Title
湯顕祖の戯曲観 : 情の重視
Author(s)
Citation
人文研究 (1979), 59: 1-16
Issue Date
URL
阿部, 泰記
1979-12-25
http://hdl.handle.net/10252/2225
Rights
This document is downloaded at: 2015-12-23T08:25:32Z
Barrel - Otaru University of Commerce Academic Collections
湯 顕 祖 の戯 曲 観 - 情 の重 視 ー
序
阿
湯 顕 祖 (字義 彷 、 一字 義 少 。 号 若 士、 別 号 清 遠 道 人、 繭 翁 。 江 西臨 川 県 の人 。 一五 五 〇 ー
部
泰
一六 一六) は 、 明 代 文 学 史
一六 一〇 ) 等 公 安 派 の 反 擬 古 運 動 の 先 駆 と し て 位 置 づ け ら れ
羅 汝 芳 に 勝 る と も 劣 ら な い真 摯 さ が 認 め ら れ 、 彼 の文 人 と し て の面 目 を 窺 う こ と が でき る。
一五 八五 )
戯 曲 に よ って養 お う と 企 て た の であ る 。 こう し た彼 の教 育 活 動 に は講 学 に ょ り 天 下 に仁 学 を 及 ぼ そ う と し た 師
﹁情 ﹂ を 重 視 し、 天 下 は ﹁情 ﹂ に よ っ て 動 いて い る と 考 え 、 天 下 の人 々 の情 を 文 芸 、 特 に 士 庶 と も に楽 し め る
彼 は陽 明 学 者 の影 響 を 受 け な が ら も 、 一方 ﹁学 人 弱 し﹂ と い って 講 学 を 嫌 い、 人 の心 に お い て ﹁性 ﹂ よ り も
た。 そ の結 果 剛 毅 な 気 性 が 災 い し て 、 官 位 は 上 ら ず 、 左 遷 の憂 き 目 に 会 った の であ る 。 ま た そ の気 性 ゆ え に 、
し か し な が ら 湯 顕 祖 は衷 宏 道 と は 異 な り 、 た だ 詩 文 を 論 ず る だ け で は な く 、 好 ん で世 を 論 じ 人 を 論 じ も し
を 師 と し 、 李 賛 を 慕 っ て い た。
陽 明 学 左 派 の李 蟄 (字 卓 吾 、 蕾 江 の人 。) と 親 し か っ た し 、 湯 顕 祖 は 羅 汝 芳 (字 惟 徳 、 号 近 渓 。 一五 一五 ー
て 有 す る 良 知良 能 で あ る所 の ﹁赤 子 の心 ﹂ ﹁童 心 ﹂ を 説 く 、 陽 明 学 の影 響 が あ った か ら で あ る 。 実 際 蓑 宏 道 は
震 宏 道 同 様 に模 擬 を 否 定 し て独 創 を 尊 び 、 自 然 な 情 趣 を 重 ん じ た の は 、 周 知 の よ う に 、 人 が 生 ま れ な が ら に し
る 詩 文 、 戯 曲 作 家 であ る 。 (
近 人郭紹虞 著 ﹃
中国 文学批評史﹄ には、 ﹁
公安 派的 前駆与 羽翼﹂ 中 の人物 に入れ る。) 彼 が
上 、 衰 宏 道 (字 中郎 、 号 石 公 、 公安 の人 。 一五 六 八-
記
1
人
文
研
究
第 五十九輯
文
論
エ ハニ九) の著 作 に寄 せ た序 文 ﹁合 奇 序 ﹂(
﹃湯顕祖
本 論 で は ﹁天 下 を 己 が 任 と す る﹂ と 評 さ れ る 湯 顕 祖 に と っ て 、 戯 曲 創 作 が ど れ ほ ど 重 大 な 意 義 を 持 って いた
詩
か に つ い て考 察 し た い 。
二
さ て 湯 顕 祖 の文 章 論 は 、 同 郷 の 丘 兆 麟 (
字毛伯、 一五 七ニー
集 ﹄、中華 書局 、一九六 二、詩 文集巻 三二) に最 も 簡 潔 に 述 べ ら れ て い る。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
み
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ま
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
世 間 、 惟 だ 拘 儒 老 生 の み 与 に文 を 言 う べ か ら ず 。 耳 多 く 未 だ 聞 かず 、 目 多 く 未 だ 見 ず し て 、 其 の 鄙 委 牽 拘
ヘ
の識 を 出 だ し、 天 下 の文 章 を 相 る。 寧 ぞ 復 た 文 章 有 ら んや 。 予 謂 う に 、 文 章 の妙 は歩 趨 形 似 の間 に在 ら
ヘ
ず 。 自 然 の霊 気 、 悦 惚 と し て 至 り 、 思 わず し て 至 る。 怪 怪 奇 奇 と し て名 状 す べ き 莫 し。 物 と し て 尋 常 に 以
かえ
ほ
て 之 に合 わ す を 得 る に非 ず 。 蘇 子 謄 (
載) 枯 株 竹 石 を 画 い て絶 え て 古 今 の画 格 に異 な る も 、 乃 っ て愈 よ 奇
はか
た
妙 な り。 若 し画 格 を 以 て 之 を 程 れ ば 、 幾 ど 格 に入 ら ず 。 米 家 (
帝 ) の山 水 人 物 、 多 く は 意 を 用 いず 、 略 ぽ
ま
数 筆 を 施 し て 形 像 宛 然 た り 。 正 に有 意 に 之 を 為 さ し め ば 、 亦 復 佳 な ら ず 。 故 に夫 れ 筆 墨 小 技 は、 神 に 入 る
を 以 て 聖 を 証 す べ し 。 通 人 に非 ざ る よ り は 、 誰 か与 に 此 を 解 さ ん。
彼 は 、 書 画 同 様 に文 章 に は 言 葉 で は表 現 し 難 い ﹁自 然 の霊 気 ﹂ が 必 要 だ と 説 き 、 徒 ら に格 套 に拘 り 模 擬 を 尊
ぶ 学 者 諸 生 の卑 俗 な 文 章 を お と し め る の であ る。
し か し こう し た彼 の持 論 は 、 彼 独 自 の も の で は な く 、 例 え ば 同 時 代 の詩 文 随 筆・
作 家 であ る 蓑 宏 道 の説 と お お
む ね 合 致 す る も の であ っ た。 嚢 宏 道 も ま た 、
世 人 の得 難 き 所 の者 は唯 だ 趣 の み。 趣 は た と え ば 山 上 の色 、 水 中 の 味 、 花 中 の光 、 女 中 の態 の如 し 。 善 く
説 く 者 と 難 も 一語 を 下 す 能 わ ず 、 唯 だ 心 に 会 す る 者 の み 之 を 知 る。 ⋮ ⋮ 夫 れ 趣 は 之 を 自 然 に得 た る 者 は 深
2
おおむね
く 、 之 を 学 問 に 得 た る 者 は 浅 し 。 (技 陳 正 甫 会 心集 )
(
小 修 は)大 都 独 り 性 霊 を 拝 べ 、 格 套 に拘 ら ず 、 自 己 の 胸 臆 中 よ り 流 出 す る に 非 ざ れ ば 肯 て筆 を 下 さ ず 。
(
肢小 修詩)
と い って 、 詩 文 に お い て は作 老 の心 の霊 妙 な は た ら き が 肝 要 だ と 説 く の で あ る 。
加 え て 貢 宏 道 は 、 作 者 が 創 作 す る に当 って 、 聞 見 に迷 わ さ れ る こ と の 少 な い童 子 の心 を 模 範 と す べ き だ と 主
張 す る。
あ り し如 く 、毛 孔 骨節 、倶 に
いば ら
其 の童 子 た る に当 って は 、 趣 有 る を知 ら ず 、 然 れ ど も 往 く と し て 趣 に非 ざ る は無 し 。 ⋮ ⋮ 夫 れ 年 漸 く 長
あし かせ
じ 、 官 漸 く 高 く 、 品 漸 く 大 な れば 、 身 有 る も 栓 さ れ し如 く 、 心 有 る も 棘
聞 見 知 識 の 縛 る 所 と な り 、 理 に 入 る こ と 愈 よ 深 し 。 然 れ ど も 其 の 趣 を 去 る こ と 愈 よ 遠 し 。 (救 陳 正 甫 会 心集 )
みた
因 に こ れ と 殆 ん ど 同 じ 内 容 の発 言 は 、 逆 に 湯 顕 祖 に も 認 め ら れ る 。
かえ
童 子 の 心 は 虚 明 に し て 化 す べ き に 、 乃 っ て 実 す に俗 師 の講 説 、 薄 士 の制 義 を 以 て す 。 一た び 其 の中 に 入 れ
た の しみ
ば 復 た 出 ず る べ か ら ず 、 人 を し て冷 冷 た る の 適 を 見 ず 、 純 純 た る の音 を 聴 かざ ら し む 。 (
詩文集 巻三十、
光 舞亭草救)
彼 等 は いず れ も こ の よ う に 創 作 に お い て は 、 童 子 の純 真 な 心 を 保 ち 、 狭 い聞 見 に 惑 わ さ れ て は な ら な いと 説
く の で あ る が 、 と ころ で こう し た 考 え 方 は 、 陽 明 学 の ﹁致 良 知 ﹂ 説 に基 づ い て い る と 思 わ れ る。
た と え ば 湯 顕 祖 の師 羅 汝 芳 に よ れば 、 ﹁赤 子 の心 、 渾 然 と し て 天 理 な り 。 其 の知 必 ず しも 慮 ら ず 、 其 の能 必
﹁個 々 の人 心 に仲 尼 有 る も 、 自 ら 聞 見 を 将 っ て遮 迷 に苦 し む ﹂ (
﹃王陽明全 集﹄巻 二+、外 集
ず し も 学 ば ず 。﹂ (
﹃旺壇直詮 ﹄、上) と い っ て ﹁赤 子 の心 ﹂ を 強 調 し、 ま た 王 陽 明 の説 を う け て 、
陽 明 先 生 の所 謂
二、 ﹁詠良知 四首示諸 生﹂ の 一) な り 。 蓋 し 人 は 幼 時 よ り 読 書 し、 便 ち ﹃集 説 ﹄ 等 の講 解 を 用 う 。 其 の支 離 、
湯 顕祖 の戯曲観 -情 の重視 1 (
阿部)
3
人
文
研
究
第 五十九輯
甚 だ 鄙 笑 す べ し。 (
同、上)
と 、 心 を 問 題 と し な い読 書 の弊 害 を 説 い て いる し 、 同 様 に李 賛 も ま た ﹁童 心 説 ﹂ (﹃
焚書﹄巻 三) に お いて 、
夫 れ 童 心 と は 真 心 な り 、 其 の長 ず る や 道 理 の 聞 見 よ り 入 る有 り 、 以 て其 の内 に主 と 為 り て童 心 失 わ る 。 ⋮
さわ
⋮ 夫 れ 学 ぶ 者 は既 に 多 く 読 書 し 、 義 理 を 識 る を 以 て其 の童 心 に 障 る な り 。
へ
曲
創
作
へ
と 、 聞 見 を ﹁童 心 ﹂ に 障 害 あ り と し て 否 定 し て い る。 嚢 宏 道 や 湯 顕 祖 の 文 学 主 張 が 、 これ ら 陽 明 学 者 の思 想 の
影 響 下 に あ っ た こと は 明 白 で あ ろ う 。
ヘ
因 に李 蟄 の詩 文 論 は 、 褒 宏 道 や 湯 顕 祖 に 極 め て 近 か った こと が わ か る 。 李 賛 曰 く 、 ﹁蓋 し 声 色 の来 る は 、 情
ヘ
戯
性 に発 し 自 然 に由 る。 是 れ 牽 合 矯 強 を 以 て致 す べ け ん や ﹂ と 。 (
﹃焚書 ﹄巻 三、読律膚 説)
三
そ し て 湯 顕 祖 の文 章 論 はそ の戯 曲 創 作 に も 反 映 し て い る よ う であ る。
彼 は 生 ま れ 故 郷 の 戯 曲 の メ ロデ ィ ー (宜黄 調) に 乗 せ た 作 品 、 す な わ ち ﹃紫 叙 記 ﹄ ﹃牡 丹 亭 還 魂 記 ﹄ ﹃南 村
記 ﹄ ﹃榔 邸 記 ﹄ を 作 った。 そ し て 自 ら 俳 優 を 養 成 し 、 自 作 の曲 を 歌 わ せ た の であ るが 、 そ の際 歌 い 手 の 立 場
(
唱曲) よ り も 作 者 の 立 場 (
作曲 ) を 重 ん じ 、 そ の結 果 、 曲 韻 、 調 格 を 必 ず し も 守 ら な か った た め 、 当 時 唱 曲 の
理 論 が 盛 ん で あ った 呉 地 方 の毘 曲 作 家 た ち か ら 非 難 を 浴 び た こと は 、 誰 し も 知 る と こ ろ であ ろう 。 と ころ で彼
が そ の 非 難 に 答 え た つぎ の こ と ば に は 、 前 の文 章 論 に 見 え た 情 趣 尊 重 の主 張 を 再 び 認 め る こと が でき る。
ぜ
呉 中 の曲 論 を 寄 せ し は良 に 是 な り 。 ﹁唱 曲 当 に知 る べ き も 、 作 曲 尽 く は 当 に 知 る べ か ら ず 。﹂、 こ の語 は大
も
い に 軒 渠 す べ し。 凡 そ 文 は 意 趣 神 色 を 以 て 主 と 為 す 。 四 者 到 る 時 、 或 は 麗 詞 、 俊 音 の用 う べ き 有 り。 爾 る
よ
時 能 く 一 一九宮 四 声 を顧 み る や 否 。 如 し必 ず 字 に 按 じ 声 を 模 せば 、 即 ち 窒 滞 送 捜 の苦 有 り 、 恐 ら く は 句 を
4
成 す 能 わざ ら ん。
こ の 一文 は 餓 挑 の人 で 、 彼 と 同 年 の 進 士 と し て交 遊 のあ った 呂 允 昌 (
字玉縄、 一字 麟趾 。
) に宛 て た書 簡 であ
り 、 呂 允 昌 は 湯 顕 祖 の ﹃牡 丹 亭 還 魂 記 ﹄ を 毘 曲 の メ ロデ ィ! に乗 る よ う に 改 作 し た人 でも あ る。 (
詩文集巻 四七 、
尺績 四 、﹁
答 凌初成 ﹂参 照。
) これ に ょ る と 、曲 韻 に合 わ せ て字 を 択 ん で い た の で は自 然 な 情 趣 あ ふ れ る 曲 は でき な
い 、 と いう のが 湯 顕 祖 の立 場 であ り 、 彼 が 戯 曲 に お い て も 、 形 式 よ り 情 趣 を 重 ん じ て い る こと が わ か る。
そ し て彼 は こう し た 情 趣 尊 重 の立 場 を 、 さ ら に 古 典 に ょ り 正 当 化 し よ う と し て い る。 す な わ ち ﹃玉 茗 堂 評 花
間 集 ﹄ の評 語 中 に は 、 前 人 の ﹁酒 泉 子 ﹂ 詞 に評 し て 、
填 詞 は平 灰 断 句 皆 な 定 数 あ る も 、 詞 人 の語 意 の到 る 所 、 時 と し て参 差 有 り。 古 詩 に も 亦 た 此 の 法 有 り て 、
詞 中 尤 も 多 し。 此 の 詞 中 の字 の多 少 、 句 の 長 短 に即 き て も 、 更 換 し て 一な ら ず 、 豊 に専 ら 歌 者 に侍 み て 上
下 縦 横 に協 を 取 ら ん や 。
と 述 べ 、 前 人 の詞 の中 に 語 意 に ょ って詞 韻 、 詞 格 が 必 ず し も 守 ら れ ず 、 ﹁歌 者 ﹂ の便 よ り も ﹁詞 人 ﹂ の便 を優
先 し た 詞 例 が あ る こ と に 注 目 す る の で あ る。
さき
な ん じら
一六 一八 ) は 、 湯 顕 祖 の 書 簡 に つ ぎ の よ う に 答 え て い る 。
こ の よう に 彼 は ﹁詞 人 ﹂ 優 先 を 主 張 し た た め 、 実 際 湯 顕 祖 の曲 を 歌 え る 呉 地 方 の俳 優 は少 な か った ら し く 、
安 徽 宣 城 県 の友 人 、 梅 鼎 柞 (
字 禺 金 、 一五 四 九 -
お おむ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
宜 伶 三 戸 の 邑 、 三 家 の村 に 来 る も 、.
愛 助 す べ き 無 し。 然 れ ど も 呉 越 の楽 部 往 に 至 り し者 、 未 だ 若 曹 の 盛 行
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
か え
や
す るが 如 き 有 ら ず 。 要 ね ﹃牡 丹 ﹄ ﹃還 魂 ﹄ 伝 を 以 て 重 き の み 。 而 る に皆 な 什 の 三 を 演 ず る 能 わ ず 、 此 の
ヘ
中 唯 だ 陳 上 枝 一人 を 得 る の み。 乃 って 其 の 徒 時 時 騎 駝 と し て休 まざ る は笑 う べき な り。 ( ﹃
鹿装石室 集﹄書
膜巻十 三 ﹁答 湯義 傍﹂)
因 に 梅 鼎 柞 は 戯 曲 ﹃玉 合 記 ﹄ の作 者 で 、 湯 顕 祖 が そ の俳 優 を 奪 っ て い った こと も あ る ほ ど 親 交 の あ った 友 人
湯顕祖 の裁曲 観 -晴 の重視 1 (珂部)
5
人
であ る。
かならず
文
研
究
第 五十九輯
(同、 詩 巻 八、 ﹁座 有 歌 者 、 為 (龍 ) 身 之 (湯 )義 傍 奪 去 、 却 寄 ﹂。) し か し な が ら 梅 鼎 柞 は 、 ﹁南 詞 を 頃 す る は
かな らず
必須 呉 士、南 詞 を 唱 う は必 須呉 児 ﹂ (
同、文 、 ﹃
長命 楼記序﹄) と いう 主 張 を 持 っ て お り 、 呂 允 昌 と も 親 しく 、呂
に そ の著 ﹃古 楽 苑 ﹄ の序 文 を 求 め て い る (
同、 詩巻 十 一、 ﹁
奉寄 左司馬 注長公 八首、 兼為 呂吏部請 ﹃古楽苑﹄序 ﹂
) こと
から し ても 、 呉 歌 (
毘曲) に 乗 ら な い湯 顕 祖 の戯 曲 を 絶 讃 し た と は 思 え ず 、 鯉
右 に引 用 し た言 を も って 、 彼 が 湯
顕 祖 の作 者 優 先 の創 作 法 を 認 め て い た と は 考 え 難 い。 ま た 反 対 に 湯 顕 祖 も ﹁玉 合 記 題 詞 ﹂ (
詩文集 巻三三) に お
い て梅 の ﹃玉 合 記 ﹄ の内 容 に 殆 ん ど 触 れ ず 、 た だ ﹁予 其 の詞 を観 る に 、 多 半 は ﹃韓 薪 王 伝 ﹄ 中 な り 。 予 が 為 り
し 所 の ﹃窪 小 玉 伝 ﹄ (
す なわち ﹃紫篇記﹄
) に 視 ぶ れ ば 、 其 の沈 麗 の 思 を 並 べ 、 其 の穰 長 の 累 を 滅 ず 。﹂ (この部分錯
簡あ り、今訂 す。
) と いう の み であ り 、 両 者 は互 いに そ の 創 作 に ど れ ほ ど 理 解 を 示 し た か 疑 わ し い。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
か く 孤 立 し た状 態 で湯 顕 祖 は 宜 黄 調 と いう 地 方 劇 の 育 成 を 図 っ た の であ る。 し か し ﹃臨 川 県 志 ﹄ (
同治元年重
ヘ
修)巻 十 二 上 、 地 理 志 に よ る と 、 元 来 彼 の郷 里 は ﹁呉 謳 越 吹 、 地 の僻 な る を 以 て 到 る こ と 牢 に し て、 土 伶 皆 な
一五 七七) が 海 塩 戯 を 導 入 し 、 調 格 を 持 つ戯 曲 を 育 て た こと は 、 地 方 文 化 の発 展 に大 ぎ く
農 瞭 に之 を学 ぶ 。 拝 揖 の語 言 、 拙 訥 に し て 笑 う べ し 。﹂ と 言 わ れ る ほ ど 辺 僻 な 地 方 で あ り 、 讃 論 (
字 子理 、
撫州宜
黄 県 の人 、 一五 二〇 -
寄 与 し た こ と であ ろ う 。 そ れ 故 彼 の後 を う け た 湯 顕 祖 の俳 優 育 成 の 意 気 込 み も ひ と し お であ った と 思 わ れ る。
(字 初 成 、 呉 興 の人 ) が 、 ﹁江 西 ざ 陽 の 土 曲 は 、 句
(
詩 文 集 巻 三 四 、 ﹁宜黄 県 戯 神 清 源 師 廟 記 ﹂ に ﹁諸 生 旦其 れ 之 に勉 め、 (
諏 ) 大 司馬 を し て夜 台 に長 嘆 し て、 奈 何 せ ん 我 死 し て
此 の道 絶 え た り と 日 わ し む る無 かれ 。﹂ とあ る 。) そ の 上 友 人 凌 濠 初
調 の 長 短 、 声 音 の高 下 、 以 て 心 に 随 っ て 腔 に 入 る べ し 。 故 に 総 て 必 ず し も 調 に 合 わ ざ れ ど も 終 に 悟 ら ず 。﹂
(﹃調 曲 雑 割 ﹄) と い う よ う に 、 宜 黄 調 の 音 律 が 寛 容 で あ っ た こ と は 、 ま さ に 作 者 の 創 意 を 重 ん じ る 湯 顕 祖 の 創 作
法 に 適 う も の であ った 。 彼 が 孤 立 し な が ら も 、 自 ら の 主 張 を 貫 徹 で き た 理 由 は こ こ に あ ろ う 。
ごろ
逆 に彼 は 元 来 呉 地 方 の メ ロデ ィを 好 まず 、﹁近 者 海 塩 、 毘 山 一に繊 靡 を 意 と す 。﹂ (
﹃玉茗堂評花 間集﹄毛 熈震洗渓
6
沙 評 語 ﹄) と い っ て 、 そ の繊 靡 な メ ロデ ィ ー を 嫌 っ て い た し 、 ま た 呉 地 の 俳 優 に 対 し て も 、 ﹁呉 人 音 を 善 く す 。
⋮ ⋮ 其 の 微 杏 に 入 っ て は ⋮ ⋮ 亦 た 巳 に 人 無 し 。文 詞 に 至 っ て は 、 意 に 其 の 然 る を 知 る も 、 才 然 る 能 わ ず 。﹂ (詩 文
人 物
集 巻 四 四 、﹁答 劉子 威 侍 御 論楽 ﹂) と い っ て 、 そ の 文 詞 を 歌 え な い稚 拙 な 歌 唱 力 に 不 満 も 抱 い て い た 。
四
と こ ろ で湯 顕 祖 は 単 に文 趣 を求 め る こと に の み 心 を 奪 わ れ て い た わけ で は な い。 彼 は ﹃撫 州 府 志 ﹄ (
巻 五九)
が 伝 え る よ う に 、 ﹁天 下 を 以 て 己 が 任 と 為 す ﹂ 器 量 の人 であ った 。 つぎ に彼 の 人 と な り に つ い て 考 え て み ょ う 。
彼 は ﹁秀 才 説 ﹂ (
詩文 集巻 三七) に お い て 、 自 ら 過 去 を 振 り 返 っ て 、 つぎ の よ う に語 っ て い る 。
十 三 歳 の時 、 明 徳 羅 (
汝芳) 先 生 に従 って遊 ぶ 。 血 気 未 だ 定 ま ら ず 、 非 聖 の書 を 読 む 。 遊 ぶ 所 の 四 方 、 軌
ち 其 の気 義 の士 に交 わ り 、 躇 属 靡 術 し 、 幾 ん ど 其 の性 を 失 う 。 中 途 に復 た 明 徳 先 生 に見 う に、 嘆 じ て 問 う
おわ
て 曰 く 、 ﹁子 天 下 の 士 と 日 に洋 換 悲 歌 す る は 、 何 を 為 さ ん と 意 う 者 ぞ 。 究 寛 性 命 に 於 て如 何 、 何 の時 か 了
る べ け ん﹂ と 。 夜 に此 の 言 を 思 い、 枕 に安 ん ず る 能 わ ず 、 久 し う し て 省 み る こと 有 り 。 知 る 、 生 の性 た る
は 是 な り、 食 色 性 な り (﹃
孟子﹄ 告子上) の生 に 非 ず 。 豪 傑 の士 は 是 な り 、 聖 賢 の豪 を 迂 視 す る に 非ざ る
を。 (
類似した言 は詩文集巻 四 四 ﹁
答 管東冥 ﹂ にも見 える。
)
これ に よ ると 、 彼 は 諸 生 の 一時 期 陽 明 学 者 の羅 汝 芳 に学 ん で お り 、 そ の後 も 師 から 教 え を 受 げ る こ と 大 であ
った ら し い 。 羅 汝 芳 の人 物 に つ い て は 、李 賛 が 極 め て称 讃 し て い る。
﹃大 学 ﹄ の 一書 は 専 ら 大 人 の学 を 言 う 。 庶 人 と 難 も 亦 た未 だ 嘗 て 明 徳 を 天 下 に 明 ら か に せ ず んば あ ら ず 。
此 れ 則 ち 吾 が 夫 子 の独 特 の学 に し て 、 千 古 聖 人 の同 じ く す る 能 わ ざ る者 な り 。 (﹃肝壇直詮 ﹄ 下)
こ の よ う に羅 汝 芳 は 、 李 賛 が 彼 の ﹃大 学 ﹄ に基 づ い た 簡 易 明 快 な 仁 学 が 、 庶 民 にも ゆ き わ た っ た こと を 高 く
湯 顕 祖 の戯 曲 観 ー 情 の重 視 ー (阿 部 )
7
ノ
人
文
研
究
第 五十九輯
評 価 す る 人 物 であ り 、 同 じ く 湯 顕 祖 も そ の人 柄 を 認 め て 、 ﹁真 風 ﹂ ﹁仁 趣 ﹂ あ り と 讃 え る学 者 で あ った 。 (
詩文
集巻 十四、﹁
奉 贈観察 潭浦疎公三十韻 序﹂
)
湯 顕 祖 が 十 三歳 以 後 再 び 羅 汝 芳 に出 会 っ た と いう の は 、 三 十 七 歳 南 京 太 常 博 士 の時 であ る 。 こ の時 彼 は 羅 汝
芳 の性 命 の学 を 理 解 し 、 従 来 の軽 薄 な 行 動 を 反 省 し た と いう 。 確 か に こ の時 期 に彼 の視 野 は 広 く な り 、 さ ら に
深 く 世 間 の でき 事 に 関 心 を 持 つ よ う に な っ た と 思 わ れ る。 そ れ は 例 え ば ﹁劉 大 司 成 文 集 序 ﹂ (
詩文 集巻 二九) に、
ゆ
﹁南 都 に官 し 、 ⋮ ⋮世 俗 の 嗜 好 に 干 て 一切 当 る 所 無 く 、 天 下 の 事 と 天 下 の賢 人 を 談 ず る を 好 む の み ﹂ と 自 ら 述
べ る と こ ろ か ら 推 測 で き ょ う 。 (詩文集巻 四七、﹁
答 諸景陽﹂)
(
字 君 典 、 宣城 人 。 一五 三 九-
一五 八 二) 、 龍 宗 武 (字 君 揚 、 泰 和 人 。一五 四 二ー
一六 〇 九 )
し か し な が ら 彼 の 生 来 の気 質 が 、 羅 汝 芳 と の出 会 い に よ っ て 根 本 的 に変 革 さ れ た と は 考 え に く い。 な ぜ な ら
ぽ 、 彼 は そ の後 も 沈 葱 学
等 ﹁気 義 の士 ﹂ (
豪 傑) と の交 際 を 止 め て いな い し 、 ま た ﹁非 聖 の書 ﹂ を 読 む こ と も 止 め て いな い か ら で あ る。
(
彼は ﹃
続虞初 志﹄ と いう小 説集 に序 を載 せ、評 を加 え ている。
) そ れ ど こ ろ か 、 ﹁江 東 の豪 傑 ﹂ 諸 景 陽 を た た え て は 、
﹁最 も 勝 る 処 は 講 学 に在 ら ず 、 聞 く 、 学 人 多 く 弱 し と ﹂ と い っ て 、 学 者 の柔 弱 さ を 批 判 さ え し て いる の で あ
る。 (
詩 文集巻 四七、﹁答諸景 陽﹂
)
ま た ﹁湯 許 二 会 元 制 義 点 閲 題 詞 ﹂ (
詩文集 巻三三) に よ る と 、 門
彼 は 二 十 一歳 の郷 試 合 格 以 来 、 陞 進 にあ く せ く
せず 、 ﹁詞 賦 の間 に流 宕 し て ﹂ 、進 士 合 格 の前 年 三 十 三 歳 に至 る ま で ﹁制 義 十 に 盈 る 能 わざ る﹂ 怠 慢 さ の た め、
進 士 に合 格 で き な か っ た と いう 。 し か し進 士 合 格 が 遅 れ た の は 、 制 義 文 に興 味 を 示 さ な か った た めば か り で は
な く 、 ま た 首 輔 張 居 正 の招 聰 に 応 じ な か った こと も 災 い し て いた 。 彼 は 張 居 正 が 敗 退 し た 後 進 士 に 合 格 す る
が 、 再 び 輔 臣 申 時 行 、 張 四 維 の招 き に応 じ ず 、 正 七 品 と いう 官 位 の低 い南 京 太 常 博 士 に任 官 す る。 さ ら に 四 十
二歳 の と き 、 ﹁
輔 臣科 臣 を論 ず る疏﹂ によ り、 申 時 行が 私 臣 を信 じ て言路 を閉ざ して いると 上奏 し たた め、 広
8
東 徐 聞 の 典 史 に お と さ れ 、 そ の後 漸 江 遂 昌 知 県 に 量 移 さ れ るが 、 四 十 九 歳 で 棄 官 し て帰 郷 す る。 彼 が 遂 昌 知 県
の と き 滅 虎 桐 を 建 て て 民 を 虎 の被 害 か ら 守 った り 、 正 月 に囚 人 を 解 放 し て観 燈 さ せ た り し た 決 断 力 に富 む 行 動
かな
に対 し て 、 ﹃撫 州 府 志 ﹄ (
巻 五九) は ﹁誠 信 は物 に及 び 、 翁 然 と し て 循 吏 に称 う ﹂ と た た え る。
こ の よ う に見 てく る と 、 ﹃撫 州 府 志 ﹄ が ﹁顕 祖 意 気 慷 慨 あ り 、 天 下 を 以 て 己 が 任 と 為 す 。 執 政 の抑 う る 所 と
な る に 因 り 、 天 下 之 を 惜 し む 。﹂ と 評 価 す る よ う に 、 彼 の豪 傑 の気 慨 は 生 来 のも の であ り 、 ま た 生 涯 変 わ ら ぬ
も の で あ っ たと 考 え た 方 が よ さ そ う であ る 。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
さ いし よう
因 に 彼 は 文 章 論 で は 褒 宏 道 と ほぼ 主 張 を 同 じ く し て い たが 、 ﹁予 前 に長 安 に在 り て 、 嘗 て詞 林 の 褒 (
宏 道) 、
ヘ
董 (其 昌 ) 二 君 に 謂 い て 日 く 、 君 等 は 道 心 の善 く 堅 固 な ら ざ る に 苦 し む 。 文 趣 は 奇 抜 な る に 過 ぎ ず 。 黄 閣 何 の
重 慕 す る こ と 有 ら ん や と 。﹂ (
詩 文 集 巻 二九 、﹁睡奄 文 集 序 ﹂) と 述 べ た り し て い る 所 か ら 見 る と 、 必 ず し も 真 の 器 量
おおい
一三八 一) を 尊 敬 し て い たが 、 そ れ は 宋 演 の 時 代 への 偉 大 な 功 績 ゆ え であ っ た。 彼 は いう 、
に満 足 し て いな か っ た ら し い。 逆 に、 よ く 知 ら れ て いる よ う に、彼 は 明 初 の宋 濾 (
字 景 漂 、 漸 江 金 華 の人 。 = 三
〇1
ヘ
ヘ
ヘ
へ
のば
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
僕館閣 (
李夢陽等) の 文 を 観 る に 、 大 い に是 れ 文 を 以 て徳 を 撚 に す 。 第 だ 稽 や 規 局 有 り て、 其 の才 を 尽 く
ヘ
す 能 わ ず 。 久 し く し て 才 亦 た 尽 く 。 然 れ ど も 作 老 を し て能 く 国 初 の宋 龍 門 (
廉 ) の如 く 、 其 の時 の経 制 葬
ヘ
常 の盛 を 極 め し む れ ば 、 此 に後 る る 者 も 亦 た 能 く 其 の文 の如 く す る莫 し 。 習 いて 之 を 讐 せば 、 道 宏 く し て
以 て遠 から ん。 (
詩文集巻 四九、 ﹁答李乃 始﹂
)
み
と 。 宋 漁 は ﹃明 史 ﹄ 本 伝 に 、 ﹁
朝 に在 っ て 、 郊 社 宗 廟 山 川 百 神 の典 、朝 会 宴 享 律 暦 衣 冠 の制 、 四 畜 貢 賦 賞 労 の
あまね
儀 、 労 く 元 勲 巨 卿 の碑 記 刻 石 の辞 に及 ぶ ま で、 威 な 以 て 濾 に委 ね 、 屡 ば 推 し て開 国 文 臣 の首 と 為 す 。﹂ と 称 さ
れ る 大 人 物 であ る。
へ呵 部 4
褒 宏 道 に対 す る 批 判 は 嚢 が 文 趣 だ け を追 求 し て 人 柄 が 軽 薄 で あ っ た た め であ り 、 一方 宋 濠 に対 す る尊 敬 は 、
易 顔 阻 り践 曲 観 i 青 D 重 院 ー
9
人 文
研
究
第 五十九輯
宋 が 時 代 の精 神 文 化 を 支 え て い た か ら であ る。 これ に ょ っ て湯 顕 祖 が 文 人 に対 し て 、 単 に遊 戯 的 な 文 章 を 作 る
だ け で は な く 、 時 代 の文 化 に対 し て貢 献 す べ き こ と を 求 め て い た こ と が わ か る が 、 こ れ も 彼 の ﹁天 下 を 以 て 己
戯
曲
観
が 任 と 為 す ﹂ 気 質 の表 わ れ と 見 る こ と が でき よ う 。
五
そ れ で は 湯 顕 祖 の文 章 は 、 い か に彼 の 豪 傑 の 気 質 を 反 映 し て 、 実 際 に天 下 に貢 献 し え た の で あ ろう か 。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
彼 は詩 文 を 論 じ る 際 に 、 感 情 を 人 間 生 活 の根 本 と し て考 え て お り 、 ﹁耳 伯 麻 姑 遊 詩 序 ﹂ (
詩文 集巻三 一) に は 、
ヘ
世 は 総 て情 と 為 す 。 情 は詩 歌 に生 じ て神 に行 く 。 天 下 の声 音 、 笑 貌 、 大 小 、 生 死 は是 を 出 でず 。 因 り て 以
って 人 意 を 権 蕩 し 、 鬼 神 、 風 雨 、 鳥 獣 を 歓 楽 舞 踏 し 、 悲 壮 哀 感 せ し め 、 草 木 を 揺 動 し 、 金 石 を 洞 裂 す 。
と 、 詩 歌 に よ って 、 人 間 を 含 め た 天 下 の万 物 が 、 そ の ﹁情 ﹂ を 揺 す ぶ ら れ 、 活 動 し始 め る と 述 べ て い る 。
これ
こ の よ う に 彼 は ﹁世 は総 て 情 と 為 す ﹂ と い って 日 常 生 活 で の感 情 の役 割 を 絶 対 視 す る の で あ る が 、 これ は講
学 者 の見 解 と は 些 か 異 な る も の であ る 。 な ぜ な ら ば 、 学 者 例 え ば 羅 汝 芳 は 、
へ か え
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
か え
夫 れ 情 な る者 は、 性 の由 って 生 ず る 所 の者 な り 。 情 は 人 に習 い て 、 至 ら ざ る所 無 し と 雛 も 、 性 諸 を 天 に 本
ヘ
づ け ば 、 則 ち 固 よ り 或 は 偽 な る者 を 容 れ ず 。 情 を 反 し て 以 て 性 に帰 し 、 靡 を 率 い て 以 て朴 に 還 せ ば 、 其 の
惟 だ 之 を 教 う る の功 、 大 と 為 す の み。 (﹃
近渓 子文集﹄巻 一、 ﹁湘陰 還朴編 序﹂)
と 、 人 情 の作 用 の大 き さ を 認 め な が ら も 、 窮 極 的 に は 理 性 の優 越 を 説 か ざ る に は い な い か ら であ る。
湯 顕 祖 は 羅 汝 芳 の性 命 の学 を 理 解 し た と 前 の ﹁秀 才 説 ﹂ に 言 っ て は い た が 、 や は り ﹁至 ら ざ る 所 無 き ﹂ 情 の
方 を 重 ん じ て い た の であ る。 こ こ に彼 の学 者 と は相 容 れ な い文 人 は だ を 見 出 す こと が でき よ う 。
そ し て 詩 文 に おけ る 感 情 重 視 の論 調 は 、 広 範 囲 に わ た る 鑑 賞 者 を も つ戯 曲 の方 面 で 一層 展 開 を 遂 げ る 。
10
これ
あら
人 は 生 ま れ な が ら に し て 情 有 り 。 思 歓 怒 愁 、 幽 微 に感 じ 、 囎 歌 に流 れ 、 諸 を 動 揺 に形 わ す 。 或 は 一往 し て
や
尽 き 、 或 は 積 日 に し て自 ら 休 む 能 わ ず 。 蓋 し鳳 鳳 鳥 獣 よ り 以 て 巴 、 楡 の夷 鬼 に至 る ま で 、 能 く 舞 い能 く 歌
あい
わざ る 無 く 、 霊 機 を 以 て相 転 活 す 。 而 る に 況 んや 吾 人 を や 。 奇 な る か な 清 源 師 (
戯曲 の神)、 古 先 神 聖 の 八
ただ
か たむ
わら
能 千 瞥 の節 を演 じ て 、 此 の道 を 為 す 。 ⋮ ⋮ 天 下 ひか を レ で 故 無 く し て 喜 ば し め ・ 故 無 く し て悲 し ま し む 。
だま
ゆる
め
或 は 語 り或 は 喋 り 、 或 は鼓 し 或 は疲 る 。 或 は 毘 を 端 し て 聴 き 、 或 は 弁 を 側 け て 胎 い 、 或 は閣 観 し て笑 い、
なら
或 は 市 湧 し て排 ぶ 。 乃 至 は 貴 据 傲 を 弛 め 、 貧 巫回施 を 争 う 。 啓 者 は玩 で ん と 欲 し 、 聾 者 は 聴 か ん と 欲 し 、 唖
者 は 嘆 ぜ ん と 欲 し 、 蹟 者 は 起 き ん と 欲 す 。 情 無 き 者 は 情 有 ら し む べ く 、 声 無 き 者 は声 有 ら し む べ し。 寂 は
かたく な
誼 な ら しむ べ く 、 誼 は寂 な ら し む べ く 、 飢 は 飽 な ら し む べ く 、 酔 は醒 な ら し む べ し。 行 く は 以 て留 ま ら し
おこ
む べ く 、臥 す る は 以 て興 し む べ し。 鄙 し き 者 は 艶 な ら ん と 欲 し 、 頑 な る 者 は 霊 な ら ん と 欲 す 。 以 て 君 臣
うる
よしみ
ま つと
の節 に合 す べく 、 以 て 父 子 の恩 を挾 お す べ く 、 以 て 長 幼 の睦 を 増 す べ く 、 以 て 夫 婦 の歓 を 動 か す べ く 、 以
と
て賓 友 の儀 を 発 す べ く 、 以 て怨 毒 の結 を 釈 く べ く 、 以 て愁 憤 の疾 を 已 む べ く 、 以 て 庸 鄙 の好 を 渾 う す べ
し。 然 らば 則 ち 斯 の 道 や 、 孝 子 は 以 て其 の親 に仕 え 、 長 を敬 し て 死 を 娯 し ま しむ 。 仁 人 は 此 を 以 て 其 の尊
を奉 じ 、 帝 に享 め て鬼 に事 う 。 老 者 は 此 を 以 て 終 わ り 、 少 者 は 此 を 以 て 長 ず 。 外 戸 は 以 て閉 さざ る べ く 、
おこ
嗜 欲 は 以 て 営 む こ と 少 な か る べ し。 人 に此 の声 有 り 、 家 に此 の道 有 れば 、 疫 属 作 ら ず 、 天 下 和 平 な り 。 豊
に人 情 の大 餐 を 以 て名 教 の至 楽 と 為 す に非 ず や 。
これ は 宜 黄 県 に戯 曲 の 神 清 源 師 の 廟 を 建 て た際 に著 わ し た ﹃宜 黄 県 戯 神 清 源 師 廟 記 ﹄ の前 半 部 であ る。 彼 は
戯 曲 が 人 情 を い か に 動 か す も の であ る か を 際 限 な く 挙 例 し て 強 調 し 、 戯 曲 こそ 人 間 の精 神 生 活 を 支 え る 上 で 不
可 欠 の文 芸 であ る と 訴 え る の で あ る が 、 こ こ でも 人 情 を 人 間 生 活 の根 祇 を な す も の と 規 定 す る の であ る。 当 時
湯 顕祖 の戯曲観 -情 の重視ー (
阿部)
11
人 文
研
究
第 五十九輯
⑥
戯 曲 の盛 行 と と も に、 戯 曲 の人 生 と の 関 わ り が 論 じ ら れ る よ う にな る が 、 こ れ ほ ど 人 情 の貴 重 さ と 戯 曲 の 効 用
を 強 調 し た 論 は見 ら れ な い。
そ し て最 も 注 意 す べ き こ と は 、 彼 が 戯 曲 の神 の功 績 を 、 孔 子 、 仏 老 の功 績 と 比 肩 し う る も の と 評 価 し て 、 戯
お のお の
神 廟 を建 て た こと であ る。 彼 は いう 、 ﹁諸 生 は 孔 子 を 訥 法 し て在 ら ゆ る 所 に桐 有 り 、 仏 老 氏 の弟 子 は 各 其 の
桐 有 り。 清 源 師 は 号 し て 道 を 得 た り と 為 し、 弟 子 天 下 に 盈 ち 二 氏 に減 ぜ ざ る に 、 桐 無 き は 量 に 非 楽 の徒 、 其 の
あい
やしな
道 の戯 た る を 以 て 相 詣 病 せ し に非 ず や ﹂ と 。 彼 は 従 来 十 分 に評 価 さ れ な か っ た 戯 曲 に 、 始 め て れ っき と し た 人
な ん じら
間 教 育 の 一道 と し て の確 固 た る 地 位 を与 え た の であ る 。 そ の 上 湯 顕 祖 が 育 成 し た 地 方 劇 は 、 ﹁其 の技 を 食 う 者
さき
殆 ん ど 千 余 人 ﹂ と い い、 前 に梅 鼎 柞 が 、 ﹁呉 越 の楽 部 往 に至 り し者 、 未 だ 若 曹 の盛 行 す る如 く 有 ら ず 。﹂ と 述
べ た よう に 、 か な り の勢 力 を 持 っ て い た と 考 え ら れ る。 従 っ て学 者 が 生 来 の ﹁性 ﹂ を 説 い て学 問 を 庶 民 に ま で
広 め た よ う に、 戯 曲 作 家 湯 顕 祖 が 生 来 の ﹁情 ﹂ を 説 い て 、 ﹁
戯 曲 ﹂ と い う 士 大 夫 庶 民 いず れ も 親 し め る 文 芸 を
天 下 の万 民 に広 め る こ と は恐 ら く 容 易 であ った に違 いな い。
朱 療 尊 の ﹃静 志 居 詩 話 ﹄ 巻 十 五 に よ れば 、 彼 は 講 学 を 勧 め た 者 に対 し、 ﹁諸 公 の講 ず る 所 の者 は 性 な り 、 僕
の 言 う 所 の者 は 情 訟 り 。﹂ と 答 え た と い う が 、 こ の こ と ば に は 湯 顕 祖 の 文 人 、 と り わ け 戯 曲 作 家 と し て 天 下 を
作
品
教 化 す る自 信 を 看 取 す る こ と が で き る。
六
こ の よ う に湯 顕 祖 に お い て は 、 戯 曲 が 士 大 夫 の文 学 と し て 肯 定 さ れ る。 そ れ は 、 人 間 の価 値 が 読 書 の量 で は
な
お もむ き
な く 、 情 の 深 さ に よ って 決 定 さ れ る か ら で あ った 。 さ ら に作 品 に 検 証 す れ ば 、 ﹃紫 銀 記 ﹄ に お い て 、 ﹁雷 小 玉 は
よ
能 く 有 情 の擬 と 作 り 、 黄 衣 の客 は 能 く 無 名 の豪 と 作 る 。 余 人 微 か に各 致 有 り 。 第 だ 李 生 の如 き 者 は 何 ぞ 道 う
12
に 足 ら ん や 。﹂ (
﹁紫 銭 記 題 詞 ﹂) と 作 者 自 ら 述 べ る よ う に 、 知 識 人 た る 李 生 よ り も 、・却 っ て 学 問 を 授 け ら れ て い な
ただ
い女 性 、雀 小 玉 や 豪 傑 黄 衣 の 客 が 評 価 さ れ た り 、 ﹃旗 亭 記 ﹄ (
鄭 之 文 作 、 江 西 南 城 の人 。) に お い て 、 ﹁世 の 男 子 の 奇
し
婦 人 に如 く 能 わざ る 者 、 亦 た 何 ぞ 止 に 一董 元 卿 の み な ら ん や 。﹂ (
﹁
旗 亭記 題詞b と 、 男 子 よ り も 女 子 が 評 価 さ れ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
る の は 、 情 の卓 越 に よ っ て であ る 。 か く て 情 を 写 す 戯 曲 は 、 士 大 夫 の学 問 に は 不 可 欠 と な る の であ る。 彼 は 戯
ヘ
ヘ
ヘ
へ
曲 が 学 問 の 妨 げ と な る と い う 学 老 に 対 し て 答 え る 。 ﹁大 見 聞 は 全 く 新 声 に 在 り 。 新 声 を 聞 か し め ず ん ば 、 恐 ら
く 終 に 呉 下 の 阿 蒙 (無知 無 学 の者 ) な る の み 。﹂ (詩 文 集巻 四 一、 ﹁答 郷 爾 購 ﹂) と 。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
こう し て情 の 最 た る 人 物 と し て 、 ﹃牡 丹 亭 還 魂 記 ﹄ の 杜 麗 娘 像 が 形 成 さ れ る 。 こ の作 品 で は と り わ け 理 で は
ヘ
解 明 でき な い情 のは た ら き を 描 出 し て お り 、 作 者 は 杜 麗 娘 の 還 魂 に つ い て、 ﹁情 は 起 こ る所 を 知 ら ず 、 一た び
往 き て深 く 、 生 老 は 以 て 死 す べ く 、 死 ぬ る は 以 て 生 く べ し﹂ と 述 べ て い る が 、 こ の 言 は、 ち ょう ど 前 の ﹁戯 神
廟 記 ﹂ に述 べ ら れ た ﹁情 ﹂ を 万 能 と み る 作 者 の戯 曲 観 を 彷 彿 さ せ る 。 つま り 、 ﹃還 魂 記 ﹄ は、 彼 の 情 を 至 上 と
す る 創 作 理 念 が 最 も よ く 反 映 し た 作 品 だ と いう こと が で き る 。 ま た 、 こ の作 品 が 最 も 伝 わ り 、話 題 を 呼 ん だ (
張
大復 ﹃
梅 花草堂集﹄巻 七、﹁愈娘 ﹂項参 照。
) こと は 、 多 く の人 を 啓 蒙 し よ う と す る 作 者 の 意 を 満 足 さ せ た こ と で あ
ろう 。彼 は ﹃
牡 丹 亭 ﹄ を 酷 愛 し て 死 ん だ 愈 娘 に対 し て、 ﹁一時 の文 字 業 、 天 下 に有 心 の 人 あ り 。﹂ (
詩文集 巻十 六、
﹁実婁 江女子 ﹂
) と 詠 ん で感 動 し て い る 。
と ころ で作 者 は児 女 の情 を テ ー マと し た 作 品 を 書 い た の ち 、 方 向 を 変 え て欲 情 を テ ー マと し た 作 品 ﹃南 桐 記 ﹄
﹃郁 邸 記 ﹄ を書 く 。 情 を 人 間 の行 為 の源 泉 と す る 作 者 に と っ て 、 そ の肯 定 的 な 面 を 見 るば か り でな く 、 否 定 的
一六〇三) と の出 会 い の後 に書 か れ た も の であ る 。 こ の 時 期 の湯 顕 祖 に は
な 面 を 見 る 必 要 も 生 じ た の であ ろ う が 、 こ れ に よ って、 彼 は よ り 一層 世 俗 と の接 近 を 図 る こと に な る 。
二 記 は僧 達 観 (
名真 可、号紫栢。 i
彼 の思 想 の影響 が 認 め ら れ 、 達 観 が そ の ﹁法 語 ﹂ (
﹃紫栢老人集﹄巻 九) に お い て 、 ﹁飲 食 男 女 は 衆 人 皆 な 欲 す 。
湯顕祖 の戯曲 観1情 の重視i (
阿部 )
13
人
文
研
かえ
究
第 五十九輯
ああ
ね ぎら
欲 し て能 く 反 る者 は 、 終 に無 欲 に 至 る 。 噛 、 唯 だ 無 欲 な る者 の み 以 て 天 下 を 労 い、 以 て 天 下 を安 んず 。L と い
へつら い
い 、 欲 情 の認 識 と そ の克 服 を 説 け ば 、 湯 顕 祖 も ま た ﹁訣 世 語 ﹂ (
詩文集 巻 +六) に お い て 、世 俗 の葬 儀 を 拒 み 、
かえ
莫章 (
祭文) の 論 読 を 辞 し て 、 ﹁人 生 ま れ な が ら に し て偽 な り 、 誉 を 聞 け ば 則 ち喜 ぶ 。 既 に反 り て真 な り 、 護
かお あか ら
= ハニ 六 ) に 対 し て 、 ﹁千 古 乾 坤 、 之 を 鎖 す 者 は 欲 な り 、 ⋮ ⋮ 世 局 の 紛 吹 す る に 至 っ て は 、 正 に
とざ
を 聞 け ば 則 ち 報 む 。﹂ と 、や は り 欲 情 の克 服 を 説 い て い る し 、さ ら に ま た 東 林 派 の学 者 高 墓 龍 (
字景 逸、無錫 の
人 。 一五 六 二i
よ
人 生 ま れ な が ら に欲 有 る に坐 る 。﹂ (
詩文集巻 四七、﹁答高景 逸﹂
) と 、世 間 の紛 糾 の根 源 は 人 間 の欲 情 にあ る と 説 い
ω
て い る の であ る。
こ の よ う に、 彼 が 人 間 生 来 の ﹁情 ﹂ か ら 、 人 間 生 来 の ﹁欲 ﹂ へと 関 心 を 転 じ て い った の は、 仏 教 の影 響 に よ
る わ け だ が 、 ま た 本 来 彼 が 真 な る も の を追 求 し、 偽 な る も の を 排 除 し て い こう と す る 積 極 的 姿 勢 を 持 っ て お
り 、 常 に 天 下 を 動 か す 根 源 が 何 で あ る か を 探 ろ う と し て い た か ら に他 な ら な い。 ﹃南 何 記 ﹄ は ﹁居 食 の事 ﹂ に
執 着 し て 、 ﹁細 砕 営 営 と し て 、 去 る に 為 す 所 を 知 ら ず 、 行 く に往 く 所 を 知 ら ざ る ﹂ (﹁南桐夢記 題詞 ﹂) 蟻 にも 似
た 人 間 の妄 昧 ぶ り を 描 き 、 ﹃郁 郷 記 ﹄ に お い て は 、 さ ら に ﹁寵 辱 、 得 喪 、 生 死 の情 ﹂ を 写 す こ と甚 しく (﹁郡 廓
夢 記題 詞﹂)、 登 場 人 物 が す べ て 欲 情 の虜 と な っ て い る 。 いず れ の劇 に お い て も 、 生 来 備 わ っ て い る が ゆ え に平
おわ
ヘ
生 疑 って み よ う と も し な い ﹁欲 情 ﹂ が 、 人 間 を い か に非 人 間 的 な存 在 に変 え て い る か を 人 物 に悟 ら せ る こと を
へ
テ ー マと し て い る 。 ﹁南 桓 夢 記 題 詞 ﹂ に 曰 く 、 ﹁夢 了 り て 覚 を 成 し 、 情 了 り て 仏 と 為 る ﹂ と 。 ﹁郁 邸 夢 記 題 詞 ﹂
ヘ
に 曰 く 、 ﹁回 首 せ し神 仙 は 、 蓋 し 亦 た 英 雄 の大 致 な り﹂ と 。
﹁真 情 ﹂ を 求 め る 湯 顕 祖 にと っ て 、 天 下 を 論 じ よ う と す れ ば す る ほ ど 、 世 人 の存 在 が 無 視 で き な く な り 、 と
り わ け 衆 人 を 対 象 ど す る 戯 曲 に お い て こそ 欲 情 の克 服 を 主 題 と す る 、 こ の よ う な 作 品 が 作 ら れ な け れ ば な ら な
か っ た も のと 考 え ら れ る Q
14
七
結
語
湯 顕 祖 に 関 す る 従 来 の研 究 で は 、 そ の詩 文 が 公 安 派 の先 駆 を な す 反 擬 古 的 な 性 格 を 持 ち 、 そ れ と平 行 し て 戯
曲 創 作 に お いて も﹁ 曲 韻 を 墨 守 す る呉 江 派 沈 環 等 と 対 立 し て 、 曲 意 を 重 ん じ る 作 風 を 示 し た こと が 指 摘 さ れ て
い る 。 私 は ﹃撫 州 府 志 ﹄ の ﹁天 下 を 以 て 己 が 任 と 為 す ﹂ と いう 湯 顕 祖 に 対 す る 評 語 と 、 ﹃宜 黄 県 戯 神 清 源 師 廟
記 ﹄ に 述 べ ら れ た 彼 の情 を 基 調 と す る 戯 曲 観 に注 目 し 、 彼 が 官 吏 と し て 上 に屈 服 せ ず 、 下 に同 情 す る 豪 傑 の気
質 を 生 ま れ なが ら 有 し て い た た め、 ﹁情 ﹂ を あ く ま で生 活 の根 本 に おき 、 と り わ け ﹁戯 曲 ﹂ と いう 士庶 と も ど
も に楽 し め る文 芸 に よ っ て 、 人 心 を 教 化 し よ う と 図 った こ と を 述 べ た 。 湯 顕 祖 に お い て は、 こ の文 人 と し て の
功 績 こそ 評 価 す べ き であ ろ う 。
彼 は 、 講 学 者 が 人 間 が 生 来 有 す る ﹁性 ﹂ を尊 ん だ の と は 異 な り 、 人 間 が 生 来 有 す る ﹁情 ﹂ を 尊 び 、 自 ら の思
想 を 戯 曲 に よ って 庶 民 に ま で 及 ぼ し た 。 彼 が 認 識 す る ﹁情 ﹂ と は 、 ﹁性 ﹂ の束 縛 を 受 け ず 自 ら 活 発 に 躍 動 す る 。
し か し な が ら 彼 が 人 間 の精 神 構 造 と し て ﹁情 ﹂ 以 外 のも の を 認 め な い以 上 、 そ の 不 純 な 部 分 を 除 去 し な け れ ば
な ら な く な った 。 そ れ は 欲 情 に よ って 動 か さ れ る 世 間 を 教 化 せ ね ば な ら ぬ と 彼 が 意 識 し た と き であ った 。 そ し
て 彼 は 欲 情 の 処 理 を 仏 教 の悟 り に求 め た の であ る。 彼 の創 作 が 陽 明 学 者 の 主 旨 と 似 て 非 な る 点 は こ こ にあ り 、
そ れ は ま た ﹃南 桐 ﹄ ﹃甘
kド則
β
軍﹄ 二 記 に 関 す る 彼 自 身 の こと ば に 端 的 に 表 現 さ れ て い る。
が 宜 伶 の ﹃二 夢 ﹄ を 学 ぶ を 愛 す る は 、 道 学 な り 。 性 に 善 無 く 悪 無 き も 、 情 に は 之 有 り 。 情 に 因 っ て 夢
そ れ が し
弟
を 成 し 、 夢 に 因 っ て 戯 を 成 す 。 (詩 文 集 巻 四 七 、﹁復 甘 義 麓 ﹂)
湯 顕 祖 の戯 曲 観 -情 の重 視 1 (阿部 )
15
ω
②
⑤
人
研
究
第 五十九輯
16
文
注
原詩 ﹁箇 箇 人 心有 仲 尼 、 自 将 聞 見 苦 遮 迷 。 而 今 指 与 真 頭 面 、 只是 良 知 更 莫 疑 。﹂ 吉 田 公 平 氏 のこ指 教 に ょ れば 、 ﹃福 恵 全
書 ﹄ 巻 二 五 に こ の良 知 の歌 が 当 時 流 行 し た こと が 記 さ れ、 こ の歌 に 励 ま さ れ た学 者 は多 いと いう 。
郷 里 の メ ロデ ィー は容 易 に忘 れ ら れ るも の で はな いら しく 、 例 え ば 杜 文 換 (字 朝 武 、 毘 山 の人 。) は、 北方 に住 ん で も
南 曲 を 好 ん で お り 、 ﹁然 家 本 呉 人 、 寄 跡 秦 塞 、 猶 存 積 習 、 不忘 土 風 、 故 好南 曲 、 弗 喜 北 詞 ﹂ (﹃太 霞 芸 極 ﹄ ﹁詞 曲 ﹂) と述
べ て いる 。 湯 顕 祖 の宜 黄 調 愛 好 の理 由 も こう し た も のであ っただ ろ う 。
劉 鳳 ﹃劉 侍 御 集 ﹄ 巻 五十 、﹁寄 湯 博 士﹂ 参 照 。
郭 紹 虞 ﹃中 国 文 学 批 評史 ﹄ 、 青 木 正 児 ﹃中 国 近 世 戯 曲 史 ﹄ 、 岩 城 秀 夫 ﹃中 国 戯 曲 演 劇 研 究 ﹄ 等 。
彼 は 仏 教 に帰 依 し て おり 、 六十 五 歳 のと き 、﹁続 棲 賢 蓮 社 求友 文 ﹂ (詩 文 集 巻 三 六 ) を 著 わ し て い る。
が 、 張 大 復 ﹃梅 花 草 堂集 ﹄、 沈 捷 ﹃増 訂 心 相 百 二 十 善 ﹄ ほ か、 ﹃五 雑 姐 ﹄ ﹃紫 栢 老 人 集 ﹄ 等 に見 え る と いう。
集 序﹂ は、 歴 代 詩 人 を各 脚 色 に た と え る。 合 山 究 氏 のこ指 教 に よれ ば 、 や は り 人 生 や 人 物 を 劇情 や脚 色 に た と えた 文 章
例 えば 郷 迫 光 ﹃欝 儀 楼 集 ﹄巻 四 二 ﹁観 演 戯 説 ﹂ は、 こ の世 の万 物 の変 転 を劇 にた と え 、 虞 淳 熈 ﹃虞 徳 園集 ﹄ 巻 四 ﹁解 脱
真 よ り 大 な り と称 讃 し て お り、 湯 顕 祖 の循 吏 ぶ り が よく 窺 え る 。
こ の ほ か徐 聞 で の ﹃東莞 県 琶 黄 孝 子特 祠 碑 ﹄ (﹁詩 文集 ﹂ 巻 三 五 ) は、 無 名 の黄 孝 子 の民 衆 への教 化 力 を 、 明 初 の名 臣 何
稽 暇 当 為 点 定 、 可 論 相 、 亦 可 論 世 也 。﹂ と いう 一文 が あ る。
湯 顕 祖 が よく 天 下 を論 じ る 例 と し て、 詩 文 集 巻 四 九 ﹁与 朱 象 峯﹂ に 、﹁昨 誼 江 陵 以 下諸 相 、 各 成 局 段 。 兄 憶 其 大 略 記 之 、
(4)(3)
(6)
(8) (7)
ダウンロード

Page 1 Page 2 湯頭祖 ({子義机、 一{子義少。 号若士、 別号清遠道人