ミニシンポ「災厄とトラウマ」2014.03.29
中国・内モンゴル近代史の語り―対日協力と対日抵抗の間で―
田中 剛
はじめに
・日中戦争期の内モンゴル
→「満洲国」建国(1932)
、内蒙古自治運動(1933)
、蒙古聯盟自治政府(
「蒙疆政
権」
)成立(1937)
→内モンゴルは大きく 3 つに分けられる(「満洲国」
、「蒙疆政権」
、国民政府地域
(オルドス)
)に分断
・中国共産党は 1947 年に内蒙古自治政府を樹立し、「内モンゴル」を統合
・日中戦争期の対日協力と対日抵抗の間で、内モンゴルのモンゴル人たちは民族的アイ
デンティティをどのように形成してきたのか
・民族の集合的記憶から漏れ落ちている個人のトラウマとは
1.日本における研究
・傀儡政権研究から対日協力政権研究へ
→汪精衛政権に対して「一定の自立性」を認める共通理解
・内モンゴルの「蒙疆政権」についても、モンゴル人の自立性を認める
2.成吉思汗廟(内蒙古自治区ウランホト)の語られ方
・中華人民共和国は、2006 年に「全国重点文物保護単位」に指定
→創建は「満洲国」時期
→中国共産党は 1947 年、同地で内蒙古自治政府の成立式典を開催
・白拉都格其ほか編『蒙古民族通史』(内蒙古大学出版社、2002 年)
「満洲国」皇帝溥儀が「天照大神」を国神として奉祀し、東北各地で次々と「建
国神社」が創建された当時にあって、成吉思汗廟の創建は日本の文化侵略と精神
麻酔に対するモンゴル族人民の抵抗であった。
・満洲国史編纂刊行会『満洲国史・各論』
(満蒙同胞援護会、1971 年)
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蒙民厚生会のきも入りと満洲国内蒙古人の総意により 1944 年 10 月興安(もと王
爺廟)の台地に壮麗な成吉思汗廟を建立した・・・・・・爾来、国内蒙古人はもとより
蒙疆の徳王はじめ国内外の参詣が年々増加し、ラマ教の振興に貢献した。
3.日中戦争期のチンギス・ハーン崇拝
(1)内モンゴル伊克昭盟(オルドス)の八白宮
・オルドスにあるチンギス・ハーンの祭殿、チンギスの鞍や弓矢など祀る
・春夏秋冬それぞれに行われる大祭のうち、旧暦 3 月 21 日の春季大祭が最も盛大
(2)北平蒙蔵学校の「チンギス・ハーン記念大会」
・北平(北京)のモンゴル人学生が 1930 年 4 月 19 日(旧暦 3 月 21 日)に開催
・
「チンギス・ハーンの精神」を学び、民族アイデンティティの涵養を重視
(3)内蒙古自治運動
・徳王らモンゴル王公は中華民国国民政府に対して「高度自治」を要求(1933.7)
・肖像画や祭祀、記念大会などチンギス・ハーンをシンボルに
(4)日本占領地域のチンギス・ハーン崇拝
・徳王が主席の「蒙疆政権」は、チンギス・ハーン紀元を採用、記念日を設定
・
「満洲国」は 1942 年に成吉思汗廟の造営開始、1944 年完成
(5)国民政府と中国共産党のチンギス・ハーン崇拝
・オルドスの八白宮を国民政府は甘粛省に移送(1940.6)
・移送後に八白宮の祭祀を行なったのは蒋介石の代理
・八白宮の甘粛移送の途上、中国共産党が統治する延安を通過
・共産党は延安に「チンギス・ハーン記念堂」を建立、記念会を開催
4.台湾のモンゴル人
(1)海を渡るモンゴル人
・中国共産党に敗れた中華民国政府は台湾に撤退(1949)
・社会的背景の異なるモンゴル人 400 人以上が台湾へ渡る
(2)台湾の成吉思汗大祭
・1951 年 4 月 26 日(旧暦 3 月 21 日)に台北師範学院で成吉思汗大祭を開催
・以来、政府公式の祭祀として現在まで続く
むすびにかえて
・戦時中に各勢力が競い合ったチンギス・ハーン崇拝は、戦争の記憶を乗り越えて戦後
にモンゴル人を統合するシンボルと成り得た
・しかし、モンゴル人の集合的記憶とは別に、取り残されたままの個人のトラウマ
・日本・台湾在住のモンゴル人に対する聞き取り
→沈黙(家族に対する罪悪感など)
・語らぬこと、語り得ないことに対して、実証史学はどのように向き合うことができる
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