海外事例
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case
新興国におけるスマーター・シティー事例:
ケニアの frugal 交通ソリューション
IBM 東京基礎研究所(IBM Research-Tokyo)
インダストリーズ・リサーチ
【プロフィール】
スマーター・シティ・ソリューション
2003 年日本 IBM 入社。以降、主に情報セキュリティーの研究を行う。
シニア・マネジャー
吉濱 佐知子
1.アフリカが抱える都市の課題
アフリカと言うと、どんな場所を思い浮かべるでしょうか? 2.ナイロビの交通事情
ケニアの首都ナイロビは、サハラ以南アフリカの中で最も大
多くの日本人にとってアフリカという場所はそれほど馴染みが
きな都市の一つで、人口が都市圏で約 350 万人と、横浜市
なく、広大なサバンナが広がるライオンやキリンの野生の王
に匹敵するほどの規模があります。多くの新興国と同様、ケ
国、広大な砂漠やジャングルの多い未開の土地、といったイ
ニアでも農村地域から都市への人の移動が続いており、し
メージが強いのではないでしょうか。
かも国全体の人口が増加していることもあって、都市の人口
しかし実際には、近年アフリカでは急激な経済成長が進
が増えてきています。
み、同時に都市への人口の流入が続いています。南アフリ
また、自家用車を所有する中間所得者層が増えているた
カの首都ヨハネスブルグ(人口約 367 万人)やナイジェリア
めに都市の交通量が増える一方で、道路や公共交通機関
のラゴス(人口約 1,000 万人)をはじめ、人口 100 万人を超
などのインフラが整備されていないために渋滞が多く、大きな
える大都市が 50 以上あり、比較的開発の遅れているサハラ
問題になっています。朝晩のひどい通勤渋滞を避けて朝9
以南アフリカでも、人口の約 36% が都市部に住んでいます。
時の出社時間に間に合うように、6時前に家を出るという人も
急激な都市化が進む一方で、都市のインフラはいまだ未
少なくないようです。渋滞による生産性の悪化やガソリンの浪
成熟のため、交通渋滞、電力や水の安定供給、公衆衛生、
費、大気汚染などは経済的にもインパクトがあり、試算による
環境問題、市民サービスのクオリティーなど多くの課題を抱え
と毎日 5 千万ケニアシリング(日本円で約5千万円、年間約
ています。IBM では 2012 年 8 月に全世界で 12 番目となる
18 億円)もの損失が発生していると言います *1。
基礎研究所、IBM Research ‒ Africa(以下、IBM アフ
街には鉄道がありますが、長距離専門のため、低所得者
リカ研究所)をケニアの首都ナイロビにオープンし、IBM の
層の多くはバスか、マタツと呼ばれる小型バスを使って通勤
他の研究所、および現地の政府や大学と協力し、さまざまな
します。また、10km 以上もの距離を歩いて通勤する人も少
問題を解決するための技術開発を行っています[1]。
なくないようです。
IBM 東京基礎研究所では、数年来にわたり研究してき
市内の道路は舗装されており、立派な車道もあります。し
た大規模交通シミュレーション技術を生かして、IBM アフ
かし、中心部と一部の幹線道路を除くと、道はほとんど片側
リカ研究所と協力し、都市の課題、特に交通の問題に取り
一車線で、舗装の状態もあまり良いとは言えず、年に2回の
組んでいます。しかしアフリカは、さまざまな面において日本
雨期には、排水の仕組みが整っていない場所が多いため、
とは環境が異なるため、日本の技術をそのまま適用するの
大雨が降ると道が冠水します。また、雨が降ると車を使う人
ではなく、現地の事情に合わせた工夫が必要です。本稿
が増えるために、さらに渋滞が悪化して数時間に渡ってまっ
では、限られた予算やリソースの中でソリューションを実現す
たく車が動かないという麻痺状態がしばしば発生するようです。
るナイロビでの取り組みについてご紹介します。
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2011 年より新興国向け研究ストラテジーの策定を担当、2013 年 2 月
より現職。
P ROVISION No.78 / Summer 2013
*1 出典:Ministry of Planning, Kenya
3.ナイロビでの“frugal”な交通ソリューション
IBM 東京基礎研究所では、IT の力で都市の交通を改
善するための、
さまざまな取り組みを行っています。本章では、
現在フォーカスしている次の3つのソリューションについてご紹
介します。
●一般市民向けに交通渋滞状況を伝える道路情報提供
サービス
●交通コマンドセンターにおけるオペレーション支援技術
●都市計画における意思決定支援ツール
図 1. AccessKenya の Web サイト 出典 : http://traffic.accesskenya.com/
ナイロビをはじめ、新 興 国におけるプロジェクトでは、
ができます。しかし日本と異なり、ブロードバンド・ネットワーク
"frugal innovation" が 重 要なコンセプトになっています。
が一般家庭へそれほど普及しておらず、スマートフォンの普
"frugal" は「 質 素な、倹 約 的な」といった意 味 ですが、
及率も低いため、これらの画像を実際に利用できる人はそれ
"frugal innovation" は私たちの造語ではなく、最近世界的
ほど多くありません。また設置場所が限られているため、出発
に認められてきている、流行のコンセプトです。複雑なものを
地から目的地までのすべての道路状況を正確に把握するの
作るのではなく、本当に必要なことを最低限の努力とコストで
も困難です。
実現するということで、特に新興国向けのソリューションで重
要な概念と考えられています。
一般的に交通状況を改善するためには、
まず交通需要や、
実際の道路交通量、渋滞の状況などを調査してデータを得
私たちは frugal の観点からも、これら既存の Web カメラ
からのデータを解析して、車両台数や渋滞度、交通スピード
を検出することにしました[2]。
画像は解像度が低く、車は豆粒程度にしか映らないので、
ることが必要になります。ここで課題となるのが、日本とナイロ
テンプレート・マッチングなどの一般的なイメージ解析の手法
ビの環境の違いです。日本の場合には3∼5年ごとに大規
では個々の車を認識することは困難です。また画像はビデオ
模な交通センサスが行われ、道路の状況や交通量が計測さ
ではなく、1 ∼ 6 秒程度の間隔で静的イメージが更新される
れています。また、車両感知器や渋滞センサーにより、車両
だけなので、スピードを検出することも困難でした。そこで私
台数やスピードの計測が定常的に行われています。一方で、
たちは、このような条件の悪い画像イメージに適した新しいア
ナイロビにはこのような計測のための交通センサーがほとんど
ルゴリズムを新たに開発しました。車両台数の検出
(図 2(a))
存在しないため、交通量を網羅的に把握するのが非常に困
では、画像の中から道路の特定の車線にあたる領域を抽出
難です。とはいえ経済的な問題から、交通センサーを配備
した上で白黒に二値化し、その割合を過去のデータと比較
することにも困難が伴いますし、メンテナンスのためのコストも
かかります。そこで、いかに低コストで既存の情報を生かし
て交通状況のデータを取得するか、ということがチャレンジに
なります。
3-1. 低解像度 Web カメラからの交通量検出を可能にする
y
画像処理とアナリティクスの新技術
peak
ナイロビ市内の主要な道路沿いには、AccessKenyaとい
x
う現地企業が設置した Web カメラが既に計 36 カ所にあり、
ユーザー・サービスの一環として画像が Web 上で公開され
ていました(図 1)。Web にアクセスできる人であれば誰でも、
これらの画像を見て、道が混んでいるかどうかを目視すること
(a)渋滞度の検出
(b)交通スピードの検出
図 2. 画像処理による渋滞度・スピードの検出
P ROVISION No.78 / Summer 2013
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して、観測時の車の台数を推定しています。一見単純な手
でを全自動化することで、これらの課題を克服しようとしてい
法ですが、二値化する時の閾値は天気や時間帯などの条件
ます。
によって変わるため、機械学習的な手法を使って、自動的に
精度や使い勝手、エリア・カバレージの点で改善すべきこ
最適な閾値を決定する、などの工夫がなされています。図 2
とは多いのですが、パイロットの参加者からは「リアルタイム
( b)はスピード検出の例で、2枚の連続したイメージに対し
に交通状況が分かるのは非常に便利」とポジティブなフィード
て特殊な変換を行って比較することで、その間での物体の
バックを多くいただき、現地でのニーズの高さを感じています。
移動量を検出し、スピードとして検出しています。
さらに、カメラの設置されている箇所は限られていますが、
アナリティクス技術によってカメラに映らない道路の交通量を
推定することで、限られた台数のカメラでより多くの道路状況
を把握する技術を開発しています。
3-3. What-if シミュレーションによる
交通オペレーションサポート
ソリューションの二つ目は、交通コマンドセンターにおけるオ
ペレーション支援技術です。
まず、Web カメラから得られた交通情報を地図上に可視
3-2. 市民への道路情報提供サービス
化して表示することにより、都市の交通状況を把握することが
検出した交通状況を市民の方に情報として提供すること
可能になります。さらに、東京基礎研究所で開発した大規模
で、移動の経路やタイミングの判断に役立てていただこうとい
交通シミュレーター IBM Mega Traffic Simulator
[3]
により、
うのが「道路情報提供サービス」で、2013 年 4 月までにす
交通規制などさまざまなシチュエーションで、「もし、こういうア
でに2度、
現地でのパイロットを行いました。
このパイロットでは、
クションをとったらどうなるだろう?」というようなシナリオを想定し
市内の主要な道路や交差点を観測点として選び、そこで検
た What-if シミュレーションを行い、交通オペレーションにおけ
出または推定した交通情報を自動的に Twitter 上に投稿
る意思決定を支援することができます[4]。
し、現地の方に見て利用してもらうことで、その有用性を評
価しました。
図 3 は、洪水発生時の What-if シミュレーションの例です。
ナイロビでは雨期には豪雨が降り、しばしば冠水が発生しま
実はケニアでも交通状況を投稿する専用の Twitter アカ
す。冠水した道路に車が入って立ち往生したり、それによっ
ウントやハッシュタグが存在します。しかしこれまでのところは、
て渋滞が悪化したりということが予想されるため、なんらかの
有志の人間が手動で投稿しているものしかなく、網羅性や情
対策を取る必要があります。図 3 の( a)の部分では、地図
報量、リアルタイム性に課題がありました。これに対して私た
上に洪水の位置と、洪水発生時の道路状況を示しています。
ちは、Web カメライメージの取得から解析、ツイートの発行ま
( b)は、何も対策をとらなかった場合に、1時間後にどうなる
かをシミュレーションした結果で、幹線道
路に大渋滞が発生するという予想を見
(a)
(b)
て取ることができます。
( c)∼( e)は異なる位置で交通規制
洪 水
を行った場合の結果をシミュレーションした
ものです。地図上に視覚化された交通
渋滞の状況から、
(e)が最も効果的であ
(c)
(d)
(e)
ろうことが見て取れます。また、エリア内
の車の台数、渋滞の長さ、CO2 排出量
などの指標( KPI)によっても、結果を比
交通規制
位置
交通規制
位置
ミュレーションにより、実際に交通規制を行
交通規制
位置
© OpenStreetMap contributors, CC BY-SA
※太線は渋滞を表します
図 3. 洪水発生時の what-if シミュレーションの例
66
P ROVISION No.78 / Summer 2013
較することができます。このような事前のシ
う前に、それぞれの案の有効性を評価し
て、適切な規制を行うことができます。
3-4. What-if シミュレーションによる都市計画サポート
ここで考えられる What-if シナリオは、「もし給料日を月末
新興国では急激な人口増加に対応するために、道路の建
に集中させないで、規制によって初旬や中旬に分散させたら
設や拡張などの都市計画を進める必要があります。前節で
どうなるか」ということです。収集したデータを基に「給料日
ご紹介した交通シミュレーションの技術を使って、都市計画に
効果」と思える交通量の増分を変化させてシミュレーションす
おける意思決定を支援することができます。ここでは、道路
ることで、このような規制の効果を事前に評価することができ
建設計画と、交通に影響を与える法律や規制という2つのシ
ます。また、給料日のような日単位の変化ではなく、例えば企
ナリオをご紹介します。
業の就業時間をずらすことにより、出勤による渋滞のピークを
ずらすというようなシミュレーションも可能になります。
<道路建設計画:ラウンドアバウトの改造工事>
ナイロビ市内の交差点の多くはラウンドアバウトと呼ばれる
環状交差点です。これはイギリス植民地時代の名残で、信
このように、What-if シミュレーションにより、街のインフラを
「ハード的に」変える道路建設計画や、「ソフト的に」変え
る法律・規制の計画などを評価することが可能になります。
号がなく、環状部に侵入してきた車はぐるりと回って、行きた
い方角の道から出て行くという仕組みです。信号を設置する
必要がなく、信号で止まる必要もないため機能的であるとされ
4.おわりに
∼未来のアフリカを支える都市作りへ
ており、最近日本でも長野県飯田市で導入され話題になりま
した。しかし通行できる車の絶対量が少なくなるため、交通
今 年 は、日本 政 府 が 主 導 する第5回 アフリカ会 議
量が一定量を超えるとボトルネックになってしまい、交通渋滞
( TICAD-V)が開催されるなど、日本でもアフリカへの注目
を悪化させる要因となります。ケニアでもラウンドアバウトが渋
が高まっています。これまで日本とアフリカの関わりというと、
滞の一因であると認識されており、市内の何カ所かではラウン
難民支援や援助というイメージが強かったのですが、近年の
ドアバウトを立体交差に改造する工事が進められています。
アフリカの高い経済成長率を見ても、よりビジネス的な方向へ
What-if シミュレーションで評価すると、一見して似たような条
の転換期にさしかかっていると考えられます。
件のラウンドアバウトでも、交差する道路や隣の交差点の交通
一方的に支援するのではなく、日本が協力してアフリカの
量により、改造後の渋滞緩和への影響にかなり差が出ること
産業を活性化させ、それによって日本経済にも資するというよ
が分かりました。シミュレーションすることで、直感的には気付き
うなことが、今後ますます盛んになるのではないかと考えられ
にくい違いを定量的に評価し、適切な建設プランを選択するこ
ます。私たちのチームでも、アフリカの未来を支える都市作り
とができます。ラウンドアバウトの改造はナイロビ特有の例です
に少しでも役立ちたいと考えています。
が、日本の場合でも、道路の建設や拡張工事などの効果を、
謝辞
同様の What-if シミュレーションにより評価することができます。
IBM Mega Traffic Simulator の研究の一部は、科学技術振興
<法律・規制の評価>
機構CRESTおよび総務省PREDICTの助成により行われました。
二つ目の例は、車の利用に影響を与えるような法律・規制の
評価です。これもナイロビ独特の例ですが、ナイロビでは月末
になると交通量が増えるという現象があります。というのも、中流
階級の人口が増えて車を所有する人が増えているものの、お
金があるときや特に必要なときだけ車を使うという人が多いため
です。ケニアの場合は歴史的な理由から給料日が月末に集中
しており、月末になるとガソリンを買って車を使う人が増えるため、
交通量が増加して渋滞が悪化するという現象を多くの人が認識
しています。実際に Web カメラで収集した交通量データを見て
も、月末には統計的に有意な増加が認められます。
[参考文献]
[1]IBM s Frugal Innovation takes Root in Africa. March 29, 2013,
Stanford Business. URL: http://csi.gsb.stanford.edu/ibms-frugalinnovation-takes-root-africa
[2]Tsuyoshi Ide, Takayuki Katsuki, Tetsuro Morimura, Robert
Morris, "Monitoring Entire-City Traffic using Low-Resolution
Web Cameras," to appear in Proceedings of the 20th ITS World
Congress, Tokyo, 2013.
[3]Toyotaro Suzumura, Hiroki Kanezashi, "Accelerating Traffic
Simulation with Adaptive Synchronization Method," to appear in
Proceedings of the 20th ITS World Congress, Tokyo, 2013.
[4]Takayuki Osogami, Hideyuki Mizuta, Tsuyoshi Ide, "Identifying the
optimal road closure with simulation," to appear in Proceedings
of the 20th ITS World Congress, Tokyo, 2013.
P ROVISION No.78 / Summer 2013
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