「アジアの歴史」第6回
ラストエンペラー溥儀:
中国封建王朝の終焉と
傀儡国家「満洲国」
溥儀:ラストエンペラーの数奇な人生
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せんとうてい【宣統帝】
清朝第12代、最後の皇帝。姓は愛新覚羅。
名は溥儀(ふぎ)。醇親王載灃の子。辛亥
革命により退位。1932年、日本軍部に擁せ
られ満洲国の執政、34年皇帝(康徳帝)。
日中戦争後、戦犯。59年特赦。著「わが半
生」。(在位1908~1912)(1906~1967)
第一次世界大戦とその後の日中関係
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1911年 「辛亥革命」が勃発。清朝政府の支配は壊滅。
1912年 中華民国臨時政府は南京で設立され、アジア初めての共和国は
誕生。孫文は初代臨時大総統に就任(まもなく袁世凱に禅譲)。
1919年 山東半島の主権を回収しようとする中国側の主張はパリ講和会
議に無視され、全国的帝国主義反対運動「五四運動」は勃発。
1921年 中国共産党が設立される。
1924年 第一次「国(民党)共(産党)合作」が開始。
1931年 日本関東軍は「満洲事変(九・一八事変、柳条湖事件)」を挑発、
三ヶ月間、遼寧省・吉林省・黒竜江省を占拠。
1932年 日本軍のコントロールのもとで「満洲国」が設立され、その後、中
国東北地域への移民政策が実施される。
1937年 「支那事変(七・七事変、廬溝橋事件)」が勃発、日本軍は大規模
に中国各地へ侵入、日中は全面的戦争状態に入る。
「大陸政策」→「満蒙独立構想」
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1889年、山県有朋は内閣総理大臣に就任、超然主義を
とり軍備拡張を進める。第一回帝国議会では施政方針
演説において「主権線」(国境)のみならず「利益線」(朝鮮
半島)の確保のために軍事予算の拡大が必要であると
説いた。
第一回「満蒙独立運動」(1912年)
第二回「満蒙独立運動」(1916年)
「満蒙独立運動」の首謀者:川島浪速と粛親王、その延
長線に川島芳子
「柳条湖事件」と「満洲国」建国
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【満洲国】
日本が満洲事変により、中
国の東北三省および東部内
蒙古(熱河省)をもって作りあ
げた傀儡(かいらい)国家。
1932年、もと清の宣統帝で
あった溥儀を執政として建国、
34年に溥儀が皇帝に即位。
首都は新京(長春)。45年日
本の敗戦に伴い消滅。中国
では偽満洲国と称。
旧関東軍司令部・中国長春
「満洲国」は独立国家だったのか?
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満州国の憲法上では、皇帝は国務院総理をはじめとする大臣を任命
することができたが、次官以下の官僚に対しては「日満議定書」によ
り、関東軍が日本人を満州帝国の官吏に任命、もしくは罷免する権
限をもっていたので、関東軍の同意がなければ任免することができな
かった。
また、関東軍の高級将校である吉岡安直大佐や工藤忠が常に溥儀
とともに行動し、その行動や発言に対し「助言」するなど、皇帝の称号
こそあるにしろ、事実上日本及び関東軍の傀儡であった。その後も、
弟の溥傑が天皇家に繋がる名門華族・嵯峨家(旧姓・正親町三条
家)の令嬢の嵯峨浩と結婚した他、1935年4月には昭和天皇の招待
により日本を公式訪問するなど、日本及び日本の皇族と密接な関係
を保ち続け日本国民からも高い人気を集めるが、関東軍による暗殺
を常に恐れていたと言われている。出典: フリー百科事典『ウィキペ
ディア(Wikipedia)』
犠牲となった人々(現地中国人住民と
日本人移民)
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1931年の満州事変以降に本格化した日本からの満州国へ
の移民は、当時の広田弘毅内閣は1936年に「満州開拓移民
推進計画」を決議し、1936年から1956年の間に、500万人の
日本人の移住を計画、これを日本政府により推めた。この政
策には、20年間に移民住居を100万戸建設するという計画も
打ち出されており、国策に裏打ちされた入植者の大陸への送
り込みが図られた。
日本政府は、1938年から1942年の間には20万人の農業青
年を、1936年には2万人の家族移住者を、それぞれ送り込ん
でいる。この移住は、日本軍が日本海及び黄海の制空権・制
海権を失った段階で停止した。
犠牲となった人々(「残留孤児」)
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中国残留日本人(日本のメディアでは一般に中国在留邦人)は、第
二次世界大戦末期のソ連軍進攻による中国東北部における混乱で、
日本に帰ることが出来ず中国大陸への残留を余儀なくされた日本人
のことである。
残留孤児の総計は2700人で、うち2476人と残留婦人等3775人が
日本に帰国しているが、残留孤児の中国人家族約19000人が日本
の援助で来日し、更にその数倍の人間が自費帰国したことが問題と
される場合もあり、元孤児が安心して暮らせる例の方が少ない。
2005年の衆議院総選挙に於いて、選挙権を有しているのに日本語
を解せず選挙権を行使できないのは人権侵害であるとして、中国語
での公示を求める訴えを起こした。永い年月を経ても日本に順応で
きない元孤児たちの問題の根深さを物語っている。
溥儀の戦後
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「人民服」姿の溥儀
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第6回授業資料(簡易版)