12 Peace History Lectures
(第三回講義)(ca. 1770-1830)
1800年頃の東西交流、フランス革命、ベンガル・ルネッサンス、
それに類する中国および日本における動き
Global Enlightenment. The East-West intellectual
exchanges around 1800, the French and American
Revolutions, "Bengal Renaissance" and corresponding
movements and developments in China and Japan
• 私たちは、ベンガル(またはインド)のル
ネサンス(文芸復興)や、日本の江戸時
代後期や、ヨーロッパの啓蒙時代を関
連付けてみましょう。
• ヨーロッパの啓蒙運動は、東西(とうざ
い)、つまり東洋と西洋との間で活発に
行われてきた交流が進められていた前
世紀からの発展の結果であった。
• 全世界を包括するような新しい協調国
家が、生まれた。
• 19世紀前後から始まった新たな政治・
文化的な発展により、それをもとにその
100年後には、最初にハーグ平和会議
が開催され、1900年頃から、ヨーロッ
パ以外の地域も含む国際的な団体が
設立され、ついに国際連盟や国際連合
の設立するに至った 。
6-7
• 1800年以前よりヨーロッパにおける政治、経済的な発展の始まり
(発端=ほったん)になったのは、大英帝国の登場と、一般的にヨー
ロッパにおける帝国主義や植民地主義であった。
• けれどもカルカッタにあったイギリス東インド会社の従業員たちは、
オランダ人と同じように、ただ商売をしていただけではなく、東洋の
芸術や文化、文学、宗教にも興味を示していた。
The World Is Really Round!
• フランスで東洋を研究してい
るレイモンド・シュワブは、
「世界は1771年以降本当
に丸くなった」という。
• 東洋と西洋は、共通の見解
に移った。:その未来像は完
全なる人文主義である。
• 今まではヨーロッパのための
「露骨な地中海様式」であっ
たが、今では多くの古い文
芸文化から推論し、「世界的
人文主義」になり始めた。
8-10
11-12
 仏教は、13世紀末
(まつ)にはすでに
国際的な活動を終
え、大乗仏教と小
乗仏教とに分かれ
ていた 。
 小乗仏教は、セイ
ロン(現スリランカ)、
タイ、ビルマの3つ
の国に定着したが、
その一方で大乗仏
教、チベットや中国、
日本でさらに発展
した。
 大同団結の国際平和という理念
は枢軸時代以来、すべての文化
圏に普及したと、カール・ヤスパー
スは述べている。
 平和思想は、平等や普遍的な公
正という考え方により補われてい
る。
 けれども植民地の支配者にとって
平和は、単(に「法や秩序」の維持
を意味するにすぎない、つまりイ
ギリスという植民地的帝国におけ
る「パックス・ブリタニカ」という平
和は、「パクス・ロマーナ」と同じよ
うに、外に対しても、内に対しても
武装された平和であり、みずから
繰り返すことのできるいつもの状
態ではなかった。
 ムガール帝国のベンガル太守
スィーラジュ・アッダウラに対する
ロバート・クライブによるイギリス
の勝利は、インドにおけるイスラム
支配の終焉の始まりを明らかにし
た。この時期にインドにおけるイス
ラムの支配は終わりをむかえた。
Bahadur Shah
Zaffar, the last
Mughal Emperor
13-15
James Prinsep (1799-1840)
1837年にオリエント学者であ
るジェームス・プリンセップは、
後に彼が翻訳した、インドの
太平洋側の皇帝アショカ・マウ
ルヤ(Ashoka Maurya)の岩盤
に刻まれた碑文を発見した。
アショーカ王のメッセッジが、
仏教とともにアジア全域に広
がったけれども、彼の祖国で
あるインドでは皇帝は忘れら
れた。
 柱頭にライオン(獅
子)のついたア
ショーカ王の石柱は、
第二次世界大戦後、
現代インドのシンボ
ルになり、国家の紋
章になった。
Exkurs (枝道 余談)
 プラッシーでの戦いにおけるイギリスの勝利は、
インドでのイギリスによる「非公式」の支配の終
焉を明らかにした。
 それに続く、インドでもっとも豊かな地域の一つ
であるイギリスによる「プラッシーの略奪」は、日
本でもまったく知られていない。
 アメリカの歴史学者であるブルックス・アダムス
は、1898年にはすでに、ベンガルの財宝の略奪
で蓄積された資本が、産業革命の起爆剤になっ
たことを認めている。
 つまり、「プラッシーの戦いのすぐあとに、ベンガ
ルの戦利品がロンドンに到着し始めた。このこと
は戦争の直接的な影響であると思われる。とい
うのは、産業革命が1760年に始まったというこ
とで専門家の意見はすべて一致しているからで
ある」と彼は指摘している。
 このことこそ、19世紀をそれ以前の時代と区別
する出来事なのである。
 そのスピードを比べられないとしても、それととも
に次のような変化が生じていた
After Plassey, Lord Clive (the victor)
Exkurs contd.
‣ インドの財宝が、流入し、そ
れに続く信用が拡大する以
前には、こうした目的のため
に十分な可能性は無かった 。
‣ おそらく世界には初めからイ
ンドからの戦利品にみられる
ような利益を生み出せる投資
は存在しなかっただろう、とい
うのは大英帝国には、ほぼ
50年間にわたって競合する
国がなかったからである
‣ たとえば中国は、このような
経済的な刺激を受けなかっ
たのであり、しかもイギリスと
比較できるような発展の決定
的な段階に到達していなかっ
た。
Raja Ram Mohan Roy (1772-1833)
• その後、カルカッタのインド総
監 委員会の立法委員会のマ
コーレー卿に引き継がれた。彼
は社会 進化論 傾向で注目を
浴びた。
Buddhist Stupa with Ashokan Pillar
20
21-25
‣ 江戸は18世紀末までに、日本の
政治と文化の中心となった。
‣ 日本では、朱子の儒学が国家教
学の観念形態となった。1630
年、湯島聖堂に孔子を祀った「孔
子廟」が創立され、伝統的で博
学的な江戸の大学となった。林
羅山 (1583 –1657) は最初
の教師であった。
‣ 大学には1765年に医学部が設
けられた。
‣ (天文・地理)学者、西川如見(1
648~1724)と(儒学者・政治
家)新井白石(1657-1725)は
「洋学」を興隆した。第8代将軍、
徳川吉宗(1684~1751:在職
1716~1745)は、西洋の学問
を奨励した。
‣ 1720年、吉宗は「蘭書の輸入
の禁」をゆるめた。(キリスト教文
献を除き!)
Yushima Seido
Japan
 大名、田沼意次(1719~17
88)は、(第9代???)将軍
家重(在職1745~1760)と
(第10代将軍)家治(在職17
60~1786)のもとで、重要な
職に就き、このしきたりは継続
し続けた。
 彼は、農業を奨励し、長崎ば
かりでなく、北方ロシアとの商
業(貿易)も奨励した。また、輸
出の為の銅の生産量を上げた。
 そして、『赤蝦夷風説孝』(蝦夷
地(=北海道)開拓の利益を
説いた書)を支持した。この着
想は、“オランダ語に熟練し、
特に外国の国々に興味を持っ
ていた”工藤平助(1734~1
800)という学者(経世論者)
によって文書化されたもので
ある。
Tanuma Okitsugu (1719-1788)
26
27-29
▾ 日本の学者は、― 日本が
オランダと若干のアジア諸
国との貿易制限を受けてい
た中で、「部外者」だろうと感
じながらも―西洋の学問を
通して、多数の書物を出版
した。
▾ 約1800年には、エンゲル
ベルト・ケンペル(1651~
1716)著の『日本誌』に由来
する『鎖国論』(著者 志筑忠
雄)が出版された。おそらく
多くの日本人は、平和な時
代だと感じていた。
▾ 出島のオランダ人による日
本研究の成果が、実を結び
始めた。
Dejima
And Naval Academy
Engelbert Kaempfer
Shiba Kokan, A meeting of Japan
China and the West, late 18th century
30-34
 特筆すべきは、学者イサーク・ティ
チングである。彼は、1779~17
96年の間、(日本の)オランダ商
館長を務め、日本の学者との文化
交流のための催しを開催した。
 ティチング(とスイス医師トゥーンベ
ルク)は“日本人に大量の科学的
な情報を伝えた 先駆者”であった。
 イサーク・ティチングは、非常に広
範囲で、(重要美術品級の)上質
な日本の美術工芸品と書物を収
集していた。彼はかつてカルカッタ
近くのチンスラで、オランダ東イン
ド会社の長官として務めていた間
に、そこでイギリスの東洋学者と
‘Asiatic Society’(アジア協会)の
創立者となった。
 そのように、より多くの日本事物も
ヨーロッパに紹介して成功した。
 1811年幕府は“最新の事情に通じ
ている西洋に勝るような発展”をす
るために、西洋文献を翻訳するた
めの特別な機関(蛮書和解御用)
を設立した。
Chinsura,(Dutch East India Company) near Kolkata
35-36
• 日本は、新時代に向け、
徹底的に準備した。
• 1869年までに数千人も
の日本人が、オランダ語
を中心とした西洋の、学
問を学び、670冊ものオ
ランダ語で書かれたイギ
リス、フランス、ドイツ、中
国の文献を翻訳した。
• 安定的で良好的な世界平
和に協力するには良い、
前提 条件の一つである。
Dutch Astronomers on Dejima
Voltaire
 フランスやアメリカの革命
は、新時代のヨーロッパと
新世界のための準備だっ
たのだという。
 商業や文化的な相互 作用
が世界中に広がり、相互
依存が次第に増えると全世
界的な平和団体(連合)が
必要不可欠になった。
 ヴォルテール(1694~1778)、
イマーヌエル・カント(1724~
1804)、ジェレミー・ベンサム
(1748~1832)、ジャン・ジャッ
ク・ルソー(1712~1778)などの
学者達にはとっくに知られてい
た。
 イギリスやアメリカでは、19世
紀初頭に最初の平和会が創
立され、この時代からハーグ
平和会議へ通じていった。
French Revolution
37-39
Jeremy Bentham
Immanuel Kant
Rousseau
Japanese enlighteners
❛ 後で、日本でも同
様に植木枝盛(思
想家・政治家、
1857~1892)が、
効力のある国際
公法を万国公法と
名づけ、世界議会
様式を万国供議
政府と名づけた。
Itagaki Taisuke
40
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SIETE PASOS - unfor.info