び基幹ルート」
○(11.8)勧告「ホテル事業に対する重油使用の禁止措
1955 S30
置」
■(5.24)財団法人国際観光協会の設立(英名:Japan
Tourist Association)
第1次:多摩および伊 ■(8.10) 閣議決定「観光事業振興基本要綱」
豆七島観光開発計画に ■(12.28)上記要綱に基づき観光事業振興5ヶ年計画策定
1956 S31 ついて
第2次:東京都観光事
業振興5か年計画につ
1957 S32 いて
第3次:小河内貯水池
周辺地区観光開発計画
1958 S33
(4.28)対日平和条
約、日米安全保障
条約発効,GHQ廃止
・道路整備特別措置法
・空港整備法
・都市公園法
・高速自動車国道法
■事業振興5カ年計画策定
・駐車場法
(関係各省、1957(昭和32)年を初年度として)
○(10.29)勧告「国際観光事業の推進」「外人観光用自動 ・自然公園法
車の整備充実等」
(11.24) 諮問第1号「観光事業振興のため採るべき当面
の施策について」→答申「観光事業振興の基本方針」
■ユース・ホステル整備補助金交付開始(公営ユース・
ホステルの整備を推進(1958(S33)~1967(S42)年度)
■国立青年の家の設立開始
・ユースホステル整備費補助金交付規則
・道路法、道路整備特別措置法
■:実施された内容を示す ○:国の観光事業審議会による勧告を示す
■:実施された内容を示す ○:国の観光事業審議会による勧告を示す
― 65 ―
経済企画庁、経済
白書発表(もはや
戦後ではない)
(7.17)
都民対象の施策として、1958(昭和33)年にはソーシャル・ツーリズム運動の発展に伴
い、一般の旅行熱が一層高まってきたため、従来の整備対象であった野営場、レストハウ
ス、駐車場などのほかに、低廉で健康的な宿泊施設として国民宿舎の建設をみるようになっ
た。旅行に必要な要素に費用、休暇があるが、これらは国レベルで対応が必要と考えられ
る。その中で、東京都は都民の余暇活動の着地における施設整備施策の実現によりソーシャ
ル・ツーリズムの普及に取り組んでいた。
(2)第2期:第18回オリンピック東京大会準備期間(1959年-1964年)
1959年に第18回オリンピック大会の東京招致が決定されると、都はオリンピック準備事務
局、翌年以降はオリンピック準備局の所管の観光部として、戦後初の大規模な国際イベント
の観客の受け入れ対策に取り組んだ。
1965年に発行された「東京都観光行政概要」によると、オリンピック東京大会を目標とし
た東京都の観光行政は、その性格から、市街地を中心とした外国人観光客の受入対策に重点
が置かれた。来訪者受入対策のため、開催前年の1963(昭和38)年には、宿泊施設対策とし
て、ユース・ホステルの建設や旅館客室改造資金融資が行われた。訪都観光客に対する接遇
の重要な役割を持つ観光案内所は、すでに1954(昭和24)年10月に東京駅八重洲口の国際観
光会館1階に「中央観光案内所」を、1955(昭和25)年7月に東京国際空港のターミナル1
階に「羽田観光案内所」が開設されていたが、さらに1964(昭和39)年6月には副都心の新
宿のステーションビル地下1階に「新宿観光案内所」を設置した。
一方、来訪者の利便性向上のために実施された交通面での施策は、通称道路名の設定であ
った。1961~62(昭和36~37)年度にわたり通称道路名設定事業を推進し、合計69路線の通
称名が決定した。これは、現在の都民、来訪者にとっても利便性を高めている施策であり、
国際的イベント開催により事業が促進された事例と考えられる。
さらに、東京都における観光施設整備事業は、都が直接事業を行うものと、区市町村等が
行う観光施設整備事業に対する補助事業とに分類されるが、都直営による観光施設は宿泊施
設として、ユースホステル2カ所(市ヶ谷ユースホステル:1960(昭和35)年度事業として
建設、翌年5月開所/高尾ユースホステル:1964(昭和39)年度事業として建設、同7月開
所)、休憩施設としてレストハウス1カ所、観光案内所3カ所がある。宿泊、休憩施設の建
設は、いずれも国おけるユースホステル及び国際観光施設整備計画の一環事業であり、国庫
補助金を受けたものであった。
オリンピック東京大会開催の前年1963(昭和38)年6月に観光基本法が制定施行され、国
の観光に関する政策の目標が明らかにされた。この基本法によると、観光の意義は「国際収
支の改善及び外国との経済文化の交流の促進と国民の保健増進、勤労意欲の増進及び教養の
向上とに貢献すること」にあるとしている。地方公共団体は、国の施策に準じて施策を講ず
― 66 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
るように義務づけられているが、東京都は、
「その特殊性に基づき自主的な観光施策を講じ、
一般観光行政を推進するとともに、国際国内観光事業の振興42」を図った。また、1964(昭
和39)年には、日本人の海外旅行が条件付きで自由化された。
表4 東京都と国の観光の取り組み(第2期)
年
東京都の
観光事業審議会
国の(旧)観光事業審議会(1948年~1962年),
(旧)観光政策審議会(1963年~2000年)ほか
1959 S34
(9.15)第2次答申「観光施設整備に関する計画について」
(9.15)第3次答申「対外観光宣伝の強化の対策」
○(9.15)勧告「太平洋横断客船建造就航の促進」
(12.25)第4次答申「外客接遇改善の対策」1.入出国手続の簡易化
(外貨交換施設の拡充) 2.旅行経費の軽減 3.観光関係従業員の
サービス向上
■環境庁、国民保養温泉地に対する施設整備補助制度創設
1960 S35
(9.15)第5次答申「国際会議等の誘致調整等に関する対策」
■任意団体「日本コンベンション・ビューロー」設立(会長:日本
商工会議所会会頭・JNTO会長)
(9.15)報告「国民旅行の育成及び健全化に関する方策について」
第4次:オリンピック
の東京大会開催に伴う
東京都観光事業振興5
か年計画の再検討につ
1961 S36 いて
法律
主眼・背景
オリンピック東京
・日本観光協会法
(財団法人日本観光協会 大会の成功
と社団法人全日本観光連
盟が合併→特殊法人日本
観光協会、設立)
国民所得倍増計
画、閣議決定
(12.27)
○(3.24)勧告「外国人旅行者に対する遊興飲料税非課税措置の存
続」
○(3.28)勧告「観光道路の整備促進」
(12.2)自然公園審議会答申「国立公園の体系整備について」
○(12.15)勧告「宿泊施設の整備促進等外客受入体制の強化」「外客
に対する料理飲食等消費税の非課税措置の存続」
(12.15) 諮問第2号「オリンピック東京大会開催にともなう観光対
策いかん」
1962 S37
(7.13) →答申 1.海外における観光宣伝活動 2.受入体制の整
備(宿泊対策、交通対策、旅行案内施設)3.外客に対する接遇の
充実(国民の理解と協力→ホームビジット制度の普及、標識の整備
<英語表記>) 4.料理飲食等消費税の非課税措置→外客に対す
る優遇措置をノーチップ制とホテル料金規制と共に実施すべき
■総理府、第1回全国旅行動態調査報告書発行
■総理府に観光政策審議会,設置(6.20)
■厚生省「国民宿舎設置運営要綱」制定
■総理府に観光対策連絡会議設置(閣議決定)
○(12.5)意見具申「国際観光振興上当面必要とする事項」
・観光基本法(6.20)
1963 S38
第5次:観光基本法の
制定に伴う東京都観光
1964 S39 政策と当面の政策につ
いて
■第1回「観光白書」発表(4.1)
■海外渡航制限付自由化(4.1)
1人年1回、一般渡航外貨持ち出し額、年500ドル以内
■第18回オリンピック東京大会
・国際観光振興会法(改
正日本観光協会法)
(特殊法人国際観光振興会
と社団法人日本観光協会
に分離→現在に至る)
国際通貨基金(IMF)
8条国へ以降(4.1)
経済強力開発機構
(OECD)に正式加盟
(4.28)
■:実施された内容を示す ○:国の観光事業審議会による勧告または意見具申を示す
■:実施された内容を示す ○:国の観光事業審議会による勧告または意見具申を示す
(3)第3期:第18回オリンピック東京大会後の総務局時代(1965年-1980年)
1965(昭和40)年には、オリンピック東京大会の成功と大衆の観光需要の増大に伴い、観
光事業の重要性が改めて認識されていた。同大会終了後の諸般の情勢に即応するため、東京
都観光事業審議会の答申に基づき、1964(昭和39)年10月、東京都観光事業の総合的な計画
の策定に着手した。この「当面における東京都観光事業の振興対策43」における計画は1965
(昭和40)年度を初年度とし、1969(昭和44)年にわたる5カ年計画であった。オリンピッ
ク東京大会後には1970(昭和45)年に大阪万博の開催が控えていたが、この時代の東京都の
観光行政の取り組みについて、本計画の基本的対策から確認する。基本対策は表5に示す8
項目で、それぞれの事業費見積額と構成比率を示している。
この計画の総見積額中、観光対象の保護育成及び整備に43.5%を充てる計画を立てていた。
その内訳で配分の高いものは、動物園の整備(54%)
、自然公園の整備(29.9%)であった。
計画策定時点(1965(昭和40)年)から、都民の観光レクリエーション施設の整備に重点が
― 67 ―
表5 東京都観光事業振興対策事業見積額総括表
事業費見積額
基本的対策
(単位:千円)
構成比率
226,600
1.5%
30,100
0.2%
旅行関係施設の整備
2,409,770
15.5%
観光対象の保護育成及び整備
6,768,505
43.5%
観光地観光ルートの開発整備
3,031,930
19.5%
36,710
0.2%
観光宣伝の強化
接遇案内の充実
産業観光
民間観光事業者に対する監督と指導育成
3,020,815
19.4%
観光行政に関する連絡協調
25,470
0.2%
合 計
15,549,900
観光教育の普及と観光環境の整備
100.0%
東京都総務局(1965)「当面における東京都観光事業の振興対策」,
p.7 7より作成
東京都総務局(1965)
「当面における東京都観光事業の振興対策」
、p.
より作成
置かれていたと考えられる。東京都は、
「海外観光市場における映画によるPR競争に打ち勝
「観
つため44」、1953(昭和28)年以来、観光映画を制作し、対外観光宣伝を行っていたが、
光宣伝の媒体として、映画は直接視覚に訴え得るので、もっとも強力であり、ことに海外宣
伝には欠くことができない(p. 126)」と記載されており、これは現代につながる見解と考
えられる。また、
「オリンピック大会を契機として、外客の飛躍的増加が見込まれているの
で、この機会に本都の海外観光宣伝を充実強化することは、国際観光市場において確固たる
地位を獲得するために、きわめて重要である45」として、国際観光振興への高い意欲を見せ
ていた。
次に、1965(昭和40)年~1967(昭和42)年までは東京都発行の都政概要、1968年以降は
総務局発行の事業概要の各年の所管内容から特徴のある施策について言及する。上記計画策
定の翌年1966(昭和41)年都政概要には「近年、観光観念の普及及び余暇の増大に伴い、国
民の旅行特に観光旅行は著しく増加し、訪都観光客も増加の一途をたどっている。一方、訪
日外人客は、昭和40年には約37万人(前年比4%増)であり、そのうち訪都外人客は約33万
人と推計されるが、訪日及び訪都外人客の伸び率は鈍化を示している。
(p. 147)
」とある。
また、この時期に東京都が運営していた観光案内所のうち、中央、新宿両観光案内所は、
観光事業の効率的運営の見地から1966(昭和41)年3月末日をもって廃止され、羽田観光案
内所のみ運営することになった。一方、1965(昭和40)年度からは、観光事業関係者に対す
る都の観光事情周知のため、
「観光時報46」の発行に取り組まれるとともに、1957(昭和32)
年にいち早く「産業観光」を推進し、1965年時点ですでに101社の協力を得て、参観の実施
及び紹介連絡を行っていた。
国際収支がいよいよ黒字基調に転じ、外貨準備高が増加した1968(昭和43)年の都政概要
には、「観光基本法にそくし、国際、国内観光の発展のために諸施策を講じている(p. 157)
」
とするものの、「訪都国民観光客数は推定約2,000万人と考えられ、国民の所得水準の向上、
― 68 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
余暇の増大及び交通の進歩は、今後更に観光客の増加をもたらす傾向」にあった。
表5に示すように、国の観光施策でも、この頃から、様々な省庁によって、国民保養セン
ター(1967年、厚生省)
、大規模観光レクリエーション(1970年、1971年、1973、1975年、
国土総合開発審議会)、レクリエーション都市(1972年、建設省)
、レクリエーションの森
(1973年、林野庁)に関する施策実施がみられるようになった。1960年代後半から1970年代
にかけて、国際観光から国内観光、国民の余暇活動、国民生活の向上へと政策の比重が大き
くシフトした時代だと考えられる。東京都をみると、第7次東京都観光事業審議会(1972
年)は「現代観光需要増大のなかで都民生活をより豊かにするための観光レクリエーション
行政のあり方について」を諮問し、2次答申で「都民の憩いの広場構想計画(案)47」が示
された。そのなかで、都の見解を「余暇に対する施策は、経済の発展過程を通じて、いわゆ
る「レジャー」
(
「娯楽」
)によって表現されるコマーシャルベースの中で進められてきた。
(中略)余暇イコール商業娯楽のイメージを著しく強めてきた。
」と説明し、
「このような風
潮を助長した一因として、行政側の余暇問題に対する認識の遅れと、とまどいが指摘される」
としている。そして、
「豊かな余暇生活の実現が国民福祉の重要な部分を占めることからみ
ると、余暇に対する公的施策の必要性が強調されなければならない」として行政が都民のレ
クリエーション活動に関わる意義を説明している。次の1978年の第8次同審議会では「自由
時間の増大に伴う都民レクリエーション活動の充実化について」
、
「奥多摩・高尾地域および
島しょ地域の観光レクリエーション利用の平準化について」の二つの諮問をしている。この
間に、都では、伊豆七島及び奥多摩地区観光開発調査や小笠原諸島観光開発調査、観光需要
が島民経済に与える影響及び開発と自然保護の関連調査(p. 206)を実施した。
以上より、東京オリンピックや高度成長以降、輸出産業の伸張により国際収支が改善さ
れ、観光政策の当初の目的であった外貨獲得の必要性が低下した状況や経済発展による労働
者の労働時間の短縮、余暇の増大を背景に東京都の観光政策の重点が、外客誘致から都民観
光の充実への変化を迎えることになる。
(4)第4期:生活文化局時代(1981年-2000年)
昭和55年末の組織改正に際して、観光課は観光レクリエーション課と名称変更のうえ生活
文化局コミュニティ文化部に位置づけられた、これについて、東京都は「観光レクリエーシ
ョンを地域に立脚した生活文化として考えていることを明らかにしたものであろう48」と説
明している。第3期でみた国、東京都の観光政策の主眼が国際観光から国内観光へのシフト
した流れを踏襲したうえで、本期の前半1980年代は、東京都の観光政策が居住者(都民)を
対象とする取り組みが一層強化された時代と考えられる。
国の施策では、1987(昭和62)年に「海外旅行倍増計画(テン・ミリオン計画)
」が策定
され、日本人の海外旅行が政策的に振興された一方で、国際観光モデル地区指定、国際コン
― 69 ―
表6 東京都と国の観光の取り組み(第3期)
年
1965 S40
東京都の
観光事業審議会
第6次諮問:5か年計画
→答申に基づき「当面にお
ける東京都観光事業の振興
対策」策定
1966 S41
国の(旧)観光政策審議会(1963年~2000年)ほか
法律
主眼・背景
■「観光道徳の高揚と観光資源の保護週間(観光週
間)」の設定について閣議了解(5.8)→第1回観光週間実
施(7.7-13)
(7.14)諮問第4号「国際観光地及び国際観光ルートの整
備方針について」対する答申(10.29)
■(12.2)観光対策連絡会議決定「国際観光地および国際
観光ルートの整備方針」
オリンピック東京大会
の成功
■(財)国際観光振興会(JNTO)に国際会議誘致事業のた
めの補助金が認められ、日本コンベンション・ビューロー
を吸収
■一般渡航外貨持出額、年500ドル以内(一般渡航年1回
の制限撤廃)(1.1)
○(10.18)意見具申「昭和42年度において講ずべき観光政
策の基本方針(国際観光地及び国際観光ルートの整備計
画を中心として)
○(12.16)意見具申「観光に関する税制の改善」
第21回国連総会で
「1967年を『国際観光
年』と指定する旨決
議」(11.4)
1967 S42
■厚生省、国民保養センター整備開始
(9.28)諮問第7号「最近の国際観光情勢の変化に対処し
て国際観光の振興を図るため必要とされる外客誘致及び
受入体制の整備について」に対する答申(11.28)
1968 S43
(9.25)諮問第9号「経済社会の発展に伴う国民生活水準
の変化に対応する観光のあり方及びそれを達成するため
の基本方策いかん」
国際収支が黒字基調に
転じ、外貨準備高増加
→(4.17)第1次答申「国民生活における観光の本質とその 都市計画法(6.14)
将来像」
小笠原諸島振興開発特別措
置法(12.8)
■国土総合開発審議会総合調整部会に大規模観光レクリ
エーション研究会設置(4月)
■7.10 厚生省、国民休養地制度創設
(7.28)第2次答申「望ましい観光の発展のために」
■運輸省、「ホテル業の現状と問題点」(ホテル白書)
発表
■(12.10) 建設省「レクリエーション都市整備要綱」
「新全国綜合開発計
画」閣議決定(5.30)
1969 S44
1970 S45
■環境庁設置
■運輸省、「青少年旅行村」16カ所決定、整備開始、
「青少年旅行村施設整備補助金交付要領」
■厚生省、国民休養地15カ所指定
■運輸政策審議会大規模観光レクリエーション地区ワー
キング・グループ、「大規模観光レクリエーション地区
の整備に対する基本的考え方」報告
1971 S46
第7次:現代の観光需要増
大のなかで都民生活をより
豊かにするための観光レク
1972 S47 リエーション行政のあり方
について(1次諮問)
2次諮問「都民憩いの広場
計画」の構想化の検討諮問
■環境庁、
「国立公園内における自動車利用適正化要綱」
制定
通産省、産業構造審議会余暇部会「今後の余暇の動向と
余暇行政のあり方」を答申
1974 S49
1975 S50
→2次答申「都民の憩いの
1976 S51
広場構想計画(案)」
第11回冬季オリンピッ
ク札幌大会(2.3-13)
田中角栄通産相「日本
列島改造論」発表
(6.11)
第一次石油危機
(9.7)諮問第14号「最近における内外情勢の変化に対す
る国際観光の意義及び政策いかん」
→(8.27)答申「国際観光の意義及び政策」
従来のように外貨獲得を中心において国際観光政策を考
えるのではなく、外貨をいかに有効に国民生活の向上や
国際関係の改善に役立たせるかをあわせ考えつつ、国際
観光政策を考えるべきであるとの意見が強まった。
■通産省、初の「余暇白書」発表
■労働省、「勤労者の村」制度創設
■運輸省、大規模観光レクリエーション地区整備開始
■林野庁、「レクリエーションの森」制度開始
1973 S48
旅行業法(改正旅行あっ旋 訪日外客数(660,715
業法)(11.10)
人)を出国日本人数
(961,135人)が初めて
上回る
■(4.1)都市公園等整備5カ年計画,閣議決定(レクリ
エーション都市の整備を位置づけ)
→1次答申
○(5.22)意見具申「観光レクリエーション地区の整備に
関し政府がとるべき施策の方向」
日本万国博覧会(3.159.13)
円変動相場制に以降
(2.14)(翌日、1ドル
=264円に急騰)
改正文化財保護法(伝統的 世界観光機関(WTO)設
建造物群保存地区制度創 立(IUOTOの改組)
設)
■重要伝統的建造物保存地区指定開始(9.4)
○(11.8)意見具申「望ましい観光まちづくりの方向(中
間報告書)」
国際観光文化都市の整備の 第三次全国総合開発計
ための財政上の措置に関す 画、閣議決定(11.4)
る法律
第8次:①自由時間の増大 ○意見具申「最近における情勢の変化に対応し当面講ず
に伴う都民レクリエーショ べき国際観光政策」
ン活動の充実化について
②奥多摩・高尾地域および
島しょ地域の観光レクリエ
1978 S53
ーション利用の平準化につ
いて
→1次答申
日本、UNWTO(国連・
世界観光機関)に加盟
1977 S52
改正国際観光振興会法(日 第5回先進国首脳会
本人海外観光客に対する情 議・東京サミット
報の提供等の業務の追加) 第二次石油危機
1979 S54
1980 S55
■環境庁、ふるさと自然公園国民休養地制度創設(国民
休養地制度S45の改正拡充)
■:実施された内容を示す ○:国の観光政策審議会による意見具申を示す
■:実施された内容を示す ○:国の観光政策審議会による意見具申を示す
― 70 ―
6
東京都の観光政策の変遷に関する研究
表7 東京都と国の観光の取り組み(第4期)
年
東京都の観光事業審議会
ほか
国の(旧)観光政策審議会(1963年~2000年)ほか
法律
主眼・背景
1981 S56
第2次臨調「行政改革
に関する第3次答申」
において国鉄の分割民
営化を打ち出す(7.30)
1982 S57
第8次→答申 自由時間の
増大に伴う都民レクリエー
1983 S58 ション活動の充実化につい
て-観光レクリエーション
活性化方策-
■観光対策関係省庁連絡会議設置(7.1)
観光政策審議会、総理府から運輸省へ移管
1984 S59
先進国5カ国蔵相会
議、ドル高是正のため
の協調介入決定(プラ
ザ合意)
1985 S60
■運輸省、国際観光モデル地区指定(全15ヶ所)
(3.24)
■運輸省、「国際コンベンション・シティ構
想」
1986 S61
第9次:多摩・島しょ地域 ■海外旅行倍増計画(テン・ミリオン計画)策
の観光活性化方策について 定(9.14)
1987 S62 「伊豆諸島・小笠原諸島へ
の船旅のあり方に関する調
査」
1988 S63
民間事業者の能力の活用による特定
施設の整備促進に関する臨時措置法
(民活法)公布施行(国際会議場施設
等が対象施設)
東京サミット(5.4)
平成バブル景気
(1986.12-1991.2:
51カ月)
総合保養地域整備法(リゾート法)
(6.9)
国鉄分割民営化
日本航空完全民営化
ふるさと創生1億円事
業
「東京都内の観光レクリ
■運輸省、国際コンベンション・シティ19都市
エーション客の動向調査」 指定
■運輸省、「90年代観光振興行動計画
(TAP90's)」策定
「新しい余暇時代の観光レ ■第1回観光立県推進地方会議
1989 H元 クリエーションに関する調
査」
行政機関の休日に関する法律(週休
2日)(4.1)
「海外大都市における観光
1990 H2 事業の先進事例調査」
消費税実施
中国、天安門事件
ベルリンの壁崩壊
イラク軍クエート侵攻
東西ドイツ統一
第10次:新しい余暇時代 ■運輸省、「観光交流拡大計画(Two Way
の観光行政のあり方につい Tourism 21)」策定
て
1991 H3 「東京都観光レクリエー
ション地域特性等に関する
調査」
1992 H4
1993 H5
■観光事業振興助成交付金制度実施
■農林水産省、グリーン・ツーリズム研究会設置
■建設省、「道の駅」登録・案内制度創設
第11次:東京都における ■国際会議観光都市の認定(40都市)
観光レクリエーション情報
1994 H6
の提供のあり方について
1995 H7
(6.2)答申「今後の観光政策の基本的な方向につ
いて」
1996 H8
■運輸省、「ウェルカムプラン21(訪日観光交
流倍増計画)」策定
第12次:東京の都市観光 ■運輸省、緊急経済対策を受け「観光地づくり
1997 H9 の方向 都の役割について 推進モデル事業」実施
国際会議等の誘致の促進および開催
に円滑化等による国際観光の振興に
関する法律(コンベンション法)
EC統合市場(12カ国)
発足
UNWTO『OSAKA観光宣
言』採択
UNWTOアジア太平洋事
務所、大阪に開設
外国人観光旅客の来訪地域の多様化
の促進による国際観光の振興に関す
る法律(外客誘致法)(6.18)
第13次:東京の観光魅力 ■「外客来訪促進計画」初の運輸大臣同意(3
の形成と活用の具体策につ 地域)
1998 H10 いて
■第1回「広域連携観光振興会議(東北
WAC21)」開催
第18回冬季オリンピッ
ク・長野大会(2.7-22)
WTO神戸会議開催
(11.25)
→答申「千客万来の交流都
1999 H11 市東京」に向けた、4つの
基本方針を示す
EC,単一通貨ユーロ導
入
国際観光振興会北京事
務所開設(1.19)
2000 H12
(12.1)答申「21世紀初頭における観光振興方策
について」
■「新ウェルカムプラン21」
■観光産業振興フォーラム: 民間中心で、大き
な国民運動として観光を盛り上げる趣旨
■:実施された内容を示す
― 71 ―
高齢者,身体障害者等の公共交通機
関を利用した移動の円滑化の促進に
関する法律(交通バリアフリー法)
(11.15)
沖縄サミット(7.2123)
中国人訪日団体観光団
体旅行受入合意(9月
解禁)
ベンション・シティ指定などの国際観光振興施策も進められていた。1990年代に入ると、コ
ンベンション法(1994年)、外客誘致法(1997年)が制定され、1996(平成8)年に外国人
旅行者の倍増を目標とする「ウェルカムプラン21(訪日観光交流倍増計画)
」を策定し、よ
り国際観光振興への比重が増した。その間、東京都は「海外大都市における観光事業の先進
事例調査」(1990年)を実施するなど、都民のための観光レクリエーション施策を中心に据
えながら、第12次東京都観光事業審議会(1997年)は、都市観光に関する都の役割につい
て、また、第13次同審議会(1998年諮問、1999年答申)は、都民の目線のみならず、来訪者
の目線を意識した東京の観光魅力の形成や活用策について、その検討結果を答申するなど、
徐々に21世紀における将来の東京の観光について広くとらえる方向へと向かった。
(5)第5期:産業労働局時代(2001年-2010年現在)
21世紀に入り、新たに産業労働局の所管となった都の観光行政は大きな変革を迎えた。
2001年に策定された「観光産業振興プラン─千客万来の世界都市・東京をめざして─」のな
かでは、都の観光行政について次のように述べ、観光政策転換の理由を説明している。
「東
京都も、観光を都民のレクリエーションとして捉えるだけで、国内外から旅行者を誘致する
視点が欠けていた。
」そして、東京の訪問率が低下してきている原因として、
「国や東京都が
時代の変化を認識せず、観光を産業として位置づけた政策を打ち出してこなかったことにあ
る。現状を打破していくには、出かけるだけの観光から、受け入れるために何をなすべきか
という発想にたって政策を転換していかなければならない」と転換の必要性を説明している。
東京への来訪者誘致により観光産業を振興する方針への提言は、第13次東京都観光事業審議
会答申で初めて示され、その実施計画である「観光産業振興プラン」は、産業労働局への所
管の移動後の2001年11月に策定された。図2は、2001年以降の東京都の観光政策の取り組み
分野を示している。2001年時点で施行されていた外客誘致に関する法律は、1997年の来訪地
域の多様化を目指した外客誘致法で、東京や国際観光地としてすでに外客の訪問地となって
いる地域は対象ではなく49、東京も対象とした新たな外客誘致法は2005年の法律改正まで存
在しなかったことを考えると、来訪者のデスティネーションとして東京をとらえて策定され
た「観光産業振興プラン」は国の取り組みを先取りし、独自の観光政策を示したものと位置
づけられる。
このなかで、東京の魅力の発信については、東アジアからの旅行者誘致に向けて観光情報
を積極的に発信し、ビッグイベントと連携した東京の魅力発信の取り組みでは、東京マラソ
ンを2007年に開始したほか、首都東京の産業の魅力を旅行者へアピールするため、アニメ産
業が集積する東京として東京国際アニメフェアの開催、東京国際映画祭の開催などの振興策
を講じている。また、観光資源の開発については、船で結ぶ水辺の観光ルートを開発し周遊
性を向上させる取り組みを始めている。
― 72 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
表8 東京都と国の観光の取り組み(第5期)
年
国の交通政策審議会観光分科会(2001年~)
東京都の観光事業審議会
法律
ほか
「観光産業振興プラン」
米国で同時多発テロ
UNTWO総会(日韓共同開
■国交省「家族旅行振興のための国内宿泊
商品実態調査」報告書
■国交省、滞在型観光交流空間づくりモデ
ル事業実施
2001 H13
宿泊税開始
■国交省、「グローバル観光戦略」発表
2002 H14
催)
(社)日本ツーリズム産業
団体連合会設立
独立行政法人国際観光振興機構法 EU12カ国,ユーロ流通開
始
FIFAワールドカップ韓国
/日本開催
国際観光ホテル整備法の改正
■ビジット・ジャパン・キャンペーン
■観光立国懇談会、4回開催→報告書を提 改正・外客誘致法
出
■観光立国関係閣僚会議、「観光立国行動
計画」決定
■初の観光立国担当大臣設置
2003 H15
2004 H16
■東京、大阪,名古屋等で、路線名・駅名 景観法
のナンバリング
■観光立国推進戦略会議の開催
2005 H17
■観光ルネサンス事業(ハード・ソフトに
使える補助制度)創設
駅ナンバリング開始
第16次:「東京の水辺空間の魅力向
上に関する全体構想」中間のまとめに
2006 H18 ついて/「東京都観光産業振興プラ
ン」の進捗状況等について
「観光立国推進基本法」成立
バリアフリー新法
東京都観光産業振興プラン ~活力と ■国土交通省「宿泊旅行統計調査」開始
2007 H19 風格のある世界都市・東京をめざして
~
■観光庁、発足
「東京都外客来訪促進計画」
2008 H20 第17次:「東京都観光産業振興プラ
ン」の進捗状況等について
「観光立国推進基本法」施行
改正・外客誘致法(外客旅行容易
化法)
2009 H21
第18次:「東京都観光産業振興プラ
2010 H22 ン」の進捗状況等について
■:実施された内容を示す ■:実施された内容を示す
図2 東京都観光産業振興施策の取り組み分野
出典:東京都:観光産業振興プラン(2001年)
8
― 73 ―
主な出来事
SARS(重症急性呼吸器症
候群)の流行で広東・香
港への渡航延期勧告
(6)考察
これまで、戦後の東京都の観光行政についてみてきたが、主な着眼点として、①行政サー
ビスで意図する対象、マーケット、②実施された観光施策、以上の2つがどう推移してきた
か、さらにこれらを総括しながら5つの時代区分との関連性とその影響要因がどのようなも
のであったか、以上2点を設定していた。
まず、第1期(オリンピック大会以前)は、観光行政の草創期であり、試行錯誤を重ねな
がら、総務部、建設局、外事部と所管が変わりながら取り組んできた時期といえる、その中
で戦後の復興を意図した外貨獲得の観点から、特に北米マーケットを重点対象とした外客が
主な対象で、国の観光行政とも整合していると考えられる、また、施策内容についてみると、
外客誘致のための情報提供・発信だけでなく、宿泊施設の整備、奥多摩湖周辺の開発などの
ハード整備、国立公園指定に向けた各種運動、通訳案内業務に関する業務統括など多岐にわ
たっていることがわかる。戦後間もなく民間資本が十分でない中、行政が中心となって、ソ
フト、ハードの両面から観光環境の整備をはかるとともに、主として都民を対象として観光
を単なる遊び、娯楽としてとらえるだけでなく、社会経済的な効果や個々人の保養休養など
の効果が考えられるため、観光の機能を十分啓発するために「観光理念の普及」につとめて
いることも特徴といえる。
これに対して、第2期(オリンピック東京大会準備期間)では、オリンピック開催のため
に、東龍太郎知事、鈴木俊一副知事の主導のもと、外客を対象とした観光施策として観光案
内所の開設、宿泊施設整備などの事業が実施されている。この時期は、オリンピック開催と
いう明確な目標が存在していたため、外客を主な対象としながら、様々な競技施設の整備、
オリンピック村などの選手宿泊施設といった大会運営に直接必要な施設とともに、新幹線、
首都高速道路、環状7号などの整備並びに明治通りなどの通称設定など、インフラ整備に多
額の予算が国、都レベルで投入されたといえる。
それに続く第3期は、総務局が所管していた時期に相当するが、様々な関連分野を横断的
にマネージメントしていたと考えることができる。高度経済成長により所得の増大とモータ
リゼーションの発達によってマスツーリズムが成立してきた時期といえる、そのため、外客
よりも都民に対する行政サービスとしての比重が増大したといえる。それと同時に、環境を
はじめとする社会的歪みが顕在化しつつあり、それに対して美濃部知事は老人医療の無料化
などの福祉面、東京都環境科学研究所設置などの環境面を重視していたと考えられる。総合
的には、施策自体はソフトに加え、ハードもある程度行われていたといえる。
それに対して第4期(生活文化局時代)は、特に前半においてソフト的施策に重点が置か
れている。これは、観光は「人的、人文的、自然的、文化的背景など地域の生活・文化を総
合化したもの」との認識によるものであったと考えることができる。つまり、これまでの総
務局等は、観光行政を振興する上での関係主体、手段に依存した所管の設定であったのに対
― 74 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
して、第4期では観光資源自体の起源を「生活文化」に求め、その所管が生活文化局に移管
されたと考えられないであろうか。また、この時期の知事は「マイタウン構想」を提唱する
鈴木俊一氏であるが、前知事によって生じた財政赤字による緊縮財政であったため、積極的
な投資が困難であったとも推察できる。また、全国的には土光敏夫氏をはじめとする第2次
臨時行政調査会、国鉄・電電公社の民営化など行政の役割が縮小傾向を潮流であったことも
考慮する必要がある。
一方、後期においては、新宿への都庁移転、東京国際フォーラム、江戸東京博物館、東京
ビックサイトの建設など、観光と密接に関わった施設の建設が行われ、バブル景気、並びに
その崩壊に対する底入れという観点から、整備が進んだ時期と考えることができる。なお、
これらの動きとは別に島嶼部の開発等は、その振興として継続的に施策が行われてきたとい
える。副知事時代に東京オリンピックを経験した鈴木俊一氏が都知事となり、都市外交を目
的とした都市博を企画、推進したが、これは、同氏が特定イベント開催へ高い意向を持って
いたことを示している。
さらに、現在まで継続する第5期については、所管が産業労働局にうつり、都民へのサー
ビスに加え、来訪者による消費等による経済的な効果を期待する「産業」として、
「観光」
のポジショニングが転じた時期と考えられ、これについては石原知事による考えが大きいと
いえる。石原都知事はオリンピック東京誘致の推進という特定イベントの開催に向け取り組
んだが、これは前述の鈴木都知事の路線を引き継いたとものと考えられる。また、当期は銀
座、浅草、皇居、上野などの伝統的な観光スポットに加え、秋葉原、新宿、渋谷といった異
なる側面を有する資源を活用した来訪形態が多くなる中、それらを活用した取り組みが特徴
と考えられる。これらは、低成長が続く社会情勢の中で、労働集約的な観光産業が失業対策
の1つとして位置づけすることができること、外貨獲得によって経済効果の純増が可能なこ
と、中国を中心として富裕層の来日が増加していることによって大きな経済効果が期待でき
ること、などが考えられる。
以上から、東京都における観光行政は、①対象が当初の外客から、第3期、第4期に都民
に移行した後、第5期から外客に移り変わる変遷を示していること、②サービス内容として
は、オリンピック等もあり第1期、第2期にはハード整備が多く見られたものの、近年は減
少傾向を示すことや初期の段階では観光理念の普及が見られたこと、以上が明らかとなった。
このような変遷が生ずる理由として、オリンピックなどのイベントに加え、所得水準、マイ
カーの普及などの観光を取り巻く環境の変化である社会経済環境とともに、当時の知事の考
え方、他の行政分野とのバランス、財務状況などの内部要因が密接に関わっていると考えら
れた。
― 75 ―
4章 東京都の観光行政の予算の推移
前章で確認した東京都の観光政策の変遷を、本章では予算の推移に着目して検証する。
4-1節では、東京都の観光政策の変遷をおよそ10年毎の間隔による予算規模及び内容別予算
割合の推移により長期トレンドを概観し、4-2節以降は、各年度予算データを得られた本研
究による時代区分の第2期から第5期を対象として、当該期のなかでそれぞれどのような予
算の推移がみられたか着目し、3章でみた観光政策の変遷を予算データにより検証する。
4-1 東京都の観光行政予算の長期トレンド
はじめに、長期トレンドを概観するため、10年毎の予算に着目する。第1期(1947(昭和
22)年~1958(昭和33)年)のなかで予算データが入手可能であったのは、1955(昭和30)
年のみであった。そこで1955年から10年毎合計7期の推移を図3に示した。なお、近年につ
いては直近の2010年のデータも加えて示した。
図3は、東京都の普通会計歳出(A)、東京都観光行政歳出(B)
、および普通会計に占め
る観光行政歳出の割合(B/A)を示している。この中で観光行政歳出は、観光所管組織の予
算を一般会計予算説明書に基づき算出している。普通会計歳出の増加にともない、観光行政
の予算規模の増加が確認できる。10年毎の傾向から普通会計に占める観光行政歳出の割合の
高い時代に着目すると、1965(昭和40年)の第18回オリンピック東京大会準備期間を通した
観光行政歳出の拡大時期に0.015%を初めて超え、その後縮小するが、バブル経済を通して観
光行政歳出も膨らみ、普通会計歳出に占める割合は0.02%を超えた。21世紀に入り観光産業
振興策が展開されるなかで、観光行政歳出が占める割合は高まり、0.025%超を占めるよう
になった。では、これらの使途はどのようになっていたのであろうか。
図4では、観光行政の項目別予算の推移を、図5は項目別構成割合を示している。導出に
あたっては、予算配分の推移を確認するため、各時代の予算の項目立てについて次の手続き
を行った。一般会計予算説明書に観光所管組織(観光課、観光レクリエーション課、観光
部)による観光行政の年度毎の予算合計及びその項目別内訳が記載されているが、各時代で
予算の項目立てが異なる際は、まず以下に示す2010年の予算の4つの項目立てを基本とし
て、内容から該当すると考えられる項目に振り分けた。
1.推進体制の構築:行政と民間の連携促進、観光事業の企画調整、振興育成、観光団体
への助成を含む
2.観光資源の開発:都市型観光、臨海地域の観光、産業を基軸とした観光の創出等
3.受入体制の整備:交通アクセスの整備、多言語表示等による旅行環境の容易化、観光
案内所・受入サービスの充実等
4.海外宣伝: 情報の発信、コンベンション誘致、シティーセールス等
次に、この4つの項目に該当しない予算項目は、その内容から別途、ユースホステルの運
― 76 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
営、観光事業補助(島しょ地域)
、観光事業振興助成交付金関連支出の3項目を設け、計7
項目の推移を把握した。
長期トレンドとして、図4に示すように、第1期~第3期(総務局時代)は、1億円以下
であったが、第4期(生活文化局時代)の前半の1985(昭和60)年頃に著しく増加し6億円
を超え、20年後2005年には3倍の18億円を超える規模となった。その間、1995(平成7)年
にはすでに予算規模の点では、近年の総額に近い規模となっているが、予算配分に着目する
と、近年とはその内訳の内容が異なっていたことがわかる。なお、図5中では、財源が異な
るため、1995年の観光事業振興助成交付金関連支出を除外し示している。項目の増減に着目
すると、観光行政の草創期には3項目であったのが、次第に、ユースホステルの運営など、
具体的事業の拡大、定常化、また新たな観光予算の交付金(財源)制度の創設に伴い項目が
増加していることがわかる。
観光行政の草創期の1955年は、全体で765万円という限られた予算のなかで、観光客誘致
宣伝活動に最も高い予算配分がされていた。大きなトレンドとして、国際観光振興に注視し
ている時代(1955年、1965年、2005年、2010年)には、受入体制の整備や海外宣伝の予算配
分割合が高いことがわかる。
本節で把握した観光政策の長期トレンドをふまえて、次節から予算の年次推移をもとに観
光政策の変遷の検証をおこなう。
(百万円 )
10,000,000
0.035%
普通会計歳出(左目盛)
0.030%
1,000,000
100,000
観光行政歳出の占める割合(右目盛)
(A)
(B/A)
0.025%
0.020%
10,000
0.015%
1,000
観光行政歳出(左目盛)
0.010%
100
0.005%
(B)
普通会計歳出(A)
0.000%
観光行政歳出(B)
観光行政歳出の占める割合(B/A)
10
1
平成22年
平成17年
平成7年
昭和60年
昭和50年
昭和40年
昭和30年
-0.005%
図3 東京都普通会計歳出(A)
、観光行政歳出(B)及びその割合(B/A)
文献50、51より筆者作成
― 77 ―
1955年
1965年
1975年
1985年
1995年
2005年
2010年
0
200,000
400,000
600,000
800,000
1,000,000
1,200,000
1,400,000
1,600,000
1,800,000
2,000,000
推進体制の構築(観光事業の企画調整等)
観光資源の開発
受入体制の整備
海外宣伝
ユースホステルの運営
観光事業補助(島しょ地域)
(千円)
観光事業振興助成交付金関連支出
図4 東京都観光行政の予算推移
文献52により筆者作成
図5 観光行政の項目別予算割合の推移
文献52により筆者作成
4-2 オリンピック準備期間(第2期:1959(昭和34)
-1964(昭和39)年)
)
第2期は前章で既出の通り、オリンピック東京大会の成功を目標として外国人来訪者の受
け入れ体制整備に力が入れられた。観光行政の予算規模(図6)をみると、大会2年前の
1962(昭和37)年が約5,300万円だったのに対し、大会1年前の1963(昭和38)年には、前
年比6倍の約3億1,600万円に増加していた。同年、最も予算配分が高かかったのは観光施
設の整備で、そのなかで「旅館客室改造資金融資」で全体の観光行政予算の63.4%を占めた。
― 78 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
当時は、1961(昭和36)年にパレスホテル、1962(昭和37)年にホテルオークラ、1963(昭
和38)年に東京ヒルトンホテル、そして開催年の1964(昭和39)年にはホテル高輪、東京プ
リンスホテル、ホテルニューオータニが開業したが、それでもなお宿泊施設の不足が懸念さ
れていた状況であったため、東京都は既存の日本旅館に外国人が宿泊できるように客室を改
造する費用の融資によって宿泊施設を確保する施策を講じた。当時、宿泊施設が受け入れ体
制の整備に喫緊の課題となり取り組まれたことが予算上からも確認された。
1960年
1961年
1962年
1963年
1964年
0
50,000
100,000
150,000
200,000
250,000
300,000
350,000
(千円)
観光事業企画調査,観光レクリエーション啓発等
観光客の誘致宣伝接遇
観光案内所の運営
観光施設の整備
観光事業の振興育成
ユースホステル
図6 オリンピック準備期間の観光予算推移(1960年~1964年)注)1959年はデータ欠損
文献25、52より筆者作成
4-3 オリンピック東京大会後の総務局時代(第3期:
(1965(昭和40)年-1980(昭和55)年)
)
第3期の初年1965(昭和40)年は、10年前の1955年の約8.4倍である6,469万円に増大し、
施設整備およびユースホステル運営整備に約38%、海外博参加等に対する補助並びに分担金
に22%配分され、都民のレクリエーション施設整備及び国際観光誘致にそれぞれ予算を取っ
ていた。1966(昭和41)年から観光事業の振興育成の予算が増加した(図7)
。これは、主
に三多摩地域、島しょ地域の観光振興を目的とした予算である。その翌年の1967(昭和42)
年にはさらに「島しょ地域の宿泊施設整備費補助」に4年間予算が組まれ、小笠原、新島、
神津島にそれぞれ宿泊施設が建設された。また、この時代の顕著な取り組みとして、1973
(昭和48)年に島しょ地域の観光レクリエーション施設整備に約1億1,200万円という多額の
予算をつけ、ハード面の整備が重点施策として取り組まれたことが確認できる。また、1975
年は予算が10年前の65年の1.8倍の1億1,900万円となり、ユースホステル運営整備と観光事
業の振興育成に予算の75.2%が配分されており、前章で把握した都民対象の観光レクリエー
ション施策に対する比重の高さが予算配分からも確認できる。
4-4 生活文化局時代(第4期:
(1981(昭和56)年-2000(平成12)年)
)
第4期の予算規模の推移(図8)をみると、1984(昭和59)年に前年比の2倍近くに増額
されているが、これは、それまでの市谷ユースホステルを東京都飯田橋庁舎18階及び19階に
移転し、東京国際ユースホステルを開所した経費が計上されたためである。4-1節で既出の
― 79 ―
1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
0
20,000
40,000
60,000
80,000
100,000
120,000
140,000
160,000
180,000
観光事業企画調査,観光レクリエーション啓発等
観光客の誘致宣伝接遇
観光案内所の運営
観光施設の整備
観光事業の振興育成
ユースホステル
200,000
220,000
(千円)
図7 オリンピック東京大会後の総務局時代の観光予算推移(1965年~1980年)
文献25、52により筆者作成
通り、第4期の1995年時と現在の第5期の2010年の予算規模を比較すると、共に15億円を超
えているが、その予算内容は異なっていた。当期の特徴として観光事業助成交付金という制
度の存在が挙げられる。これは自治事務次官通達により、1992(平成4)から1999(平成
11)年度まで特別地方消費税収額の2%相当が都道府県を単位とする観光協会・連盟に交付
された交付金制度であった。東京都では開始年1992年当初は8.8億円を最高額に、終了年
1999年4.9億円まで漸次低減しながらも交付されていた。この時代の予算配分として大きな
割合を占めるため、その使途について確認しておくと、地方事業として東京都観光連盟への
補助に60%、中央事業として日本観光協会への出捐金として40%が振り分けられていた。東
京都観光連盟は、この資金を用いて、日本観光協会との協同事業で国際観光交流の振興、観
光地活性化支援事業、そして成田空港に国際観光インフォメーション・センターの設置・運
営などの国際化対応事業、外食産業助成、調査研究、そして観光センター設置準備のための
基金造成(約3.5億円)を実施した。また、同じく第4期でも前半の1985(昭和60)年まで
は、観光行政の予算全体にユースホステル運営費が50%以上を占めており、青少年への健全
な観光レクリエーションの場の提供に注力していたという特徴が予算配分からも確認するこ
とができる。当期のその他の特徴的な取り組みとして、1983(昭和58)年度に開始された
「歴史と文化の散歩道」事業が挙げられる。この事業は「東京に残されている歴史的・文化
的遺産を系統的に結んだ散歩道を設定・整備し、これを都民が散策することにより、東京の
歴史と文化に触れ、東京の町を知り再発見することにより「ふるさと東京」の意識の高揚を
― 80 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
図る27」ことを目的としていた。本事業に関する案内板・標識設置の経費は、建設局、港湾
局負担及び都から地元区市への全額補助、そして環境整備の経費は、同様に建設局、港湾局
負担及び都から地元区市への半額の補助金交付の執行形態で賄われた。補助金交付以外で
は、観光レクリエーション課はパンフレット・マップの作成を行った。予算総額では1985
(昭和60)年から1995(平成7)年までの11年間に渡り、毎年1億1,600万円~3億7,200万円
の範囲で執行された。また、当期のもうひとつの特徴として、第3期に続いてユースホステ
ルの運営費に対して、予算総額のなかで高い割合を占める予算配分(平均約48%)が行われ
ていた点も挙げられる。1998年に予算が削減されているが、これは東京都高尾ユースホステ
ルが1997年3月に廃止されたためである。
さらに、1989(平成元)年度から1999(平成11)年度まで観光施設整備事業補助を行っ
た。これは、西多摩地域及び島しょ地域における広域的・有機的な観光施設の整備に資する
ため、都が建設する大規模観光拠点施設等と有機的に関連する観光施設等を、同地域内の市
町村が整備する場合、それに要する経費の一部を補助する事業であった。また、来訪者を迎
える観光への取り組みと考えられる都市観光支援事業(’96, ’99, ’00)
, コンベンションの誘
致・振興支援(’97, ’98)に当期終わりの5年間に渡って新たに取り組まれた。
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
0
200,000
400,000
600,000
800,000
1,000,000
1,200,000
1,400,000
1,600,000
1,800,000
2,000,000
(千円)
観光事業の企画調整等
振興育成
歴史と文化の散歩道
観光施設整備事業補助(1989-1999)
多摩・島しょ地域観光活性化事業補助('00)
都市観光支援事業('96,'99,'00), コンベンションの誘致・振興支援('97,'98)
観光事業振興助成交付金(1992年~1999年)
ユース・ホステルの管理運営
図8 生活文化局時代の観光予算推移(1981年~2000年)
文献52により筆者作成
― 81 ―
4-5 産業労働局時代(第5期:
(2001(平成13)年-2010(平成22)年現在)
)
第5期は、リーマンショックに端を発する景気低迷により2009(平成21)年に前年から1
兆円規模の大幅な都税収入の減少をみるなか、観光行政予算は2010(平成22)年に前年比
19.3%の減少にとどめている。内部要因として税収減少という条件のなかにあって、競争が
激化する国際観光市場という外部要因のなかで、観光産業振興を都の重要施策として推進す
る姿勢を示すものと考えられる。当期における顕著な予算の増減(図9)に着目すると、東
京の魅力の発信は2008年度に前年比27.1%増の9.23億円となり、受入体制の整備では、2009
年度に前年比50%増の11億円へと拡大している。また、本章冒頭で既出の通り、本期には、
唯一残っていた東京国際ユース・ホステルの運営を2005(平成17)年12月に民間業者への貸
付が決まり民営化されたため、2006年以降の予算に含まれなくなった。当期は、東京の魅力
を世界に発信するための情報発信、誘致活動に対して予算全体の約40%を配分しており、国
際観光市場のなかで東京を位置づけ、プロモーション活動を重視する取り組みが予算配分か
ら確認できる。来訪者誘致による観光産業の振興という目的に沿った予算配分が2006年から
整ったと考えられる。
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
0
500,000
1,000,000
1,500,000
2,000,000
東京の魅力を世界に発信
観光資源の開発
推進体制の構築
ユース・ホステルの運営
2,500,000
受入体制の整備
3,000,000
(千円)
図9 産業労働局観光部の観光予算推移(2002年~2010年)
文献52により筆者作成
4-6 まとめ
本章では、はじめに10年間隔の観光行政の予算推移の長期トレンドを把握し、次に第2期
(オリンピック準備期間)から第5期(産業労働局時代)については、各期の予算配分の推
― 82 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
移をもとに観光政策の変遷を検証した。これより、次のことが明らかになった。
1955年(第1期)時点では、限られた予算のなかで海外宣伝(観光客誘致宣伝費)
、受け
入れ体制の整備(観光案内所運営費:羽田および東京駅付近)の二つが観光行政予算をそれ
ぞれおよそ3分の1ずつ占めていた。大きな資本投資が困難な中で外貨獲得が期待されてい
た観光行政がはじめに取り組んだ施策であり、来訪促進と来訪後の利便性向上に対してほぼ
等分に予算を使っていた。第2期は、初の大規模国際イベントであるオリンピック東京大会
を契機として、国際観光の受入体制整備が進んだが、なかでも宿泊施設整備に観光行政とし
て多額の資金を投入していた。この時代に国の方針で整備されたユースホステルは、第3期
(総務局時代)
、第4期(生活文化局時代)を通して、大きな予算配分の位置を占めたが、時
代とともに低廉宿泊施設を運営する自治体の役目の終わりを迎え、高尾は1997年に閉鎖、
2006年に東京国際ユース・ホステルが民営化されるに至っていた。第4期の生活文化局時代
は、三多摩・島しょ地域のみならず、都市観光も視野に入れ観光資源を創出する「歴史と文
化の散歩道」事業に取り組まれ、都民のレクリエーションの活性化に予算がさらに配分され
た。現在に至る第5期は、観光産業振興を目的として、予算総額の増加、海外宣伝、受入体
制整備に対する予算配分の割合が顕著に高まっていたことが確認された。
5章 結論
本研究では、東京都の観光政策の変遷を明らかにするために二つの目的を設定し文献調査
による分析を行った。
まず、東京都の観光政策の変遷と国の観光政策の比較により政策の連動や役割分担、政策
に影響を与える外部要因、内部要因を明らかにするという1点目の目的に対しては、東京都
の観光政策の変遷をその所管組織の変化に着目し、5期に区分し分析を行ったところ、政策
の変遷を明確に把握することができた。次に、上記で把握した東京都の観光政策の変遷を予
算データの推移により確認することを2点目の目的として検証を行った。その結果、次のこ
とが明らかになった。
第1期(1947(昭和22年)年~1958(昭和33)年は、所管部署の変更が頻繁で東京都観光
行政の草創期であり、この時代は外部要因として、戦後の経済復興の手段として観光が位置
づけられ、東京都は国の観光政策と連動する形で、外貨獲得に資する国際観光振興を図っ
た。予算が限られたこの時代は観光客誘致宣伝活動、受入体制の整備、観光事業の企画調整
(推進)にほぼ等分に予算配分された。
第2期(1959(昭和34)年~1964(昭和39)年)は、第18回オリンピック大会の東京招致
決定により観光行政の所管がオリンピック準備局となった時代で、それまで1億円に達して
いなかった観光行政予算が開催前年に3億円規模へ増大した。アジア初の大規模な国際イベ
― 83 ―
ントの開催都市として、受入体制整備のため観光施設、特に宿泊施設の整備に予算が投下さ
れた。
第3期(1965年(昭和40)年~1980(昭和55年)総務局所管の時代は、これまでの時代と
大きく観光政策の重点がシフトした。戦後の経済政策の目標であった国際収支の均衡が達成
されるなか、高度経済成長による国民の所得・余暇時間の増大という外部要因により、東京
都の観光行政の主眼は、内外の観光客の受け入れから、都民の観光レクリエーションを対象
とした政策へと転換した。この時代は、国の観光政策の主眼も同様に国民の観光レクリエー
ション重視へと転換しており、都は国と連動する形で地方自治体としての役割を担ったもの
と考えられる。島しょ地域の観光レクリエーション施設整備やユースホステルの運営に対し
て予算配分が高い時代であったが、これは以上の外部要因と共に、美濃部知事の都民の福祉
を重視する方針も内部要因として作用したと考えられる。
続く第4期(1981(昭和56)年~2000(平成12)年)は、所管が生活文化局へ移った時代
であった。前期同様の都民の観光レクリエーション活動の支援という東京都の観光行政の位
置づけを所管組織名が説明しているように、観光は生活文化の一部であるという視点から、
観光レクリエーション行政が強化された時代であった。これまでの島しょ地域や三多摩地域
の観光施設整備に加えて、市街地も含めた観光ルート、観光資源の整備に取り組まれた。こ
の時代に観光行政予算は1984年に6億円超となり、以降も同水準の規模で推移後、新たな財
源による交付金制度の開始により、18億円を超す規模した1992年を頂点とした予算の推移を
辿った。また、1990年代に入り、東京都では、海外都市の観光政策に関する調査を実施し、
都民のみならず、来訪者を受け入れていくための観光政策について検討を始めた。90年代後
半には、国も「ウェルカムプラン21」策定、外客誘致法制定など、国際観光振興に目を向け
始めていた時代であった。海外都市の観光への取り組みに対する調査などは、都が独自に着
手しており、バブル経済の崩壊による都税の減収や少子高齢化といった社会状況、国際観光
市場の競争の激化といった外部環境を意識しつつも、行政の役割が縮小していた時代の潮流
から観光行政の位置づけ、役割に対して大きな変革を実行するには至らなかった。都財政再
建を目標に掲げた鈴木都政の方針といった内部要因の影響も考えられる。
現在に至る第5期(2001(平成13)年~2010(平成22)年現在)は、国の観光立国への取
り組みと連動しながらも、東京都独自の観光産業振興策が展開され始めた時代と考えられる。
所管は生活文化局から産業労働局へ移し、世界の観光市場のなかで東京を売り出し、国内外
の観光客を誘致して東京の観光産業を振興させる政策を展開している。産業労働局観光部の
予算総額は初めて25億円を超える規模となり、海外宣伝や受入体制の整備に予算が重点的に
配分されるようになった。
以上から、東京都の観光行政は、その時代の社会経済環境、世論といった外部要因ととも
に、財政状況、知事をエンジンとする都政の方針といった内的要因と密接にかかわり、取り
― 84 ―
東京都の観光政策の変遷に関する研究
組まれていたと考えられる。その中では、
「観光」をどう位置づけるか、その考え方が根底
にあり、その活用指針を観光政策として記述しているといえる。
最後に、地方自治体が担う観光行政の今後について考察する。
戦後の東京都の観光政策は、日本における民間の資本力や投資環境の変化にともない、そ
の位置づけや観光行政の役割も変化した。すなわち、行政自らが観光施設整備に税金を投入
する必要性は低くなった一方、海外宣伝、シティー・セールスや環境整備等の外部性を有す
る事業はその供給量が過少になることから行政の果たす役割が大きい。また、様々なステイ
クホールダーを調整する調整役としての役割、モニタリング資料としてのデータ整備の機関
としての役割がより大きくなると考えられる。そのため、1.
「観光」の位置づけの明確化、
2.効率的に民間等の取り組みが機能する環境整備、3.観光行政のアウトカム評価、以上
の3点の重要性が今後一層増すと考えられる。
本研究では東京都を対象として、その観光政策の変遷を明らかにすることは達成できたも
のの、世界の諸都市の観光政策を対象とした分析の結果を、東京都と比較し今後の観光政策
の課題を抽出することなどが今後の課題として挙げられる。
謝辞
本論文の執筆にあたり、東洋大学国際地域学部太田勝敏教授、古屋秀樹教授から多くのご
指摘をいただきました。さらに、本稿を査読いただき、有益なご指摘を査読者よりいただき
ました。ここに記して深謝の意を表します。
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東京都生活文化局:事業概要、1981-2000(各年)
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東京都の観光政策の変遷に関する研究
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前掲9
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31
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32
東京都:昭和24年度都政概要、p. 57
33
前掲32、p. 192
34
東京都:昭和26年度都政概要、p. 150
35
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36
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37
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38
東京都:昭和29年度都政概要、p. 196
39
前掲38、p. 198
40
東京都:昭和31年度都政概要、p. 162
41
前掲40、p. 187
42
前掲25、p. 17
43
東京都総務局:当面における東京都観光事業の振興対策、1965.10
44
前掲43、p. 12
45
東京都:昭和40年度都政概要、p. 135
46
東京都:昭和40年度都政概要、p. 131
47
東京都観光事業審議会:現代の観光需要増大のなかで都民生活をより豊かにするための観
光レクリエーション行政のあり方について、第7次の2次諮問に対する答申「都民の憩い
の広場構想計画(案)
」
、p. 5
48
東京都観光事業審議会:自由時間の増大に伴う都民レクリエーション活動の充実化につい
て─観光レクリエーションの活性化方策─第8次答申、1983.11、p. 31
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A Study on the Transition of Tourism Policies of
Tokyo Metropolitan Government
NOSE, Motoko
Key Words:
tourism policy, Tokyo Metropolitan Government, local government, budget
Abstract:
The purpose of this study is to clarify the transition of tourism policies of Tokyo
Metropolitan Government(TMG)
. In order to determine the relationships and the roles
between the Tokyo Metropolitan Government and tourism policies, and the external and
internal factors which influence them, the transition of Tokyo’s policies was compared
with that of the central government by the document survey through the postwar period.
By the changes of the administrative structures which oversaw its tourism policies, five
periods were identified in its transition:
(1)Prior to the Preparation Bureau for the 18th
Olympic Games in Tokyo(1947-1958)
;
(2)Olympic Games Preparation Bureau(19591964);(3)General Affairs Bureau(1965-1980)
;
(4)Bureau of Citizens and Cultural
Affairs(1981-2000);(5)Bureau of Industrial and Labor Affairs(2001-2010)
.
Furthermore, the budget data of each fiscal year of the tourism administration was
collected to examine the transition of tourism policies.
In conclusion, the role and position of tourism policies of Tokyo have changed in
accordance with the influence of private capital and the investment environment in Japan
acting as external factors, and with the Metropolitan Government’s financial condition in
addition to the Governor’s policies as internal factors.
In the future, it is thought that the government will play a much bigger role in
influencing various stakeholders’ interest in the tourism industry, as well as in the
methods used which has social and economic benefits such as tourism advertisement, city
sales and the maintenance of the tourist market environment. Therefore, the following
three points would be increasingly highlighted as roles of local government:1. the
clarification of the positioning of‘tourism”in the context of social and economic
development, 2. the adaptation of the changing market environment to enable private
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東京都の観光政策の変遷に関する研究
sectors and other sectors to function efficiently and 3. the improvement of tourism policies
with the continuous evaluation of the outcomes of the tourism policies.
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