証券経済研究
第84号(2013 . 12)
満洲証券取引所の設立と日系証券業者の
満洲進出について
深
要
見
泰
孝
旨
本稿は,満洲証券取引所の設立目的を明らかにするとともに,それが果たされ
たのか。また,満洲山一証券を事例に,満洲に進出した日系証券業者の営業活動
を明らかにすることを課題とした。
満洲証券取引所は,東京株式取引所が主導して設立された取引所である。その
設立目的は,膨大な事業規模の満洲開発に伴う日本国内および満洲国内からの円
滑な資金供給にあった。しかし,満洲証券取引所への改組後,売買高は従前より
大幅に増加したが,それは日本国内で言えば,地方取引所の規模にとどまり,し
かも,そこでの取引は,日本株の取引が中心であったため,当初描かれた目的が
果たされたとは決して言えない。
他方,満洲に証券思想を普及,定着させるべく東株が満洲進出を慫慂した日系
証券業者の営業実態を見ると,取引所開設検討時から当分の間は売買が低調にな
ることが予想されていたこともあり,日本株の自己売買が収益基盤に据えられて
いた。また,取引ニーズの高かった日本株は,親会社や支店網を通じて幅広く取
引できるため,満洲の取引所を使う必要がなく,期待した日系証券業者からの注
文が伸び悩んだため,取引所の売買高が伸び悩む結果となったと結論づけた。
目
次
Ⅰ.はじめに
1.主たる取引仕法は何か
Ⅱ.東株による満洲での取引所新設の検討背景と検
2.地場銘柄の上場と売買高
討経過
3.現物取引振興策など
1.検討開始の背景と「五カ年計画」
Ⅳ.日系証券業者の満洲進出とその営業内容
2.制度研究会での検討内容
Ⅴ.むすびにかえて
Ⅲ.満洲証券取引所の営業実態
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
民地経営機関の側面も持ち合わせており,政府
Ⅰ.はじめに
の保護を受けつつ,満洲の経済的利権を独占し
てきた。ところが,満洲国の成立によって,満
本稿は,1939年2月,満洲取引所を改組して
洲の直接統治が可能となると,満洲経済に強い
設立された満洲証券取引所と,同時期に満洲に
影響力をもつ満鉄は,軍による満洲直接統治実
進出した日系証券業者を取り上げる。課題の設
施の障害となった。そこで,関東軍と陸軍は
定を行う前に,最初に「満洲国」(以下,満洲
1934年以降,在満機構改革や満鉄の組織改組を
国と表記)の産業開発の歴史について概観した
企図し,満鉄から付属事業を分離独立させ,満
上で,先行研究を整理し,課題を設定したい。
鉄の肥大化した権限縮小を図った2)。つまり,
日本は,満洲事変により満洲国という傀儡国
この過程で満洲の産業開発は満鉄中心から,満
家を成立させた。満洲国の産業開発は,南満洲
洲国政府の指導下での推進へと転換したので
鉄道(以下,満鉄と略記)が中心となって行わ
あった。
れた「第一期」と「満洲産業開発五カ年計画」
他方,
「第二期」の経済開発は,日満支財政
(以下,「五カ年計画」と略記)策定後,すなわ
経済研究会の作成案をベースにした「五カ年計
ち1937年以後の「第二期」に分けて考えること
画」を基に行われた。関東軍は満鉄に代わる
ができる。満洲国の産業開発の目的は,日満一
「五カ年計画」の中核的担い手として,内地の
体での重工業化の推進と日本からの農業移民を
企業家の進出を望んだ。この希望に応えたのが
通して,満洲国を重工業基地,農業生産基地と
鮎川義介であった。彼は自身の経営する日本産
することにあった。
業を満洲へ移転,満洲重工業開発に改組し,資
周知のとおり,「第一期」の経済政策は,関
源開発から自動車や航空機製造なども営む巨大
東軍から依頼を受けた,満鉄調査部を主体とす
国策会社を誕生させた3)。このように,満洲の
る経済調査会によって策定された「満洲国経済
経済開発は,
「第一期」は満鉄が,「第二期」は
建設綱要」が基盤となっている。この綱要の特
満洲重工業が遂行主体となって行われた。
徴は,重要産業部門に強い国家的統制を行うと
こうした産業開発の資金調達に関しては,原
ころにある。それゆえ,重要産業は特殊会社,
[1976]や安冨[1997],山本[2003]をはじめ
準特殊会社による一業一社を原則とし,これら
とする詳細な研究がある。これらの研究で言わ
へ独占的利益を付与して近代産業の定着と経済
れていることは,満洲の産業開発資金が日本の
発展の実現が目指された。
資本市場から満鉄や満洲重工業を通じたルー
「第一期」の経済開発は,「満洲国経済建設綱
ト,また,満洲国財政,満洲中央銀行および満
要」に基づいて,満鉄によって主導された。満
洲興業銀行を通じたルートによって供給されて
鉄は,日本国内から調達した資本を多くの主要
いたことである。他方,満洲国内の資本市場に
企業に出資し,満鉄コンツェルンを形成しつ
関しては,当時の満洲国内では証券思想の普及
1)
つ,満洲の経済開発を行っていった 。満洲国
が不十分であったことと,金融資産の蓄積が不
成立以前,満鉄は鉄道会社という一面をもつ一
十分なために,利用が限定的であったこともあ
方で,満洲を直接支配できない政府に代わる植
り,研究蓄積があまり進んでいない。私見の限
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証券経済研究
第84号(2013 . 12)
りでは,鈴木[2007]と小林[2007]にとどま
る。
鈴木[2007],小林[2007]では,次のよう
Ⅱ.東株による満洲での取引所新
設の検討背景と検討経過
な指摘がされている。すなわち,鈴木[2007]
では,満洲に設立された民営取引所およびその
小林[2007]によれば,東株に制度研究会が
周辺産業の通史から,複数存在した取引所が,
設置され,そこで満洲への取引所新設が検討さ
満洲取引所に収斂される過程を明らかにしてい
れていたことに触れている。まず,制度研究会
る。その上で,満洲証券取引所は,流通市場強
が設置された背景およびその検討経過を見てい
化を通じた証券市場の厚み拡大の必要性から,
き,満洲証券取引所の設立目的を明らかにした
日本の証券界の資金的援助によって設立され,
い。
取引所の業務拡張が,満洲の証券業者育成にも
連なったと評価している。
東株が,満洲での証券取引所設立を検討し始
めたのは,1937年11月のことであった。東株に
他方,小林[2007]では,外地および海外日
設置された証券取引研究会で,片岡辰次郎(東
系証券取引所を取り上げ,それらが設立された
株一般取引員組合委員長)が満洲での取引所設
背景とそれらを簡単に分析している。それによ
立を提起したことがその契機であった。それ以
ると,これらの設立には二度のブームがあり,
後,図表1に示すとおり,16回の研究会が開催
その一度目は国内の取引所設立抑制政策を背景
されている。なぜ,1937年の末に,片岡辰次郎
とする,第一次大戦中,後の好況期であり,二
は満洲での取引所設立を提起したのか。その背
度目は,国内が統制経済となる中,自由市場性
景には,「五カ年計画」が密接に関係していた
が残る外地への魅力が呼び覚まされた戦時体制
ものと推測される。
下であったと指摘する。そして,満洲に関して
は,東京株式取引所(以下,東株と略記)が関
1.検討開始の背景と「五カ年計画」
心をもち,満洲証券取引所制度研究会(以下,
「五カ年計画」は,日満支財政経済研究会に
制度研究会と略記)を設置して,満洲への取引
よって策定された「昭和十二年度以降五年間帝
所の新設を検討していたことを明らかにしてい
国歳入及歳出計画」の満洲部分を,関東軍に
る。
よって手直しされて策定されたものである。こ
このように,満洲国の資本市場に関する研究
の計画の狙いは,満洲国内での軍需を自給自足
は緒に就いたばかりと言えよう。そこで,満洲
するとともに,日本国内に不足する資源供給を
証券取引所がどのような目的で設立され,それ
可能にし,かつ将来の満洲の産業開発の基礎を
は果たされたのか。また,これまで明らかにさ
確立することにあった。具体的には,軍需産業
れていない,満洲証券取引所開設と同時期に満
の確立,鉱工業や電気といった基礎産業の発
洲へ進出した日系証券業者の営業活動について
展,中でも資源開発に重点が置かれていた。も
も,史料が発見できた満洲山一証券を事例に取
ちろん,軍需のみならず農畜産部門でも生産目
り上げて言及したい。
標が立てられ,それらの輸送を円滑にするため
に,交通部門での施設整備の実施を通じて,5
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
図表1
制度研究会開催日
開催回
開催日
開催回
開催日
第1回
1937年12月13日
第9回
1938年12月21日
第2回
1938年1月7日
第10回
1938年12月26日
第3回
1938年2月14日
第11回
1939年1月6日
第4回
1938年3月8日
第12回
1939年1月13日
第5回
1938年3月29日
第13回
1939年1月16日
第6回
1938年4月5日
第14回
1939年1月18日
第7回
1938年4月21日
第15回
1939年1月23日
第8回
1938年10月18日
第16回
1939年1月25日
〔出所〕 日本証券経済研究所[2007]966-971頁より作成
年後の軍事経済大国化が目指されていた。
したとおり,当初計画の25億円から49.5億円へ
その生産目標や所要資金は図表2に示したよ
と2倍近くに増額されていた。その額は満洲国
うに,先ほど述べた方針に従い,鉱工業の生産
政 府 の 1937 年 度 の 経 常 歳 入 額(2 億 5,181 億
拡大に重点が置かれていた。一方で,資金総額
円5))の約20倍に達していた。
は当初計画案時点で25億円に上り,計画綱要と
しかも,図表2によれば,その資金調達に関
なった時点では26億円とさらに膨らんだ。この
しては,満洲での現地調達額が19.1億円(総資
資金総額は,1936年度の満洲国政府の経常歳入
金額の38%)予定されており,その額は満洲国
4)
額が,2億2,372万円であったから ,その約
政府の経常歳入額のほぼ8年分に匹敵するもの
12倍に上る規模の計画であった。また,この計
であった。さらに,再修正計画では総額が11億
画は当時の日本の一般会計歳出規模(24億円)
円増額される一方で,満洲での調達額もそれと
をも上回るものであったため,日本国内でも大
ほぼ等しく増額されていた6)。この背景には,
蔵省を中心に強い懸念が出され,日本の閣議決
当時,日本国内では,産業資金需要と国債消化
定が得られない中での実施となった。
資金が競合を起こすなど,資本市場が逼迫して
ところが,北支事変の勃発とともに事態は一
いたことや,巨額の対満投資の受け入れはイン
変する。すなわち,日本からの軍需物資需要が
フレを生起させる要因となるため,産業開発資
急増し,むしろ,日本側主導で鉱工業生産目標
金の対日依存縮小と国内資金の動員が不可欠と
が大幅に引き上げられ,対日供給量の拡大も要
なっていたことがあろう。
請されるようになった。そして,「五カ年計画」
は,企画院が策定する物動計画の一環に位置付
2.制度研究会での検討内容
けられるとともに,「修正五カ年計画」へと大
「修正五カ年計画」が検討されていた頃,東
幅に拡大修正された。図表2からも,計画目標
株でも制度研究会が設置され,満洲での証券取
が大幅に引き上げられていることが理解できよ
引所設立計画が検討され始めた。この研究会
う。これに伴い,その所要資金額も図表2に示
は,満洲での取引所設立に向けた創立目論見書
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証券経済研究
図表2
<生産計画>
鉄鋼
部門
鉄鉱石
液化燃料
第一次「五カ年計画」の計画内容資金計画7)
単位
品目
第84号(2013 . 12)
当初計画目標
計画当初能力
修正計画目標
実績能力
鉄鋼
千トン
850
2,530
4,500
鋼塊
〃
580
1,850
3,160
580
鋼材
〃
400
1,500
1,200
675
特殊鋼
〃
−
−
100
−
鉄鉱石(貧鉱)
〃
769
1,590
2,990
2,590
鉄鉱石(富鉱)
〃
1,708
6,150
13,000
5,600
石炭
〃
11,700
27,160
31,110
28,300
石炭液化
〃
−
800
1,770
頁岩油
〃
145
800
650
製品重油
〃
66
431
750
1,740
揮発油
千竏
24
826
その他
千トン
−
−
77
トン
15,080
56,690
56,690
酒精
2,050
282
アルミニウム
〃
4,000
20,000
30,000
マグネシウム
〃
0
500
3,000
鉛
〃
1,220
12,400
29,000
亜鉛
〃
1,643
6,600
50,000
銅
〃
0
−
3,000
600
塩
〃
333,683
973,588
910,520
1,050,000
64,000
ソーダ灰
〃
12,000
72,000
72,000
化学肥料
〃
202,200
−
453,990
パルプ
千トン
70
120
400
金
千円
12,108
累計212,000
累計304,012
工作機械
台
−
−
5,000
4,000
50,000
差当 30,000
自動車
電力
〃
0
−
(推計過大)
131
〃
0
340
5,000
火力
kw
458,600
815,000
1,330,550
1,014,000
水力
〃
0
590,000
1,240,000
100,000
現在能力の約5倍
機関車
輌
−
客貨車
〃
−
トン
100
車輛
石綿
(新造
修理
(新造
修理
85)
1,664
170
2,150)
18,490
5,000
当初計画案
(1936.11作成)
<資金計画>(単位:百万円)
11,120
5,000
修正計画案
(1938初作成)
再修正計画案
(1938.7作成)
鉱工業部門所要資金総額
1,931
3,880
4,990
農畜産部門所要資金総額
120
640
640
交通通信部門所要資金総額
721
430
430
移民部門所要資金総額
274
合計
資金
調達
方面
別
1,000
電気鉛3,800
飛行機
兵器
部門
10,000
4,950
6,060
満洲現地調達
1,910
3,070
日本からの調達
2,310
1,660
740
1,330
4,950
6,060
第三国からの調達
合計
2,508
〔出所〕 満洲国史編纂刊行会編[1970]717頁,田代[2001]259頁より作成
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
の作成に関する事項が検討されており,東株内
所謂,統制経済乃至計画経済ヲ強行スル経
でこの問題に対し,どのような検討がされたの
済組織下ニ於テモ,産業資金ノ調達,特ニ
かが,その議事録から明らかとなる。そこで,
新興産業ノ開発助成ノ為ニハ一般企業心ヲ
この議事録を利用しつつ,満洲証券取引所の設
誘発シ,民間資本ノ放出ヲ絶対ニ必要ナリ
立目的は何か。そして,当初,取引所の新設が
トス。而シテ,統制経済乃至計画経済下ニ
目指されたものの,既存取引所の改組へとなぜ
於テモ,或程度ノ自由経済的ノ資本ノ活動
方針が転換されたのかについても検討しよう。
ヲ認容スルニ非サレハ・・・産業ノ発展ハ
前者については,この研究会の第1回議事録
到底之ヲ望ミ得サルヘシ・・・新興満洲国
や,1938年5月に作成された「新京株式取引所
ノ現在ニ於テハ,寧ロ一般企業心ヲ刺激
設立内伺書」の記述から明らかとなる。第1回
シ,死蔵セラレタル国内資本ヲ動員スルト
の研究会議事録には,次のような記述が見られ
共ニ,日本内地ノ資本ノ放出ヲモ容易ナラ
8)
るので,以下に引用したい 。
シムルコトノ必要緊急ナルモノアリト信
昭和十二年十一月四日,証券取引所研究
ス・・・然ルニ,現在満洲国ニ於テハ有力
会々長片岡辰次郎氏ノ提唱ニ依リ,満洲帝
ナル証券取引所ノ存在ヲ見ス,既存ノ一二
国新京ニ取引所ヲ新設シ,以テ同国ノ資源
ノ証券取引所ハ従来ノ経営宜シキヲ得サリ
ノ開発,産業ノ興隆ニ貢献スル為メ,其ノ
シ結果カ内容悪化シ,起死回生ノ途無キカ
運動ニ着手スルコトニ決定・・・昨八日ノ
或ハ単ナル地方的存在トシテ余喘ヲ保ツニ
証券取引研究会ニ於テ片岡会長ノ提案ニ基
過キス・・・寧ロ新ニ日満両国ノ有力ナル
キ,別に「満洲証券取引所制度研究会」ノ
関係業者ヲ糾合シテ,資本的ニモ又技術的
如キ専門ノ機関ヲ設ケ,此ノ運動ヲ促進ス
ニモ有力ナル証券取引所ヲ設立スルノ要ア
ルコト並ニ右研究会ノ会員ハ証券取引研究
リ・・・新ナル証券取引所ヲ設置スルコト
会々員ノ外,当市場ノ有力者数氏ノ参加ヲ
ハ,一二ノ既存取引所ノ将来ノ取扱如何ノ
求ムルコトヽシ,其ノ人選ハ片岡会長カ杉
問題ヲ生スルヤモ計ラレサル
野理事長ト協議決定スルコトニ申合セタ
この史料からも取引所を新設する目的は,満洲
この議事録から,以下3点が明らかとなる。1
国内および日本国内からの満洲の産業育成資金
点目は,取引所の設置場所を新京とすること。
の円滑な供給であったことが分かる。
そして,2点目として,満洲証券取引所設立の
ところが,実際に設立された取引所は,新設
目的が,満洲の資源開発,産業育成資金の供給
ではなく既存取引所(満洲取引所)を改組した
にあること。最後が,証券取引所研究会会員お
ものであり,その設置場所も新京ではなく奉天
よび東株の有力取引員から選ばれたメンバー
であった。こうした方針転換がなぜ行われたの
で,この問題が検討されていたことである9)。
だろうか。そこで,注目したいのが,図表1に
また,約5カ月間の検討を経て,「新京株式
記した制度研究会の開催日である。
取引所設立内伺書」が作成された。これでも設
この研究会は,1939年2月に満洲証券取引所
立目的が謳われているので,少し長いが,以下
への改組が決まる11)まで,合計16回開催されて
に引用したい10)。
いた。ただ,この研究会は定期的に開催された
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証券経済研究
第84号(2013 . 12)
わけではなく,しかも途中で半年間の中断を挟
京ニ新ニ取引所ヲ設立セス,現在ノ奉天取
んでいる。注目すべきは,中断前後の議事録を
引所ヲ買収シ,場合ニ依リテハ新京ニ移
見ると,議事内容に明らかな変化が生じていた
シ,奉天取引所ハ支店ト為ス如キ方法ニ依
ことである。中断前の議事は,新設取引所の組
ルヲ可ナリトノ意向ヲ有スルニ付,本研究
織形態や取扱商品,株式引受割合,取引所助成
会ノ方針ヲ右ノ如ク改ムルコトトシ,左ノ
会社の業務内容など,取引所の新設に関するも
通リ申合ヲ為ス
12)
のが審議されていた 。これに対し,中断後の
こうして,取引所の新設が満洲取引所の買収
それは,満洲取引所の買収方法,増資新株の割
へと方針転換され,制度研究会では以後,増資
り当てなど,既存取引所の買収が主たる議題と
方法やその株式の引受先16),経営指導を東株と
なっていた。一体,研究会の開催が中断された
満洲興業銀行が行うこと,取引方法などが議論
半年間に何が起きたのだろうか。
された。
東株は,取引所の新設を申請するにあたり,
このように,満洲での取引所の新設が検討さ
申請前の1938年3月,研究会の会員である南波
れた背景は,一方で「修正五カ年計画」に伴う
礼吉(東株理事),上田辰卯(東株取引員組合
現地調達資金の拡大に伴う,既存ルート以外の
委員長)らを,満洲国に派遣し,満洲国政府と
資金調達ルートの開拓が必要とされたこと。と
取引所新設に関する意見交換をしていた。会談
ころが,現地の既存取引所は長年経営不振が続
を受けて,満洲国政府も取引所の必要性を認め
き,資本市場を通じた資金供給が期待できな
て開設方針を決定するとともに,組織形態は満
かったこと。他方で,日本国内でも統制が強化
13)
洲国経済部が立案することとなった 。東株
され,新たな資金供給ルートの開拓という国家
は,満洲国当局の意向を確認した上で,第5回
的要請に応じることによる新たな収入源の確立
以降3回の研究会を開催し,「新京株式取引所
を見込み東株は満洲への取引所新設を計画した
設立内伺書」を作成して,取引所新設を満洲国
のであろう。そして,満洲国政府も経営不振に
政府に申請した。しかし,関東軍がこれに黙っ
陥っている既存取引所に代わる有力な取引所の
てはいなかった。
新設に理解を示し,国内の金融機構整備の一環
関東軍は,既存の三か所(奉天,安東,哈爾
として,これを内諾したものと考えられる。と
濱)の取引所に加え,新京へ新たに取引所を設
ころが,この方針に対し,統制上の理由から関
立することは,統制を困難にするとしてこれに
東軍が反対したため,最終的には既存取引所の
反対した。満洲国経済部も関東軍の意向を無視
買収へと方針が転換されたのであった。
して,取引所新設を許可することはできず,奉
天にある満洲取引所の買収を東株に提示したの
Ⅲ.満洲証券取引所の営業実態
14)
であった 。これを受けて,制度研究会の議論
が方向転換する。このことは制度研究会の議事
録でも確認できる15)。
1.主たる取引仕法は何か
満洲国当局トシテハ,現在ノ奉天取引所ハ
これまで述べたように東株は,満洲証券取引
之ヲ廃止スルヲ得サル事情アルヲ以テ,新
所の設立にあたり,取引所の整備を通じた産業
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
図表3
長期取引⒜
満洲証券取引所の取引法式別売買高の推移
延取引
売買高⒝
受渡高⒞
現物取引⒟
合計
(e=a+b+d)
(a/e)
(単位:1株)
(b/e)
(d/e)
((c+d)/e)
1939年10月期
2,750
1,076,390
75,450
80,901
1,160,041
0.2%
92.8%
6.5%
13.5%
1940年4月期
2,650
942,220
−
105,491
1,050,361
0.2%
89.7%
−
−
1940年10月期
−
2,147,350
−
123,424
2,270,774
−
94.6%
−
−
1941年4月期
3,162,190
−
177,081
3,339,271
94.7%
−
−
1941年10月期
3,619,970
320,810
230,433
3,850,403
94.0%
8.3%
14.3%
1942年4月期
5,369,830
591,460
251,238
5,621,068
95.5%
10.5%
15.0%
1942年10月期
3,632,560
548,520
289,044
3,921,604
92.6%
14.0%
21.4%
1943年4月期
6,297,390
1,064,360
894,792
7,192,182
87.6%
14.8%
27.2%
1943年10月期
2,940,740
690,960
666,764
3,607,504
81.5%
19.2%
37.6%
1944年4月期
3,297,490
795,490
717,404
4,014,894
82.1%
19.8%
37.7%
1944年10月期
5,149,950
1,047,100
781,998
5,931,948
86.8%
17.7%
30.8%
※安東支所は1940年7月1日より,哈爾濱支所は1941年12月11日より開所
※1940年4月期以降の営業報告書では長期取引欄が削除されている。
〔出所〕 東京株式取引所[1941][1942][1943],日本証券取引所[1943]
[1944]
,満洲証券取引所[1939]
[1940a]
[1940b]
[1941a][1941b]
[1942a][1942b]
[1943a]
[1943b][1944]より作成
資金の供給をその目的とした。それを実現する
引,現物取引の三つの取引仕法を設けることに
には,厚みのある流通市場の形成が必要とな
なっていた17)。ただ,「満洲取引所改組ニ伴フ
る。つまり,現物取引に厚い流動性を確保する
証券取引改善ニ関スル件18)」によれば,改組後
とともに,戦前の主流であった清算取引であっ
は現物,延取引を中心にするよう指導が行われ
ても受渡によって決済される実質的には現物取
ていたようである。そこで,満洲証券取引所の
引と同等の取引を増やすことで,証券の換金可
取引仕法別の売買高と延取引の受渡高を図表3
能性を担保し,発行市場での証券投資を促しや
にまとめた。
すくする必要がある。また,満洲の産業育成資
図表3によれば,指導の効果もあってか,長
金を供給するためには,地場銘柄の上場を増や
期清算取引は総売買高の0.2〜0.3%にとどまる
す必要もある。そこで以下では,満洲証券取引
とともに,1940年4月期以降は行われなくな
所での取引仕法にはどういったものがあり,そ
り,全期間を通じて延取引が圧倒的比率を占め
れぞれの売買高はどの程度であったのか。次
ていたことが確認できる。ただ,ここで言う延
に,地場銘柄の上場は積極的に行われていたの
取引は,日本国内でいう短期清算取引に相当す
か,それらの売買高はどの程度あったのか。さ
る取引仕法であった19)。したがって,満洲証券
らには株式の受渡を伴う取引を活発にさせるた
取引所では,日本国内でいう短期清算取引が主
めの付随的な仕組みがあったのか,といった点
たる取引仕法として用いられていたことが分か
について検討したい。
る。
まず,取引仕法から見ていこう。「制度研究
このことを踏まえると,流通市場が本来の機
会議事録」によれば,取引仕法は,改組前は延
能である証券の換金可能性を担保する役割を果
取引のみであったが,改組後は長期取引,延取
たしていたかを検討する上では,延取引の売買
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証券経済研究
第84号(2013 . 12)
高に占める受渡高の割合が重要となる。図表3
が大連に所在する企業も含むと26銘柄とさらに
によれば,延取引の受渡高は,年々増加してい
その比率は高まる)。この地場21銘柄のうち,
たことが分かる。これに現物取引の売買高を加
特殊会社株は6銘柄(大興公司,満洲興業銀
えると,受渡を伴う取引が総売買高の14〜38%
行,満洲重工業開発,満洲電業,満洲電信電
に相当していた。また,年々,総売買高に占め
話,南満洲鉄道)に留まり,特殊会社以外の地
る現物取引の比率も拡大していた。特に,1942
場銘柄が主に上場されていた。そして,この21
年10月以降,現物取引および受渡を伴った延取
銘柄の業種は,製造業11銘柄,金融業5銘柄,
引の比率が急増しているが,これは太平洋戦争
鉱業,電気・ガス,通信,拓殖,不動産が各1
開戦に伴う,緊縮財政から財政拡張政策への転
銘柄であった。地場銘柄の上場状況が明らかに
換,第二次五カ年計画の発表等に伴う時局株売
なったところで,それらがどの程度売買されて
買の盛況に伴うものであった。このように,取
いたかを見ておく必要があろう。次にこれをみ
引仕法では日本国内でいう短期清算取引が主で
てみよう。
あったが,清算取引においても,現物取引化が
満洲証券取引所での延取引の売買高は,改組
着実に進み,本来的な流通市場の機能をもつ取
前 の 1938 年 が 729,840 株,改 組 後 の 1939 年 が
引所へ,徐々にではあるが近づいていたので
1,275,090株,1940年が3,407,589株であり,大
あった。
幅に拡大していた22)。次に,各銘柄の売買高を
ただ,総売買高は満洲証券取引所への改組
見てみると,改組前後を問わず,新東株に取引
後,図表3に示すとおり大幅に増加している
が圧倒的に偏っていた。これに鐘紡,鐘紡新株
が,日本国内の取引所のそれと比較すると,東
を追加した3銘柄の売買高が総売買高に占める
京,大阪,名古屋,神戸,京都,博多,広島に
割 合 は,1938 年 が 84.6%,1939 年 が 82.5%,
次ぐ規模であり,地方取引所の域を脱していな
1940年が72%であり,縮小傾向にあるとはい
かったことは,指摘しておかねばならない20)。
え,ほぼこれら3銘柄の売買に終始していたと
2.地場銘柄の上場と売買高
言っても過言ではなかろう。
他方,地場銘柄も年を経るに連れ,売買高が
次に,地場銘柄の上場がどの程度行われ,そ
拡大していることも指摘できる。地場21銘柄の
の売買高はどの程度あったのだろうか。また,
売買高が総売買高に占める割合は,1938年が
その売買高は改組前に比べてどの程度増えたの
9.28%,1939年が14.11%,1940年が21.6%と
であろうか。そこで,満洲証券取引所への改組
確実に拡大していた。これは,東株が満洲重工
時およびそれ以後に,延取引市場に上場された
業開発をはじめとする満洲地場銘柄の売買を奨
銘柄一覧と,1938年,1939年,1940年の各銘柄
励したことも一因であろう23)。ただ,そうは
の1年間の売買高を図表4にまとめた21)。
言っても日本株が主に取引されていたことに変
図表4から改組後に新たに上場,もしくは売
わりはなく,そのことが後に触れる日系証券業
買が再開された銘柄は,1944年10月までに上場
者に,日本株の取扱を誘引したことは否定でき
廃止されたものも含めて31銘柄あり,そのうち
ない。
21銘柄が地場銘柄であったことが分かる(本社
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
図表4
満洲証券取引所上場銘柄一覧および売買高
1938年12月
1939年12月
1940年12月
57,910
574,270
7,140
43,210
946,340
85,500
1,905,280
1943年4月期に上場廃止
2,360
2,780
1941年10月期に上場廃止
東京
東京
東京
43,470
530
49,070
56,160
3,320
日魯漁業
日本郵船新株
東京
東京
2,020
1,260
4,670
11,450
22,750
71,420
営口紡織
満洲毛織
営口
奉天
540
340
29,190
890
30,090
11,350
南満州鉄道
満洲電信電話
大連
新京
7,010
11,000
50,560
満洲電信電話乙株
満洲瓦斯
新京
新京
2,940
3,050
30
1,640
3,470
420
4,100
4,090
140
満州電業
満洲化学工業
新京
大連
670
210
2,790
3,170
26,280
13,310
日本石油
東洋拓殖新株
東亜煙草
日本鋼管
東京
東京
東京
東京
1,170
480
10
1,120
710
550
930
1,950
東亜土木企業
満州電業新株
奉天
新京
2,210
満洲特産工業
本社所在地
満洲重工業
東京株式取引所新株
新京
東京
大阪株式取引所新株
大阪
鐘渕紡績
鐘渕紡績新株
日本鉱業
340
1,790
備考
149,210
394,870
5,120 1941年10月期に上場廃止
1943年4月期に上場廃止
1941年10月期に上場廃止
22,030
2,720 1941年10月期に上場廃止
26,410
4,510
38,390
38,830
奉天
31,430
88,670
大連機械製作所第一新株
大連機械製作所第二新株
大連
大連
220
3,720
満洲証券取引所
撫順窯業
奉天
撫順
満洲東亜煙草
満洲工廠新株
満洲煙草
満洲土地建物
奉天
奉天
新京
奉天
朝鮮取引所新株
京城
120
満蒙毛織新株
奉天
11,410
奉天商工銀行新株
満洲電信電話新株
南満洲鉄道新株
奉天
新京
大連
1941年4月期に上場
1941年4月期に上場
1941年4月期に上場
南満洲瓦斯
大連株式商品取引所
鞍山鋼材
南満鉱業第二新株
大連
大連
鞍山
奉天
大興公司新株
満洲重工業開発新株
満洲興業銀行新株
満洲親和木材
奉天商工銀行第二新株
日本国際航空工業
小林鉱業
新京
新京
新京
延吉
奉天
京都
京城
1941年4月期に売買再開
1942年4月期に上場
1942年4月期に上場
1942年4月期に上場
1942年4月期に上場
不二越鋼材工業
日満製粉新株
牡丹江木材工業
龍山工作新株
満蒙毛織第二新株
富山
哈爾濱
安東
京城
奉天
10
35,940
1939年10月期に上場
1939年10月期に上場
2,250 1939年10月期に上場
26,279 1939年10月期に上場
137,950 1939年10月期に売買再開
59,330
74,800
1940年4月期に上場
1940年4月期に上場
10,900 1940年4月期に上場
22,610 1940年10月期に上場
91,570 1940年10月期に上場
1940年10月期に上場,
1943年4月期に上場廃止
1940年10月期に売買再開,
1943年4月期に上場廃止
1942年10月期に上場
1943年4月期に上場
1943年4月期に上場
1943年10月期に上場
1944年10月期に上場
1944年10月期に上場
1944年10月期に上場
1944年10月期に上場
1944年10月期に上場
1944年10月期に上場
1944年10月期に上場
〔出所〕 日本国際航空工業[1942],満洲経済社[1942]
,満洲鉱工技術員協会[1942]
,満洲証券取引所[1939]
[1940a]
[1940b]
[1941a]
[1941b]
[1942a]
[1942b]
[1943a]
[1943b]
[1944]
,南満洲鉄道[1939]
[1940]
[1941]
より作成
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証券経済研究
図表5
第84号(2013 . 12)
満洲証券取引所における現物金融実績
(単位:円)
立替総代金
一日平均
立替金利息
1940年4月期
32,446,965
178,280
7,129.01
1940年10月期
76,905,504
417,960
15,560.56
1941年4月期
73,461,145
413,305
19,195.12
1941年10月期
252,742,514
1,373,599
49,648.64
1942年4月期
383,107,864
2,116,617
78,739.54
1942年10月期
475,832,293
2,586,044
90,603.72
1943年4月期
820,757,263
4,334,569
155,074.63
1943年10月期
902,890,165
4,907,104
170,419.14
1944年10月期
1,024,265,947
−
190,811.33
※1944年4月期は営業報告書が発見できなかった(図表6,図表7も同じ)
〔出所〕 満洲証券取引所[1939]
[1940a]
[1940b]
[1941a]
[1941b]
[1942a]
[1942b]
[1943a]
[1943b]
[1944]より作成
かったと思われる。図表5の立替総代金はかな
3.現物取引振興策など
りの額に上っているが,これは日々の取引所の
満洲証券取引所は,現物取引の増加および清
立替額の累積額であり,一日平均の方が分かり
算取引の実物化を促進するための付随的な仕組
易いので,これの推移を見ると,特に1942年以
みも備えていた。これについては,東株が設立
降,立替額が急増していた。これは先にも触れ
を主導したこともあり,東株でも行われていた
たが,太平洋戦争開戦に伴う積極財政への転換
現物金融業務と代行業務が付帯事業として行わ
と,第二次五カ年計画の発表等に伴う時局株人
れていた。また,取引所の施策ではないが,政
気による売買の活発化に伴うものと思われる
府自身も政府や満鉄保有の優良銘柄を,取引所
が,こうした制度を具備していたことも,現物
を介して売り出し,現物取引の振興を図ってい
取引の活発化に貢献したものと思われる。
他方,延取引の決済繰り延べに伴う貸株およ
た。
まず,取引所の施策から見て行こう。現物金
び貸付を行った代行業務も,図表6に示したと
融とは,現物取引の売方には証券,買方には受
おり,延取引の受渡の拡大に伴い,受渡代行額
24)
渡代金の立替を行うものである 。どの銘柄を
が拡大している。こうした現物金融や代行業務
対象としたかは不明であるが,東株では優良株
の立替,代引資金の調達は借入によって行われ
式および国策銘柄,時局銘柄を対象としてお
ており,それを手当てしたのは,主に満洲興業
り,おそらく満洲でも同様の銘柄が対象にされ
銀行であった。つまり,産業企業育成のみなら
たものと思われる。現物金融の実績を図表5に
ず,証券流通市場の整備拡充にも,満洲興業銀
まとめたが,立替総代金しか記載がなく,これ
行の信用供与が欠かせなかったのであった。
も日本国内同様,受渡株の立替は行われていな
これまでの二つは取引所の現物取引振興策お
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
図表6
満洲証券取引所における受渡代行実績
(単位:円)
仮引総代金
1940年4月期
仮渡総代金
86,825,240
432,800
一日平均額
477,060
1940年10月期
127,676,845
742,284
1941年4月期
72,461,145
413,305
1941年10月期
104,908,670
570,154
1942年4月期
278,641,890
1,559,458
1942年10月期
270,822,070
1,471,858
1943年4月期
380,108,698
2,100,047
1943年10月期
380,633,800
2,123,104
1944年4月期
−
1944年10月期
303,830,705
−
1,651,198
〔出所〕 満洲証券取引所[1939]
[1940a]
[1940b]
[1941a]
[1941b]
[1942a]
[1942b]
[1943a]
[1943b]
[1944]より作成
よび清算取引の現物化に向けた施策であった
政府や特殊会社の保有する優良企業株を売出
が,もう一つの現物取引振興策があった。それ
し,現物取引を振興しようとしていた。では,
は,政府や満洲中央銀行が保有する優良企業株
次に,株式の流通に携わっていた証券業者を見
の取引所を介した売出である。具体的な銘柄お
てみよう。
よび株数は図表7に示したが,半数が政府保有
の特殊会社および準特殊会社株(18銘柄中9銘
柄)の売出であり,残りの9銘柄のうち2銘柄
Ⅳ.日系証券業者の満洲進出とそ
の営業内容
は満洲中央銀行保有分,満鉄関係も3銘柄あっ
た。これらを満洲証券取引所を介して売り出し
満洲証券取引所は,満洲の産業開発資金の現
たのであった。優良企業株の売出は,証券思想
地調達拡大と日本国内からの円滑な資金供給を
が十分に普及していなかった当時の満洲では,
目的に設立された。それの実現には証券思想の
新たな投資家層の開拓に役立ったと考えられ
普及,定着が必要であり,それを,日系の有力
る。一方で,満洲の資本市場もそれを引き受け
業者によって行われることが期待されていたの
るだけの力が備わって来ていたことを意味し
であった。そこで,東株は日系証券業者に満洲
た25)。
進出を慫慂した。そのため,取引所改組後,日
このように,満洲証券取引所の総売買高は改
系証券業者の満洲進出が本格化した。
組以来増加し,現物取引および受渡を伴う清算
日系証券業者の満洲進出は1938年頃から本格
取引も増加していた。現物金融や受渡の代行業
化し,大阪商事,川島屋証券,榊田証券,白藤
務を取引所が行っていたことも,この一因と
証券,野村証券,藤本ビルブローカー証券,山
なったであろう。他方,政府も取引所を通じて
一証券などが支店や現地法人を設置した。そこ
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証券経済研究
図表7
第84号(2013 . 12)
公開株仲介銘柄および株数
決算期
銘柄および株数
1940年4月期
満州電業株○(41,000株),満州電業新株○(91,000株),満洲電信電話株○(10,000株)
1940年10月期
奉天商工銀行株(31,903株)
1941年4月期
南満洲瓦斯新株(10,000株),満州電業株○(84,750株)
1941年10月期
−
1942年4月期
満洲興業銀行増資新株○(962,720株)
1942年10月期
1943年4月期
1943年10月期
1944年10月期
満洲興業銀行増資新株○(取扱は前期に終了,308,981株),満蒙毛織新株(10,392株),満洲親
和木材新株(30,000株),満洲特殊製紙新株△(10,000株)
奉天商工銀行新株(48,000株),奉天銀行新株(10,000株)
満 洲 興 業 銀 行 第 二 新 株 ○(210,202 株),大 興 公 司 新 株 ○(50,000 株),南 満 洲 鉄 道 新 株 ○
(100,000株),楡樹鉄道株(10,000株)
牡丹江木材工業新株(30,000株),満蒙毛織新株(400,000株)
※表中の○は特殊会社を,△は準特殊会社を示す。
〔出所〕 満洲証券取引所[1939][1940a]
[1940b][1941a]
[1941b][1942a][1942b][1943a]
[1943b][1944]
,満州中央銀行
史研究会[1988]より作成
で,これら満洲に進出した日系証券業者の営業
拓ノ使命ニ邁進シ,依テ以テ,日満支一元
内容を,史料が発見できた満洲山一証券を事例
ノ国策ニ順応セントスルモノナリ27)
に検討したい。また,満洲山一証券の事例を通
つまり,東株からの慫慂を受けての出店であっ
じて,日系証券業者の進出が,満洲の証券市場
たことと,満洲への資金供給を通じた満州開拓
に果たした意味も併せて検討したい。
という国策に沿った出店であったことが,上記
山一証券の満洲進出は,1939年8月の奉天支
二つの史料から明らかとなろう。そうすると,
店開業に始まる。その後,有価証券業取締法施
日系証券業者が満洲の証券市場に果たした役割
行に伴い,現地法人化して満洲山一証券とな
を考える上で焦点となるのは,日系証券業者が
る。山一証券の満洲進出理由に関しては,株主
国策に沿った資金動員,投資勧誘をしていたの
総会で行われた奉天支店開設に関する説明と,
か,否かということになろう。
山一証券資料の「会社設立及登記関係書類」か
まず,その前に収益構造を見ておこう。この
ら,窺い知ることができる。そこで,これらを
取引所の設立を主導した東株も,「新京株式取
以下に引用したい。
引所設立内伺書」で,事業開始当初から商いが
奉天支店ハ新ニ開設スルノデアリマスガ,
盛況に行われるとは考えておらず,取引所も取
奉天ニ株式取引所ガアリ内地ノ有力取引員
引員も相当の間,苦しい経営状態が続くことを
ニ支店ヲ出シテ援助スルヤウニトノ希望モ
予想し,彩票(宝くじ)の販売を求めていた。
アリ東京,大阪,ソノ他カラ相当ノ店ガ出
つまり,進出直後から好調な業績を残せるとは
ル事ニナリマシタ
26)
満洲国証券界ノ発展,証券ニ依ル満洲国開
想定されていなかった。では,満洲に進出した
業者側は,どのような見立てをしていたのであ
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
図表8
満洲山一証券の売上構成
1942年11月期
有価証券売買益
本店勘定
東京出張所勘定
196,934.88
45,789.88
1943年5月期
166,142.82
57.34%
35,142.82
(単位:円)
1943年11月期
99,161.58
49.21%
20,561.58
151,145.00
131,000.00
78,600.00
公社債利息
237.80
201.23
113.27
本店勘定
237.80
東京出張所勘定
0.07%
201.23
0.06%
113.27
0.00
0.00
0.00
株式配当金
68,623.00
80,510.20
63,656.25
本店勘定
25.00
東京出張所勘定
受入利息
19.98%
37.20
23.85%
50.00
68,598.00
80,473.00
63,606.25
29,786.60
32,035.96
18,768.59
本店勘定
13,566.34
東京出張所勘定
16,220.26
7,047.04
4,984.98
受入手数料
44,864.58
53,180.86
58,746.14
本店勘定
44,864.58
東京出張所勘定
雑収入
本店勘定
東京出張所勘定
前期繰越金
合計
8.67%
13.06%
24,988.92
53,180.86
9.49%
15.75%
13,783.61
58,746.14
0.00
0.00
0.00
888.91
1,779.29
1,443.48
888.91
0.26%
0.00
2,124.94
105,372.51
東京出張所勘定
235,963.26
0.53%
1,443.48
0.62%
3,743.59
1.11%
337,593.95
100.00%
−
0.05%
25.68%
7.57%
23.70%
0.58%
0.00
0.00
343,460.71
本店勘定
1,779.29
40.00%
6,003.17
2.42%
247,892.48
100.00%
−
94,698.08
100.00%
147,191.23
〔出所〕 満洲山一証券決算書(
『山一証券株式会社』マイクロフィルム版 C-1-4)より作成
ろう。
買益が占め,それに株式配当金,受入手数料が
満洲山一証券では,設立時に「事業収支目論
続くという売上構成であった。そして,有価証
見書」が作成されていた。これによれば,収入
券売買益の約75%を東京出張所勘定で上げてい
額として85,000円が見込まれ,その内訳は,有
たので28)、次に投資先がどこであったかが問わ
価 証 券 売 買 益 が 80,000 円,諸 手 数 料 収 入 を
れるだろう。
5,000円と見込んでおり,自己売買を中心に据
そこで,「満洲山一証券決算書」の有価証券
えた計画が立てられていたのであった。次に,
明細表,有価証券売買損益内訳表および株式配
このことを踏まえ,損益計算書から売上構成を
当金内訳表から,満洲山一証券東京出張所の持
見たい。そこで,図表8を作成した。
株を確認しておくと,それは,満洲車両,満蒙
図表8によれば,売上の約半分は有価証券売
毛織(以上,満洲),小林鉱業,朝鮮電業,岩
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証券経済研究
第84号(2013 . 12)
村鉱業,遊仙鉱業(朝鮮),台陽鉱業(台湾)
,
に転じ,さらにその額が拡大していた。このこ
小糸製作所,日産化学,帝国製鉄,日本鉱業,
とは,日本国内からの満洲投資額よりも,満洲
日立製作所であったと推測できる。これらの持
からの日本投資額の方が多かったことを意味し
株のうち,満洲地場株に対する運用金額は,期
よう。その結果,満洲山一証券の満洲証券取引
末の時点ではあるが,出張所勘定の0%〜20%
所での売買シェアはそれほど高くなかったと推
29)
にとどまっていた 。
測できる。
他方,運用額自体は少ないものの,本店でも
これは,満洲山一証券の満洲証券取引所に対
自己売買は行われていた。しかし,こちらは満
する支払手数料と,満洲証券取引所の売買手数
洲関連の公社債を中心に,満洲,朝鮮,日本の
料収入額を用いれば,満洲証券取引所での満洲
株式に対して,少額ずつ幅広く売買が行われて
山一証券のシェアが分かる。両社の決算期は異
いた。したがって,自己売買を通じた満洲の流
なるが,図表9に記載の決算期と最も近い時期
通市場拡大への寄与は,それほど大きくなかっ
の満洲証券取引所の売買手数料収入を挙げれ
たと言っても問題はなかろう。
ば,1942年10月期は245,305円69銭,1943年4
では,顧客からの委託注文は,日本国内株,
月期は378,267円16銭,1943年10月期は181,812
地場株のどちらへの比重が大きかったのだろう
円37銭であった。これらから満洲山一証券の
か。これについては,「満洲山一証券決算書」
シェアは,約1.6%,約1.4%,約2.6%(どの
の受入手数料内訳表および支払手数料内訳表か
期も一般取引人30名)に過ぎなかったことが分
ら,その実態が明らかになる。
かる。また史料の残る1942年9月1日から1943
受入手数料の受入先には,顧客,山一証券,
年5月31日の満洲山一証券の売買高では,満洲
満洲証券取引所,満洲中央銀行があった。顧
株の売買が119,962株に対し,日本株は286,966
客,山一証券からは株式,公社債の委託手数
株と日本株の売買が2倍以上であった30)。この
料,満洲証券取引所からは売出手数料,満洲中
ことから,日系証券業者の満洲進出を慫慂した
央銀行からは国債売捌手数料として,手数料を
目的の一つであった,日本国内および満洲国内
受け入れていた。他方,支払手数料の支払先に
からの資金調達は十分に果たせていなかったと
は,満洲証券取引所,山一証券,その他があ
言えよう。
り,それぞれ取引所手数料,委託手数料,雑手
では,他の日系証券業者も満洲山一証券のよ
数料として支払いが行われていた。これらの内
うに,地場株の売買には消極的だったのであろ
訳を図表9にまとめた。
うか。各社の売買高は史料がないため不明であ
図表9によれば,受入手数料では,委託手数
るが、取引所での売買高に関しては,満洲証券
料(図表9の①と②の合計)は,年々拡大して
取引所が,決算期ごとに売買高上位5社を表彰
いた。そして,支払手数料を見れば,取引所手
しており,表彰された日系証券業者は,満洲大
数料にも若干ながら増加傾向が見られ,満洲株
商証券と満洲川島屋証券の2社に過ぎなかっ
への投資額が拡大傾向にあることが分かる。し
た。しかも満洲川島屋証券は,2度五等の表彰
かし一方で,山一証券との受入手数料と支払手
を受けただけであったから,満洲大商証券を除
数料を比較してみると,受入超過から支払超過
けば,日系証券業者は地場業者ほどには取引所
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
図表9
満洲山一証券の受入,支払手数料の推移
(単位:円)
1942年11月期
受
入
支
払
1943年5月期
1943年11月期
山一証券(①)
12,563.28
11,520.59
7,195.29
委託手数料(②)
22,723.13
37,860.45
42,361.08
満洲証券取引所
5,924.40
1,208.65
6,470.02
満洲中央銀行
3,653.77
2,591.17
2,719.75
合計
44,864.58
53,180.86
58,746.14
①+②
35,286.41
49,381.04
49,556.37
満洲証券取引所
3,913.35
5,405.55
4,752.89
山一証券
7,395.69
14,363.00
11,022.80
948.18
2,266.33
1,551.15
12,257.22
22,034.88
17,326.84
その他
合計
〔出所〕 満洲山一証券決算書(
『山一証券株式会社』マイクロフィルム版 C-1-4)より作成
での売買を行っていなかったことが明らかであ
た,日系証券業者の営業活動を明らかにするこ
る31)。
とを課題とした。
その理由として次のことが考えられよう。満
まず,前者については,国内の統制が強化さ
洲証券取引所の売買高が開業当初から盛況にな
れる中で,「修正五ヶ年計画」に伴う現地調達
るとは想定されておらず,日系証券業者は,満
資金の拡大が国家的要請となり,満洲の産業開
洲山一証券同様,慣れ親しんだ日本株の自己売
発資金の国内および日本からの新たな資金調達
買で収益基盤を確立しつつ,委託売買を付随的
ルートの開設を目的として,東株は取引所新設
に捉えていたこと。また,満洲証券取引所での
を計画した。一方,満洲国も「修正五ヶ年計
取引の相当部分が日本株の売買であったことか
画」により事業規模が拡大され,現地調達資金
らも,日本株に対する取引ニーズの方が高かっ
の拡大が不可避となったことに伴い,満洲国も
たことは間違いない。日系証券業者は地場業者
既存ルート以外の新たな資金調達ルートを模索
と異なり,親会社や支店網を活用した日本株取
していた。ここに両者の利害が一致し,取引所
引が可能であるから,満洲の取引所を利用する
開設が内諾された。ところが,満洲経済の統制
必要性が地場業者ほどなかったものと考えられ
上の理由から関東軍の反対に遭い,結果的に
よう。
は,経営不振に陥っていた満洲取引所の改組を
通じて,取引所が設立されたのであった。
Ⅴ.むすびにかえて
では,東株が設立目的とした,満洲の産業開
発資金の供給円滑化が果たされたかと言えば,
本稿は,満洲証券取引所の設立目的を明らか
残念ながら果されたとは言えない。売買高は改
にするとともに,それが果たされたのか。ま
組前より大幅に増加したものの,それは日本国
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証券経済研究
内の地方取引所の規模にとどまっていたこと。
第84号(2013 . 12)
びなかったと結論づけられよう。
そして,取引所取引では,日本株(東株新株,
鐘紡,鐘紡新株)の取引が中心であったことか
ら,そのように結論づけられよう。ただ,改組
注
1) 南満洲鉄道[1976]によれば,満洲の主要企業におい
て,満鉄が関係しない事業はないと言っても過言ではな
後は地場株の上場は積極的に行われており,地
かったと述べ,鈴木[2007]によれば,満鉄の株式投資
場株の売買比率も年々増加していた点は指摘し
累積額は1930年代初頭の1億円から,1937年3月には2
ておかねばならない。
また,流通市場の整備を通して資金供給を円
滑にするには,証券の換金可能性を担保できる
は1933年以降,毎年3,000〜5,000万円前後に上り,その
倍以上増加したこと。また,その投資先は満洲,関東州
の主要企業を網羅して66社に上り,43社では50%を超え
て出資していたことを明らかにしている。ただ,安冨
[1997]によれば,その多くは現物出資であったことが
指摘されている。
よう,現物ないしそれと同等の取引が活発に行
2) 在 満 機 構 改 革 や 満 鉄 改 組 問 題 に つ い て は,安 藤
われる必要がある。満洲証券取引所で主に用い
3) 宇田川[1976]では,日本産業の満洲移転理由とし
られた取引仕法は,日本でいう短期清算取引に
相当する取引仕法であった。しかし,現物取引
の活発化や清算取引の実物化を促す施策を具備
していたことも一因となって,現物取引および
延取引の受渡高は年々拡大し,本来的な機能を
もつ流通市場へ近づきつつあった。
ただ,証券思想の普及,定着,地場株の取引
拡大のために満州への進出を慫慂した日系証券
[1976]に詳しい。
て,株式市場での資金調達において,巨額なプレミアム
を獲得する特徴があったが,それが困難となったことや
事業多角化による債務急増,金利負担増といった資金調
達面の事情に加え,二重課税問題を挙げている。
4) 満洲国史編纂刊行会編[1970b]447-450頁
5) 4)に同じ
6) 予定では約40%が満洲での調達を予定されていたが,
実際には日本の対満投資に依存していた。1937年以降5
年間の日本からの対満投資額は,3.5億円,4.4億円,11
億円,10.1億円,14.2億円の合計43.2億円であった。た
だ,日本からの対満投資額は,資金供給余力の減退に伴
い1941年をピークに減少に転じている(山本[2003]
163-168頁)。
業者は,期待した働きをしていなかった満洲山
7) 資金計画に関しては,東洋協会調査部[1938]では,
一証券の事例では,地場株の低調な売買高を背
現地調達が21億円,日本からの調達が14億円,第三国か
景に,日本株の自己売買を中心とした商いによ
り収益基盤を確立し,売買益および配当金で過
半の収入を得ていた。しかも,日本からの満洲
投資より,満洲からの日本投資の方が多く,取
引所での売買シェアは低く,それは他の日系証
券業者も同様であった。
その背景を考察すれば,日本株を中心とした
自己売買を収益基盤に据えていたことに加え,
満洲証券取引所での取引の半分以上が日本株で
あり,親会社や支店網を利用して日本株取引が
可能な日系業者は,ニーズの高い日本株の売
買,勧誘に注力していたのであった。そのた
修正五カ年計画の所要資金を48億円,その調達先は満洲
らの調達が13億円としており,依拠する史料によって異
なっている。図表2の資金計画は田代[2001]に依拠し
ているが,所要資金額が満洲国史編纂刊行会編[1970b]
掲載の金額と合致していることに加え,満洲国内からの
調達が全体のどの程度を予定していたかが,複数期にわ
たり明らかであるためである。
8) 日本証券経済研究所[2007]966頁。なお,引用にあ
たっては常用漢字に一部改め,長文引用にあたっては句
点および読点を付けた。
9) 制度研究会での検討と並行し,大阪や京都,名古屋,
神戸,広島の各取引員組合幹部にも,本計画を説明し,
参画を促していた。特に,大阪では大阪商工会議所でも
満洲への取引所設立が検討されており,それの一本化が
行われた。
10) 日本証券経済研究所[2007]971-974頁
11) 満洲証券取引所は,1939年2月25日に開催された満洲
取引所臨時株主総会で改組が議決され,5月末日までに
株券の提供が行われ,6月1日から満洲証券取引所とし
て業務を開始した。
め,期待した日系証券業者からの注文が伸び
12) この審議により,新設取引所の取扱商品は株式のみと
ず,取引所自身の売買高も期待したほどには伸
を設置すること。そして,新設取引所の株式は,満洲側
し,会員組織の取引所と株式会社組織の取引所助成会社
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の満洲進出について
に40%,日本側に60%を割り当て,その60%は東京に,
残りの40%はその他地域が引き受けることとされた。ま
いないため,すべて足し合わせても文中の総売買高と一
致しない。
た,取引所助成会社の業務内容は,取引所の建物,設
23) 東京株式取引所[1939]18頁
備,計算事務,担保,代行事務,金融等の付帯業務一切
24) 桑田[1940]49頁以下に詳しい。
を行うことに決していた。
25) このことは,政府にとっては現物取引振興に加えて,
13) 東京株式取引所[1937]6頁。なお,同時期に南波礼
吉,上田辰卯らが満洲へ派遣されたことは,制度研究会
議事録上でも確認できる。
14)「満洲日日新聞」1938年10月15日
15) 日本証券経済研究所[2007]968頁
16) 増資に関しては,満洲取引所は公称資本金100万円,
払込資本金25万円であったが,これを五分の一に減資し
た上で,改めて280万円増資し,公称資本金300万円,払
込資本金75万円とすることとなった。また,増資株の引
市中に供給された膨大な産業開発資金の吸収も意図され
ていた。
26)「第25回定時株主総会議事録」(山一証券資料 A-7-1254)
27)「会社ノ設立ヲ必要トスル理由」(山一証券資料 C-11)
28) 東京出張所の自己売買資金は,山一証券からの証券担
保貸付によって調達されていた。
29) 有価証券明細書から,株式投資額と満洲関連株投資額
受は,半分を日本側が引き受け,残りは既存株主への割
を記すと,1942年11月期は,210.2万円に対して36.3万
当,満洲興業銀行および満洲人に割り当てることとされ
円,1943年5月期は208.1万円に対して0。1943年11月
た。日本側による引受の内訳は,東株5,000株,東株取
期も207.85万円に対して0であった。
引員組合10,000株,大阪,京都,神戸,名古屋の各取引
30)「第2期業務報告書」(山一証券資料 C-1-3)
所および取引員組合10,000株,発起人(10名)2,000株,
31) 満洲大商証券は,1941年4月期以降2等,1等,2
制度研究会委員800株,満洲で開業する東京側組合員関
等,3等,1等,1等で表彰され,満洲川島屋証券は
係1,000株,新開地者その他1,200株とすることに決定し
1942年10月期と1943年4月期に5等で表彰されていた。
ていた。
17) 日本証券経済研究所[2007]983頁
18) 17)に同じ
参
19) 満洲証券取引所の延取引が,日本国内でいう短期清算
取引に相当すると判断した理由は,次の点からである。
考
文
献
満洲国の取引所法では,その第35条に現物取引では差金
授受による決済を禁じていたが,第37条にて3日以内を
受渡決済とする有価証券の清算取引では,取引所の業務
規程によって,売買成立の日より30日以内の繰延が認め
られていた。もちろん,この取引仕法では差金決済が可
能である。また,満洲証券取引所[1940b]では,その
営業概況の中に,満洲人も株式清算取引の妙味を会得す
るものが増え,売買高が増えているとの記述が認められ
る。そして,図表3によれば,延取引の受渡高は20%以
下に過ぎないこと。さらには,短期清算取引で必須とさ
れた代行業務を,満洲証券取引所が行っており,これら
から判断して,短期清算取引に相当すると判断した。
20) 1941年,1942年の国内取引所の売買高は,東京,大
阪,名古屋,神戸,京都,博多,広島,朝鮮,大連,新
安藤良雄[1976]『日本経済政策史論(下)』東京大
学出版会
宇田川勝[1976]「日産財閥の満州進出」『経営史
学』第11巻1号,経営史学会,7月
金子文夫[1991]『近代日本における対満投資の研
究』近藤出版社
桑田勇三[1940]『我国取引所の理論と実際』有斐
閣
小林和子[2007]「戦前期外地及び海外日系証券取
潟,長崎の順であり,満洲証券取引所の両年の売買高
引所の概観−国内取引所設立抑制政策との関連
は,8,565,738株と10,711,725株であった。満洲証券取
−」『証券経済研究』第59号,日本証券経済研
引所のそれ(8,565,738株と10,711,725株)を国内取引
所 の そ れ と 比 較 す る と,広 島(9,843,283 株,
13,340,323株)に次ぐ規模であり,朝鮮(8,494,442株
と11,690,788株)とほぼ同規模であった。
21) ここで,現物取引ではなく延取引を用いたのは,現物
取引は登録株だけでなく未登録株であっても,売買が出
会えば取引がされていたようであり,加えて,店頭での
仕切売買も行われていたため,その全貌が掴めないこ
と。他方,延取引は受渡を伴えば実質的に現物取引と同
等の取引である。図表3によれば延取引の受渡高は現物
取引の売買髙を超過しており,これらから延取引を用い
ている。
22) 図表4では,1939年に上場廃止された銘柄は掲出して
究所,9月
小林英夫[2008]『〈満洲〉の歴史』講談社
志村嘉一[1969]『日本資本市場分析』東京大学出
版会
鈴木邦夫編著[2007]『満洲企業史研究』日本経済
評論社
田代文幸[2001]「満洲重工業開発株式会社の設立
と外資導入交渉」『北大法学研究科ジュニア・
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60
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証券経済研究
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日本証券取引所[1943]『日本証券取引所統計月報』
東京株式取引所[1937]「東株彙報」125号,3月
日本証券取引所[1944]『日本証券取引所統計月報』
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満洲経済社[1942]『満洲企業の全面的検討』
満洲証券取引所[1940b]「更始第三回営業報告書」
満洲鉱工技術員協会編[1942]『康徳9年版満洲鉱
満洲証券取引所[1941a]「更始第四回営業報告書」
工年鑑』亜細亜書房
満洲国史編纂刊行会編[1970a]『満洲国史 総論』
満蒙同胞援護会
満洲国史編纂刊行会編[1970b]『満洲国史 各論』
満蒙同胞援護会
満州史研究会編[1972]『日本帝国主義下の満州』
御茶の水書房
満州中央銀行史研究会編[1988]『満州中央銀行史』
満洲証券取引所[1941b]「更始第五回営業報告書」
満洲証券取引所[1942a]「更始第六回営業報告書」
満洲証券取引所[1942b]「更始第七回営業報告書」
満洲証券取引所[1943a]「更始第八回営業報告書」
満洲証券取引所[1943b]「更始第九回営業報告書」
満洲証券取引所[1944]「更始第十一回営業報告書」
東京大学経済学部図書館所蔵資料『山一証券株式会
社』マイクロフィルム版
東洋経済新報社
南満洲鉄道[1976]『南満洲鉄道株式会社第三次十
新聞
年史(復刻版)』龍渓書房
南満洲鉄道庶務部調査課[1939]『満洲経済統計月
報』第15巻 第11号,3月
南満洲鉄道庶務部調査課[1940]『満洲経済統計月
報』第16巻 第12号,2月
「東京朝日新聞」
「満洲日日新聞」
(当研究所研究員)
南満洲鉄道庶務部調査課[1941]『満洲経済統計月
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満洲証券取引所の設立と日系証券業者の 満洲進出について