☆卒業研究☆
中国の結婚式
ー都会と農村の比較ー
南條 江美
目次
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はじめに
封建的結婚と新婚姻法下の結婚
結婚式の変化とその過程
中国女性の姿
おわりに
はじめに
私は、様々な国の文化について考えるとき、その生活習慣や暮らし、宗教など
が頭に浮かぶ。その中で「結婚」を選んだ理由として、生活習慣や暮らし、宗教
などは、国々により大きな違いはよく見られる。しかし、必ずと言っていいほ
ど、冠婚葬祭という儀式はどういった形でもあらわされており、存在している。
そこに気付き、その中でも「結婚」に興味を持ったからである。そしてなぜ中国
と言う国を選んだかと言うと、日本で最もよく知られている国だと言われてい
るからである。
中国の結婚式を考える時、まず、封建的な結婚や新たな新婚姻法下での結婚と
いう課題がある。それにつづいて実際の結婚式とそれに至るまでの過程、その
時代の変化を考える。それと同時にそこから、中国女性の生き方や価値観など
を考える必要がある。
そこで、この内容を第一章から第三章にわけて述べようと思う。そして内容、
またそれをきかっけに私たちが中国に対してのイメージや知識を増していけた
らと思う。
封建的結婚と新婚姻法下の結婚
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中国では、長い封建制度から開放され、女性たちも女性解放を現実のものにした。実際、
中国女性は社会進出を行い様々な職種、職業に従事してゆくようになっている。こういっ
た様に都市の女性たちが、先進国の女性と同様の意識に目覚めている一方、古い伝統的社
会が存続している農村の状況は、都市との隔たりが大きく、そこには根強い封建的意識が
見られるのだ。ここで、様々な封建的意識からくる封建的結婚について述べてみる。
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具体的な例を見てみると、例えば農村の女性たちの結婚の多くは、本人だけではなく、
むしろ親たちの意思によって決められたものであった。これを、「包弁結婚(請け負い結
婚)」と呼ぶ。いわば、私有財産として扱われてた女性たちには、子供を生むことと、労働
が最大の義務であって、それを求められ、こういった封建的な結婚が行われていたのであ
る。
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男児優遇の観念の強い農村では、頻繁に行われていた女児の間引きは、男女の人口比のア
ンバランス化を招くことになった。その結果、結婚難に陥った男たちは、どうにか金を工
面して、妻を獲得しようとした。そうしたものを「売買婚」と呼び、その代表的なものが、
「童養嫁」である。これは、トン・ヤンシーと呼び、息子の嫁としてもらわれたり、買われ
たりしてきた女児で、その女児は、往々にしてその息子よりも年齢が上で、実際には、息
子の世話などをする労働力として利用されたというものである。
封建的結婚と新婚姻法下の結婚
☆パート2☆
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また、一人で妻を買い取ることの出来ない、さらに貧しい農民たちは、二、三人の男に
よって、共同買われた妻である「移妻」、時期を限って他の男に借りられる妻である「典妻」
や「祖妻」の形をとらざるを得なかった。こうした非人間的な方法しか持てなかった男性に
も増して、買われた女性たちは、「政権」、「族権」、「神権」、そして「夫権」を受けて、厳し
い状況に置かれていたのである。
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また、旧社会の女性たちの状況を規定する大きな役割となっていたものが「女訓書」によっ
て説かれている。ここでは、女性たちのあるべき姿というものが形成されていった。内容
を述べてみると、「三従」。これは、父、夫、子に従うということ。「四得」。女性たちを律
した婦徳、婦言、婦容、婦功の四つの得のこと。「七去」。父母に従わない、子が生まれな
い、姦淫、しっと深い、悪病持ち、おしゃべり、盗癖のどれかに該当すれば離別される。
こういった文書も、当時の女性たちに対する求められるものとして端的に示していると言
える。旧社会では、この七去を理由とした男性からの離婚申し立ては認められていたのだ
が、女性の側からの離婚は認められていなかったのだ。
その結果、封建的結婚を解消しようとして沢山の女性たちが離婚申請に殺到したのであ
る。しかし、当時、貧しい農村の男たちは、なけなしの金をはたいて、ようやく妻を手に
入れることが出来たのだ。そうした彼らの妻たちからの離婚申請への反発は強く、様々な
迫害が加えられたりしていた。当時、女性たちは封建的結婚から抜け出せなかったのであ
る。
封建的結婚と新婚姻法下の結婚
☆パート3☆
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1949年、中華人民共和国建国後、こういった封建的結婚を一掃し、それと同時に男女間の
平等な地位と権利を法律の面から保障しようという試みが、積極てきに行われた。
1950年、5月に新婚姻法が公布施行された。
八章二十七条からなる新婚姻法の主眼は、封建的な婚姻制度の廃止と、民主主義の婚姻制
度の実行にある。この具体的な内容として、婚姻の自由、重婚、畜婚、童養息の禁止、一
夫一婦制の実行、男女平等(権利)、離婚の自由などが規制、規定された。封建的結婚の
内容でも述べたが、離婚の自由というのは、当時の女性にとって、難しい問題であり、簡
単には実現しえないものであった。
また、妨害行為が規制され、1953年からは全国的に婚姻法貫徹運動が展開され、宣言活動
が、積極的に行われてゆく過程で、新しい形の家族を築く努力がすすめられていったので
ある。その後、政治、経済、社会、の状況の変化に応じて、婚姻法は、五章三七条に改め
られ、1981年、1月に改められ、1981年、1月に新たに施行されて現在に至っている。この
補充、修正では、人口政策が大きく反映されて、条文に盛り込まれていることが特色とし
て指摘できる。老人の合法的権益の保護、計画出産の実行が加えられた他に、結婚年齢の
変更、傍系血族間での結婚の禁止も修正された。
封建的結婚と新婚姻法下の結婚
☆パート4☆
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結婚年齢は男性が20歳、女性が18歳だったものが、男性は22歳、女性は20歳となった。傍
系血族間は三代から五代へ変更となった。また、離婚条項も、その内容が改められている。
婚姻法は、男女平等実現の後ろ盾という役割と共に、現在では人口抑制政策を支える法的
根拠としての機能が重要となってきていると言えるのだ。
結婚式の変化とその過程
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以前、新婦は「坐花轎」して嫁入りするのが作法であった。いわゆる輿入れであ
る。「拝堂(パイタン)」というのは、新郎、新婦が婚礼時に天地の神に礼拝す
る儀式のことを指している。こういった作法は、1949年以降は除々に簡略化さ
れた。現在、挙式前に、法律手続きをし、男女双方が病院で健康診断をうけて
問題がないと、民政局で登録し、二人の写真が貼付された結婚証書を受領する。
結婚証書受領と共に法的な正式な夫婦となる。
式では、新郎は、洋装で身を固め、新婦は、ウェディグドレスを着て、各種背
景、姿勢の下を撮影する。披露宴は俗に「喜酒」(シーチウ)と言い、ホテル、
料亭、自宅で行われる。
披露宴、参列の際は物を贈るのが普通で新郎新婦の趣味、習慣、経済状態など
にあわせて現金、生活用品、記念品などを送る。
最近では、花束、花かご、商品券の贈呈が流行である。
現在、都市部では、春節、メーデー、国慶節(陽暦10月1日は、中華人民共和
国の成立記念日のこと)など祝祭日の挙式が多い。
結婚休暇が長くとれ、来客も休みをとらずに済むからである。農村では祝祭
日挙式もあるが新郎新婦両家で、取り決めた吉日に挙式するところもある。
結婚式の変化とその変化
☆パート2☆
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また、相手選びについても変化が見られる。封建時代、結婚相手は、両親、年
長者が決め当人は、決定に従うのが美徳とされた。
この状況は、1940年代まで続いたが、50年代以降段々と変化し現代、結婚は
当人たちで決め、両親、年長者の意見は参考程度というのが普通であ る。
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中華人民共和国成立後、青年男女の相手選びの基準は、常に政治、経済的情
勢の影響を受けてきた。共産党政権誕生後の50年代、政府幹部、軍人に女性の
人気が集まったが60年代前半には、経済発展が緒につき、政治も安定した結果、
技術者、医師、研究員、教師など知識人に人気が集まり、共産党員で知識人な
ら上々であった。
結婚式の変化とその過程
☆パート3☆
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後、政府が知識人への不当待遇を改めたので知識人もまた一時、人気が出た。
政治規制の緩和や海外交流の活発化に伴い、華僑、香港人、マカオ人、台湾人、
外国人も人気の的となった。市場経済導入開始後の90年代、市場競争が厳しく
なる「下崗」(シャンカン)(一時帰休)の労働者や、失業が大量に生じはじめ、
低学歴で、専門技術のない人には厳しい時勢となった。
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反対に、高学歴、外国語能力、専門技術を有した人には、有利で好環境、高
収入、の地位を独占している。当然、女性からも大人気である。相手選びの価
値判断基準が変異しようと中国人は「門当戸対(メンタンフートウイ)」(家相
応)、「男才女貌(ナンツァイニューマオ)」、(男は才能、女は顔)の伝統観念
が根強く相手選びの価値判断基準になっている。男性は美人でやさしく家庭運
営の上手な女性を、女性は高収入で、自分よりも学歴が高く、才気に溢れ、仕
事に真面目な男性を希望する。
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ゆえに高学歴、高地位、高収入に過ぎる女性は適当な相手を見つけるのも一苦
労である。一部の都市では、適齢期を過ぎる女性は、適当な相手を見つけにく
く、これは社会的な問題となっている。
結婚式の変化とその過程
☆パート4☆
• 中国人の相手探しの手段は四種類あるという。
• 一、学校、職場、日常の付き合いから相手を
選ぶ。
• 二、親戚、友人、知人等の紹介
• 三、結婚相談所で探す。
• 四、結婚相手募集の広告を出す。
この中で最も多いのは2番である。
中国女性の姿
• 元来、中国には、「男は仕事、女は家庭」とい
う社会通念があり女性は長い間、社会への参
加を阻害されていた。
• しかし、1949年の新中国の誕生によって、中
国の女性は社会生活のあらゆる面でそれまで
とはまったく異なる地位を獲得した。
• 法律が男女平等を保障しそれによって政治、
経済、教育、婚姻、家庭における女性の地位
は飛躍的に向上した。
中国女性の姿
☆パート2☆
– 少し昔まで(6)の「女性=就職における弱者か」
という考えは、訂正の必要があると言える。
– 女性の存在が高く評価されているゆえ、中国の女
性は結婚したからといって、仕事を辞め、家庭に
入り、専業主婦になるという選択はなかった。就
業が「経済上の自立」にとって不可欠であり、精神
的支えだからである。
– 加えて、長期にわたって「低賃金高就業」政策を
とってきたので、一般家庭では男女共働きでない
と家計を維持できないという事情がある。
中国女性の姿
☆パート3☆
–
しかし最近、「仕事を続けるか、家庭に入るか」
というような論争が、たびたびテレビや雑誌で取
り上げられるようになった。
– つまり、以前なら考えられなかった「専業主婦」が
選択の一つとして浮上してきたのである。
– そればかりか、結婚そのものに対しても、結婚は
個人の自由であり、幸せなら結婚しなくてもいい
し、愛情がなくなったら離婚を選ぶという女性が
増えている。今、中国の女性の就業観、結婚観、
人生観が大きく変わっている。
おわりに
• この文章を書き始めるとき、「結婚」という題目から、
中国をみていけるのか不安だった。
• しかし、文章の構成を第一章から第三章に分けるこ
とによって、順序だてて考えていけたと思う。
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第一章では、封建的意識の強い農村での婚姻法や、
実際に行われている方弁結婚の事実、日本では考え
られない移妻や典妻などの形式を述べた。そして、
新たに制定された婚姻法を見た。ここから、中国で
の封建的意識の強い地域での事実を知り、厳しい状
況下に置かれていたことを知った。
おわりに
☆パート2☆
• 第二章、第三章では、実際の結婚式、相手選びにつ
いてと、中国女性の生き方や価値観などを考えた。
• この文章を通して、中国女性の実情やあり方を考え
させられた。中国の社会通念によって社会への参加
を阻害されていた女性は、新中国の誕生によって地
位が向上した。
• その頃の中国(社会への参加を阻害されていた頃)
女性には、想像もつかないことであっただろう。
• 中国はとても変化のある国だと思う。
• 中国という国の細かなところからすべてに渡って変
化が耐えない国なのだ。
おわりに
☆パート3☆
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私が研究した内容は、中国中国全体として
考えるととても小さい習慣のひとつでしか過
ぎない。
• しかし、ここから、視野を広げ、様々な習慣
や、暮らしぶり、そこから中国の今の在り方、
これからのあるべき姿などに結び付けられる
ような研究をしたい。
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